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森の国<2>



 明け方の冷気によって冷え切った地面が東の地平線から顔を出した太陽の光に照らされてゆっくりと温かみを増していく。

 タクミが寝惚け眼で身体を起こすと、寝具代わりの毛布や外套を片付けている最中のスーノの姿が目に入った。ボリボリと髪を欠きながら「う~」と唸り声を出してスーノを一瞥する。


「はいよ、おはよう」


 最後の夜番を勤め上げたスーノが、灰となって消えた焚き火の周りに広げた寝具代わりの毛布や外套を片付けている。寝不足気味のその目元は若干腫れぼったく、もともとの特徴である三白眼気味の目つきの悪さが一際強調されている。


「あ~、相変わらず朝イチのオメーの目つきは悪いな……真琴じゃなくて月詠は?」


 スーノは余計な世話だ、とブツブツ文句を垂れながら上目遣いでタクミを睨む。


「月詠なら川に顔を洗いに行ってるよ。お前も顔洗って目ぇ覚ましてこい」




 寝惚けて完全には覚醒しきっていないタクミの足の運びはまだ覚束ずに頼りない。ふらふらと一晩過ごした野営場所の丘を下りるとそこに川があり、川原の石の上に脱ぎ捨てた革のブーツが無造作に転がっている。顔を起こしたタクミの視界に、白波を立てて流れる瀬に踝まで浸している月詠の姿が入ってきた。


「毎度思うが、そのなんちゃって和服の足元が編み上げブーツって、アリか?」


 両手を頭上に上げて、腰を伸ばして気持ちよさそうに声を漏らす月詠の背中にタクミは声が掛けた。チラリと振り返って「余計なお世話」という返事が返すが、別に返事が欲しかったわけでは無いタクミは波を立てながら大股で月詠の直ぐ隣をすり抜け、膝下ぐらいまで浸かるぐらいの水深がある流れの穏やかな淵まで進んだ。そのまましゃがみ込んで頭を川の流れに突っ込み、顔と言わず頭と言わず大雑把に擦り洗う。そして水から上げた頭を左右に激しく振ると、濡れた頭髪から水しぶきが周囲に飛ばされ、その飛沫が背後にいる月詠の服を濡らした。


「……お前は犬か?」


 振りまかれた水しぶきを受けた月詠がタクミをジト目で睨みつけたが、彼の様子に突き刺ささる月詠の視線などどこ吹く風と気にするような気配は全く見られない。

 視線も合わさず「おう、ゴメンゴメン」と適当に言葉を返し、続けて「タオル貸してくれ」と、月詠に手を差し出した。


「タオルくらい自分で持ってきなさいよ」


 何か諦めたように溜め息を小さくついて手にしたタオルを差し出すと、タクミは肩越しに手を伸ばしてそれを掴む。


「おっありがとさん……ってこのタオル、なんかイマイチ水吸わねえなぁ」

「っちょっちょっと!!」


 冷たい川の流れで顔を洗えば寝惚けた頭もハッキリしたのか、ようやく自分が顔を拭った物が何なのかをタクミはようやく理解した。


「うん、これはキミの袖でしたなぁ。そうそうこっちがタオルだったな。間違っちったな、あはは」


 ウソくさい渇いた笑みを顔に貼り付けて、タクミは立ち上がり背後に振り返ると、目前に自分よりも背の高い月詠が朝日を遮るように立っていた。

 彼女の口元、正面から見て右側には黒子があるのだが(実は現実世界の田代真琴にも全く同じ位置にあるのだけれどまあそれは余談として)そちら側の口角がキリリッと吊りあがってヒクヒクと痙攣している。


―あ~これはコイツが怒ってる時のいつもの癖だよなぁー


 タクミから見れば逆光になっており、陰になった月詠の表情なんてしっかり見えるわけも無いのだが、その口元の動きだけは何故かハッキリと判別できたのは腐れ縁のせいか




 明かりを絶やさぬように一晩交替で世話をし、燃え続けた焚き火も今ではすっかり消火しているように見える。とは言っても、案外奥のほうで火種が燻り続けている可能性も否定できない。焚き火の不始末から野火が広がることも多く、火種を完全に消そうとスーノは手持ちの水筒から焚き火の燃えカスに水を満遍なく掛けた。

 バシャン!!


「んっ?」


 とても自分が焚き火を消化するために掛けた水の音には相応しくない、想定以上の音が聴こえスーノは首を捻る。

 その直後に、少し離れた場所から男女の言い争いが、風に乗って流れてきた。なんとなく伝わってくる内容は、現実世界で飽きるほど耳にした口喧嘩なのを確認すると、スーノはため息を一つ付いて諦めたように首を横に振る。


「出発、少し遅れるな……」















「ぶえっくしょい!!」


 三文芝居染みたタクミのクシャミに、月詠は「自業自得」と一言言い放つだけである。


「お前の所為だろうが」

「知らないわよ。あんたが勝手に足滑らして流されたんじゃないの?川は注意しないとね。浅瀬でも溺れることががあるらしいじゃない」

「ふざけんな、オメ~の蹴りの所為だっ!なんだあの蹴りは!軌跡がまったく見えなかったぞ、膝が先行して飛んでくる蹴りなんてブラジリアンキックか?フィリオ張りってか?ミルコもKOするキレだっつの!!」

「誰よソイツら?私はな~んも知らないわよ」


 ツンっと明後日の方向に顔を向けて、月詠は鼻を鳴らす。


「あと、そのカットがキツイなんちゃって着物でハイキックは止めたほうがいいぞ。裾が肌蹴て丸見えだから」

「……なっ!!」

「それとパンツの色真っ赤ってどうよ、しかもキッツイ角度に切れ上がっててちょっと派手過ぎじゃね?つ~か大事なとこ隠しきれて無くない?」

「死ねっ!!」


 目をまん丸にして顔を真っ赤に染める月詠。肌蹴る着物の裾など眼中に無いらしい彼女の脚が高々と上がって、ヤクザキックをタクミの顔面にかます。

 うげっっと車に轢かれて地面に張り付いたカエルのようにタクミが地面に打ち倒されたが、月詠はそれに収まらずに更に容赦の無いストンピングの嵐をお見舞いした。


「だから見えるって。やっぱお前実は露出狂だったん……」

「ん・な・わ・け・あるか~!!」


 本気でダメージが加わりそうな手加減無しの蹴りの連発がタクミの顔面を容赦なく踏み潰す。始めは、「うげっ」とか、「ぺぎゃ」とか聴こえていた悲鳴が段々と聞こえなくなってきたが、冒険者のタフな身体ならばまあ大丈夫だろうとスーノは放っておくことに決めた。


 ちなみにタクミが言うところの"派手な下着"は月詠の趣味では無い。このことは彼女の名誉を守るためには必ず記載せねばならない事項であろう。

 もともとゲーム時代には下着という設定が無く、現在冒険者達(の特に女性達)は下着代わりにゲーム時代にジョークアイテムとして存在していた水着を着用している状態である。しかも月詠のそれは普段使いにするにはちょっとセクシー過ぎたり機能として満足できないデザインだったりしたのは、もともとの所持目的が違っているのだからそれを問うとしても詮無いことだろう。だだ月詠自身、下着代わりにその水着を不承不承ながら使っていたことをタクミに無神経に指摘されたことは、彼女の気持ちを逆撫でするに十分だったのは想像に難くなく、更にその言動が原因で彼女の踏みつける踵に必要以上に力が込められてしまうのは、止むを得ないことに違いない。うん、きっと。


 二人の肉体言語を伴ったケンカ紛いの言い争いは高校の頃からの日常茶飯事であり(とはいってもいつも一方的にタクミが被害を受ける側ではあったが)スーノにとっては見飽きたイベントだったりする。スーノもそんなものにわざわざ首を突っ込む気など無く、召喚笛で呼んだ馬の首筋に手を回して「今日もよろしく」と気持ちを込めて撫でている。

 「ゴメンナサイ、死んじゃうからヤメテ」とかタクミの泣きが入っているような気もするが、それを無視し、無表情で作業を続けるように蹴り続ける月詠の様子からもこのケンカはもうちょっと続きそうだ。

 そんな二人をチラ見したスーノは、仲が良いことで、と鼻白むだけで二人が召喚した二頭の馬にも甲斐甲斐しく気を回していた。





 そんなスーノの耳元に、目の前に広がる牧歌的な風景とは相容れない場違いな電子音が鳴り響いた。

 それは冒険者の特殊能力の一つである念話の呼び出し音だ。現状ではフレンドリストに欄は空白ばかりになっているスーノに念話を掛けてくる人間は数少なく、確認するまでも無く特定すること容易だ。

 スーノが意識して目の前にシステムウィンドウを表示させると、そこに現れたのは、<カトー>の名前。

 彼女の心拍数が一段上昇する。

 正確にはエルダーテイルのプレーヤーである<カトー>は<大災害>には巻き込まれていない。現在、<カトー>の名義を受け継いでいるのは、そのプレーヤーの妹で<大災害>以降ずっとスーノと旅を続けてきた、そして今スーノが迎えに行こうとしているその人だ。


「杏奈だよな!そうだろ!!」


 スーノが声を張り上げた。

 じゃれ合っていたタクミと月詠は、突然聴こえてきたスーノの大きな声を耳にして動きを止めた。のほほんとした朝の暢気な雰囲気に似つかわしくない張り詰めたその様子に、二人は真剣な眼差しをスーノに向けた。



 スーノは念話を繋ぐや否や、矢継ぎ早に言葉を投げつけるが、聴こえてくるのは荒い呼吸の音ばかり。僅かに聞き取ることの出来きた言葉は、モゴモゴと口篭り意味を成してはいない。

 それでもその片言の声の主が杏奈だということがスーノには分かる。だからこそ、スーノは自分から言葉を投げかけることを止め、黙って杏奈が発する言葉を根気良く待った。

 やがて吃音交じりの声がスーノの耳に届いた。


「……ア、アタ……シ、だいじょう…ぶ。生き、てる…よ」

「ああ、分かった。分かってるよ」


 知らぬうちに自分の頬を涙が流れていることに気づき、そんな自分自身に驚きを隠せないスーノ。

―僕はこの世界に来て随分と涙脆くなったな―






 現実の電話ならば、通話中相手の声が漏れ聴こえて、当人以外の者にも通話相手の声が微かながら漏れ聞こえることもあるが、通常この世界の念話の相手の声は念話をしている当人以外には聴こえることはない。

 タクミと月詠にもスーノの念話相手が何を話しているのかは勿論聴こえてはこない。分かるのは、スーノが声に出している言葉だけだ。それでも会話の内容から、スーノの念話相手が誰なのか、そしてどのようなことを話しているのか推測するのはそう難しいことではない。


「うん、直ぐに。必ず迎えに行くから待っていてくれ」


 そう言った後、スーノが念話を終える。そして振り返り、背後の二人に向き合った。


「杏奈さんね」


 うん、と頷くスーノ。


「んで、目的地は変更するんか?」


 ああ、と応え、自分達が向かう場所は<ナロウマウント王国>だと二人に伝えた。

 その言葉を受けて不敵な笑みを浮べたタクミは鞄の中から使いこまれた地図を取り出し広げる。身を乗り出してスーノも地図を覗き込んだ。



















 何度も頷きながらスーノさんとの念話を終える。

 思ったように声が出せないけれど、ちゃんとアタシの状況を伝えることができた。

 良かった、スーノさんも無事だったんだ。

 深いため息が口から漏れ、胸の中にぽわっと暖かいものが満たされたような気がする。

 そして知らぬ間にふたたび涙が溢れてきた。

 さっきエンジと再会した時にアレだけ泣いたのにって思うけど、どうにも止めようが無い。


「あんな、どうした。どこかイタイのか?」

「う…うん、そう…じゃ…ない」


 自由にならない発声器官の所為で思ったように意思を伝えられないことが歯痒く、代わりに杏奈は大きく首を横に振った。


「ならどうしてなくの?」

「嬉しい…の」

「うれしいのになくの?」

「…うん」


 野原に座り込んだ杏奈の身体に寄り添い彼女の顔を覗きこむエンジに、杏奈はグチャグチャになった泣き笑いのような笑顔を見せる。

 種族的な差異か、涙を流すというい行為に馴染みの無いエンジにとって、理解できないそんな杏奈の様子に「そういうものか」と頷くが、それでもどうも納得できてはいないようでもある。


「あなたのような精霊種には理解するのは難しいかもしれないけれど、"人"という生物は良きにつけ悪しきにつけそういうものなのよ」


 杏奈の隣から声が聞こえてくる。

 そこに座っているミューリが優しく頷き、静かにエンジに語りかけた。


「それは"えるふ"もおなじか?」

「ええ、人間種に比べより精霊種に近しい種族といわれる私達"エルフ"もそれは変わらないわ。"人"に比べれば永遠とも思える常しえの時を生きる私達にとっても、感情という存在はその身に抱え込んだ宿痾ともいえる難物なのでしょう」


 ミューリは「でも」と言ってから視線を渓谷の向こう側、ナロウマウントの樹上都市に向け言葉を続ける。


「でも、"それ"無くしては、私達も生き続けることができないのかもしれない」







K1全盛の頃は年末のTV放送が待ち遠しかったものです。

時代遅れのネタでスイマセン(^^;

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