マウントリムの隧道<1>
馬車の車輪が転がる音が耳に付く。木の車輪では、静粛性など望むべくも無く、どうしても騒音が発生するのは仕方ないのだが、現在の馬車の速度ではその音はきわめて大きくその音を聞いているだけで、すぐにでも車輪が壊れてしまいそうな気がしてくるほどだ。
暗闇に包まれたトンネルを松明の明かりが照らすが、その光はあまりにも弱い。
杏奈はキャラバンの先頭を進む傭兵団の馬車の荷台に足を掛け、手すりに掴まり身体を乗り出して進行先を見つめた。本来のキャラバンの行き脚とはかけ離れたその速度に、馬車が路面の凹凸を拾って大きく揺れた。振り落とされないように、杏奈は咄嗟に手すりにしがみ付き、落車を回避する。
後方を振り返ると、続いている商会の馬車が同じ凹凸に乗り更に大きく荷台を揺らす。その馬車に搭乗している商会の商人達が振り落とされかけたのが見える。必死の形相で馬車の荷台に掴まる商人達の顔色は青ざめていた。
危うく横転の危機を避けた馬車だが、その姿は常に不安定に揺れている。それほど重い荷物を載せていない傭兵団の馬車とは違い、商会の馬車には商品である貨物が満載されているため重心の位置も高く、思いがけぬ不正路面に無理な走行をすれば、転覆の恐れが出てくるだろう。また貨物の重さで、馬車自体のダメージも深刻なものになる。最悪、車輪や車軸を破損し走行不能になる事態も考えられる。
そのような、馬車にとっては自殺行為に近い現在のキャラバンの進行速度だが、それを咎める者は誰もいない。それどころかさらにその速度を上げ、とにかく逸早くトンネルの出口に到達することだけを目指し、焦る馬車の御者は馬に鞭を入れた。
杏奈はトンネル後方の暗闇を見た。ほぼ漆黒の暗闇のほか、馬車の列の後ろに見えるものは何も無い。振り返りキャラバン進行方向に向き直す。その先にに小さな光の点が現れた。
外界の光。あれはトンネルの出口だ。杏奈の顔に安堵の色が浮かび上がった。
◆
時間は少し遡る。
朝準備を整えた隊商が<マウントリムの隧道>に進入してすでに小一時間ほどが経っている。トンネル内では、視界の悪さからキャラバンの進行速度は安全を期して更に遅くなり、歩いて併進できるほどだ。
杏奈はスーノ、エンジと共に、キャラバンの最後尾の馬車に付いて周囲の警戒に当たっていた。背後を見えると、トンネル入り口の光は既に無く、視界には何も入ってこない。
最後尾の馬車には立て札が掲げられ、そこには魔法具<天神の守礼>が張られていた。事前の話では、先頭の馬車にも同じ立て札が掲げられており、その効力でこのトンネルにいるはずのまものの襲撃を防いでいるらしい。
トンネルを進む今のキャラバンにとって命綱ともいえる存在だ。
じめじめとした湿気と濡れた路面。周囲の壁は苔に覆われ、その壁の地肌を見ることは簡単ではない。壁の所々からは水が染み出ていて、一段低くなっているトンネルの端には、流れ出た水が集まり、穏やかな流れを作っている。
そして、トンネルの左右に横穴が思い出したように現れる。その大きさも、獣が通るのが精一杯な程度のものから、主道と変わらぬ大きさの横道もある。おそらく、その先にはダンジョンが繋がっているのだろう、暗闇に塗りつぶされたその先からは、何か禍々しい瘴気が漂い出てきているようにも感じられる。
杏奈は現れた横道を覗き込んだ。その先は暗闇で満たされ、何も見えてこないが、理解できないおどろどろしい気配が漂ってきたいるようだ。怖いもの見たさなのか、じっと横道を覗き続ける杏奈。時間が経つと目が慣れてきたのか、なんとなくぽわっとした明かりが照らしているように思えてきた。
「これって・・・」
誰に聞かせるつもりも無く、呟く。
「やっぱり何かが光っているよね」
「うわっ、スーノさんいきなり話しかけないでよ!!」
突然背後から声を掛けられ、ビクッと身体を震わせ驚く杏奈。
「ごめんごめん。でも微妙に光ってるよね」
杏奈は目を見開いて横道の暗闇を見据える。だんだんとぼんやりとした光が周囲全てから発せられているのが見えてくる。
「何が発光しているのかと観察したんだけど、多分壁に繁殖している苔だ」
「ほんと・・・光ってる」
「キャラバンの松明の光が強くて、それに目が慣れているから分かり辛いけど、実はこのトンネルは目が慣れれば暗闇じゃないのかもね」
もしかしたら冒険者の能力の高さ、この場合は視力の良さがあるためかも知れないな。とスーノは考える。そして大地人の視力では、この苔の発する光は殆ど感じ取れないものかもしれない。だから、何度も通行した経験があるはずのキャラバンではあるが、当然のように松明を掲げているのだろう。
こんなところでも、冒険者と大地人の基本的な能力の差がうかがい知れる。
スーノは壁の苔に爪を立てる。びっしりと根強く繁茂した苔は、爪でこそげ落とそうとしても歯が立たない。スーノは魔法鞄から小刀を取り出し、その刃を立てた。剥がす時、ボリボリと音を立てるくらいしっかり根付いた苔の下の地肌を確認すると、そこには見慣れたコンクリートの外壁が見て取れた。
「やっぱり、基本的には現実世界のトンネルの構造なんだな」
そう呟いて、キャラバンの松明の明かりで照らされた壁から天井までを見回すと、そこには崩れかけたトンネルの姿が見えてくる。場所によっては天井が崩落し滝のように水が流れ出ているところすらあり、現実では土木技術者のスーノとしては、ある意味恐ろしくもなってくる風景がそこにはあった。
「考えてみれば、水が吹き出ているだから、地下水の浸食もバカにならないはずだよね。構造的に大丈夫なのかな?」
この世界はゲームではなく、現実とは違うがまた別の本物の世界だ。少なくともそこに住む人々は本物の存在だ。今ではスーノはそう認識するようになっている。だとすると、この世界の自然現象や、存在する構造物も本物では無いのか。
ゲームならば、崩れかけた建物などの構造物がいつまでも崩れかけのまま存在するのはおかしくも無いが、現実と考えればそれはおかしな存在になってしまう。人が年老いていくように、構造物もやがては崩壊するのが自然の摂理だ。
これはどう解釈すればいいのだろうか・・・
「また、一人で考え込んでるでしょ」
黙り込んで思考のダンジョン攻略を始めたスーノを、杏奈は発見した。そして腰に手をやってスーノを睨む。
杏奈にとっては、昨夜のこともあり、黙々と悩みこんでいるスーノの姿を見ると、あまり安心できないのかもしれない。
「変なこと考えているわけじゃないよ。大丈夫。ちょっと仕事柄気になることがあってね」
「・・・なら良いんだけど」
心配顔でスーノを見ている杏奈。さすがに過保護だよ。とスーノも思うが、昨夜の無様な醜態を見せてしまっていることもあり、とても反論できる雰囲気では無いのは、スーノにも杏奈の態度からさすがに分かるため、何も言い返せなかった。
立ち止まって話込んでいたため、先に進んでいるキャラバンに走って追いついた二人に、キャラバンの最後尾を警護している九番隊のディーノが近付く。一緒にいるのは、同じ九番隊の若手ジャンルカとレオだ。
ディーノもこの<マウントリムの隧道>を使用したルートのキャラバンの護衛任務に就いた経験は数回あるという。魔法具<天神の守礼>の守りで、この場でまものの襲撃を受けた経験は無いが、それでもこのトンネルの雰囲気にどうしても緊張した様子は隠せない。
そんなディーノに、スーノは杏奈から聞かされ、気になっていることを尋ねた。
「以前このトンネルで、魔法具が利かなくてまものに襲われた事件が起きたのが二十四年前って聞いたけど」
「ああ、ウチの団の初代団長が犠牲になったときだ」
初代団長はディーノにとっての祖父にあたるということも、スーノは杏奈から聞かされている。申し訳なさそうなスーノの態度に、「気にしないでくれ」とディーノが肩を窄めて首を振る。
「で、それがどうしたんだ?」
「そのとき何が起きたのかなって気になってさ」
「ああ、状況は今と同じはずだよ。こんな風に<天神の守礼>を掲げたキャラバンの護衛でトンネルを通行しているときに、何故かまものに襲撃されたらしい」
「もうちょっと詳しいことは知らないかな」
「そう言われてもね。二十四年前だし、オレも見てたわけじゃないし。詳しいことは団長やボーメなんかの古参メンバーしか知らないよ」
確かに二十四年前ならディーノは生まれてすらいない。その時の事件の詳細を知らないの無理も無い。
「そうそう、その時今までこのトンネルにいなかったはずのまものに襲われたらしい。たしか土偶みたいな外見をした人形のようなまものの群れだったそうだ」
その言葉を聞いたスーノの思考に、ひとつの仮説が浮かび上がる。
土偶のような外見のまもの。思い当たるのは、<土偶兵士>。古代遺跡で守護番人の役割が多いまものだ。そして、スーノ/菅原直人のゲーム時代での経験で、あまり頻繁にではないが戦ったことを覚えている
そういえば、この<マウントリムの隧道>から進入できるダンジョン<波雪の地下迷宮>で出現頻度の高いまもののひとつでもあった。そう考えれば、このトンネル内で、更に深部のダンジョンから迷い出てしまった土偶兵士とキャラバンが遭遇してしまったのも、全くおかしな話ではない。
しかし、その事件以前はそのまものはいなかったはず、とまでディーノが強調して言っているのはどういうことだろうか。
たしか、ゲームに<波雪の地下迷宮>が実装されたのは、十一番目の拡張パック<錬金術師の孤独>適用時だったはず。でも、あれは二年前。二十四年前という数字とは、関係ない。
いや、二十四と二という数字・・・どうしてもそれが爪の生え際に出来たササクレのように思考のどこかに引っかかる。
腕を組んで考えながら歩くスーノ。スーノの考え事がまた始まったと、杏奈はそんなスーノを呆れたように見ていた。
(でも、もう落ち込んだりしないよね)
しつこく心配したら迷惑だよね。スーノを信じ杏奈はスーノの考え事に邪魔しないことに決めた。
「ね、大丈夫だよね」
隣を歩くエンジに声を掛けると、エンジも赤い瞳を杏奈に向けた。
「うん、スーノ、もうだいじょうぶ」
そのエンジの言葉に、杏奈も頷きながらエンジに笑いかけた。そんな一人と一頭の耳に、スーノの呟くような声が聞こえてきた。
「二十四年前と二年前・・・ゲームでは一日二十四時間が現実世界では二時間・・・これだ」
一人呟くスーノの姿に、杏奈とエンジだけでなく、ディーノや九番隊の隊員達もスーノに怪しげな視線を向ける。
「スーノさん、どうしたの?」
さすがに心配になり声を掛けた杏奈に対し、スーノがその肩を押さえつけて熱弁を始めた。
「ゲーム内の時間一日二十四時間が現実世界では二時間。現実世界と比べて時間の流れが十二倍の早さなんだ。だから前回の事件が二十四年前ってことは、現実世界では二年前のこと。これは前回の拡張パック<錬金術師の孤独>が適用された時期に当たるんだ」
ぽかんと呆け、何を言っているのか全く理解出来ていない杏奈と九番隊の面々。考えればそれも無理はない。ゲームとしてのエルダーテイルの経験が全く無い杏奈に、ゲーム時間だの拡張パックだの言ったところで、ピンとくるなずも無い。
九番隊の隊員にしてみれば、更に当然だろう。彼らにとっては、今いる世界が現実でゲームだという記憶も自覚も無いのが当たり前だ。
そんな周囲の様子に気づかず、スーノは思考に没入する。
前回の事件は十一番目の拡張パック<錬金術師の孤独>適用時での何らかの影響からの事件、と考えることが可能だ。もしかしたら、更に過去にあった魔法具<天神の守礼>の効力が利かなかった事件も、もっと過去の拡張パック適用時の影響かもしれない。
この世界は現実世界と同じような、それでいてまた違う現実。それはスーノも納得している。だが、ゲームの影響を多大に受けていることも、また事実なのだろう。そうでなければ、この世界とエルダーテイルの設定との酷似を説明することができない。
だとすれば、十二番目の拡張パック<ノウアスフィアの開墾>が適用された後、初めて<マウントリム隧道>をキャラバンが通行する今この時、三度目の事件が起きてもおかしくは・・・
「エンジ、どうしたの?」
そのことをスーノが閃いたその時、杏奈がエンジの様子がおかしいことに気づいた。
エンジは足を止め歯を剥き出し、唸り声を上げて後方に振り返り、暗闇の先に向け威嚇をした。
我に返ったスーノが、体勢を低くして何かに構えるエンジのすぐ横で、跪き顔を寄せる。
「なにかいる。ちいさいのたくさん。おおきいのがひとつ。いやなにおい。はながまがる。」
エンジの言葉を受け、スーノは立ち上がり声を上げる。
「ディーノ、エンリコさんに報告。良くない知らせだ。敵襲の恐れあり、だ!!」
瞬間反応したディーノが、身軽なジャンルカに指示を出すと、ジャンルカは一目散にキャラバンの先頭にいる団長の下に走り出した。
そしてディーノがスーノの肩に手を回して、顔を近づける。形としては上から見下ろすものだ。その態度にふざけた様子や下心は感じられない。
「敵襲だと?本当だろうな」
厳しい眼差しでスーノを睨みつける。肩に回している腕も、女性に対しての行為とは違い完全に拘束としてのそれだ。そしてその視線も、街で幅を利かせているチンピラ程度なら粗相をしてしまうほどの鋭さ。
しかし、スーノもその視線に一歩も引かない。
「ああ、エンジの索敵能力は天下一品だ。信じろ」
スーノの瞳に嘘は無いと判断したのか、ディーノはスーノの拘束を解いた。そして、隊員に檄を飛ばした。
「後方警戒!!横一列でキャラバンの進行に合わせて進むぞ。不審なものを発見次第報告!!お前ら頼むぞ!!」
◆
報告を受けて直ぐにエンリコがスーノ達がいるキャラバンの最後尾にやってくる。そしてスーノの説明を受けたエンリコが目を細める。ただでさえ、険しいエンリコの表情が更に厳しさを増し、鋭い視線がトンネルの先エンジが警戒する暗闇の向こうに突き刺さる。
「キャラバンはこのまま前進。可能なだけ速度を上げ、<マウントリムの隧道>の出口を目指す。六番、八番隊はこの場に残ってまものの進行を食い止めろ。残りはキャラバンの直援。オレの一番隊もここに残る」
「団長、待ってくれ」
ディーノが声を上げる。
「この場には九番隊が残る。団長の一番隊はキャラバンの護衛に回ってくれ」
ディーノがエンリコの指示に異論を挟んだ。団長の指示には絶対服従。これが団の鉄則である。予想外のディーノの行動に周囲の隊員がざわつく。
「今回の任務、一番の目的はキャラバンの安全だ。団長はそちらを重視してくれ。この場の迎撃は撃滅することが目的じゃない。時間を稼いで逃げることも出来るからいくらでもヤリようはある」
エンリコとディーノが厳しい表情で顔を付き合わせる。お互いの視線が火花を散らせているのが目に見えるようだ。ディーノが額から汗を流して緊張しているのが分かる。握った拳が白く変色する。
先に視線を外したのはエンリコだった。
「九番隊長の意見を取り入れる。残るのは六番、八番、九番隊。この場の指揮は九番隊長に任せる!!」
そう断言すると、エンリコはキャラバンの先頭、傭兵団の馬車に向かって歩き出した。
背後からは、「三代目に恥を掻かせる訳にはいかないぞ!!」と団員達の声が聞こえてきた。
それを聞いたエンリコの口角が、本当にわずかだが微妙に上がったのをボーメは見逃さなかった。
馬車の列の横を進むエンリコの傍にはボーメと一番隊の隊員も従っている。キャラバンの商人達の不安な視線が彼らに注がれる。それでも、エンリコの様子には何の変化も無く、自信に満ち溢れていた。一番隊の隊員の歩みも力強く、その姿は商人達の力になっている。
そして、先頭の馬車に到着するエンリコの隣に、走り寄る人影があった。
「アタシもキャラバンを守ります!!」
息を切らせた杏奈の姿を見たエンリコは、小さく頷いた。それに頷き返す杏奈。
「キャラバン前進再開。出せる最大の速度で進むぞ!!出口まで逃げられればこの勝負こちらの勝ちだ!!」
エンリコの指示に団員達が声を上げて応える。
先頭の馬車に乗っていたリナが、馬車から降りて杏奈のそばに駆け寄ってきた。団員達の鬨の声の力強さに、リナの顔は幾分安心したように杏奈には見えた。杏奈は、出来る精一杯の微笑みを浮かべて話す。
「大丈夫。みんなが守ってくれるよ。アタシもがんばる!!」
リナを荷台に持ち上げた後、杏奈が馬車の荷台に脚を掛けると同時に停止していたキャラバンが動き出した。その速度は、先ほどまでの安全に配慮したゆっくりとした速度とは打って変わり、その隊列の動きは勢いを増した。それでも馬車の破損や事故を発生を防ぐため、人が駆け足をする程度の速度しか出せない。
杏奈は馬車から身体を乗り出して前方を見る。まだそこには出口の気配は感じられない。振り返り後方を目をやるが、既に迎撃に残った団の隊員やスーノ、エンジの姿はそこには無かった。
(みんな、無事でいて)
現実世界では杏奈は特に信仰心があるような人間では無かった。家には仏壇が合ったから、おそらくどこかの仏教の宗派に属していたのかもしれないが、杏奈自身は当然のように無宗教といっても良い。だけれども今この時だけは、どの神様でもいいからみんなの力になって下さい、と杏奈は祈りを捧げるように目を閉じた。
目を開けると、不安そうに杏奈を見ているリナと、硬い表情の商会の商人達の姿が目に入る。
何かあったらアタシがこの人たちを守るんだ。 杏奈の心に熱い炎が宿った。
書きたいイメージは頭にたくさん浮んでくるのに、それを文章に起こすのに多大な時間と労力を要するのは、もうどうしたらいいのでしょうか?
そんなに苦労して造った文章も、後で読み返してみればガッカリするくらいの残念な出来・・・
泣きたくなります。
でも、もうちょっと頑張ってみます
例によって、出てくるオリジナルの設定は全くの捏造ですので、原作とは何の関わりもありません。




