Game.04 悠久なる潔壁
二人の少年が、同時に駆け出した。
目標、正面。道玄坂。陽に揺らめく塔。
一歩一歩、確実に地を踏みしめて接近する。
眼前で身構える二メートル超過の巨躯に怯まない者など、極めて限られる事だろう。そして残念ながら、彼らはその限られた者達の枠内ではなくて。
だが、立ち止まる暇はどこにもない。
見物人達に発破をかけられたのもあるが、何よりも――。
攻撃の隙を与えてはならない。
無意識下で、羽々斬と夜暗の思考は一致していた。
身構える道玄坂との距離を十分に詰めたところで、二人は各々の武器を精いっぱいに振りかぶり、スイングする。
「ご挨拶に、まず一発――!!」
空を「びゅっ」と切り裂いて、左右から巨体を襲う竹刀と双剣。先制攻撃。電光石火。
的は大きい――外さない。
『ガキンッ』
確かに、手応えは感じた。
竹刀で左腕を打って、双剣で右腕を切りつけた振動は、今も掌に残ってる。
「威勢のいい後輩だ」
「……!?」
凡そ人体からは決して発されないであろう乾いた音が、二人の耳朶を打つ。
それから何が起こったか伝わるのは、とても早かった。
「できるだけ後輩を立てようとは思ったが」
道玄坂の全身が、青銀色の装甲に包まれていく。
ゆっくりと体表を浸食する外骨格は、やがて四肢の先にまで及び、道玄坂の姿を完全に覆い隠してしまった。
次の瞬間、鎧を伴って増した重量で、彼の体がスタジアムの床にわずかに沈む。足がめり込むと、ひび割れる地面。
彼が、何故攻撃を回避しなかったのか。
「どうやら、本当に難しいらしいな――」
回避する必要がなかったからだ。
「はは、おいおい……冗談だろ……!」
紅蓮に輝く瞳が、苦笑し愕然とする羽々斬を捉える。
鋼鉄と化した右腕は強引に双剣をいなし、羽々斬へと一直線に向かった。
拳が風を巻き込み、全力で彼の腹を殴りつける。
「がっ――!!」
しかし、数瞬でその間に挟んだ竹刀により、紙一重で防いで見せた。
衝撃までは防ぎきれなかったようで、羽々斬は数メートル先まで殴り飛ばされる。背を打ち、手を付き、足を引きずって、擦り傷を作りながら転がっていく。
「よそ見しないでください、よっ!!」
それを悠然と眺める巨体の背後で大きく跳躍し、双子のような二本の剣を滑らせる夜暗。
二度目も、やはり刃は通らない。それを改めて理解した夜暗は、返された手刀を海老反りで避けて、着地後にバック転で距離を取った。
「参ったねぇ――、羽々斬くん、喧嘩売る相手を間違えたんじゃないのかな」
「……………………」
夜暗が見つめる相手は半身に構え、己を挟んで向き合う二人を目敏く監視する。
「いいぞ、もっとやれ!」「いけ、道玄坂!」「負けるな夜暗!」「羽々斬、立て!」
会場の興奮は、まだ冷めそうにない。
「さて……どうするね、お二人さん」
客席で、そんな独り言を漏らした鵜飼。
喧騒をものともせずに、腕を組み合わせてテストの模様をひたすらに見守る。
能力名“悠久なる潔壁”。
自分の表皮を、ダイヤモンドすら超える硬度を持つ外骨格へと変質させる。
潔い壁は、何人にも侵されることがなかった証拠。そしてこれからも、侵されることはないだろう――。
付けられた聖盾の異名が、余計にそう思わせる。
「聖鎧学園無敗伝説の立役者の一人さね、簡単に勝てると思わない方がイイよ……」
頬杖は、沈む頭を支えた。
「ってぇなこの野郎……」
鈍く痛む腹を押さえながら、羽々斬は立ち上がる。その足取りは実に心許ない。
上げた相好は、道玄坂に向く。
夕映えする蒼白の壁は、
「ごめんな。ポイントが懸かってるとあっちゃ、こっちも加減はしてやれない」
依然、穏やかな声音でそう言う。
「代わりに、そっちも手加減はするな」
「簡単に言ってんじゃねえ、これでガチだっつの!」
「はは、そっか。わりわり」
嫌みか、とも思ったが、どうやら立ち振る舞いからそういう訳でもないようだ。
夜暗は、光と音を振りまくモニターを一瞥した。
残り時間、五七分四五秒。
(どうする、時間切れを狙うか?)
モノローグでの言葉は、相手に聞こえない。それをいいことに思考を巡らせる。
(勝利を修めるのは難しい――ならせめて、負けを防ぐ戦いをした方が……)
タイムアップの場合、そこで戦闘は強制終了する。SPの計算は行われず、従って増減もない。
勝機を見出せない者は、時間を稼いで切れるまで引き延ばす『守る戦い』をするのが賢いといえるだろう。
(いや、まだ三分も経ってない。早計か)
「何か、考え事か?」
「ばか、ボケっとしてんじゃねえ!!」
「!」
少しの意識の分散が、相手へ好機を与えてしまった。
相方の声で集中を取り戻した夜暗の目と鼻の先には、殴りかかる道玄坂の姿が。
素早く体をひねり、片方の剣で渾身の右ストレートを受け流す。すると、金属と鋼の肌がこすれ合い、激しい火花が散る。
そうして、空いているもう一方の手は剣と共に前へ出た。
鋭利な切っ先が狙うは――。
「首関節か、やるな!」
「くっ!」
惜しい。
数センチのずれが、鎧を掠める結果と相成った。
放り出された腕は広い手に掴まれ、重機じみた怪力で繰られる。夜暗が浮き上がる自分の体を認識できたのは、少しのインターバルを挟んでからのことだった。
一瞬、目に見える全てがダウンサイジングする――。
「っは……!」
浮遊感を振り払い、呼吸を一気に吐き出しながら受け身を取り、地面と再度雑に挨拶を交わす。
引き続き双剣を構える隣には、羽々斬が。
「なんだ、飛ばされてきたのか……」
「一発だけで何へばってるんだよ」
「まだやれる」
「策はあるかい?」
夜暗に訊ねられた羽々斬は、肘を指さす。
彼は勘が良く「関節」と読み取った。ついさっきに狙ったものでもあるから。
頷く羽々斬は、話を続ける。
「幸い、あの鎧を身に纏う能力は重量も増して動きも鈍る。関節も狙いやす――」
が。
夜暗を投げた道玄坂は間髪容れず、突撃を仕掛けたのだ。早口の話すら許さずに。
頑丈で砲弾のような肉体が、地面をぼこぼこに破壊して突っ込んできた。一部が角ばった恰好なためか空気抵抗は多いが、「そんなものは知らん」と言わんばかりの猛スピードでタックルを試みる。
強大な足音が危険を伝える。振られた両腕は風を割り、輝く双眸は二人をロックオンして離さない。
「ッ!!!」
二手に散開して凌いだ羽々斬と夜暗だが、その足は大きくもつれた。
風はバランスを乱すだけに飽き足らず、転倒まで呼び寄せる。
背後――つまり通った方向から、程なくして鳴る凄まじい轟音。ざわめく客席。
――スタジアムの壁の一部が、タックルによって粉砕された音だった。
「……!?」
「笑うしかないね……」
戦慄。崩壊する。撒き散らされた瓦礫――。
その様たるや、「木端微塵」と言う表現が何よりもおあつらえ向きで、相応しくて。
立ち込める粉塵の中、真っ赤に灯る双光――――それが捉える標的は変わらない。
「――誰の動きが鈍るって?」
肘や膝に首等、全ての関節から勢いよく発された蒸気は、運動によって体内に溜まった熱そのもの。
ブシュー、と吹き出て、濃霧のような粉塵を晴らした。
「不思議だね……、勝てる気がしねェよ」
認識が甘かった。
『無能力でも、二人ならば』。少しでもそう思った事を後悔する。
「それでも、やるしかないでしょ」
けれども、賽が投げられた以上は止まらないから。
二人は、汗ばんだ手で改めて武器を握りしめ、道玄坂へと立ち向かう。
残り時間が三〇分を切った頃。
彼らは、まだ持ちこたえていた。
消耗しつつも、しぶとく逃げ回って。
先ほどから刃が銀の半月を描く都度、スパークが疾走する。
隙を見つけ次第、関節を狙って攻撃を加える。ダメならば再び距離を取って、隙を待つ。一撃離脱の繰り返し。
「はぁっ!!」
狙った肘関節。またしても上腕の装甲に剣が入る。夜暗は空回った斬撃だけを置いてけぼりに、すり抜けるように通り過ぎた。
隙自体は、相手が守りに徹しない以上は存外見つかる。問題なのは悉く攻撃が通らないこと。
「いつまでも!」
即座に前の地を蹴った道玄坂が、夜暗を捕まえんとする。捕縛のために伸びる手は龍のように酷く暴れ、迫る指は牙を思わせる。
「ぜあッ!」
邪魔立ての羽々斬が横から降り下ろした竹刀は、それを叩き落とした。
また出来た隙で、夜暗は通り過ぎざまに手早い一撃。だが手応えはなし。
忙しなく動き回る二人を見逃さず、且つ反撃に走る道玄坂も、大したものだといえるだろう。
きょろきょろと首を動かしながら、彼は言う。
「諦めろ! 動く相手に対し、狙った場所に攻撃を叩き込むなんざ不可能だ!」
「やってみなきゃわかんねーよ! 少し待っとけ!」
完全なる膠着状態に、客席はようやく静まり始めた。
「……もしかして時間切れ狙いか?」
「つまんね、帰るか」
大衆は踊らされ、帰る者もぽつぽつと現れる。
人口密度が薄まったせいか、心なしか気温も下がった気がした。
「わかってないねぇ」
その様子を横目で確認し、一言。
なぜなら鵜飼には、少なくとも二人が保守的な戦況を展開してるようには見えなかったから。
いや寧ろ、虎視眈眈と獲物を狩る機会を窺う、狩人にさえ見えている。
冷たくも、闘志の宿った目が光の尾を引いた。
本格的に日没も近づき、スタジアムの一部には影がかかる。
ひゅん、とほの暗き闇より出でし瓦礫は、道玄坂が投げつけたものだ。切れ切れの息でも、対応して見せた。
重く置かれた足に、無くなりかけの集中力が応える。擦り傷がずきずき痛む。酷使した体はついに悲鳴を上げた。蓄積ダメージは着実に肉体に現れ始める。
限界を悟ったか、揃いも揃ってボロボロの二人は、ほんの僅かなアイコンタクトを取った。
まだ、期が熟したわけではない――誰が見ても判る。
だが、これ以上の長期戦で二人の勝ち筋が消え失せることになるのも、また素人目から理解できる。
“万事休す”なんて、言えまいに。
形勢は予断を許してはくれない。
「やるんだね?」
「やるも何も……ここで決めねーと終わりだろ、こりゃあ」
頷いた夜暗は、一縷の望みをかけた刃に、己が顔を映し出した。
(……仕掛けてくるか)
訪れた沈黙の意味が読み取れないほど、道玄坂も鈍くはない。
左足を前に出し、拳を肩より上へ。
迎撃の姿勢を取ると、羽々斬が袖で口元の血を拭った。刻一刻と迫る決着に、二人はひたすら心の準備を整える。
「……………………」
滞留する煙が消え失せた。しおれたリンゴのような死にかけの太陽は、よりいっそう強く煌めいた。
拓けた視界が道を作ったその先へ、羽々斬は走り出す。
それを合図に夜暗も続いた。
「!」
言葉は要らない――。
さらに腰を低める道玄坂に、二人は襲いかかった。
一歩、前へ。横へ一閃する手甲も、屈んでかわせ。先行する羽々斬は、捨て身で彼の懐へと躍り出る。
「さっきのお返しだ、くらいやがれ!」
一旦引いた竹刀が、反撃や反応よりも速くに相手の顎を突き上げた。
打突しかできないからといって、使いものにならない訳ではない。確かに決定打は刃にひけを取ることだろう。
しかし牽制には十分。おまけに顎を激しく打つことで頭が揺れ、脳震蘯を起こすことにも期待が持てる。蟹や海老とて、殻の奥は柔らかい。人間とて変わりはないはずだ。
鋭く響く小さな炸裂音が、聴覚を通して確かなダメージの入りを教えた。後退した足がもっとめり込んだのは、思わず起きたノックバックの所為だ。
「ぐッ!!」
さしもの二メートル一〇センチも、滝登りさながらの耐えがたき衝撃に体が揺れる――も。
「やったか」と相手の状態を確認した羽々斬ではあるが、既に世界はひっくり返されていた。
ドン、と叩きつけられた彼を、人影が越えていく。
続く夜暗が跳び上がり、インターバルもなしに、夕陽を背に幹竹割りで襲いかかる。
「波状攻撃……!」
「ザッツライト第二波! てこずらせてくれましたね、先輩!」
息を詰まらせ目を見張る道玄坂は、羽々斬を投げで制した直後故に、体勢は変えられない。よって反撃も出来ない。
――――倒せる。
日の下にまざまざと晒される肉体を屠るのみ。着地と同時、甲冑の隙間を突き刺す要領で、二本の剣がこの機敏な運動の元を断つ。
むき出しの右肘から、出血。
「もう一発!」
構え、次に切り裂かんとするは左肘。
「――――!!」
『これで終わりだ』
誰もが、そう信じて疑わなかったと、思う。
客席も言わずもがな、今まさに刃を振りかざす夜暗も。羽々斬だってそうだ。
伸るか反るかの大博打を勝ち抜いて、夕飯は獲得したSPで豪勢な食事を――なんて、気の早い些か遅めの白昼夢を見ていたぐらいだ。
唾を飲み込み、確信と一緒に飲み下した。
その後のことだ。
ブシュウウウウウウウウウ!!
高温の蒸気が、装甲の隙間から大量に排出される。
発散された体熱はそのまま彼の目を攻撃し、肌に強烈な痛みを与えた。
「しまっ……!」
「放熱を忘れた、お前らのミスだ」
むせ返る中で、失念していた事を思い出す。
体内の冷却だ。
放熱そのものも然ることながら、これを攻撃に転用するとは考えもしなかった。敵方が一枚も二枚も上手だったということか。
「~~~~~~~~!」
垂らした冷や汗も瞬間的に温まり、夜暗が忌々しげに唸る。
あと数センチだった剣を左肘に届けられぬまま、吹き飛ばされる持ち主。刃が虚しく転げ落ちた。
「まだ」
すぐにそう叫んで再び起き上った夜暗だったが、すぐ目の前には道玄坂がそびえ立っていた――。
夜暗は手に取った剣をそっと置いて、羽々斬を見やる。灰色の瓦礫の山に横たわり、静かに首を振るのを確認して。
ここ一番に騒く大衆の手前、諦観と一緒に蹴りを享受した。
「いたいぃぃぃぃぃい!!」
「うっせーんだよヴォケ!」
「男なら、我慢するさね」
消毒一つで、情けない悲鳴が飛ぶ。
空気を通して伝わるやかましい声は、夜暗がたまらず上げたものだった。
羽々斬は再三再四「傷に響く」と言っておろうに、その声は止みそうにない。だからこそ「たまらない」のかもしれないが。
薬っぽい臭気が、何かと鼻につく。不快で顔を歪める。そんな夜の保健室。
電灯が煌々と輝き、生みだす影は四人分だ。
「まあ、白熱したバトルだったさね」
「当初の目的からなんかずれてねえか?」
鵜飼の手当てを受けながら、羽々斬は腑に落ちぬのか片眉を上げる。
底意地悪く笑った彼女は、
「頑張ってるとこを見てもらえた方が、やる気は上がるだろ?」
エスプリを利かせてこう返した。
「よく言うぜ」と、羽々斬。
下腕の包帯を巻き終えると、結果が伝えられた。
「両者――ζ波、試合中に変調は見られず。波形、波長、量共に正常。特異な現象も観測できず」
「早い話が?」
「相変わらずの無能力」
「俺の時間を返せ」
共通動作で肩をかくん、と落とす二人。
確かにこれだけの怪我を負って収穫なし、というのも手酷い話だとは感じる。恨むべきは才能か他人か、そもそも恨まぬべきか、それとも――。
「まあまあ、いいじゃんか。ζ波が安定して発生してるってことは、先駆者能力が確実に自分に宿ってる証拠だ。才能を再確認する事が出来たってことで、ここは手打ちにしようや」
扉に身を預ける道玄坂が、二人をなだめてやる。
「アンタは強いし、勝ったからそれでいいかもだけどな、俺はそんなに前向きにはなれねーよ」
「こいつは手厳しいな」
「元とはいえ、生徒会と戦えたんだよ、黙って感謝しな」
「いって! 背中叩くなよ……」
手早く手当てを終わらせ、一息ついてから、鵜飼は部屋を出る。
「そんじゃあ、また明日ね。今日は早く休むんだよ」
「言われなくてもそうすらぁ」
続いて、夜暗も開けっぱなしの出入り口へと向かった。
「帰るのか?」
「ああ、少し寄って行きたいところがあるから、先に行くよ」
「そうか」
何気ない返事で終わるかと思いきや、次いで夜暗は言葉を紡ぐ。
「今日はありがとう、なんだかんだで楽しかったよ」
「え、ああ」
そして二コリ、と調子のよい笑みを最後に添えて、
「んじゃね」
手を振り部屋を出た。
「そろそろ、俺も」
道玄坂も、壁に張り付けていた背中を軽く払い、外を向く。
「なあ」
その後ろ姿を、羽々斬は引きとめる。不思議そうに振り返った大男。
「アンタ、あれだけの実力を持ちながら、なんで生徒会をやめた?」
「へ」
「アンタほどの奴なら、まだ前線を張れたように思うんだが」
「あぁ……」
意外や意外、想定していなかった質問だからか、道玄坂は目丸くして、少しだけ黙りこくった。
そしてやがて返る言の葉は、今度は質問の主を黙らせることになる。
「――お前が、能力を使えないフリをしているのと、似たような理由なのかもな」
羽々斬は首をゆっくりと動かして、窓の向こうの景色を見据えた。
「人が悪ィな、知ってたのか」
「ああ。――尤もこれ以上の詮索はやめておくが。事情があるんだろうに」
「……俺のは、なんだろうな」
ベッドに置いてあった鞄を持ち、薄汚れた竹刀を背負う。
視線を真っ直ぐに向ける彼を裏切るように、少年は――。
「まあ、単なる“意地”かもな」
このように答えた。
そのまま寮へ帰宅した羽々斬だが、まだまだ処理すべき問題が残されている。
そんな間もない未来に、辟易した。
彼の一日は、まだ終わらない――。