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自由都市イワフネ<1>

オレは今、二人の人と旅をしている。

一人は背の小さな女の人で名前はスーノ。

森呪遣いでオレの主だ。

スーノは頼りになるし頭が良い。

戦いではオレたちが戦いやすいように指示してくれる。

迷ったら、考えてくれる。

さすがオレの主だ。


もうどのくらい前だったか忘れてしまったが、オレは今の姿ではなかった

もっと大きくて賢く偉大な<大神>(おおかみ)という獣だった。

ある時、群れをなした冒険者がオレの前に現われ、オレに挑戦してきた。

オレは彼らと戦い、そして負けた。

オレを負かした冒険者の中にスーノがいた。

そしてオレはスーノの家来になったんだ。

その時、オレは大神の力を失った。

身体は小さくなり、偉大な力も無くなり、気がつくとオレは<山犬>になっていた。

大神だった頃はいろんなことを覚えたり考えたりできて、もっと賢かったような気もするけど、これはホントのことだったかどうか今ではよくわからない。

なんかだ頭が悪くなったせいなのか、昔のことをいろいろ忘れてしまったような気がする。

でもスーノが一緒にいてくれるから、ぜんぜん不満は無い。


もう一人は最近仲間になった杏奈だ。

守護戦士で背の高いエルフの女。

とにかく杏奈は弱い。

すぐ弱音を吐くし、それにすぐ泣く。

杏奈の力がスーノより強いことは、オレにはすぐ分かったけど、やることはぜんぜんダメ。

弱いし、後から仲間になったしで、とうぜん杏奈はオレの子分だ。

だから杏奈が泣いてる時はそばにいて慰めなきゃいけないし、戦いで挫けそうになっていたら助けてやらなくちゃならないんだ。

弱い者を世話するのは、強い者の義務だ。

しかたない。

でも、オレの自慢の白い毛並みを、涙や鼻水やヨダレで汚すのはカンベンしてくれないかな・・・



最近この二人と一緒に旅を始めたんだ。

どこに向かっているのかオレには難しくて分からないけど、一緒に旅をするのは楽しい。

今も、二人に先行して、敵がいないか偵察をしている。

自慢の耳と鼻で、誰よりも早く敵を見つけることが出来るから、偵察はオレの仕事だ。

とりあえず山向こうまでには敵の気配は無い。

オレは安心して、二人が追いつくのを待つことにした。

















アキバへの帰還の旅を始めて2日目。

まず始めの目的地をイワフネの街に決め、海岸線沿いの街道を二人は進んでいた。


アキバへの道のり、それはおおまかに見てもその距離は300kmはあり、その道のりをすべて徒歩で行くのは現実的ではない。そしてゲーム時代から、このように実際に移動する場合に使える魔法のアイテムが数種類存在した。

騎馬の召還笛もそのひとつであり、使用することによって騎乗騎馬を呼び寄せ、制限時間つきだが、それに乗り移動することが出来る。それは大多数の冒険者が使用する、もっとも入手が簡単な騎乗動物召還アイテムである。


さて、ごく普通の日本人と同様に、二人とも、現実世界で乗馬の経験など無い。

だが、冒険者の身体には乗馬技能が予めインストールされているのだろうか、始めはおっかなびっくりで落馬しそうになる二人だったが、すぐに慣れ、当たり前のように何の意識もせずに馬に乗ることができた。


馬上から見える風景は、白波を立てている海岸線と、起伏のある丘陵だ。丘陵には菜の花が咲き乱れ、あたかも黄色と緑に染め上げられた毛糸を斑に編みこんだ絨毯のようだ。

左手には鬱蒼とした黒い森に覆いつくされた山々が連なっている。

春の爽やかな風が馬上の二人の間を吹き抜けていく。

丘の向こうにエンジの白い影がかすかに見えた。


やがて日が西に傾いた頃、騎馬の召還時間の終わりが近づく。

スーノは野営できそうな高台の広場を見つけ、そこに向かった。

到着し次第、杏奈は馬から下り労うように、その汗で濡れた馬の身体を乾いたタオルで拭き取り甲斐甲斐しく世話を焼いていた。

そこに先行していたエンジが音も無く現われるが、馬達はもう慣れたのか全く注意を向けることは無かった。









昨日、初めて召還笛を使用した時、どこからともなくやって来た馬がエンジを見たときの怯えようは、大変なものだった。

馬は臆病な生き物だ、とスーノもどこかで聞いていたが、ここまでとは、とその時のことを思い出すと冷や汗が出てくる。エンジの巨体が視界に入るたびに、馬はとても乗馬に使用することなど不可能なほどに怯えてしまい、今にも逃げ出しそうなほどだった。

こんなにエンジを怖がっているのでは、この旅に馬を使用するのは無理だ。スーノは頭を抱えて途方に暮れた。

その時、杏奈が馬の前に進み出て、「大丈夫、怖くないよ」とにこやかに話しかけながら、その首を優しく撫でる。

そして


「エンジ、お座り!!」


エンジに指を差し、号令を掛ける杏奈。エンジはどうしたものかと目を白黒させて、杏奈とスーノを交互に見やる。スーノも突然の杏奈の行動に面食らったようでなにもできない。


「お・す・わ・り!!」


杏奈が両手を腰に当てて、エンジの顔を睨みつける。耳をピョコピョコ前後に動かして困惑した様子を見せるエンジだったが、最終的に根負けしたように腰を落とし「お座り」をする。

お座りの姿勢をとったエンジの顔はスーノの頭上、杏奈の顔と同じ高さに位置し、その巨体の威圧感は只ならぬものがあるのだが、杏奈はそんなことに臆することも無く、堂々とした態度で指示に従ったエンジを褒め顎のあたりをわさわさと撫で回してやっていた。


「んん、いい子。偉いね~」


 そしてその姿を馬に見せ、「ほら、この犬怖くないよ。大丈夫!!」と満面の笑みを浮かべた。


 その時の杏奈の笑顔とその後のエンジの凹みっぷりは、見ものだった。

 スーノの想像だが、おそらくエンジは杏奈のことを自分より下位に置いていたような気がする。

 習性から、犬は(狼もだが)群れの個体に必ず順位付けをするものだ。エンジにとっては主であるスーノは当然自分より上位の存在であり、後から仲間になった杏奈のことは下位だと認識していたのではないか。

 そんな杏奈に指図をされ、どうして上位のはずの自分が従わなければならないのか、とエンジが考えるのは至極普通である。しかし、何故か杏奈の指示に従ってしまった自分がそこにいて、そのことがエンジ自身どうにも納得がいかなかったようだ。それでも指示に従ってしまったのは事実であり、そのことと自分の認識の差異に自ら困惑している。

 その考えがスーノには丸見えで、そんな一人と一頭を見ているのがスーノには面白くて仕方がなった。


 というか、犬呼ばわりかよ。さすがにそれはエンジのプライドを傷付けるじゃないのかな。

 なんて思うが、メンドくさいからほっとこう



 結果的にその出来事の後、召還された馬がエンジに怯えることは無くなった。

 さらに翌日の朝に新たに召還された馬も、何故か同じようにエンジを全く恐れることが無かったことは、スーノにとってどうにも腑に落ちない出来事ではあったが、まあ馬が問題なく使用できるのだから良いか。と納得するしかなかった。








「今日も頑張ってくれてありがとうね~明日もよろしくね」

「いや、召還笛で呼んでるんだから、明日も同じ馬とは限らないよ」

「い~え、昨日もこの子でした。アタシには分かります!明日も同じ子が来てくれるんです!!」


「ね~ごくろうさま」なんて馬に話しかけながら、丹念に馬の身体を拭いている杏奈。

 馬も気持ちよさそうにして機嫌良く杏奈の世話を受けていた。

 確かにあれ以来召還した馬どれもがエンジを恐れていないのだから、やはり同じ馬なのかなぁ・・・でも昨日の馬とは毛色が違うような気も・・・まあ、深く考えるのは止そう。


「スーノさんもお馬さん手入れしてあげて下さいね。頑張って長い距離歩いてくれたしきっと疲れてるんですよ」

「いや、僕の馬はそんなに疲れてないと思うよ。僕の体重軽いし」


 それって、アタシが重いってことですか・・・

 ギロッっと鋭い視線がスーノに突き刺さる。

 ソウハイッテナイケドネ~、キットヨロイガオモインダヨ。

 とぼけたようにそっぽを見て、口笛を吹いてごまかす。

 背後からドス黒いオーラを感じるが、スーノは涼しい顔で無視する。


 そして、まあ仕方ないかと自分が乗っていた馬の汗を拭いてやる。

 そうしていると、確かに馬が気持ちよく感じていることが分かる。

 こうしてみると、召還した馬もちゃんと生きているんだね。

















 周囲から枯れ木を集め、火をおこす。焚き火の灯りは獣避けになるし、その火で暖を取ることもできる。今は5月の半ば、日中汗をかくほどに暑くなることもあるが、日が落ちればまだまだ気温の落ちは激しい。

 夜の暗闇の中、焚き火の明かりが二人と一頭を赤く照らしていた。


「この世界にやってきて、もう1週間か。GWもとっくに終わっちゃってるし、仕事どうなってるのかなぁ。会社行っても、もう席ないかも」


 焚き火の火を絶やさないように、スーノは拾ってきた木をくべる。パチパチと枯れ枝が折れるような乾いた音をたてて、焚き火が勢いを増した。

 スーノは地面に置いてあった木の椀を取り上げ、中身のスープを匙で掬い口に運ぶ。


「アタシも学校どうなってるのかな?このままじゃ出席日数足らなくなって留年しちゃいますよ」

「まぁ、なるようにしかならんか」

「・・・ですね」


 二人は他愛も無い会話を無理やり盛り上げて場の空気を明るくしようとするが、どうも上手くいったようには見えなかった。

 そもそもなぜ無理やりにでも場を明るくしようとしているかというと、その原因は目の前あるパンと木の椀の中のスープにあった。


「しかし、この食事だけはどうにかならんもんかね・・・」


 スーノは持っていた匙を投げ出して横になる。味にない食事にはもう辟易としていた。


「たしかにそうですね。でもどうしようもないですよ」


 杏奈も手に取ったパンに嫌気が差したのか、地面に広げたマットの上に半ば投げるように置いた。

 相変わらず、パンは少し柔らかい段ボールの親戚で、スープは病院食の重湯以下(これに比べたら病院食はご馳走だよ、と杏奈は経験から語る)にしか思えなかった。




 食料の問題にはなんの解決方法も見つからなかった。唯一味があるのは、なんの加工もしない状態の素材のみ。

 出発するとき、二人は集められるだけの素材を集めたが、味のあるその素材というのは生のものであり、保存が利くものは限られてしまう。

 そのため、旅の間はどうしても通常の味の無い食料を食べなければならなかった。料理コマンドを使って出来るのは、見た目は美味しそうだが、実際には味の無い水でふやかしたようなダンボールのような食料。

 試しにコマンドではなく、現実世界と同じように肉や野菜を火で炙ってみたところ、怪しげなゲル状のスライムのような物体が出来上がった。

 さすがにその怪しげな物体に口をつける勇気はスーノには無かった。

 この世界に来て一週間になるが、さすがに食料の味の無さについて不満がたまり、ストレスを感じるようになってきていた。


 隣を見ると、エンジが膨らんだ腹を抱えるようにして横になっていた。おそらくどこかで獲物を仕留め平らげてきたのだろう。


「お前はいいよな~。捕らえた獲物を生で食べれるんだからな」


 きっとその生肉は美味いんだろうな。僕も生肉食べれば良いのかな。


「スーノさん、生肉は食べないでね。お腹壊すよ」

「そんなこと考えてないよ!!」

「どうだか」


 そこには疑いのまなざしでスーノを見る杏奈がいた。









 二人は焚き火の周りに寝袋を広げる。

 スーノは自分の腕を枕にして、仰向けに横たわる。綿が詰まった寝袋は、硬い地面の感触を和らげてくれて、寝心地は悪くない。


 視線の先には、満天の星空。この世界に来てスーノは気づいたことがひとつあった。

 それは自分が思っていた以上に星空を眺めることが好きだ、ということ。

 たしかにこの世界の空気は澄んでいて、さらに冒険者であるスーノの視力は現実とは比べ物にならないくらい良いというのもその理由にあるだろう。それに東京の夜空を見たところで見える星は数える程度で、それを見ても楽しいものではなかった。

 しかしこの世界の夜空は、なんと言うのだろう、クサい台詞になるので恥ずかしいが、星が降ってきそうな夜空、なんてところか。


「クサくないですよ。”星が降ってきそうな夜空”なんて、どっかの歌の歌詞にありそう」

「・・・もしかして声に出してた?」

「うん」


 焚き火の反対側に陣取っていた杏奈が微笑みを浮かべていた。

 炎の揺らめきで、杏奈の姿が闇に浮かび上がっているように見えた。

 杏奈が自分の魔法鞄に手を入れ何かを探している。


「やっぱりあった。お兄ちゃんのことだからあると思ったんだ」


 そう言って鞄からなにか大きな物を引きずり出す。それはアコースティックギターだった。

 胡坐をかいてギターを構える杏奈の姿は結構様になっている。

 兄の影響で去年自分で購入して練習を始めたそうだが、兄とは違いエレキギターではなくてアコギなのはこだわりだろうか。


「ギターよりも、胡坐をかいた座り方が様になっているほうが問題かな」

「うるさいなぁ。どうせ女子高の女はガサツで女子力低いですよ~だ」


 イ~ッと顔をしかめて、怒った顔でスーノを睨む。そんな姿を横目に見て、スーノは肩を竦めて笑っていた。

 杏奈は弦を弾いて発した音に意識を集中し、それに応じてペグを細かく調整する。


「チューナー無いし、適当になっちゃうけどまあいっか」


「最近始めたばかりだから、まだまだヘタクソですよ」と言い訳している杏奈。

 そして、夜の静けさに溶け込むように、スローなメロディーがそのギターから流れ出した。

 その曲はスーノ・菅原直人が子供の頃に聴いたことがある旋律だ。仰向けのまま夜空を眺めながら、スーノはギターの音色に聞き入っていた。


 夜の闇に波紋を広げるように、ギターの音色が優しく吸い込まれていく。

 演奏がどれくらい続いたのか、始まったときと同く、闇に溶け込むようにその音の連なりも消えていった。


 スーノは起き上がり、拍手をする。

 えへへっ、と杏奈は頬を染め照れ隠しの微笑みを見せながら、それでも嬉しそうスーノを見ていた。


「・・・こんなに上手に弾けたの初めて。アタシ本当はこんなに上手くないんですよ」


 杏奈は自分の奏でた音が信じられないと言ったように、自分の指をじっと見つめていた。

 これってもしかして冒険者の能力なんですかね・・・

 熱に逆上せた様に呟く。





 冷えた夜の空気があたりを覆いつくしてくる。

 焚き火の灯りがいつまでも二人と一頭を優しく照らし続けていた。


















 海岸沿いの街道を進んでいくと、徐々に人と出会う機会が増える。

 その多くが荷物を満載にした荷馬車を操る者たち、おそらく商人だろう、荷馬車の荷台の品物はその量も種類も豊富だった。

 そして皆同じ方向、自由都市イワフネに向かっている。


 丘を越えると遠くに石の壁が見えてくる。街を囲む城壁だろう。そしてその城壁にある大門には多くの人が集まっているようだ。荷馬車がその人々を取り囲んでいるのが遠くからでも確認できる。


 さらに街道を進み街の目前にまでやってくると、止められた荷馬車で道が半分塞がれてしまっていた。二人と一頭は荷馬車の隙間を縫いながら歩みを進める。

 早めに勾玉の力を使いエンジを小さくしたおいて正解だった。ただでさえ人でごった返しているこの場で、本来のエンジの巨体を晒していれば、軽くパニックが起きていたことだろう。



 大門の前には仮設の小屋が建てられていた。小屋の前には槍を持ち軽装の鎧を装備した兵士が数名と、椅子に座り長机で商人たちの相手をしている役人らしき男達がいた。小屋の中には仕立ての良い服を纏った、でっぷりと太った中年の男が不機嫌そうな顔を隠しもぜずに踏ん反り返っている。そして小屋の前には商人たちの長蛇の列。長い時間待たされているのだろう、商人たちの顔には疲労の色が浮んでいた。


「街に入るには手続きがいるみたいだな」


 スーノは近くにいた兵士に声をかけ「手続きはここで良いのかい?」と尋ねる。


「ここは商人の受付だ。街に荷物を入れるならここで受付して荷物に合った関税を払ってもらうんだが、あんたらは商人じゃないな」


 スーノは両手を広げ、商売ができるような荷物は持っていないことを示した。隣の杏奈は、兵士の厳しい顔を見て、誤魔化すように愛想笑いをしている。それを見た兵士は、街道から少し離れた場所を指し示した。そこには、人間が通るのにちょうど良い大きさの小さな門と、こちらと同じように入門検査をする役人が詰める小屋が見える。そちらにも大門と同様に検査待ちの人が列を作っていたが、商人達の列に比べるとその長さは短く、人の流れも順調だった。







 二人が並んだその列は順調に流れ、たいした時間はかからずにスーノたちの受付番が来る。


「自由都市イワフネへようこそ」


 その役人はにこやかに笑みを浮かべていた。見た感じは二十歳台そこそこ、まだ仕事を始めてそれほど経ってはいないのではないか。大門で商人に対応している役人はもっと年嵩のいったベテランのように思える。

 そして大門の役人とは対応が全く違い、とてもフレンドリーだ。

 スーノは若干面食らったが、気を取り直して役人の質問に答える。訊かれたのは、街を訪れた目的、人数とその構成、大まかな予定滞在日数、とごく当たり前な内容だった。


「なんだ、祭り目当てでいらしたんじゃないんですね。これは珍しい」


 役人の言葉に、スーノよりもその後ろにいた杏奈のほうが食いつく。


「お祭りですか!!」


 祭りという言葉に杏奈の触手が反応したようだ。


「ええ、毎年恒例の春の祭りですよ。今回は御領主様のご令嬢、フエヴェル姫の領民へのお披露目もあって、例年とは比べ物にならないほど賑わいになりそうです」

「えっお姫様?!」


 背後でエンジと遊んでいた杏奈が、その言葉を聞きスーノの肩を乗り越えんばかりに身を乗り出してくる。その瞳は輝いて星が飛び出してきそうなほどだ。


「お姫様!!ああ、お姫様、なんてファンタジー!!」


 なにか変なスイッチが入っように踊りだした杏奈はさておき、スーノは目立たないように大門のほうに指を向ける。


「あっちは、なんであんなに雰囲気悪いの?」


 役人は肩を竦め、周囲に目を配る。誰もこちらに目を向けていないことが分かると、額をあわせるように頭を下げてスーノに小声で耳打ちしてきた。


「見えるでしょ、小屋のにいる太った趣味の悪い服着た男。実は最近配属になったうちらの上役なんですけど、あれが性質の悪いお人でしてね、平たく言えば商人から賄賂を取っているんですよ。まあそれだけならごく普通のことなんですが」


 役人の口が滑らかにすべる。見えないところで上司の悪口を言うことは、職場でのストレス発散には欠かせない。これはどうやらこの世界でも同様らしい。


「拒否したら街に荷物を入れられず商売上がったりですからね。最後には商人達も折れるしかないですけど、額が額でね。前任者時代と比べるとちょっと信じられないくらいでして・・・癪に障るんでしょうね粘る人も多いんですよ。で、あの長蛇の列が出来上がったって寸法ですよ」

「ははん、なるほどね」


 スーノは頷きながら大門に視線を向ける。

 スーノ・菅原直人の現実世界の職業は、土木関係、いわゆるゼネコンの技術職だった。もちろん名前の知れた大企業ではなく、その子会社の設計事務所であったがそこで設計を業務しており、日々コキ使わされていた。

 キャリア的にも入社四年目のまだまだ駆け出しであり、責任ある仕事を任されることはまだ無かったが、そのままキャリアを重ねていけば、やがては大きな仕事に携わることになるだろう。

 そして、土木関係と言えば、役所との関係は重要な懸案事項であり、親会社に勤務する同年代の営業職の友人から良く愚痴を聞かされていたのだった。


 どこだろうと役人のやることは同じだね・・・呆れたスーノだったが、考えると、どうにもやっていることが人間クサいではないか。ゲームのNPCがやることとはとても思えない。

 特に意識はしていなかったが、今までもあった似たような経験ひとつひとつがスーノの記憶に小さな傷をつけていた。

 そして今回の出来事も、またその傷の上に新たな傷を重ね、それがスーノの思考の流れに乱れた渦を作る。

 それは喉に刺さった魚の小骨のような小さな創痕であり、瞬時に消えてしまうような流れの乱れだったが、今のスーノは何故かそれを無視することが出来なかった。


 そのことに思考を巡らそうとするスーノの背後では、壊れかけた?杏奈が、エンジを相手にダンスを踊っている。

 いったいなにやってんだが・・・

 スーノは額を押さえ、呆れたようにため息をついて杏奈に向き合う。


「お姫様ですよ、すごいなぁ。お披露目ってことはアタシも見れるんですよね。」


 その姿に、目の前の役人だけではなく、警備をしている兵士や列に並び順番を待つ者も、笑っていた。

 子供が遠慮なく杏奈を指差して、母親に「あのお姉ちゃんなにやってるの?」などと訊いてるのを見てしまうと、さすがにスーノも恥ずかしくなり、杏奈の手を引いて逃げるように小屋を離れる。

 背後から先ほどの役人が笑いながら「楽しい滞在を!!」と声を掛けてきたが、振り返る気力は無い。


 なにか言ってやろうと杏奈に目を向けると、「お姫様、楽しみだなぁ」なんて熱に浮かされたようなその姿に、スーノはもう何も言えなくなってしまった。

 まあ、楽しんでくれればいいか、と考えを変え、二人と一頭はその通用門を潜り、イワフネの街の中に入っていった。

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