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折剣傭兵団<2>

 四肢を躍動させ、大地を蹴り込み身体を前へ前へと前進させる。鼻先で切り裂さいた大気を後方へ置き去りにして、エンジは草原を弓から放たれた矢のごとく疾走していた。切り裂く空気が気流となりエンジの耳にごうごうと風の音を響かせ、大気は壁と化してその疾走に抗うが、エンジはそれをものともせず、押さえ込まれた力を解放し加速を続けた。

 しかしながら、<獣誼の勾玉>によって制約を受けた現在の身では、本来の<山犬>の能力には及ぶはずも無く、その速度もエンジを満足させられるものではなかった。それでも、エンジは全力で疾走する開放感に一時心を解き放つ。


 丘を一気に頂上まで駆け上り、エンジはその場で周囲を見回した。後方を見下ろすと、遠くに縦に伸びた隊商(キャラバン)の馬車の隊列が確認できる。風向きはキャラバンの進行方向に対して向かい風。これなら、キャラバンの進む先にいる”なにか”の匂いを感じ逃すはずも無い。

 エンジは嗅覚に意識を集中する。感じ取れるのは、草原と森の匂い、流れる川の水の匂い、それと嗅ぎなれた人間のそれ。これはキャラバンの護衛の男達のものだ。エンジと同様にキャラバンに先行して偵察を行っている隊がエンジの更に先に進んでいるのだろう。自分よりさらに距離を稼いで偵察をしている人間がいることに、エンジの自尊心がくすぐられる。


 エンジは丘を駆け下り、その匂いのほうへ向かった。草原を抜け林に入ると、木立の中に巧妙に隠れた人間がいることに気づいた。風向きが味方したおかげでその匂いから偵察隊のカモフラージュを暴くことが出来たが、もし風上側から接近していたのなら、エンジでも彼らを発見することは難しかったかもしれない。


 エンジは、先行偵察隊である七番隊隊長の背後に忍び寄る。すでにエンジの行動についても傭兵団は把握している。最近では、同じ役割をする者同士、連携を取るまでになってきていた。


 エンジの気配に気づき、振り返った七番隊隊長ががエンジと目を合わす。エンジの目に緊張の色が無いことから、当面危険が無いことを確認すると、隊長は手を挙げハンドサインを出した。するとどこに隠れていたのか、どこからとも無く五人の隊員が隊長の元に集合する。隊長が無言で手を細かく動かし、新しい指示を出すと、それを確認した隊員は行動を開始する。

 離れ際にエンジの頭を撫でるもの、手を振るもの。隊長もそんな隊員達の行動を黙認していた。エンジも隊員たちとの触れ合いを嫌がることは無い。その後エンジの頭を、ぽんぽんと優しく叩いて、隊長も林の暗がりに消えていく。


 最後に残ったエンジも、音も無くその場から走り去っていった。









 遺跡となった高速道路を進むキャラバンの隊列が前方に延びている。この先の長い道のりを考えれば、キャラバンの進む速度はそれほどで重視するものではない。大事なことは、確実に目的地に到着することだ。そのため、馬車の故障や荷物の保全、それに乗員の疲労を考慮に入れ、キャラバンの進む速度は人が歩く速度程度のものだ。

 

最後尾に位置している杏奈は、馬上からキャラバンの様子を見ていた。一緒に護衛についている傭兵団の隊員が見えるが、その姿には油断も緊張も無く、任務に専念している。それだけでもこの団の錬度が分かるものだ。馬車それぞれ分乗しているラバネッリ商会の商人達も、そんな頼もしい傭兵団の隊員の姿に安心しているように杏奈には思えた。

 そして杏奈は、斜め前の馬上のスーノに視線を向けた。分かりづらいが、相変わらずどこか悄然としているように見えるのは、杏奈の気のせいだろうか。一時の呆けたような様子は鳴りを潜め、昨日あたりからは特におかしな態度を見せることも無くなり、自分の役割をしっかり果たしている。それに、尋ねたところでスーノからの返事はいつもと変わりなく、今では話す口調にも変わったところは無いので、気にすることは無いようにも見える。でも杏奈はそんなスーノに対しての、薄ぼんやりとした懸念を払拭することが出来ないでいた。

 

キャラバンの後方から音も無く白い影が現れ、最後尾についている杏奈の横に近付く。


「ご苦労様。何も問題は無い?」


 馬上から、併走するエンジに声をかけるとエンジが杏奈の顔を見上げた。その目は、どこか落ち着かない。

 

「うん、イヤなヤツはいなかった。だいじょうぶ」


 この場では、エンジの言葉を理解できるのは、魔法具<獣誼の勾玉>の力を借りた杏奈と<森呪遣い>の能力を持つスーノだけだ。それでも傭兵団の偵察隊と上手く役割分担できているのだから、エンジがすごいのか、それとも団の偵察隊が優秀なのか。


 それよりも最近、エンジの様子もどこかおかしい。今のように先行して偵察し帰還したときなど、以前ならば真っ先にスーノのところに報告に行っていたのだが、ここ二、三日は何故か始めに杏奈に声をかけるようになった。並んで歩くエンジの視線は、一台前の馬車に併走しているスーノに向けられる。


「スーノ、かわりないか?」

「・・・大丈夫だと思う」


(エンジもスーノさんの様子がおかしいことについて気になっているんだよね)


 杏奈にはエンジの不安の源が何であるかは十分分かっていたし、そしてそれは自分の懸念と同じものだ。エンジが偵察から帰還した後まず杏奈のところに来るのは、報告をするのが目的ではなく、スーノの様子を杏奈から聞きたいからだろう。同じ不安を持つ者同士として。


(気になるよね。でもアタシもエンジも力になれないのかな・・・)


 一人と一頭は顔を合わせ見詰め合うが、どちらも何も出来ない無力感にため息をついた。







 まだ日が落ちるには早すぎる時間だが、キャラバンはその歩みを止めた。そこは<マウントリムの隧道>の手前に位置する最後の村だ。<天神の守礼>という魔法具の効果で、安全に通行できるといっても、<マウントリムの隧道>は紛れも無い難所だ。キャラバンは、その難所の通過に万全を期すために、まだ時間的には早いが、このトンネル直前の村で野営する方針となっている。<マウントリムの隧道>に挑むのは翌日朝一番からとなる。


 到着次第、傭兵団の面々や、キャラバンの商人達が天幕の設営を早々に始めていた。忙しなく動き回る人々の中で、スーノたちも自分たちの寝床を確保していた。そういっても、大地人より頑強な肉体を誇る冒険者、五月の夜くらいならば天幕を立てることはせずとも、火の準備をするだけですむのが手間が掛からなくてよい。


 キャラバンには生活物資も積んできているとはいえ、それを野放図に使うのは懸命ではないだろう。杏奈は九番隊の隊員二人と共に、薪を拾いに近くの森に分け入っていた。

 同行しているのは、ジャンルカとレオという二人の隊員。

 ぱっと見は老けて見えるが実はまだ十八歳だという、標準より気持ち背の低い優男風のお茶目な性格をしているのがジャンルカ。寡黙でいまひとつ何を考えているのか分かりづらい、がっしりとした体型の細目の坊主頭が、レオだ。

 ジャンルカは楽しげに杏奈に話しかけている。任務中とはいえ、冒険者といえども女性相手で会話も弾むのは仕方ないだろ。相手は自分より十センチメートルは背丈が高い女性だが、それを気にすることなく、見上げるように自分と話す姿を見て、杏奈はくすぐったいような気分になっていた。


(多分ジャンさんは女性が好きなんだろうな)


 杏奈はあまり男性からこういう視線(、、、、、、、)を浴びることは無かった。多分この身長のせいだろうとは思うが、こういう扱いは正直なところ慣れていないのというのが本音だ。

 学校では高身長と、部活のバスケットボール部での活躍もあって、女性のしかも後輩から憧れの視線で見られることのほうが多かったのは、如何なものなのか。女子高なのに、下駄箱にラブレターが入っていたことも度々あったのは、苦笑いするしかない。あれが男性からの手紙だったら良かったのになぁ。とその度思っていた杏奈だった。


「オレッちと兄貴はガキの頃からの仲間でさ、まあ腐れ縁ってとこ。あ、レオもだけどね」


 兄貴というのは、九番隊隊長のディーノのことだ。薪拾いはそこそこで、快調におしゃべりに興ずるジャンルカに、レオが後頭部を叩いた。「何すんだよ」と不機嫌に振り返ると、そこには更に不機嫌な顔つきをしたレオがジャンルカを睨みつけていた。


「喋ってばかりじゃなく、薪拾え」


 基本的に必要なこと以外に口を開くことが無いらしく、実は杏奈はレオの声を聞いたのは始めてだったりする。低くて落ち着いたその声に、杏奈は関心した。


「レオさん、素敵な声ですね。もっと喋ったほうが女性にモテますよ」


 杏奈の言葉に、レオは顔を赤くして黙り込む。


「レオは昔から奥手なんすよ。こんなんだから、未だに彼女もいないし、ってイタイイタイ!!」


 からかう様なジャンルカの頭を抱え込んで締め上げるレオ。仲良くふざけ合う二人の姿に微笑む杏奈だった。


「そういえば、訊きたかったんですが、この傭兵団の名前、<折剣傭兵団>って変わってますよね」

「ああ、これね。武勇を誇らなきゃいけない傭兵団なのに、名前が”折れた剣”だもんね。普通じゃありえないって感じるっしょ」


 現在の団長の父親である初代団長の時代、まだ売り出し中だったこの団が、イワフネ領主の護衛という大役を仰せつかったが、不幸にも、強力なまものの襲撃に合い、それを辛うじて撃退したことがこの<折剣傭兵団>の名を轟かせるきっかけとなったのだ。


「そのときに、初代団長が折れた剣でも怯まずに、まものに立ち向かっていったのを見た領主様が甚く感動して、この名前を下さったのが始まりなんすよ」


 すごいですね~と感心する杏奈の姿に、ジャンルカは自分のことのように誇らしげに胸を張っていた。隊員は団の名前に誇りを持っている。そしてこの名前に難癖をつける常識知らずの輩は、必ず締め上げ謝罪させるのが、団員の義務である。今では、近隣のこの業界で生きるもので、<折剣傭兵団>にいちゃもんをつけるような愚か者はいないそうだ。


「初代団長さんってことは、ディーノさんのお爺さんに当たるんですよね。当然もう引退されているんでしょうけど、今はイワフネの街で暮らしているんですか」


 ジャンルカとレオが顔を合わせる。そして首を横に振った。


「初代団長は任務中の戦闘で戦死だったそうだ。まだ俺達が生まれる前の頃。場所はこれからキャラバンが挑む<マウントリムの隧道>だったそうだ」


 レオの答えに、「ごめんなさい」と杏奈が謝る。


「いや、こんな仕事なんだから仕方ないだろう。団の皆も任務中に戦死するのことは折込済みだよ。気にすることは無い」


 <折剣傭兵団>初代団長が戦死したのは、今から二十四年前の<マウントリムの隧道>、今回の任務と同じ隊商(キャラバン)の護衛の任務中だった。<天神の守礼>を掲げてのこの隧道通行時に、まものの襲撃にあった過去二回の記録のうちの一回がそれだ。それ以降、<天神の守礼>の効力が利かなかったことは無い。が、なせその時にまものの襲撃を防ぐ効力が無かったのかは、未だに不明である。


「まあ、そのとき以降この魔法具が利かなかったことは無いし、万が一を考えて、冒険者に同行してもらうようになったんすから」


 そうジャンルカが言って、にやけながら杏奈を指刺した。


「だから、頼みますよ、冒険者(、、、、、)さん」











 夕方、日が陰るころ、野営の準備を終えた団とキャラバンの面々は、いつもより早く夕食にありつけていた。明日の難所の通過を控え、慰労になればと考えた団の上層部は、今夜は飲酒の許可を皆に与えていた。


「深酒は禁止だ。明日朝、酒の匂いをさせてるヤツはオレが手討ちにしてやる」


 各所にある焚き火に集まったキャラバンの面々に厳しい表情のエンリコの叱咤が飛ぶ。


「それだけ頭に入れてくれればいい。では、楽しんでくれ!!」


 珍しく慣れない微笑を浮かべたエンリコの号令に、皆の歓声が上がった。そして各所で賑やかな酒宴が始まった。








 ちらちらと、杏奈はスーノの様子を盗み見る。ディーノさんに酒盃を薦められ、まんざらでもない様子で受け取っている様子は、おかしなところも無く、この酒宴を楽しんでいるように見える。

 気にすること無いのかか?

 杏奈は自分の取り越し苦労なのかな?と考えもするが、そこにはどうしてもその杞憂を振り払うことが出来ない自分がいるのだった。


 夜の闇が訪れ、あたりは闇に包まれている。各所で燃える焚き火の明かりが、皆の姿を照らしている。笑いあうその笑顔に、スーノに対するそんな懸念も薄れ、杏奈は楽しさに気持ちが浮かれていた。


 そんな中、ディーノが団の馬車から木製の丸いモノを抱え持って来た。それは弦を張ったアコースティックギターに似た、リュートと呼ばれる楽器だ。焚き火の前に座り、ディーノは手元に抱え込んだその楽器の弦を弾いた。


 リュートの音色が焚き火の柔らかな赤い明かりに照らされた空間に響く。そしてその音に気づいた皆の談笑の声が収まっていく。

 スーノと杏奈はその音色にハッとして視線を合わせた。それはスーノの耳に染み付いている、そして杏奈にも聞き覚えがある旋律だ。


「これって」

「ああ、これはエルダーテイルのゲームのオープニングテーマだよ」


 現実世界でエルダーテイルのゲームを楽しんだ者ならば、誰でも耳に残っている曲だろう。杏奈も兄の部屋からよく聞こえてきたこのメロディーに覚えがあった。原曲はオーケストラ編成で演奏された勇壮なものだったが、リュートひとつで奏でているこの旋律は、原曲とはまた違う哀愁に満ちた雰囲気を醸し出していた。キャラバンの皆誰もがその旋律に耳を澄ましている。大地人だろうと音楽を楽しむことに違いは無いだろう。


 そしてディーノの奏でる旋律が終わる。余韻を味わうような静かな時間が過ぎると、誰からとも無く拍手と指笛の音が鳴り響いた。そんな状況に慣れているのだろう、ディーノは得意げな顔で当然のようにその歓声に手を上げてこたえる。


「三代目、そんな辛気臭いのじゃなくて、明るいヤツをお願いしますよ!!」


 陽気な注文がディーノに飛んでくると、ディーノは満更でもない表情を返す。そして離れた場所に陣取っていた、団長であるエンリコにディーノは顔を向けて声をかけた。


「親方、頼みます!!」


 仕方ない、と重い腰を上げ、エンリコも団の馬車から何かを取り出し持ってきた。幕を張った小さな樽が二つ並んだようなそれは太鼓だろう、ディーノの隣に腰を下ろし、その太鼓を足で挟む。そして咳払いをしつつエンリコはディーノと目を合わせた。

 それだけで彼らには言葉を交わす必要は無く、演奏()る意思を伝えることが出来るのだろう、エンリコは太鼓を叩いてリズムを刻みだした。徐々に太鼓の音数が増えていくと、周囲の団員がそれに合わせて手拍子を始めた。そしてそのリズムに乗って、ディーノがリュートの演奏を始めた。


 スーノは思い出す。これもゲームで聴いたことのある曲だ。何処で聴いたのか、そうだフィールドの草原エリアや、昼間の街中で流れていた明るく華やかな曲だ。そのアップテンポのリズムに、自然と身体が動き出してしまう。キャラバンの皆もにこやかに笑いながら、そのリズムに身体を揺すっていた。中には、我慢できないように立ち上がって踊りだす者もいる。

 隣を見ると、杏奈がウズウズと何かを我慢するようにしていた。


「遠慮するなよ。演奏()りたいんだろ」


 杏奈は嬉しそうに魔法鞄から自分のギターを取り出して演奏する二人の元に行った。








この曲も聴いたことがある。

たしかこれもお兄ちゃんの部屋から聞こえてきたメロディーだ。

きっとさっきと同じでゲームのBGMのひとつなんだろう。

なんとなくだけど、曲の流れは大体覚えている。

これなら、コードをかき鳴らすだけならアタシにも出来そう。

一緒に演奏したい、けど、邪魔じゃないかな?

ウズウズしていたアタシに、「遠慮するなよ。演奏()りたいんだろ」って声がスーノさんからかけられた。

その声にアタシの我慢も限界だった。

鞄からギターを取り出してディーノさんのところに駆け寄る。

アタシは上気した顔でディーノさんを見ると、始めはおやっと言いたげな、その後はにやけて顎をくいっと反らせてアタシを誘ってくれる。

団長さんも大きく頷いて、アタシを迎えてくれた。

そんな二人に嬉しくなって、アタシはギターをかき鳴らした。


始めはおかしな音を出すこともあったけど、続けるうちになんとなく曲の理解も深まる。

アタシのギターの音色とディーノさんのリュートの音色、それに団長さんの太鼓のリズムが溶け合って、ひとつのメロディーを形作る。

団長さんの造るリズムがアタシとディーノさんの旋律を引っ張ってくれる。

その後で主役を張るのは、ディーノさんのリュートの音色だ。

アタシのギターは、後ろから皆を押し上げるのが役割。

三つの音が響き合い、お互いを生かし高めあう。

音を重ねるのがこんなに気持ち良いなんて・・・

汗だくになって音に集中し、汗で張り付く髪を、これでもかと振り乱す。

カッコなんてどうでも良い。音が重なり合わさる感触が身体に響き渡り、その快感にもっともっとと心が要求してくる。


周りを見ると、手拍子を合わせる人、リズムに合わせて踊っている人、皆この音に魅了されていた。

リナがエンジと一緒になって見たことも無い踊りを踊っていた。

ジャンルカさんが、スーノさんの手を取って踊りに誘っている。

それが満更でもないようで、スーノさんもなれない踊りを楽しんでいるようだ。

その様子を見ていたディーノさんの顔が引きつっていたのは見なかったことにしよう。


みんなの笑顔が目に焼きつく。

この時間が永遠に続けば良い。

このときのアタシは、心のそこからそう思っていた。














 何かに圧迫されるような息苦しさを感じて、スーノは眠りから目覚める。目の前には大きなものがある。その感触は柔らかくて丸い。そして自分の頭が何かに抱きかかえられているのが分かった。もぞもぞと這い出るようにその拘束から抜け出すと、拘束していた何かの正体が見えた。


「まったく・・・」


 自分の頭を抱えていたのは杏奈の腕だった。目の前にあった柔らかい感触の何かは、まあ、杏奈の大きな胸部の物体だろう。その感触を思い出しても、何故か今のスーノは恥ずかしくなったり興奮したりしないのはなぜだろう。

 というか、こんな風に、寝ている間に抱き枕よろしく抱きかかえられていたのはもう何回目だろうか。そのたびに杏奈には、「僕は本当は男なんだから、こういうことは良くないよ」と忠告しているのだが、「野宿の夜は寒いからスーノさんを抱き枕にするのがちょうど良い」なんて、この娘はのたまって、直そうともしないのは困ったものだ。

 確かにまだまだ夜の冷え込みは厳しく、寒さが堪えることが多いのも事実だ。それに、今のスーノさんは女性だから何も出来ないしね、と言われたときはさすがに凹んだ。男として完全に舐められたな・・・と思うが、たしかに現在のスーノの性別は女性だから仕方ないか。それに胸だなんだといっても、スーノ自身の身体にも同じパーツがあるのだから、恥ずかしいとかも関係ないだろう。

 とも思うが、あの柔らかい物体の巨大さには心が動く。それは男としての興味というより、どちらかと言うと嫉妬に近いような感情のような気もする。

 自分の胸部の慎ましやかなそれを見ながら、そんなことを考えるスーノだった。

 

 でも、最近は自分よりエンジを抱き枕にすることのほうが多かったけど、と考えると、自分の隣に丸くなったエンジが一緒に寝ているのに気づいた。じゃあ、寒さを凌ぐには二人と一頭で一緒になるしかないか。とスーノは納得する。






 目が覚めてしまいこれ以上寝られそうも無いので、杏奈とエンジを起こさないようにそっと寝袋から抜け出し歩き出す。村の外れに小高い丘があったからそこに行こう。あそこは眺めが良さそうだ。

 鞄から取り出した外套を羽織り丘を登る。頂上からは村の全景と村の西側に流れる川、それと並行するように位置している旧文明の高速道路が見えた。顔を上げると、まだ明けきらない西の夜空の低い位置に、白く輝く月が少し欠けたその姿を浮かび上がらせていた。


 スーノは座り込み、膝を抱える。そして足の間に頭を埋めた。


 そうしてどのくらいのときが経ったのか、スーノは肩に誰かの手が優しく置かれた感触に気づく。

 顔を上げると、そこには杏奈の顔があった。

 隣に座る杏奈。

 朝の冷気が身体を冷やす。寒さに震えた杏奈は着込んだ外套の前を掻き閉じた。


「スーノさん、最近ちょっと変だよね」


 杏奈の小さな声が聞こえてきた。スーノは一度起こした頭を再び足の間に埋める。返事を急かすことも無く、杏奈は静かにスーノの隣に座っていた。


「分かるかい?」


 篭ったスーノの声が杏奈の耳に届く。


「うん、分かる」

「はは、隠してたつもりだったんだけどな」


 力の無い自嘲の笑いを伴ってスーノは答える。


「アタシじゃ頼りなくて力になれないかもしれないけど、話を聞くだけならできるよ」


 スーノに視線を向けるが、伏せたスーノがどんな表情をしているか杏奈には分からない。そして二人の間にまた無言の時間が流れる。


「僕はさ、覚悟が足らなかったみたいだ」

「覚悟?」

「うん、覚悟。この世界がゲームじゃなくてホンモノの世界だって認める覚悟、かな」


 顔を上げることなく、スーノは言葉をつないだ。


「僕はずっとこの世界がエルダーテイルのゲームの中だって思っていたんだ。いや、信じていたってのが本当かな。だってそうじゃ無いと、説明がつかないじゃない」

「それにそう信じ込むことで、スイッチが切り変わるように現実世界に戻れるはずだって、時期が来れば元の世界に帰れるって思ってた」

「怖かったんだよ、ずっと。このまま現実に戻れないって認めるのが。情け無いことだけど」


 その気持ちは杏奈にも理解できた。違ったのは、ゲームとしてのエルダーテイルの経験の差だろう。

 杏奈にとっては、ゲームの経験が全く無かったため、見ている世界を現実と認識すること以外できようが無かった。でも、ゲームとしてのエルダーテイルをやりこんだ人間にとっては、あまりにもゲームの要素が混ざり込んだこの世界のことを、違うまたひとつの現実だと簡単には納得することができないかもしれない。


「でも、きっとこの世界も現実なんだろうね。だってそこにいる人はちゃんとした人間なんだもの、ゲームのNPCじゃなくて」

「初めの村であった宿屋の娘に主人。イワフネの街の入門監査官。それに傭兵団のみんなに団長のエンリコさんにディーノ、それにリナ。みんな血が通ったちゃんとした人間だよ。欲もあるし嘘もつく、自分の不幸を嘆くこともあるし、今の幸せを噛み締めることもある。AIで動いているNPCなんかじゃない」


 それにあの街の姫様。あの娘もそうだった。


「僕だってそんなことはすぐに分かったよ。でもそれを認めると、この世界がゲームじゃないって認めることになって、もう現実に帰れないんじゃないかって」


 スーノの声に湿った響きが混ざっているように杏奈には感じた。


「カッコつけて、無理に取り繕ってきたけど、限界だったのかな」


 スーノの肩に手を回してその身体を抱き寄せる。


「アタシは、そんなスーノさんがいたからここまでやってこれたんだよ。スーノさんがいなかったなら、多分今でもあの初めの村で泣き続けて暮らしていたに違いない」


 スーノがいなければ、この世界のことを教えてくれる人はいなかっただろう。念話だって使い方を教えてもらわなければ、使うことは出来なかった。兄のギルドの人や親切な知り合いが念話をかけてきても、念話を受ける方法が分からなければ、耳元でコールの音が鳴り続けるだけだ。

 そもそもゲームのことを何も知らない人間が念話だ、ステータスウインドウだ、と手がかりも無く分かるはずも無い。もしかしたら、訳の分からぬこの世界に一人で精神がおかしくなっていたかもしれない。


「だから、アタシにとってはスーノさんは大事な恩人です。それだけじゃダメ?」


 スーノが顔を起こして、杏奈と視線を合わせる。涙に濡れた瞳が杏奈を見つめている。


「なんか話が噛み合って無い気がするけど」

「えへへ、そうかな?」

「うん、・・・だけど、ありがとう。」


 その言葉には、筋が通っていようといまいと、とにかくどうにかしてでもスーノを励ましたいんだ、という杏奈の想いが溢れていた。それがスーノには理解できたし、そのことを感じて心が温かくなった。その想いに応えようと顔を上げるスーノ。泣き顔に無理に笑顔を貼り付けたようなスーノの表情を見て、杏奈は胸が詰まって何も言えなくなった。だから代わりにスーノの頭を胸に抱きしめた。


「一緒に行こう、スーノさん。お互い助け合って」


 胸の中のスーノがクスッと笑っていた。


「なんかみっともないな。中の人は男で、しかもいい歳してるんだ。それが落ち込んで一人泣いて、おまけに高校生の女の子に慰められて、立ち直るなんて」


 泣いているのか笑っているのか分からないような表情で話すスーノに、杏奈も同じような、それでも懸命に微笑みを浮かべていた。


「だって見た目は女の子なんだし、しょうがないじゃない。それに今の外見じゃアタシのほうが年上に見えるくらいだしね」

「男のプライドとかすっかり消えて無くってしまいそう。杏奈のほうがずっと男前に見えるよ。なんか惚れそうだ」

「えへへ、惚れとけ、惚れとけ」


 笑いながらそんなことを言っているが、心の中では杏奈はあの頃を思い出していた。

 (戦闘の恐怖から泣いて逃げ出したアタシを支えてくれたのはスーノさんだよ。アタシはその恩を絶対忘れない)


 杏奈の胸から開放され、二人は視線を重ねる。何か憑き物が落ちたように、スーノの表情は晴れやかに吹っ切れていた。それを見て、満面の笑みを見せる杏奈。

 そこに、一条の光が差し込み、山並みから現れた朝日が二人を照らし出す。東の空には上り出でる朝日がその姿を見せ、未だ群青に染まった西の空には沈み行く真っ白な月。その光景は何かを暗示しているようでもあった。

 そのとき、笑い合う二人の間に、白い獣が頭を押し込んでくる。オレを除け者にするなと、エンジが間に割り込んで、ドシっと座り込んだ。その姿に、顔を見合わせ笑い合う二人。


 五月の山間部の朝の冷え込みはまだ緩むことは無い。

 二人と一頭はそれを気にすることなく一緒に空を見ていた。



わたしは音楽の知識も技術も持っていませんので、例によって音楽の描写は、なんとなく(はっきり言うとテキトー)で書いております。

おかしなことを書いていたとしても、笑って許していただければ助かります。



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