Bell in the rain
「雨、早くあがんないかなぁー」
5限の終わり頃から降り始めた雨を見て、瑠花がため息をついた。
「雨の日って最悪。髪は広がるし服は濡れるし・・・部活のときなんてこれでもかってぐらい濡れるんだから。雨なんてきらーい」
ぶつぶつ文句を言う友人の言葉を聞き、未来は学級日誌を書く手を止めて顔を上げた。
「そう?私は好きだけど、雨」
「えぇー!?何で!?あり得ない!」
瑠花が信じられないというように未来を見る。
「何か、嫌なこととかも全部、洗い流してくれそうな気がしない?」
語尾に疑問符を付けたが、同意は期待していない。案の定、瑠花は首をかしげている。
「あんま考えたことないや・・・」
「ま、そんな気がするってだけ」
未来は再び学級日誌を書く手を動かす。未来ってさあ、と瑠花がまた口を開いた。
「考え方変わってるよね。詩人って感じ」
友人が悪気なく言ったその言葉に、未来は苦笑する。
どうやら自分は人と違った考え方をしているらしい────そう悟ったのは今が初めてのことではない。未来は幼い頃からそれを感じていて、そしてそれは学校などの集団生活を営む上で大きなリスクを負うものだとも、やはり幼い頃から心得ていた。「個性的」、「人と違う」、「変わってる」、・・・そういったレッテルを貼られた者がいじめなどの標的になるのはままあることだ。
小学校時代、未来が何か発言したりするたびに、級友たちは「未来の考え方は変わってる、変だ」と未来を責めた。そう言われるたびに傷ついて、そして同時に反発していた。
私は思ったことを言っただけよ、何が変なの?何が悪いの?
でも反発すれば騒ぎが大きくなり、結局損をするのはいつも未来だった。今思えば、いちいち反発してしまう未来もそれほどに幼かった。
「空気を読んで、大多数の意見に従う」ことが学校生活の平穏には欠かせない条件であり、往々にしてそれを破る未来は結果的に問題児だった。教師もそんな未来を煙たがり、未来に関する問題は全て未来に責任を負わせる始末で、結局小学校時代にいい思い出なんて一つもない。
だから未来はそれ以降の学校生活で、「上手に」生きる術を身につけた。面倒事には巻き込まれたくないし、何より、
私は私の考え方を気に入っている。引け目になんて感じない。
未来は自分の考え方を周りに流されて失わないために、「上手く」生きるようにしている。
「詩人って何よ、バカにしてるよね?」
「してないってば!ほめてるほめてる、詩人みたいー」
だから今は「変わってる」と言われたら、そう冗談めかした口調で返すことにしている。防御線に防御線を張って、素の自分は決して出さない。
「未来は今日、委員会だっけ?」
「うん。定例会があるから」
「へぇー、大変だねぇ」
チャイム鳴ると同時に担任が教室に入ってきたので、瑠花は自分の席に戻っていった。
未来は小さいため息をついて、学級日誌を机の中にしまった。
今日の定例会はいつもより長引いた。
靴を履き替えて、昇降口を出ようとしたところで降っている雨に気がついた。
しまった。傘、ロッカーの中だった。
しかし靴も履き替えてしまったし、また教室に戻るのも面倒くさい。外を見てもそんなに激しい雨じゃない。
まぁいっか。雨は好きだし。
そう思って昇降口を出て、雨の中しばらく歩いていると、
「綾瀬!」
唐突に自分の名前を呼ばれた。
振り返ると同時に、雨が体に当たる感覚が消えた。
「どうしたんだよお前、ずぶ濡れじゃん」
そう言って未来に黒い大きな傘を差し出したのは、クラスメイトの篠宮蓮だった。
篠宮蓮────こいつは、説明するのが難しい奴だ。
長身で細身の体型。端整な顔立ち。かけている眼鏡が、そのアイドル顔に知的な印象も与えている。成績は常に学年トップであり、そして運動もそつなくこなす。非の打ち所のない、まさに理想の男子像であるがゆえ、一部の女子からはミーハー的に騒がれている。
そんな篠宮の左耳には、いつも三連ピアスがある。この三連ピアスこそが、篠宮の立ち位置を微妙なものにさせている最大の問題なのだ。
ピアスをつけることは当然、校則で禁じられている。つまり彼は校則破りの常習犯であるということだが、篠宮に対して教員が踏み切った措置をとったことはない。篠宮はそれを除けば模範的な生徒だからというのもあるが、噂によれば彼の父親は教育委員会の会長であるらしい。そんな裏話も手伝ってか、幸いあいつがやっているんだから俺も私もといったような便乗犯は今のところ出てきていないので、最近は教員も彼に注意すらしなくなってきた。
なぜ未来がこんなに篠宮蓮に詳しいのかと言えば、未来と篠宮は同じ委員会に所属していて、それゆえ嫌でも接点は増えるわけで、嫌でも篠宮に関する情報が集まってしまうからである。
なんで篠宮はいつもピアスをつけているんだろう。
篠宮は校則に無意味に反抗するような奴ではないということは、接してみたらわかった。
何か理由がある気がする。でもそのことは、何となく他人が触れてはいけないような気がして。
「傘入っていけよ、風邪ひくぞ」
傘の右側は、すでに未来のために空けられている。
「・・・ありがとう」
ここで頑なに断るのもおかしいので、未来はその親切な申し出をありがたく思いながら傘の中に入った。
するとやはり、後ろから誰かの冷やかす声が聞こえてきた。相合傘のお約束である。
気に留めず黙々と歩いていると、篠宮が未来の顔をちらりとうかがった。
「私、気にしてないよ」
篠宮が口を開きかけたところへ、未来は言葉をかぶせた。このタイミングだと、謝罪の言葉が出てきそうだったからだ。
篠宮は少し驚いたようだ。そして意外だな、とつぶやく声が聞こえる。未来は篠宮の顔を見上げた。
「俺はこういうの気にならないけどさ、女はやっぱり気になるんじゃないかと思ってた」
「・・・気になる子もいるんだろうけど、私は気にならないよ。それに、」
篠宮が親切でしてくれたこと、謝らせたくないし。
何気なく言ったつもりだったが、篠宮に小さく吹き出された。
「何で笑うの」
決まり悪さにそっぽを向いた。
「綾瀬って面白ぇ」
「面白くないっ!」
今までの人生で自分が面白いなんていう評価は受けたことはなくて、思わず篠宮に噛みついた。だが篠宮はお構いなしに、体を揺らして笑っている。
篠宮の三連ピアスが、しゃらん、と鳴った。
相変わらず雨が降り続く中、篠宮と他愛ないことを話しながら道を歩く。
くだらないことで言い合ったり、くだらないことで笑い合ったり。中身がないけどそれが楽しい。
・・・篠宮って、こんな風に笑ったりもするんだ。屈託なく笑う篠宮を見てふと思った。
「なぁ、綾瀬」
「何?」
「このピアスのことなんだけど」
心臓がどくんと鳴った。思わず聞き返しそうになる。まさかこのタイミングで、そんなこと。
「これさ、俺の宝物なんだ」
そう言って篠宮はピアスをしゃらしゃら鳴らす。
「俺、だいぶ歳が離れた兄貴がいるんだ。兄貴はバンドやっててさ。まだまだ駆け出しだしインディーズだけど、それでもファンは多いって話。このピアスは兄貴がくれたもんで、兄貴のバンドのメンバーがつけてるヤツと同じなんだ」
未来は相づちを打ちながら、篠宮の話に聞き入った。
「俺の親父が教育委員会の会長だって噂、出回ってるだろ?」
篠宮にそう問いかけられる。否定しても何のフォローにもならない。未来は小さくうなずいた。
「あれ、本当なんだ。だから親父は、俺たち兄弟をエリートコースに進ませたがってさ。兄貴や俺の人生のレールを勝手にひいて、それでそれに反することを許さねぇんだ。兄貴は自分のやりたいことがあったからそれに耐えられなくて、数年前に家を出て行った」
篠宮がそんな事情を抱えていたなんて知らなかった。
未来は相づちを打つことしかできない。こういうとき何と言えばいいのか未来にはわからなかった。
「親父は兄貴のことを馬鹿にしてるけど、俺は兄貴を尊敬してる。兄貴に憧れてる。いつか俺も、兄貴みたいに夢を追いかけたい。・・・だから、このピアスをつけてんだ。夢を追いかけられるように、追いかける気持ちを忘れねぇように」
そう語る篠宮の目は、きらきらと輝いている。
────ああそうか。
制服をかっちりと着て、眼鏡をかけて、見るからに真面目そうで────左耳につけている三連ピアスはその雰囲気に不釣合なはずなのに。それなのにすごく似合って見える。
篠宮にとってそのピアスは、篠宮の信念そのものだからなんだ。
これで全て納得できたと思ったが、ふと疑問が浮かぶ。
「・・・何で私に、そんな大事なこと話してくれるの」
篠宮と全く親しくないわけではないが、それでも未来と篠宮は同じ委員会に所属するクラスメイトでしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもない。篠宮がなぜ未来にここまで話してくれるのか、それが未来には理解できない。
篠宮が未来を見る。未来も視線を合わせた。篠宮も未来も何も言わない。
とくん、とくん────自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。時間がやけに長く感じる。初めての感覚に未来は動揺した。
「この前さ、文化祭のパンフレット作成も実行委員が担うべきか、それとも生徒会とか他の部署に任せるかで、実行委員の中で意見が割れたじゃん」
唐突に篠宮がそんな話題を持ち出した。未来は戸惑いながらもうなずく。それはまだ記憶に新しい出来事だ。
「『文化祭準備をもっと効率よく進めるためにはどうするべきか』って議題で始まって、そんで話進んでいくうちに『パンフレット作成を他部署に委託すればいい』ってなって。当然反対意見も出てさ、それでものすごい論戦になったじゃん。最後の方お前は賛成か反対かどっちだ、って委員一人一人に聞いてく始末でさ。いつの間にかみんな議題忘れて、もう収集つかないくらい空気悪くなってた」
・・・この流れはもしかして。未来には思い当たるフシがある。
「でもその空気を変えたのは綾瀬だった。『論点が本題からずれてると思います。議論に時間をかけるべきなのは効率的な文化祭準備の方法についてじゃないんですか』ってさ」
未来からしてみれば穴があったら入りたい気分だ。あのことを未来は後悔している。
あの論争を収集するには仕方なかった、とは思う。だが結果的に未来は論戦に水を差したことになり、そのあと露骨に嫌な顔をした委員もいた。小学校時代、未来を煙たがった級友や教師を思い出す。
「すげぇかっこよかった。あのときの綾瀬はあの場の誰よりも正しくて、まっすぐで、・・・まぶしかった。俺もそれで我に返ってさ、その言葉にちょっと感動した」
何かヒーローみたいだった、と篠宮がそのときのことを嬉しそうに話す。
まずい、と未来は思った。これはいつものように先手を打つ必要がある。
「大げさだよ。出しゃばりすぎたヒーローは、みんなから嫌われるでしょ」
変わってる奴だ、とか思われたかもしれない。だからとにかく自虐でも何でもいいから話をそらす。「変わった奴」だというレッテルを貼られた小学校時代に戻るのはもうごめんだ。
「・・・無理すんじゃねぇよ、綾瀬」
思わず足が止まる。そんな未来を見た篠宮も立ち止まった。
篠宮の顔をおそるおそる見上げる。・・・今、何て。
「そんな自分を責めるようなこと言うなよ。綾瀬が自分を責める必要がどこにあんの?何度も言うけど、あのときの綾瀬は誰よりも正しくて、誰よりもかっこよかった」
てか、いつもだけど。そう言って篠宮は歩き始める。未来もあわてて後を追う。
「綾瀬と話してると、なるほど、っていつも何かに気づかされる。綾瀬はいつもその後フォローするけどさ。俺は綾瀬の考え方好きだし、それを貫く綾瀬はかっこいいと思う」
今まで誰にも言われたことがない言葉。その言葉が信じられなくて、何度も何度も篠宮の言葉が頭の中を回る。
「だから俺も、なんつうか・・・負けてられねぇなって思った。しっかりと自分の考え方持ってる綾瀬みたいに、俺も自分の夢しっかり抱えて、綾瀬みたいにかっこよく生きたいって。だから綾瀬に、こんなこと話したんだと思う」
篠宮は前を向いたまま話している。その耳が赤いことが、この角度からわかる。
何で。何でそんなに、優しいこと言うの。
私は全然かっこよくなんてない。自分の居場所を失わないように必死に自分を隠してる。そんな私のどこがかっこいいの。
自分を隠さず本音を打ち明けられる篠宮の方が、よっぽどかっこいい。
「私は・・・私はかっこよくなんてない!」
気づけばそう叫んでいた。篠宮が驚いたように振り返る。
「周りに嫌われたくないから、自分の本音を必死に隠してる。『変わった奴』だとか思われたくないから、意見言った後は必ずフォロー入れてる。私は全然かっこよくない、弱い人間だよ。だから私みたいに生きたいとか、夢を私なんかに託すな!」
涙が頬を伝う。後から後からあふれて、止まらない。
涙も本音も────篠宮に見せるはずじゃなかったのに。
涙と本音を見られた悔しさ。そして後悔。次はどうフォローを入れようとか、もうこれはフォローしきれない本音なんだとか、でもそれを見せてしまったということへの不安や絶望で、未来は押し潰されそうだった。しばらく泣いた。泣くことしかできなかった。
「・・・これで、お互い様?」
そう言って、篠宮が笑う。意味がわからず、未来はえ?と聞き返した。
「俺は綾瀬に本音話して、綾瀬は俺に本音話して。これでお互い様かなーって思ってさ」
未来はぽかんとしながら、篠宮の言葉を聞く。
「俺には本音、話してよ。その代わり俺も綾瀬にいろんなこと話したい。その、今も綾瀬の本音聞けて、嬉しかったし」
篠宮の言葉がじんわりと心を温める。
「・・・本気?」
「本気だよ」
冗談でこんなこと言えっか、と付け足された言葉がくすぐったい。くすぐったくて嬉しくて、また涙があふれた。
ずっと探してた。素顔の自分でいられる居場所。「上手に」生きる必要がない居場所。
もしかしてそれ、今見つけた?
「俺さ、やっぱり綾瀬を目指す」
「は!?」
篠宮の突然の宣言に、未来は面食らう。
「私はちっともかっこよくなんか」
「そういうことじゃねぇんだよ。どんな本音聞いたって、俺の中でやっぱり綾瀬はかっこいいんだよ。目指すのは、俺の自由だろ?」
篠宮はそう言っていたずらっ子のように笑う。
「・・・知らない!」
未来はそう言い捨てて、少し歩調を早めた。
今のこの気持ちもこの赤い顔も、篠宮には絶対に知られたくない。
俺の中でやっぱり綾瀬はかっこいい。それってどういうことなの。それはもしかして、私が今抱いている感情と同じ種類のものなの。
目指すのは、俺の自由だろ?────じゃあ私も自由でしょ?篠宮のことを追いかけてみたい、もっと知りたい、なんて思ったりしちゃうのは。
「綾瀬、顔赤い?」
「そっちこそ耳真っ赤」
「顔赤いこと否定しないんだ?」
「・・・夕日のせいだよ」
「この雨空に夕日なんてどこに出てるんだよ!」
「うるさい笑うな───っ!」
不本意な大笑いに未来は噛みつく。
「やっぱ綾瀬って面白ぇ!」
否定しようとしたが、屈託なく笑う篠宮を見てやめにする。
篠宮のこんな笑顔を見られるなら、「面白キャラ」でも何でもいい。未来も笑みをこぼした。
駅が見えてきた。同時に、さびしいという感情が自分の中に生まれてくる。
さびしさの所以はもうわかる。わかったからもう意地は張らない。
未来は黒い傘を抜けて、駅の雨よけに入る。雨よけの方が雨を防ぐには効果的だが、でもこの傘から離れるのがさみしかった。
「じゃ、俺こっちだから」
「うん。傘、本当にありがとう」
「おう。じゃあな、未来」
そう言って篠宮は、背を向けて歩き出した。
自分の名前を呼ばれるのが、くすぐったくて恥ずかしい。でも嬉しい。小さなことでも幸せを感じられるって、素敵なことだ。
黒い傘が遠ざかっていく。
歩くリズムに合わせて、────蓮のピアスが揺れる。
人混みに紛れる小さな音でも、未来の耳にはちゃんと届く。
────恋に落ちる、音がした────。
Fin
こんにちは!菊花です。
この度は「Bell in the rain」をお読み頂きありがとうございます。
私事ではありますが、この作品には思い入れがあります。
少し前、この作品をある方にプレゼントしました。
その方は重い病気を抱えてて、もう長くはないと事前に知らされていました。
実際、私がこの作品をプレゼントしたとき、その方はこの作品を読めないほどに衰弱していたのです。もう少し早くプレゼントできたらよかったのに、と悔やみました。
小説を書くとき、何を書こうか迷いました。
でも重病を抱えてて、もう長くなくて、そんな方に「病気はきっと治るからガンバロウ」なんて書いてもそれはただの自己満足であり、その方にはただ空しい思いをさせてしまうだけなのではないかと、悩んだ末にそう思いました。
この「Bell in the rain」には、「雨の中でも、その音は確かに耳に届く」という意味を込めました。
つらい状況の中でも、そこには確かな何かがあるはず。それは周りの人たちの思いであったり、自分の信念であったり。だから最後まで、その音にどうか耳を傾けてほしい。そういう思いでこの小説を書きました。内容は闘病とは無関係です。
その方に捧げる作品が果たして本当にこれでよかったのか、今も時々考えます。
ですが天国で、その方がこの作品を純粋に楽しんで頂けていればいいな、と思います。
長文失礼いたしました。
この作品を読んでくださった全ての方々に大きな感謝を。
菊花