Game.15 残光
前髪が目にかぶさる。
呉鶴はどしゃり、と床に落ちた。
重たくなった体は限界を迎えたようで、自分では一ミリも動かせそうにない。脳からの命令まで無視するのだから、相当だろう。
ただ、今は脇腹からじんじんとくる疼くような痛みが『生』を実感させる。
鋭く輝く眼も。針のように尖った体毛も。しなやかな爪も。どこかへ消えてしまったように見当たらなくて。
仰向けのまま、かつて左腕のあった場所を、右手で無意識に押さえた。
「……………………」
髪の毛の隙間から、どこか空虚な瞳が月を捉えた。
それを背に自分を見下ろす羽々斬も、一緒に。
「なぜ、殺さなかったのですか」
「あン?」
肩で息をしつつも、少年は問いかけに答えを返す。
「俺はアンタを『倒す』とは言ったが、『殺す』なんて言った覚えはねーぞ」
「……屁理屈、ですね」
「いいんだよ、これで」
静寂の中で、繰り広げられる会話。
切れぎれの呟きの重ね合い。
「敗者の、私ができることは――今まで切り捨ててきた者達へのけじめとして、死する事だけです」
「『それが正解だから』ってか」
「私の中では」
「けっ……」
羽々斬は刀を納め、起こした呉鶴を背負った。
足元に転がる、気絶した役員達。
「……聞こえていないのですか」
「うるせぇよ。知ったこっちゃねーよ」
それらを超えて向かう先に、新校舎。の保健室。
羽々斬がこうも苛立つのはきっと、どこかの誰かを見ているようだからであろう。
ひたすら、頑固に自分の流儀を貫く様は――目の当たりにしていて特にじれったくなる。
「手前が、不幸にしてきた奴等に対して本当に償いてぇと思うなら、死は余計に誤答だろうが」
なればこそ、要らないことまで口走る。
「ずぶとく生き続けて、そいつらの顔を思い出し続けて、ずっと憎まれ続けて、最後の最後で『ざまぁみろ』って笑われながら無様に死んでいきやがれ」
清潔な玄関を踏み荒らし、
「私には、もはや何も残っていない……、生きる意味さえも」
整然とした階段を上り、
「だからってくたばるのか? そりゃ逃げだ」
綺麗なドアを蹴破る。
「手厳しい……」
ふてぶてしく足を踏み入れた真暗い空間に、明りを灯す。
呉鶴を手荒くベッドへ放り、応急手当を始めた。
背中を包むぬくもりは、どんなになっても心地がいいもので。天井とも取れない宙を漠然と見据えながら、言葉を交わす。
「死ねば、全部無くなる。他人から買った恨みさえも」
「……だが」
「『だが』なんだよ。やかましィんだよ」
「つっ」
止血も済んでいない傷口に、敢えて消毒液を吹きかける。
一蹴して言わせない。次の言葉が理解できるからこそ。
かつての己が幾度と言い訳を繰り返してきた姿に、重なる。
「アンタが勝手に満足して死んでいったところで、アンタを恨んでる奴はすっきりするのか」
「それは……」
「言ったぜ、死は最大の逃避だ。逃げるんじゃねぇよ」
呉鶴は堅い面持ちのまま、ため息を吐く。
「生きろ。生きて背負って、殺されるまで生き続けろ」
そして、ごそごそ救急箱を漁る少年の横顔を見やった。
「んでもって、さ」
その輝きはあまりに鈍く、
「……?」
不確かで、
「そいつらにずっとしてやれなかった事を、してやれなかった分だけしてやれたら――御の字さな」
今にも消えそうだけれど。
「まだやり直せる」
希望は――。
「『遅い』ってことはあっても、『遅すぎる』なんてことは、ねぇはずだろ」
ちゃんと見えたから。
「…………ふっ」
「なんだよ、気持ち悪ィなぁ」
「ふふ、いえ、なんでもありません」
ゆっくりと天井へと向き直る呉鶴。
その表情は、とても穏やかで。心ならずも口元が綻ぶ始末だ。
羽々斬は露知らず、「どこだったかな」と、ただただ眉をひそめて箱をまさぐっていた。
「多元樹……いや、真鶸があなたに興味を持った理由が、なんとなくわかった気がしますよ」
「そうかい、そりゃどうも」
“もっと早く出会えていれば”と考え。
同時に、“出会えて良かった”とも思い。
彼に感謝しながら、一人の少年は呪縛から解放された。
手当ては終わった。
止血のため、腕に強く巻きつく布を一瞥し、痛みをこらえる呉鶴。
外は見事なまでの無風になっていた。
この生温かさも、存外悪いものじゃない。
彼は向けられた背中に、話しかけた。横目がぶつかる。
「行くのですか」
「あぁ。まだやる事が残ってるんでな」
「ならば――」
真鶸の記憶が消される。
『急げ』と。それを伝えた。
「……わかってる」
「あと」
「?」
不審に思った羽々斬は、彼の方を振り向く。
羽織った上着を握り締めていた。
「彼女も、救ってあげてはくれませんか」
――ここでいう『彼女』が、一体誰を指すのか。
思い巡らすまでもない。
彼女は彼女だ。
強者として生まれてきてしまったが故に、未だ弱者が勝手に押しつけた“責務”という名の呪縛に囚われている――そんな彼女。
詰まる言葉を、どうにか繋ぐ。
「彼女も、私という人間の被害者なんです」
「……………………」
「ずっと、ずっと理不尽な選択を強いられてきた、この残酷な世界の犠牲者です」
羽々斬が見下ろす少年は、静かに、それでも後悔を吐き散らすように――語り続けた。
「いつだって『仕方ない』と己に言い聞かせ、冷えきった仮面を被り、隠した本心を誤魔化すように剣を振るい続けていました」
付け足される――「今だって」。
開いた窓から、どこかの犬の遠吠えが聞こえた気がした。
「お願いします――――、どうか彼女の戦いを終わらせてあげてください」
願うのは、星の瞬く空にじゃない。目の前の天使に、だ。
これと言える対価もなければ、力もない。
残った心からの思いをかき集め、羽々斬へとぶつけるだけ。
呉鶴は縋るように頭を下げた。
反響した声に、少年が返した言葉は。
「……――」
少女が、未だ戦っている。
「そら、よっと」
弾幕が左右より張られた。
火を何度も吹く銃身は、そろそろオーバーヒートしてしまいそうだ。
「諦めろ」
髪が揺らめき――またしても能力は発動される。
弾丸が全て火鷹の間近で静止した。
次の瞬間、それらが持ち主の元へ一斉に帰る。
「!?」
一秒足らずで夜暗の背後にあった壁が蜂の巣になった。
弾が頬を掠めて、血の出口を創り出す。
少しでも反応が遅れていたらと考えたなら……。夜暗もさすがに戦慄した。
「遊びは終わりだ」
間一髪で弾丸を回避できた夜暗だったが。彼の影はどうだろう。
「げ、やば……!」
向こうへ視線を送ってみれば、右脚に穴を空けていたドッペルゲンガー。
「捕えたぞ」
火鷹はそれを逃さない。夜暗が注意を逸らさんと走る。
影へと向けた掌を包む朱色の光。
程なくしてドッペルゲンガーはぐしゃりと歪み、折れ、あっけなく原型を失くした。
まるで紙のように。
「くっ……!?」
悠々と振り返った冷やかな眼差しが――終わりを告げる。
しかし、跳びかかった彼を迎え撃つような真似はしなかった。
代わりと云ってはおかしいが、念動力で横から真っ直ぐ飛んできたデスクに、激突された夜暗。
景色の輪廻。
時が止まり。
風の輪が広がる。
吐かれた血は、空をちょっぴり汚して。
悲鳴にもならぬ悲鳴を、零して消えた。
「か――」
短い声をはね除け、火鷹はその様を無言のまま見つめる。
(また……か)
内心、吐露。
憎たらしくも羨ましい虫けらの抵抗に背いた。
「なんてね」
直後、響いた銃声。
「!!?」
弾丸は乾いた笑声と共に、彼女の頭上を飛び越え。
真鶸を飲み込む装置を、綺麗に穿ち抜いた。
何という事はない、夜暗が吹き飛ぶ最中に引き金を絞った――ただそれだけのこと。
「――貴様!!」
火鷹が憤慨を顕にし、再度振り向く。
『システムダウン――――追憶調和、動作を停止しました』
それでもコントロールパネルは、容赦なくそう言い放った。
背後で上がるささくれた電子音声を聞いてまで、形相を作り続けることは出来なかった。
最後っ屁を盛大に繰り出し、夜暗はどしゃり、とうつぶせで倒れ込む。
「……やってくれたな……」
忌々しげな発話。
それを引きずって、少女が少年の前へ歩み寄る。
「ご愁傷……様だね」
「まったくだ」
火鷹は目の前で、そっと項垂れる。
口から垂れる夜暗の血が、床を汚しているのが見えた。
「まぁ、僕は……、自己評価で一〇〇点満点をつけてやっても、いいけれど」
「敗者の言う事か」
「……あぁ、全部『彼』の、筋書き通りだ」
咳混じりに「僕は、最初から君を倒せるなんて思っちゃいなかった」と続けた。
「なんだと……?」
「僕の目的は……、最初から、お姫様の救出だよ……」
「!」
「これで……、お迎えに上がったヒーローが、すぐに連れ帰、れる」
心臓に向けられた、長剣の切っ先。
「……生憎だがそのヒーローは、間もなく殺されることになる」
聞き兼ねたか――。
「お前のようにな」
そんな様子で言葉を遮って。
「そうかな――」
保健室のベッドは、上に乗せた呉鶴と一緒に眠る。
落ちた瞼の裏に描かれていた、銀髪の少年の貌。
交わした言葉が鮮明に甦る。
『じゃあアレか、アンタら全員を元に戻せばいいんだな』
『!』
『誰も泣かさない、誰にも泣かされない――そんな日々に還しゃいいんだろ』
『……そうです』
『誰が悪いわけじゃねぇよ』
『君は……』
『世界中の恨み辛み悲しみを一手に引き受ける――悪意のはけ口ってやつが、一人ぐらいは居たっていいじゃねぇか』
『本当に、すまない――』
『ああ、任せな』
敢然たる意志を湛えた後姿は、地を確かに踏みしめ、やがて駆けていった。
「彼は、簡単には倒せない」
「……話は終わりだ」
剣を構える。
血もすっかり抜けて冷えきった躯が、蹲った。
だが、尚もこの口は雄弁に語る。
「覚悟を決めた奴が恐ろしいって言ったのは、」
守るべき者がため、神にさえ仇なす愚者の咄を。
「君だぜ」
「でやァあああああああああああああああああああああああああッ!!」
「な!?」
傍の壁が砕けて散った。
その瞬間、火鷹の腹に日本刀の鞘が突き立てられる。
「っーーーー……!!」
視界は揺らいだ。
咆哮と轟音とが一緒くたに混濁した。
震える空気が姿を滲ませる。
瓦礫の飛散。
曳き摺られるうちに壁へぶつかり、返った我――。
何度叩きのめして。踏み壊して。潰しても。
潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても、潰しても。
消えない光。
どこまでも諦めの悪い希望。
眩しくって仕方がない。
「――羽々斬ィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
火鷹は瞳に映った“光”の名を、憎しむように叫んだ。




