森の国<1>
扉の隙間から光が射している。
多分、木漏れ日なのかな?ちらちらと瞬くその光が目に入って眩しい。
いつ目覚めたのか、自分でも良く分からない。
そもそも今まで寝ていたのかな?
普通の睡眠なら、自分が寝ているってことをなんとなく分かるものだよね。
夢を見ている時も、今見てるのは夢の中の世界だよってなんとなく分かってたりするものだけど。
それに、寝ている間にどれくらい時間が経っているのかって朧気にでも感じとれるものだけど、今の目覚め方にはその感覚が全然無い。
いきなりスイッチが入ったみたいに目覚めるこの感じはあの時と同じ、去年の秋の県大会で断裂してしまった膝の靭帯の手術で、麻酔から醒めた時の感覚と同じだ。
手術の時、病室からストレッチャーで手術室に入って麻酔の先生の「麻酔が入りますよ」という言葉の後、次に気づいた場所は暗い病室で、目に入ってきたのは血圧とか心拍を計測する機械の光、そしてその機械から聞こえてくるピッピッというシグナル音だった。
あの時は手術室に入ったのが確かお昼過ぎの午後二時過ぎだった。
だけど、目が覚めた時にいた部屋の中は妙に薄暗く、昼間とはとても思えなかった。
なんでこんなに暗いの?って傍にいた看護師さんに尋ねたら、もう夕方の六時を回っているって教えてもらって驚いたことを覚えている。
四時間も時間が過ぎた感覚が全く無いのが不思議で、麻酔で意識を失うことは普通に眠るのとは全然違うんだな、ってあの時はちょっと怖くなった。
それに酸素マスクが息苦しくても外せなかったり、喉が渇いてるのに水を飲むことを一晩禁止されてたりで、あの時は大変だった。
その後の高校二年の残りの期間はずっとリハビリ。
三年生に進級した頃にようやく辛かったリハビリも終わって部活の練習にも合流できて本当に良かった。
大丈夫、きっと膝は元通りになる。
お医者さんも断言してくれたんだから。
でもまだ以前のような動きが出来ていないのが気になる。
リハビリもしっかりやって、膝関節の稼動範囲も筋力も元通りになったって太鼓判を押してもらったのに、どうしても違和感が消えない。
ゴール下の競り合いでリバウンドを盗りに行く時、何故か躊躇してしまう。
膝が曲がってはいけない方向に曲がり身体を支えきれずに崩れ落ちた、あの怪我の瞬間が頭によぎってしまう。
リバウンドの踏み切りが一瞬遅れてしまい、思いっきり跳べない。
どうしてなのかな?
もう大丈夫のはずなのにね。
目前に迫っているインターハイ予選には間に合わせなきゃいけないのに……
ボンヤリとしたどこか纏まらない考えが、取り留めも無く頭に浮ぶ。
横になったままに見上げる先にあるのは、あの時の病室のパネル張りの無機質な天井とは違って木目が細かく走っている板張りだ。
身体を起こすと、ベッドに掛けられたシーツは真っ白で清潔なものなのが分かる。
それに柔らかなタオルケットとフカフカのクッション。
ここのところ野宿ばかりの生活だったから、柔らかなベッドの感触が心地良い。
あれっ?野宿っ?なんで?
寝ぼけた頭が、ゆっくりと覚醒してくる。
―そうだ、今いるこの世界は現実の日本なんかじゃないー
ベッドから起き上がると、身体に掛かっていたタオルケットがスルスルとずり落ちる。
やだ、アタシ、パジャマどころか下着すら着けないで寝てたんだ。
流石に恥ずかしくて、ベッドからシーツを引き剥がして身体に巻きつける。
薄暗い部屋の中にある家具は、大きめなベッドひとつだけ。
それが部屋の真ん中にポツンと置いてある。
壁の一面にある大きな窓は扉が閉め切られているけど、その扉の隙間から漏れた光が木の床に真っ直ぐ一筋伸びている。
大きなベッドに敷き詰められていたシーツだから巻き切れずに余ってしまい、だらしなく床に引きずってしまうけどしょうがないよね。
立ち上がり、ペタペタと木の床を裸足で歩く。
そして木製の扉を押し開くと、眩しい朝日が部屋の中に射し込んで来た。
―あっ―
外の世界は朝の光に満ちていた。
窓の向こうは断崖絶壁で、見ていると吸い込まれみたいに感じられる谷底には川が流れている。
渓谷の幅は広くて、しっかりした橋でも無ければ到底渡れそうもない。
それよりも驚いたのは、渓谷の対岸の森の中。
そこに見えるのは天を突くような巨樹の森。
聳える巨樹の中に、それらに溶け込むように数多くの建物が立ち並んでいる。
そして今まで見て来たこのセルデシア世界のいくつかの街とは違って、それらの建物は石を全く使用していない全て木材だけで造られていた。
それに加えて巨樹に負けないくらいの空に向かって真っ直ぐに伸びる木の塔が、ぱっと見えるだけでも両手の指では足らないくらい建っていて、その木の塔同士や周りの巨樹を介して周囲の建物に縄梯子が伸びている。
それはまるで森の木々の間に走る空中回廊みたい。
幾人もの人影か、その回廊を往き来しているのがここからでも見える。
そんな回廊が森の中を網の目のように縦横無尽に広がっていた。
―森に溶け込むみたいな、木だけで出来た街だ―
自然と融合したかのようなその街並みを前にして、杏奈は目を見開き驚く。
現実の日本人、いやそれどころか現実文明の常識では恐らく決して造ることのできない、文明と自然が調和した姿がここにはあった。
瞳に映る風景に、アタシは今自分自身が置かれている状況を再確認する。
そうだよね。アタシが今いる世界はアタシが高校生活を送っている日本じゃないんだ。
良く分からないけど、恐ろしいまものや、いろんな種族の人々生きている、セルデシアって世界なんだ。
「目が覚めたみたいね」
背後から掛けられた声に杏奈が振り向く。
窓の反対側の扉から現れたのは小柄な女性だった。
大きく開け放たれた窓から差し込む朝日が女性を照らし出す。
金色とも銀色ともいえる透き通るような繊細な髪が朝日を反射して眩いばかりに輝いている。
涼やかな鼻すじに髪の色と変わらぬ銀の瞳。
先端が尖った耳は、大きく外に向かって広がっていた。
その姿は、まるでファンタジー映画に登場するエルフそのものだ。
良く考えると今の自分の姿も似たようなものだったことを思い出したが、その女性の醸し出す雰囲気はなんとなく自分とは違ってるような気がする。
「私はミューリ、ミューリ=フルメヴァーラ。この国はナロウマウント王国よ」
女性がアタシの傍にゆっくりと近付いてくる。
小柄な人、背はアタシより頭一つ低いかな?それに肌も色素が欠落したみたいに真っ白で、髪と一緒で光で透けて見えそう。
手足も細く、ウエストも中身が入っていると思えないほど。
多分現実世界のアタシの太ももと変わらないんじゃないかな?
そう言うと、拒食症の人みたいにガリガリの棒みたいな身体みたいに受け取られそうだけど、彼女の身体は細いながらもその描くラインはすごく綺麗で魅力的。
現実世界で見られる痩せ過ぎな女性から受け取れるみたいな病的な雰囲気は全然無い。
染み一つ無い整った小さな顔に大きな銀色の瞳が輝いている。
その瞳は優しそう輝きを見せているけど、多分優しいだけの人じゃなさそうだな。
「アっ…タ……しは」
自己紹介をしようと口を開くけど、どうしてか言葉が出てこない。
一生懸命声を出そうするけど上手くいかない。
それだけでは済まずに、なんだか呼吸も覚束なくなってくる。
苦しくて焦って空気を沢山吸い込もうと早く呼吸をすると、反って呼吸が浅くなって肺に入る空気が減っているのかな?息苦しさが余計に増して来た。
酸欠になりかけてパニックなったアタシは、床にしゃがみ込んで喉に手をあてる。
「無理に息を吸おうとしないで、落ち着いてまず先に息を吐いてそしてゆっくりと吸って……まだ毒の影響が残っているのね。大丈夫、毒消しは処方したから直ぐに毒が抜けて声が出るようになるわ」
息苦しさと思った様に呼吸を出来ない恐怖感に、アタシの目から涙が溢れ出したてくる。そんなアタシの背中にエルフの女性、ミューリさんがそっと手を添え優しく撫でてくれた。
その後、アタシが落ち着くのを見計らってそのエルフの女性ミューリさんが今の状況を説明してくれた。
<門に至る深き森>で、あの気持ち悪いまものとの戦闘から二日経っていること。
アタシは丸一日、意識を失っていたこと。
まものにやられて倒れたアタシを助け保護してくれたこと。
ミューリさんはナロウマウント王国の守り手である<群青獅子団>の一員であること。
今居る建物はナロウマウント王国国境入り口にあるゲストハウスだということ。
「残念だけど、私の国では他国の人間の入国を簡単には許さない決まりになっているの、ごめんなさい。でも、このゲストハウスなら体調が戻るまで何時まで滞在しても大丈夫だから安心して」
ちょこんとベッドに腰を下ろしたアタシの隣で話すミューリさんの話を聞いてアタシはコクンと頷く。
ミューリさんの小首を傾げて見上げてくるその表情は柔らかく、浮かべる笑顔はアタシの心を落ち着けてくれる。
そうだ、あの森で一緒に逃げていた”あの子”はどうしたんだろう?それにあの人は?
息を呑んだアタシは部屋の中を見回すが、そこにはアタシとミューリさん以外の姿は無い。
「?!!」と、声無き問いかけをミューリさんに投げる。
「うん、分かってるわ。こちらにいらっしゃい」
部屋を出て、廊下を歩く。
建物はそれほど大きくない。
ミューリさんに従って、彼女の後ろを裸足でペタペタと歩いて着いて行く。
そのまま扉をぬけて外に出た。
建物の外は濃い緑が繁る巨木の森が広がっていて、鬱蒼とした森の中に向かう道が深緑の森に一本伸びている。
そして建物の周囲だけポッカリと空いて野原が開けていた。
その真ん中に、新雪が降り積もった小山みたいな真っ白な何かがあった。
それががノソりと動く。
小山のように見えたのは、真っ白な毛皮に包まれた大きな獣の身体だ。
アタシの方に向いたその獣の顔にはルビーみたいな真紅の瞳が光る。
アタシは駆け出す。
身体に巻いたシーツが脚に絡んで、直ぐに転倒してしまう。
ううん、それだけじゃないや。
毒の影響が残っていて身体が思った様に動いてくれないみたい。
だけど自由が効かない脚を引きずりながら必死に走って、アタシはその白い毛皮の塊に飛び込んだ。
感じるのは、真っ白な毛皮の感触と干した布団のような懐かしい匂い。
獣の身体にアタシは縋り付と、獣が首を回して紅い瞳で見つめてきた。
アタシはこの子の名前を呼ぼうと声を上げようとするけど、まだ麻痺した喉はその気持ちに応えてはくれずに、「エっ…ん……!!」って言葉にならないうめき声を発するだけだった。
彼の声が聞きたい!!
そう思い、胸元に手を伸ばす。
彼と会話するための大事なアイテムがそこにはあったはずだ、
けれど、伸ばした手にはその存在を示す感触は感じられない。
アタシは焦って意味もなく回りに視線を飛ばす。
「これ、でしょ」
背後でアタシの様子を見守っていたミューリさんが手にしたものを差し出した。
そしてアタシの首に手を回して、手にした鎖の金具を結ぶ。
そう!!
アタシは胸のペンダントを握り締める。
これはこの良く分からない不思議な世界で一人ぼっちになりかけていたアタシを救ってくれたあの人から貸して貰った大事なもの。
そして一緒にずっと旅を続けてきたもう一人の大事な仲間と絆を結ぶために必要な、掛け替えの無い魔法の道具
胸元の冷たい水晶の勾玉がほんのりと熱を発すると、アタシの耳にその大事な仲間の声が聞こえてきた。
「あんな、まもりきれなくごめん」
エンジの声が耳に届く。
たった二日しか経っていない、しかも意識を失っていたアタシにとっては時間経過なんて殆ど感じて無いはずなのに、その懐かしい声はアタシの心にすっと染み入る。
そしてその懐かしい声が再び聞こえるようになったことが、アタシには涙が溢れるぐらいに嬉しかった。
アタシは、アタシを見つめる紅い瞳に繰り返して大きく頷く。
エンジが溢れ出た涙で濡れたアタシの頬を大きな下でひと舐めする。
「そん…な…ことっ……な、い…」
息を吐いただけのようにしか聞こえない言葉にならない声を無理やりに喉から発して、アタシはエンジの首筋に必死に抱き付き涙でグチャグチャになった顔をその毛皮に埋めた。
―自慢の毛並みを涙で汚してゴメンネー
声にならないアタシの気持ちを分かっているのか、そしてその上で仕方ないと思っているのか、エンジは自分の首に縋り付く杏奈の頭に優しく頬を寄せていた。




