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School of Savage VS.  作者: 真坂倒
Episode.2
7/19

Game.06 優勝劣敗の法則

 絶景。

 そう表現するには、あまりに無理のある景色が広がった。殺風景というやつだ。

 長いこと人の手より離れているその場所は、すべからく廃れ荒んでいた。

 くすんだ窓ガラスに、雑草生い茂る校庭。おまけにひび割れたアスファルト。一部外壁は塗装がはがれ、貧相な下地をむき出しにする始末だ。

 本来の道より数十歩逸れて歩くだけだが、「それでも割に合わない」といった面持ちで、羽々斬は声にならない声でもごもごと不満をこぼす。

 眼前の空間を目に焼き付け、背負った竹刀ケースのベルト部分を力なく握りしめた。


 聖鎧学園、旧校舎前――――。


 それが、彼が今いる場所の名である。

 数年前より使われなくなった校舎だが、なかなか取り壊されずに、今も廃墟として残っている。

 ただただ退廃的な雰囲気を持ったまま、放課後の夕映えすらしない様相――趣も何もあったものではない。

 闇の中より風に乗ってくる薄汚れた空気に、酸素の吸入を我慢した。


『自分がこんな場所に訪れる価値はあったのか』


 これだけを頭に、ここへ来る数時間前の事を思い返す。


『自分とて、何かを知る権利はあるはずだ』


 羽々斬はそんな考えから彼女……真鶸の事を少しでも知ろうと、情報を集め始めた。

 そして調べるため、最初に手を付けた事柄が『彼女の所属校について』だった。

 訊ねる相手は――。




『生徒会長の居場所? それ、風紀委員の私に訊くの……?』

『お前しか訊ける相手が……、つか知り合いがいねーんだもんよ』

『うーん……ごめん、ちょっとわからないかも』

『……おいおい、早速詰みかよ』

『ああ、でも』

『?』

『最近、よく旧校舎に出入りしているって話を聞くよ?』




 学校の中枢ともいえる生徒会には、本校のみならず、方舟内のありとあらゆる情報が集まってくるだろう――――少年はそのように踏んだ。故にこそ、その生徒会の長である『生徒会長』へ接触を取らんと、当人の目撃情報が多い旧校舎へと訪れたのだ。

 が、人どころか、虫一匹すら居る気配がない。

 先ほどからそうだ。巨大な影だけを生み落とし、ただそこにでかでかとお役御免の無能が佇んでいるだけ。人を遠ざけさえすれど、引き寄せるような事などできやしないだろう。

 半信半疑に陥るうちに足も重くなっていったが、羽々斬は耐えて足を踏み入れた。


「(こりゃ、どう考えても人が出入りできるような状況じゃあないだろ)」


「Keep out!」。そう書かれた看板を置く程度で、果たしてどれだけの拘束力があるだろうか。

 疑問を覚えながらも、玄関を一閃するように貼られた黄色のテープをどかして中へ立ち入った。

 辺りを見回し、歩く。床はところどころ綻び、図らずもパターン化されている。その上は、千差万別の形状をした瓦礫達が無造作に転がっていた。

 天井からはときどき塵、埃が落ちて、開いた穴が光を注ぐ。やぼったくうざったい。

 教室に入ってみれば足を欠損した机が出迎え、保健室に入ってみれば薄汚れたベッドに驚かされる。内壁のしみは不快感を煽って仕方ない。

 やがて羽々斬の中の疑念は確信へと変わり、次に出る独白は身を翻す己への命令文とも相成る――。


「(……いないな)」


 ゆっくり踵を返す。その時だった。

 ――ガツッ。

 遠く。いや、近い。何かと何かがかち合う音。

 断言はできないが、瓦礫。瓦礫が靴に接触した音。彼はそう思う。

 すぐさま肩にかけた竹刀ケースより、竹刀を抜刀する。そして壁を背に構え、眼光を研いだ。

 大きくなる足音は、相手が近づいている証拠。相手の纏った気配に、少年は身構える。

 流入する匂いすら逃さぬよう、五感を最大まで働かせた。

 にじり寄る一歩。一歩――。


「――――――!」


 一歩。

 数メートル圏内に捉えた足音の主を打つべく、暗黒へと駆け出す。そして羽々斬は手早く闇を突貫した。

 一瞬のうめき声が上がり、どす、という確かな手応えを感じると、羽々斬は竹刀を引く。

 以降、相手のリアクションはない。どうやら気絶したようだった。

 その事実を確認したあと、彼は闇をかき分けてその先にいた人間の顔を覗きこむ。


「……せ、生徒会長?」


 そうして、竹刀を床に落とした。




「いやぁ……なんかその……、すんません」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「まさか、本当にあんな場所に人なんかいると思わなくて……」

「『生徒会長が、あれ以上荒らされないよう定期的に旧校舎を見回っている』なんて知りようのない事実ですから……、どうかお気になさらず」


 テーブルに出された温かなココアに手を付けるでもなく、羽々斬は壊れたボイスレコーダーのように一定の言葉を延々とリピートしている。ちなみにこれで一二回目である。

 長テーブルを挟んだ向かいのパイプ椅子に座る、中肉中背の少年は、糸のように細い目をさらに細めて、微笑んでみせた。その表情は至って穏やかだ。

 目だけ見れば、笑っている時と真顔の時の違いが判らない。必然的に笑顔のありがたみも薄まるというものだ。

 所変わって聖鎧新校舎、生徒会室。

 間違いとはいえ生徒会長に危害を加えてしまった彼は、半ば招かれる形で此処へ謝罪に訪れていた。

 備品も新品で整頓もいき届いており、先ほどとは一八〇度違う、清潔な空間だ。

 先ほどから羽々斬に対応するこの少年。名を呉鶴(ごかく)

 呉鶴は幾度となく、慈悲深さを孕んだ笑顔で「大丈夫」と連呼する。


「でもまあ、そうですね、慰謝料は分割で大丈夫ですよ」

「やっぱり怒ってるんじゃねーかッ!」


 謝る彼を見かねた上での冗談だと、気付くかどうか。尤も呉鶴からすれば些末な問題なのだろうが。

 開かれた窓より舞い込んだ桜の花びらは、やがて卓上にはらりと乗った。

 その蒼の髪を揺すった風が、次は呉鶴の体をくるりと返す。

「いい空気です」――自然に話が逸らされた。

 そして、


「ようこそ、聖鎧学園生徒会室へ――――生徒会長『呉鶴(ごかく) 千羽(せんば)』です」


 改めて自己紹介。

 浅黒い肌に、蒼のミディアムヘアが映える美少年。目つきはなんとも優しげで、翠の色が余計に向き合う相手の警戒心を解く。

 印象としてはこんなところだろうか。

 

「いまいち、威厳は感じられないでしょうが」


 そう申して指が差したのは、制服の左の胸元。

 そこには確かな生徒会の証――生徒らの想いを一手に乗せし武器『希望の剣』の紋章があった。続けて視線が奪われたのは、そのすぐ横。「会長」と記された腕章。

 偽物でも、幻想でもない。

 彼が、彼こそが。

 強豪ひしめく数多の教育機関の中でも“絶対王者”と謳われる、聖鎧学園の生徒会長なのだ。

 言うように威厳は感じられないが、それでもこのような立場に上れる相応の「徳」は感じられた。


「それで、本日のご用件は?」

「ああ、そうだ――」


 裏返した掌を遊ばせる呉鶴の問いかけで、当初の目的を思い出す。

 羽々斬はテーブルに鎮座するマグカップを手にとって、中の液体を一気に胃へと流しこんだ。湯気にくすぐられた目を、そっと閉じる。

 そして質問をいくつかに分けて行った。

 一に、『紡羽真鶸という生徒を知らないか』。

 二に、『今現在そちらで捜索している生徒はいないか』。

 三に、『風紀委員から何か聞いてはいないか』。

 これだけ問えば、一つは答えが出るはずだ。そして一つでも出れば、それは十分な手掛かりとなり得る。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる――そう信じて疑わなかった。

 

「申し訳ない」

「ファッ!?」


 その根拠のない信用が、たやすく裏切られるとも知らずに。

 小さな希望が、大きな音を立てて崩れ去った瞬間である。

 見当外れも外れ、いいところ。返答はすべて一纏めに「いいえ」で済まされてしまった。深々と頭を下げられても、余計に虚しくなるだけというに。

 

「せっかく来ていただいたのに、何のご協力もできませんで……」

「くっそ、全滅かよ……」

「よろしければ、方舟管理運営局に問い合わせてみましょうか?」

「いやあ、それじゃあダメなんですよ、それじゃあ」


 鬱々しく卓上に突っ伏した羽々斬だが、呉鶴の口は提案をやめない。


「でしたら、何か有力な情報を得た時等に連絡する、というのはいかがでしょう」

「おお、それは名案――っつか、ココアがもう一杯出てきたんですが」


 急な会話のすり替えは、手元に再度出されたココアのせいだと云っておく。

 視線をぴたりと貼りつけて、会話が続く。


「おや、おかわりは要りませんか?」

「いや、だって、もう帰るし……」

「ご予定がおありで?」

「いや、別にそういう訳でも」

「でしたら、お飲みになってから帰ってもよろしいのでは? 今日は代表戦に向けたトレーニング故、他の役員もいないことですし」

「あー、でもなあ……」


 せっかくの好意にも言い淀み、答えを濁す羽々斬だが。


「いやあぶっちゃけ、一人でいるのは寂しいんですよ」


 漏れた相手の本音で、考えるのをやめた。




 世間話、無駄話、与太話――細切れの種々雑多な話題を乱雑無章に繋いで、一体どれくらい経ったろう。

 カタカタ、とリズミカルにキーを叩く音をBGMに、長々と居座っていた。

 ココアをちびりちびりと飲み、窓から見える橙に染まったグラウンドに横目を落とす。

 たまに聞こえてくるのは、部活動にいそしむ少年少女らの逞しき掛け声。

 生徒数の多い学校は、放課後も活気にあふれていた。


「ときに、聖鎧へはどういった動機で入学されたので?」

「うん?」

「単なる個人的興味です」


 神出鬼没な質問に戸惑わぬようそう補足して、気を利かせる呉鶴。外見を裏切らぬ優等生ぶりが窺える。

 先ほどからノートパソコンで何らかの作業をしているようだが、大方生徒会の仕事であろう。となれば、羽々斬にも知ったことではないわけで。

 少し顎に手を当てて思いめぐらせた後、応答する。


「『保有SPの高さに惹かれて』――ってのは、少しばかりオブラートに包んだ方が良い表現ですかね」

「いえ、上々です」

「すんませんね、自分に正直なもんで」

「結構ですよ。間違いなく賢い選択なので、寧ろ好感を持ちます」


『保有SPで志望校を決める』――何も珍しくない話。

 なぜなら、所属校の保有SPで自身の生活は左右されるから。

 運営費と直結するそれは学習環境にも大きく影響を与えるためにとても重要視され、中には偏差値すら度外視で、絶望的な選択を取る者だっている。

 身近なものでは、学食のメニューに影響が出る。今日まで五品食べられていた定食が、明日からは三品に減る可能性だってある。今日まで三九八円だった天ぷらそばが、明日から四九八円に値上げされる可能性だって否定できない。

 設備面も然り。

 プールの無い学校、図書館の無い学校、果ては体育館の無い学校。低SP校にはこんなことだって大いにあり得る。

 おまけに島内では一定値以上のSPでなければ利用できない施設まで存在している。

 所属校の格差は、生徒間のいじめや差別を助長するには十分な材料だ。

 皆それを知るが故に、充実した学校生活を送りたくて高SPの学校を目指すのだ。

 そしてそれが方舟の住人のステータスにもなるため、尚更志望者が増える。

 聖鎧の志願倍率が毎年凄まじい数値になるのは、そういう理由が大半を占めている。

 次には「それに」という発話が続く。


「“絶対王者”を名乗る学校である以上、『その威光に縋ろうとする人がいる』という事実はとうの昔に承知済みです」

「手厳しいこって……」


 なにとない一言でも、その言いまわしは彼から返す言葉を奪い去る。

 視線の逃げ場にした窓に、面杖をつく自分が不意に映る。超えた先には鳩が羽ばたいていたが――追いつけそうもないので、見るのをやめた。


「ドライなだけですよ」

「というと?」

「『この世界の掟が変わらない限り、強者の権威を笠に着る人間が増え続けるのは仕方がない』……と、割り切っているということです」

「優勝劣敗の法則――」


 ある時を境に音の生産を中止したPCは、やがて持ち主に閉ざされる。

 その向こうにあったのは、なんとも言い難い表情……羽々斬がそこから無理に読み取った感情は『哀』だった。


「力なき者はどこまでも落ち、力ある者は延々と上がり続け――終いには強者だけが生き残り、弱者はその糧となり果てる。シンプルにして明快な、実力が絶対の生存競争」

「不満、っすか」

「この掟に則している存在として、矛盾しています。しかしそうわかっていつつも――――やはり短絡的で好きにはなれません」

「それはそれは。同意見です」

「こんな世界だからこそ、『せめて自分の居場所だけは良いものにしよう』と考え、生徒会になったはずなんですがね」

「……………………」

「確かに居場所は良くなりましたが、今度は居心地が悪くなったような気がします」


 空になったカップが、寂しげにびよんと影を伸ばす。

 それは組み合わせた羽々斬の腕に絡みついて、捉えた。

 不承不承にその位置をずらして影を追い払う合間に見えた、夕明りを帯びた呉鶴の横顔は――虚しく綻んでいた。 



『いつかは、SP以外を目当てに聖鎧へ入学した生徒を見てみたいものです』



 羽々斬は先ほど、呉鶴との別れ際に聞いた言葉を反芻する。

 真鶸に関連する収穫はなかったが――「上に立つ者」の苦悩というものは、わかった気がする。それで無駄な時間の消費を贖えるか、といえばまだ疑問符こそ付くが。

 学生街は夕暮れ時であるにも拘わらず、未だ元気だ。

 ちょうど学校が終わる時間帯、寧ろ混まない道理はない。

 賑やかに地を往く学生たちは、その千差万別な制服で道をカラフルに彩った。

 足場を塗り固める厚ぼったいコンクリは、無慈悲に雑踏に踏み倒され、無遠慮な喧騒を浴びせられ、実につらそうだ。

 無数の街灯は夜とも夕方とも云えない中途半端な時間に点くべきか、点かぬべきか迷っているようにも見えて。

 羽々斬がうごめく人波に揺られ、辿りついたのは広場だった。

 中心には噴水が陣取り、街路樹は集中している。並び立つベンチの一つに腰を下ろすと、「よっこらせ」と、年齢不相応な一息をついた。

 方舟第九エリア――通称『九区』。

 主に商業ビルや娯楽施設が密集し、エリア単位で『遊戯』を目的としたエリア。まず一日ではすべて回りきれず、勉学や戦闘に追われる学生のストレス発散に一役買っている。

 また、ここを目的に方舟へと転居するものすらおり、ときに「都市型立体遊園地」とも呼ばれ、住人からは重宝されている。

 羽々斬は少し前のめりになり、取り出したVS-Driveを覗きこむ。

 タッチ操作で何度自分のSPを確認すれども、その数値は変動しない。真鶸以上に、もっともっと解決すべき問題はあった――。


「お前、78ptってこれ――」


 自虐気味な笑みを浮かべた後に落胆し、額を手で覆った。

 高校一年生が78円で何ができるか。そんなものはたかが知れている。

 争って勝ち取ろうにも、致命的実力不足が決断の邪魔をする。

 追い討ちをかけるように、空きっ腹が大きく鳴いた。

 ただただ焦燥に駆り立てられる。どうしたものか――。


「……ん?」


 そんなことを考えているうち、『あなたの近くで戦闘が行われています』という電子メッセージが流れる。最寄りで行われている戦闘の通知だった。

 指を画面上でスライドさせ、下へ下へとスクロールする。

 同時に立ち上がり、携帯に意識を向けながら足を進めた。

 すると、


「あれか」

「間違いなさそうだ」


 ほどほどの人だかりにぶつかる羽々斬。

 それに気付き、顔を上げた。


「ぐ、う……」


 次の瞬間には、羽々斬は眉をひそめていた。

 憐れむつもりは毛頭なかったが、目の前に広がる光景があまりに痛々しかったものだから――自然と表情を歪めてしまった。

 それは彼だけではなく、彼の周囲でビジョンを共有している者達も同じ。

 先――脆い人垣の向こうで転がる、血と痣にまみれた少年。

 酷く損傷し、赤く濡れた肌を露出させる学生服が、その苛烈なダメージを物語る。

 少年は痛みに呻き、「げほっ、げほっ」と相好を歪めたまま咳き込んだ。直後、口からは血の塊がひり出される。


「おい、これはちょっと」

「酷過ぎやしないか……」


 見物人が、目にした惨状にそう呟いた。

『戦闘だから傷ついて当然』『また治してもらえばいい』――――そういう問題では、ない。

 方舟で行われる戦闘の敗北条件は、十手一絡げに『戦闘不能に陥る』こと。つまり立ち上がることのできなくなった者が、所持するVS-Driveより自動的に判断にされ、そこで認められて初めて「敗北」という事象が成立するのだ。

 逆を言えば立ち上がれる限り、如何なる損傷を受けていようとも「敗北」とは見なされず、戦闘は継続される。

 血の垂れた鼻を、みっともなく両手で押さえる少年――彼からはもう、戦意など感じられない。それどころか目を潤ませるほど、メンタルに傷がついている。

 しかしそれでもまだ立ち上がれるため、戦闘は終了しない。

 いや、


『終了させてもらえない』


 といった表現が適当だろうか。

 なぜなら『故意的に相手がとどめを刺さない』せいで、彼は今も『立ててしまっている』のだから。

 嬲り殺し。悪意的にして、一方的。「著しくモラルを欠いた行為の末の展開」だというのは、誰の目から見ても明白だった。

 彼に歩み寄る人影が三つ。いずれも男。一人は金棒を、もう一人は『ククリ』と呼ばれる曲がった刀身が特徴の短刀を、最後の一人は拳銃を、それぞれ持っていた。

 制服は皆共通して、銀地に青のラインが入った詰襟タイプのもの。


皇之木(おうのぎ)学園……」


 皇之木学園。

 それが、悪意の根源たる三人の生徒が所属する教育機関の名前であった。

 高ポイント好成績で、代表戦でも幾度となく王者聖鎧とぶつかり合い、勝ちとはいかずも引き分けてきた強豪校の一つに数えられる。


「おーいおい、まだ立てるだろう?」

「う、ぁ……ひ……」

「おら、へばってんじゃねえよ」

「もう、やだ……、やだァ……」


 皇之木生の一人が不気味なうすら笑いを作ってそう言うと、脇にいた二人がうずくまる少年を抱え上げた。

 少年は白目を大きくし、首を横に振る。そして悲痛な願いを舌に乗せ、消え入りそうな声を詰まらせつつも打ち出す。


「お願いします……、もう、やめてください……」

「えぇぇえ? まだ戦いは終わってないけどなあぁー?」

「ポイン、トは、差し上げます……」

「悪い、もう一回言ってくれないか」

「ぽ、ポイントはっ、差し上げます! だから――!」


 必死に、懇願するように。


「ははは、当たり前ェだろそんなモン」

「ご――――――――ッ!!!」


 されど蹂躙は続く。

 腹部からどかり、と鈍い音が鳴る。金棒が骨を打ち鳴らし、筋肉を叩き潰した。

 声にならない声に代わり、彼の肉体が差し出したのはさらなる血液。涙漬けの血眼がむき出しになったのを合図に、皇之木生らは暴行をエスカレートさせる。


「なーに言っちゃってんだァ? テメーらみてぇな低ポイントクソ無名校の生徒が、オレらにSP献上すんのは当然の事なんだよ! 勘違いしてんじゃねェぞゴミクズ野郎がァ!!」

「もうや゛め゛……ぐえっ、う゛ふっ!」


 まるでサンドバッグを扱うかのようなたこ殴り。下衆さながらの、品行の欠片もない高笑いが響き渡る。

 皇之木生らが一撃を加えるたび、少年は赤と黒がちょうど半々に混じった体液を撒き散らした。

 一人の人間が腕の自由を制限されたまま、発話さえ許されずに殴られ続ける様子は――『リンチ』以外のなんでもない。またそれを嬉々として行う彼らは、周囲から外道を疑われても仕方がないだろう。

 そしてそんなリンチだが、外野は誰一人としてVS-Driveを持って戦闘に乱入しようとはしなかった。 

 誰もが蚊帳の外から見物し、たまにしようもない発言を残すだけ。


「おい、誰か行ってやれよ……」

「え、嫌だよ、勝てねえもん」

「うちの学校、皇之木よりランク下だしな」

「低ラン校はこれがあるからなあ」

「つーか、誰かいないの? 勝てそうなやつとかさあ」


 皆が要らんごたくを並べ、二の足も三の足も踏んでいる。

 誰も助けない。

 同じく遠巻きに事を見つめる羽々斬は、『それが自然だろう』と、自分を擁護するかのごとき言葉を内心で言いたてた。

 これこそ優勝劣敗の法則。

 弱者は強者に食われ、強者はさらに己にとって住み良い世界を作り上げる。そうして弱者を迫害、淘汰し、場所も物も自由も――すべて奪い取る。

 ここにいる総ての者たちは、それが摂理だと理解しているからこそ己が手は下さない。

 弱者は明日は我が身と震えあがり、強者は明日の獲物を探して回る――あっという間に理不尽の出来上がりだ。

 しかし、稀に――。

 本当に稀に、


「…………ッ」


 摂理に手を出そうとする、理不尽に逆らわんとする、そんな馬鹿がいる。

 羽々斬は、同じ人ごみの中に居る少女の存在に気付く。

 クリーム色で長いストレートヘアは、腰辺りまであった。制服は知らない学校のもので、およそ学生とは思えぬ大人びた女性の体つき――。

 彼女は震える手で、赤のVS-Driveをぐっと握りしめていた。そして実に歯がゆそうな面持ちで、虐げられる少年を見つめている。

 羽々斬が彼女へ軽蔑のような、羨望のような曖昧な眼差しを送った。


「か、は……」

「おい、ククリ貸してくれや」

「おうさ」

「へ……?」

「お、らよッ!」

「な、なにして……!」


 終わったかと思えば、次に男子は仲間よりククリを借り受け、少年のぼろきれとなった制服を切り刻んで背中を露出させた。

 項垂れていた少年が、背中に当たったひんやりとした感覚で再び顔を上げる。直後に駆けた鈍痛。背を伝う生温かさで瞬時に認識する。

 ――ククリが、背中に突きつけられてる。


「なに、って……俺らがテメェをボコッた証を刻んでやんだよ」

「またの名を家畜の証ってな。こっ恥ずかしいマーク掘ってやんよ」

「い、いやだ! それだけはいやだ! 本当にやめてください!」

「家畜に拒否権なんざあるか。はじめるぞー」

「本当に……やめ、て……………ーーっ……」


 絞り出した拒否も虚しく、少年の涙腺がついに決壊した。時を同じくして心も崩れ去る。溜めこんだ我慢が、一気に涙として支払われた。

 大粒の雫を、ぼろぼろとこぼす。その様相を見て、尚も笑い続ける皇之木生達。

 蝕む痛みではなく、正当化される理不尽に泣く。

 何故、自分がこんな目に遭うのか。少年はその考えばかりが先を越して、拒むことすらやめてしまった。

 無情な銀の切っ先が、彼の薄い肉を穿ち始める。

 石榴色の液体が、ジュースのようにコンクリへと流れ落ちた。激痛を感じても声すらでなくなった。


「――もうおやめなさい!」

「あン?」


 その時だった。一声が注目を集める。

 先ほどの少女が、無謀にも人のバリケードを越えて前に出てしまったのだ。ふわりと通った甘い匂いで、羽々斬も気付いた。

 見物人らが息を飲む。

 少女は走る緊張も露知らず、拘束された少年へと一目散に駆け寄った。

 そして「大丈夫ですか」と問いかける。


「この方は、もう戦えません。あなた方の仕打ちは、そのような相手に対して行うものではないでしょう」


 声を震わせ少しの冷や汗を流しながらも、態度を一貫させて皇之木生らを真正面から糾弾する少女。

 どよめきの中、羽々斬は尚も静観する。


「なんだよ、まだ戦闘は終わってねーが?」

「彼の戦意はもう喪失しています! そのようなことも理解できないのですか、強豪・皇之木の生徒ともあろうものが!」


 ついに、気に障ったのだろう。

 語気を強めた少女は腕を引っ掴まれ、折り曲げられて、そのまま体ごと地に組み伏せられた。その上に、一人の男子がのしかかる。

「きゃう」という、弱々しい声音が落ちた。すると一転、彼女の自由を奪われた体が震え始める。

 やはり彼女も弱き者だ。この世界を恐れている。


「は、離しなさい……!」

「あーあ、怖いのに無理しちゃってよぉ。アンタみたいのはこの世界じゃ損するぜ?」

「黙りなさいっ……」

「いけねえなァ――こういう環境に適応できないヤツは、洗礼を受けることになっちまうがァ……?」


 蛮声が、蛮勇な少女の耳元を卑しくくすぐった。

 だがそれでも、恐怖に屈しない。まだ、饒舌に言葉を紡いだ。


「風紀委員に……通報します」

「ほうほう? すりゃあいいだろう。尤もこっちが申込(アタック)して戦闘に入った後で起こった事を――取り締まれればいいがなあ?」

拒否(レイズ)に決まっているでしょう」


 すぐ後、自分へ下卑た笑みを向ける三人の意図を、少女は理解できなかった。


「……まぁ、いいや」

「理解しましたか……解放なさい」

「よかったなあ、クソ家畜。この女のおかげで助かったんだぜ」


 そして、理解できないまま――。


「――――テメェの身代わりになった、愛玩動物のおかげでなァ!!」

「な――――!?」


 制服をズタズタに裂かれる事になる。


「きゃあああああああっ!?」


 これを皮切りに男子らは「眼中にない」と言わんばかりに、傷だらけの少年を放り投げる。

 次にその手が押さえるは、彼女の豊満な肉体。

 既に下着が見えており、その下着すら現在進行形で脱がされようとしている。

 少女は精一杯に華奢な体をよじって抵抗を試みるも、さらに強い力で上から抑え込まれた。


「あなたたち、絶対に許しません……!」

「ははははは! 強気だねー、強気だねェー!?」


 ビリリ。とは、ククリが少女の下着を裂いた音。

 胸元の立派な果実――母性の象徴が、ぷるりと揺れて露になる。男達は望んでもいない歓声を上げ、弄ばんと手を伸ばした。

 口を結び、目をぎゅっと閉じて、少女が身勝手な蹂躙をこらえる。


「いいこと教えてやる」

「……要りません」

「まあそう言うな」

「っ?」

「オレ達は三人。で、戦闘の申し込みを連続で拒否できるのは二回が限界」

「あ――」


 見開いた目が、一瞬にして潤んでいくのがわかった。

 下がる体温は外気のせいじゃない。

 紛れもない、恐怖のせいだった。仰向けの体を起こそうとするも、もう遅い――下賤な御手は下腹部を覆い隠す布にまで至っていた。


「だ、誰か通報を! 今なら、今ならまだ――!」


 少女の上ずった声だけが、ただただ虚しく響く。誰一人としてそのSOSを聞き入れず、我が身かわいさに精いっぱい目を逸らした。

 人間の薄情さでその身を余計に冷やす。怒りで誤魔化した恐怖が、一気に放し飼いとなった。

 最後には「やめて」も言えぬまま、目を伏し――仰向けで映る夕空を、乱してしまった。


「オレたち皇之木をわざわざ敵に回そうとする大馬鹿なんて、いねえよ」

「いや…………」

「ははっ、公衆の面前で可愛がってやらァ……愛玩動物にはお似合いだ、なっ!」

「ーーーー~~~~っ……」


 悔し泣き。

『取るに足らない存在でも、何かを変えられる』

 彼女は、そう思っていた。

 せっかく勇気を振り絞ったのに。

 助けられなくて。自分が無力で。あまりに弱くて。情けない。

 最後にはやっぱり虐げらてしまう。

 もはや彼女は、悔やむ事しかできなかった。

 醜い笑声に包まれてさめざめと泣く顔は、とても悲痛で。「結局はこうなるのか」――口元がそんな事を、囁いた気がした。

 そして終いに、

  

「助、けて――」


 何にも届かぬか細い声で、そう洩らした。

 その刹那。


「ごぁっ――!?」


 ――――一人の皇之木生が、彼女の視界より弾き飛んだ。

 極めて短い悲鳴が耳朶を打つのはあまりに瞬間的で、少女は少しの間だけ思考を停止した。


「な、に……?」


 再起動を終えた脳が最初に出した言葉は、これ。

 涙で満足に見えなくなった目をまばたきでリセットしてみると、そこにいたのは竹刀を持った少年。

 どうやら今しがたの皇之木生は、彼に顔面を殴り飛ばされたようだった。見事に気を失っている。

 そして少年は続けざまに、彼女を押さえつける二人を叩き飛ばす。ほどよい長さの黒髪が、大きな風に揺らいだ。


「よォ無事かい、お嬢さん」

「は――――」


 神か、仏か。

 眼前の聖鎧生を何と錯覚したかは知らないが、抑圧した感情を吐き散らすように号泣する少女。

 涙を枯らさぬように、解放された両手は顔を覆う。

 さぞ怖かったろうに。辛かったろうに。いくら鈍い少年でも、ここで彼女の心情を汲み取れないほどのうすらとんかちではない。


「……っぃう……く……」

「これ着て、すぐ逃げろ」


 上着を羽織らせてやると、何度も頷く少女。

 誰にも届かないはずの声を、掬い上げる人間がいる。拾い上げる人間がいる。

 摂理など関係なしに。立場など関係なしに。

 その人間は冷徹なポーズを決めても長続きせず、恰好つけてもどこか様にならない――誰よりも不器用な、そんな人。

 優勝劣敗などくそくらえ。結局は間違いを間違いと指摘せねば気が済まない、愚か者。


「よくやった――あとは任せな」


 ――最後まで己を貫く、大馬鹿者がここにいる。


「ちっ、いいところを……」

「テメェ、邪魔しやがって!」

「邪魔なんてつれねーこと言わねぇで、俺も混ぜろよ」


 そうこうしているうちにむくり、と起き上がる二人が、唸りつつ各々の武器を構えた。

 竹刀もまた、罵声を流して振り上げられる。

 挑発。歯を見せびらかす小憎らしい破顔。

 手をひらひら左右に揺するアクションも相まって、憎たらしさは何倍にも膨れ上がるというもの。


「しかしアレだな……おたくら皇之木って、弱い者いじめを推奨してるんだな」

「ぬかせよ!」

「勝者は何をやってもいい。ここはそういう場所だろうが?」

「……じゃあテメーら、俺に負けて何されても文句言うなよ」


 反目する双方を囲うギャラリーは、未だに忙しく騒ぎ続ける。

 竹刀が派手に風を切った。決闘を置いて沈みゆく夕陽はなんとも口惜しそうで。


「ブッ潰す……!」

「たんまりポイント落としてってもらうぜ、クソ野郎共!」


 人にも掟にも縛られぬ大馬鹿者は、時として誰かの本当の希望となる――。

 彼こそが本物の飼い慣らせぬ者(サベイジ)だと、彼自身が、今ここで証す。

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