大地人と冒険者<3>
吹き荒れる暴風とも見間違うような鉄の鋏の攻撃をタクミは紙一重で見切る。重い風音を立てながら鉄の鋏が顔面を掠め、彼の逆立った髪を数本道連れにしていった。直撃を受ければ、人ひとりの身体など容易に吹き飛ばしてしまう勢いの攻撃を軽快にステップを踏んで躱して、タクミは<時計仕掛けの蠍>の懐に潜った。
月詠には、そんな挑発するようなタクミの動きを目の当たりにして、スコーピオンの動きが変化したように見えた。サソリの化け物でしかも機械仕掛けの身体なのだから、感情などあるようにはとても思えないのだけれど、クロックワーク・スコーピオンの目は怒りに燃えているようだ。
懐に潜り込んだ小柄なタクミを前に、リーチの長いスコーピオンの腕は逆に不利となる。まるで顎を引いて額を相手の胸に押し付け小さく連打を繰り返すスピードのあるインファイターに翻弄されるアウトボクサーのように、スコーピオンはタクミの動きに為す術もない。
両手の剣を振り回すタクミの攻撃は殆ど威力が無い。チョンチョンと剣先を当てるだけの軽い攻撃を数回繰り返す。そのような相手を馬鹿にしたように見える攻撃に逆上したかのか、スコーピオンが長い腕を小さく畳んで腕の鋏を叩き付けた。
タクミの横面に向け、それこそ背後の死角から跳んでくるスコーピオンの腕をどのように察知したのか、タクミは左方向に身体を流しつつ頭を下げて回避する。そのままの勢いで身体を回転させるタクミだが、視線だけはスコーピオンを捕らえて離さない。
タクミはそこに、キラリと光る点を三つ確認する。先ほどの剣先を軽く当てるだけのタクミの攻撃は、盗剣士の特技<オープニングギャンビット>、そして光りを放つ点は設置された<オープニングギャンビット>のマーカーだ。
タクミは三つのマーカーのうちの二つ目掛け、身体の回転もそのままにその回転エネルギーも込めた両手の短剣の打ち下ろしを叩き込む。身体の回転の勢いを乗せて、タクミが剣を振り抜く。次の瞬間、とても斬撃のものとは思えない火薬が爆発したかのような破裂音が発生、大気が歪み衝撃波が周囲に広がった。
衝撃波に弾かれたように仰け反るスコーピオン、その頭の下を掻い潜って桜色の風が走る。
その桜色は月詠の着物の色だ。
<雲雀の凶祓い>、神祇官の特技を発動し、スコーピオンに打ち込む月詠の踏み込みは鋭い。桜の柄を染め込まれた彼女の着物が残像を残し、それはまるで一陣の桜吹雪が舞い踊ったかのようだ。
月詠の狙う先は、タクミの残した<オープニングギャンビット>のマーカーの残り一つ、大きく仰け反ったスコーピオンの頭にあるマーカーに向け、手にする日本刀を突き上げた。刀の切先が鉄の外殻を切り裂き、刀身がスコーピオンの装甲を破って滑り込む。
そのまま腕を一杯までに伸ばし、鍔が外殻に当たるまで月詠は刀を突き入れた。そして流れるように、ほぼ瞬間移動とも思えるような速度で月詠の姿がスコーピオンの目前から消えた。
それは<雲雀の凶祓い>の効果だろう、その動きは跳び込み時よりもう一段素早い。
月詠の後退を待っていたかのように、タクミが設置した<オープニングギャンビット>が再点火する。マーカーに点火し爆発する頃には、月詠は刀を突き入れた姿勢のままバックダッシュし、打ち込む前と同じ安全圏にあった。更なる衝撃に、クロックワーク・スコーピオンは慄くように身体を仰け反る。
「ナイス追い討ち!!」
「当前っ」
後退した月詠と入れ替わり、再びタクミがスコーピオンに接近する。
「あと十秒くれ。それでコイツを〆る!!」
一連の攻撃でこのクロックワーク・スコーピオンのHPも激減した。タクミの宣言通り、目前の敵の撃滅は時間の問題である。
月詠は振り返り、離れた位置で<彷徨う鎧>と対峙しているスーノの様子を伺う。そこに見えたのは、スーノとスーノの従者<フォレストベア>のケンポウがリビングアーマーに立ち向かっている姿だった。
◆
一見スローモーションとも思える腕の振りでリビングアーマーが両手剣を打ち下ろす。鎧の腕に握られる大剣は人間が扱う大きさを遥かに超え、その剣はまともな感覚では想像しかねるほどに長く厚かった。それこそ普通の人間が手にする剣とは比べるのが馬鹿らしくなるほどだ。また、振り下ろす腕の振りが遅く見えたとしても、剣の切先、実際に相手にダメージを与えるの部分の速度は、高レベルの剣士が振るうそれと変わることは無い。
前述の通りその剣は長大な鉄の塊だ。となればその重量は通常の剣の何倍、それとも何十倍だろうか。単純に言えば打撃力は、重量と速度の乗算となる。魔法などという現実世界では到底理解不能な現象があって、摩訶不思議な法則に支配されているこのセルデシア世界であろうとも、原則としてはこの物理法則を無視することは無いだろう。
上段から真っ直ぐ叩き下ろされる両手剣をスーノの従者、ケンポウが受け止める。金属の塊が叩きつけられる重く硬質な音がケンポウの背後に隠れていたスーノの耳に響く。
剣戟の重さと衝撃に、巨大な体躯を誇るケンポウの膝が崩れかけた。それはまるでケンポウの膝下が地面にめり込んだように見えるくらいだ。それでもケンポウはその打ち込みを受けきる。
そして剣と爪の接点を中心に巨体同士の力比べが始まった。上から全体重を両手剣に乗せて押し潰すリビングアーマーと、全身の筋肉が焦げ茶の体毛越しでもはっきりと認識できるほど浮き出るケンポウ、両者の力は拮抗し二つの巨体の動きが止まる。
その一瞬の静止を見逃さず、スーノがケンポウの足元をすり抜け、見上げるほどの高さに位置するリビングアーマーの胸甲に斬撃を加えた。上段に構えた薙刀を真っ直ぐ打ち下ろし、そして返す刀で切り上げる。特技<バーニングバイト>を発動したスーノの太刀筋は、まるでリビングアーマーの胸当てを食い破る炎の顎のようだ。
レベルは高いがノーマルランクモンスターであるリビングアーマーの鉄の鎧は特別な物ではなく、材質も焼入れなどしていない只の鉄だ。スーノの薙刀の鋼の刃に比べれば硬度は柔らかく、武器攻撃職では無いスーノの斬撃でもその表面に刃を裁てることは難しくは無い。だがそれも傷を入れるところまでだ。
スーノの<バーンニングバイト>の打ち込みでも、残念ながら鉄の鎧を切り裂くまでは出来ない。それでも深刻なダメージを被ったのか、リビングアーマーが剣を引き一旦後方に下がり間合いを外す。
スーノは無理な追撃を掛けずにその場に留まる。
この状況で自分がやらなければならない仕事は時間稼ぎだということはスーノも了解している。タクミと月詠がクロックワーク・スコーピオンを撃滅するまでリビングアーマーの行動を妨害し、二人との合流を待つ。
もっと言ってしまえば、スーノにとってみれば荷馬車に残った大地人を守りきれば、それでこの戦いの勝利条件は達成されるのだ。
このままリビングアーマーが己の不利を悟って撤退してくれれば、それで全く問題はない。
実のところスーノとしてはそれを願ってさえいた。
だが、それは甘い考えだったようだ。
若干後退したリビングアーマーは動きを止める。大剣を片手にぶら下げ、無機質に立ち尽くした姿からは何の思惑も見えてこない。唯一兜の奥に見える何も無い真っ暗な空間が不気味にこちらを凝視した。
やがてリビングアーマーの身体が細かく振動を始め、鉄の鎧の各パーツが打ち合うを発する。時間が経つにつれその振幅は小さく、そして振動の周期は目に見えて短くなってゆき、発する音もカチャカチャという粒だったものからビーンという連続音に変化した。
そして、前触れも無く振動が停止する。眉間に皺を寄せ眉を顰めるスーノが怪しげなまものの動きに警戒を強めたその時、リビングアーマーの鎧が火花を散らして縦に裂け、鎧の内部からドス黒い肉の触手が溢れ出た。
◆
スーノから距離を置いて動かなくなったリビングアーマーの突然の変化を、月詠は離れた位置から観察していた。
鎧の胸甲から飛び出てくる幾条もの肉の鞭が、踊りのたうちながら無秩序に暴れまわる。そして目標を見つけたのか、動きを揃えて触手が空を走る。目標は赤髪の女性、スーノ。
月詠の眼差しがスーノに指向する。当然彼女はその攻撃を待ち受ける体制を整えているはず……いや、スーノには何の動きもない。手にした薙刀で防御の姿勢をとるわけでなく、ただ呆然と立ち尽くす。
「ウソ……」
という言葉を発する時間も惜しみ、月詠は行動に移った。
神祇官の特技<神楽舞>、そして<剣の神呪>を発動する。月詠の周囲の空間が無数に裂けそこから顔を覗かせるさまざまな剣、刀、刃。
「行け!!」
外界に現出できた歓喜に打ち震えたように刀身を振るわせた剣の群れが、月詠の掛け声にあわせて、空間を切り裂いた。
<剣の神呪>は”出”が遅い魔法だ。回復職である神祇官が使用できる特技としては法外に攻撃力の高い魔法ではあるが、その代償に詠唱時間が長いため咄嗟に”使える”ような使い勝手の良い魔法では無い。事前に発動した<神楽舞>はその為の魔法で、その魔法には、<次に発動する特技の詠唱時間をほぼゼロにする>という効果がある。それにより通常では発動するまで長い時間を待たなければならない<剣の神呪>を瞬時に発動することが可能となる。
空を走る剣の群れが発する笛が鳴る様な甲高い音が耳につく。スーノに狙いを定めて空を走る無数の触手を月詠の剣が切り裂き打ち落としていく。
だが、数があまりにも違いすぎた。潰せた触手は半分が良いところだ。残存した肉の鞭がスーノの眼前に迫るが、スーノの視線はその触手に吸い寄せられたままで全く動くこともなく、自分に向かって飛んでくる触手を凝視している。
「何やってんの!!」
舌打ちし、月詠は駆け出し<天足法の秘儀>の呪文を詠唱した。駆ける月詠の足首に現れた白い翼のエフェクトが左右に広がり力強く羽ばたくと、月詠の身体が地表十センチほどだが空中に浮き、加速がかかる。すると、それまでの脚で駆ける速度とは比較にならない程の加速力で、月詠の身体が疾走しスーノの元にまさしく飛んでいった。
月詠の手があと少しでスーノに手が届く。でもそれより早く触手の攻撃がスーノの身体に到達する。目の前で触手がスーノを雁字搦めに捕らえようとする瞬間、その触手に立ち塞がる黒い影がスーノの前に現れた。影は、スーノの従者ケンポウのものだった。
両腕で自らの顔面をガードしつつケンポウがスーノを庇うようにその身体を晒した。その大きな身体に雨のように肉の鞭が打ち付けられる。
太く堅い焦茶の体毛が引き千切られ、打ち付けられる触手によって無残にもその下の皮膚が切り裂かれた。幾たびも肉の鞭に打ち付けられ、真っ赤な血が周辺に飛び散った。出血する傷口は深い。触手はケンポウの毛皮や皮膚を腕の肉ごと抉っていった。
月詠の顔に飛び散るケンポウの血液が降りかかる。
立ち塞がる壁となって主を守る巨大な熊の背中をチラリと見てから、スーノの元に飛び込んでその肩を胸に抱きしめた。
「タクミ!!」
「おうよっ」
聞こえてくるのは、タクミが応える声。地面に崩れ落ちるスコーピオンを前にいたタクミが顔だけでこちらに振り返った。
月詠はリビングアーマーを指差し、
「アイツ、お願い」
「……まかせろ!!」
それまでスコーピオンとの戦闘に集中していたタクミには、スーノ達の状況は分からない。それでも鎧の化け物から伸びる触手に雁字搦めにされ動きを止められているケンポウと、スーノを抱きしめてそれから距離を取っている月詠の様子から、知らぬ間に危機的な状況に陥っていることを察した。
だが、今それを問い詰める事に意味は無い。それどころか、そんなことで時間を無駄にしてしまえば更なる状況の悪化を呼び込んでしまうだろう。
疑問の言葉を飲み込んで、タクミはリビングアーマーに向かって走った。そして、暴れる触手を両手の短剣で薙ぎ払っていった。
「どうしたのよ?」
月詠は胸の中のスーノに話しかけるが、返事は返ってこない。
目を細めて、月詠はスーノの顔を覗きこむ。そのときになってようやく月詠は気がついた。
(……震えている)
スーノの身体が異様に強張り、小さく震えていた。その感触が掴んだ肩から伝わってくる。
「スーノ?」
肩を揺すって声を掛けるが、反応が無い。月詠は反射的にスーノのステータスを確認するが、特に状態異常の表示は何も無かった。
だが、スーノの瞳は未だに焦点を合わせることもなく、身体は細かく震えたままだ。
「スーノ?ねえ、菅原君」
大きく肩を揺すって声を掛けるがスーノの身体に力は無い。彼女の首がガクガクと前後に大きく揺すられる。
「菅原直人!しっかりしろ!!」
頬を平手で二回強く叩いた。
痛みと、それ以上に響いた音と衝撃が効いたのだろう、ゆっくりとだがスーノの視線が月詠の目に向けられる。
「あれっ、……月詠……だよね。どうしたの?」
「目、覚めた!?キミは誰?今何処にいるか分かってる?」
数秒の間、キョロキョロと目を泳がせ瞬きを繰り返したスーノの視線が目の前の焦茶の毛皮に覆われた巨体を捕らえた。
焦茶の身体を肉の鞭が幾度と無く打ち付けられ、千切れた体毛が宙を舞う。スーノの頬にピタッと何かが当たる。頬に手を伸ばし触れた指先を見つめると、指先は赤く染まっていた。
スーノの瞳に意識の輝きが戻ってきた。
「ケンポウ!!」
月詠の身体を押しのけて、スーノが顔を前に出す。
鎧の化け物の触手に打ち付けられ全身に裂傷を負いながらも、スーノを守る壁となって立ち塞がっていたケンポウが後ろにを振り返る。焦茶の体毛に黒い鼻先、大きな顔に似合わない小さく真っ黒でまん丸な二つの目がスーノを見つめる。
黒い瞳にスーノの顔が映る。人とは違い獣の顔に分かりやすい感情が表れることは無いが、小さく鳴らす喉の音にケンポウの安心した気持ちが現れている。
「ゴメン!!ボケてた。月詠、今どうなってんの?」
「鎧の化け物はタクミとキミの熊が抑えてる。大地人の子供達も無事!!」
二人を庇って立ち塞がるケンポウを打ち付ける肉の鞭を、タクミが短剣で切り落としていく。
「これで、エロ触手はおしまいだ!!」
最後の一本を切断し、タクミはケンポウの更にその前に出る。そのまま振り返らず背後の大熊に向けて「後はまかせとけ」と呟くと、グルルと低く唸りケンポウもそれに応えた。
リビングアーマーの敵愾心はケンポウに集中していた。その攻撃を一身に受け蓄積したダメージはあまりにも深く、身体は既にボロボロだ。至る所、特に頭部を庇っていた両腕は皮膚を裂かれ腕の肉を持っていかれ、見るも無残な姿になって大量の血を流している。
ここまで頑張ってくれてありがとう。スーノは大きな身体に抱きつき焦茶の毛皮に顔を埋めた。
「もういいよ、ありがとうケンポウ」
召喚を解かれ、ケンポウの身体が陽炎のように揺らめきながら消えていく。
身体が透明になり大気に溶けるように消えていくケンポウが最後にスーノに顔を向けた。消えかかったケンポウの丸い瞳が自分の姿を見つけて優しく笑ったようにスーノには見えた。




