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School of Savage VS.  作者: 真坂倒
Episode.2
10/19

Game.09 G線上の追想者

 いつものように授業を受けて、いつものように教員に叱られ、いつものように悪友におちょくられて。

 聖鎧での務めが終わった。

 だが羽々斬は、今日も今日とて早くに休むことは叶わない。

 寮の階段を一歩一歩踏みしめて上がるのは、自分が疲れているからではない。自分の脚が疲れているからだ。

 ――などという屁理屈をモノローグでこねているのは、きっと誰にも知られないことだろう。

 鞄はまだしも、竹刀とそのケースは、使わない時だととことんお荷物になる。だからといって持ち歩かないでいると、戦闘になった際に敗北が約束される。とても難儀なもので。

 生憎エレベーターは修理中。また不運なもので。

 今日に限って体力測定を強いた体育教諭の恨み言をつらつらと並べ立てて、背筋を曲げてひたすらに上昇運動を繰り返す。

 そして。

 辿りついた戸へと鍵を差し込んだ手首が、捻られた。

 ガチャリ、という小気味よい音に連なり、ギイ、という音が鳴る。


「さて、んじゃあ服買いに行」


「くぞー」まで言えなくする何かが、部屋の中にはあった。

 羽々斬は、目の前で広がる光景に絶句した。

 耳が、どこかで聞いた咀嚼音を拾い上げる。目は、どこかで見た後ろ姿を捉える。鼻に、表現しがたい臭気が入りこむ。


「もきゅもきゅもきゅもきゅ……」


 この、そこはかとない既視感を握りつぶせるだけ――その手というものは寛容ではなかった。


「――真鶸ァァァァァァァァァァァ!!」


 冷蔵庫の物を食い荒らす彼女を、全力で止めにかかった。




 地表を埋め尽くす勢いの人通りの多さも、水中にいるかの如き息苦しさも――ついでに、柔らかな西日も。

 彼は昨日も味わっている。

 道すがら真鶸に説教をしつつ羽々斬がやってきたのは、第九エリアのショッピングモール。

 ここらでは一番大きい所だ。

 ひとたび入ってみると、エントランスでグランドオルガンが出迎えてくれた。鮮やかな音色が客の目を奪い去り、ガラス張りで輝く天井は、ご丁寧にも陽だまりの轍を作る。

 囲われた空間だから当然といえば当然か、喧騒とて外に居る時よりも断然大きくなった。

 真鶸はよほど好奇心を掻きたてられたのだろう、床上で踊るかのように、足をあちこちで遊ばせる。視線は既に上へと昇っていた。固い貌に代わって身体が感情を表現致す様は、実に無邪気だ。


「服っても、どんなのがいいんだよ」

「……どんなの、っていうと?」


 吹き抜けに鎮座する巨大なオブジェに腰かけ、物珍しさでうずうずとする彼女へ話しかけた。


「『機能性重視』とか『デザイン重視』とか、なんかそういうのあるじゃんか。似たような物でも、実際差別化されてる。股間一つ隠すのだって『機能のふんどし』、『デザインの葉っぱ』みたいな」

「……よくわからない」

「あぁ、俺もだ」


「しかしな」。この一言のあとに、発話が起こることはなかった。

 ファッションにも疎く、美的センスだってお世辞にも褒められたものではない羽々斬は、閉口せざるを得ない。

 彼女の感覚に任せてみるのも一興だが、それはそれで心配になる自分もいる訳で。

 困り果てて頬をかくうちに、真鶸がおもむろに遠くを指差した。


「……あの服、欲しい」


 慎重に、彼女の指先が向く方へと瞳のピントを合わせる。

 その先にあったのは――。


『出たな、人類の可能性を打ち砕きし者、エンジェル・ディテクターッ!』

『ふっふっふ、サベイジマン――ここであったが百年目! 今日こそは先駆者共を滅ぼしてくれるわァ~!』

『みんなー! サベイジマンが負けちゃわないように、応援してねー!』


 ヒーローショー。

 観覧に訪れていた小学生らが、大騒ぎしている。

 司会の女性が客席にマイクを向けた。するとたちまち上がる大きな一声。

 で、話を戻して真鶸が何を欲しがっているのかというと。


「ヒーロー衣装じゃねーかッ!」

「……すごくほしい……、これが一目ぼれなの……?」

「ちげーよ! つかなんで頬赤らめてんだよ!」

「……サベイジマンになりたい……あのフルフェイスのままお風呂入ったり、眠ったりしたい……」

「どんだけ好きなんだよサベイジマン!」

「今すぐ判を押した婚姻届を渡せるぐらいには……」

「よっぽどな!?」


 当然ながら、却下。

 彼はそのまま、女性向け衣料品を取り扱うテナントへと彼女を連れ去った。

 そして傍らに「今後こいつのファッションセンスは絶対に信じない」と誓い立てるのだった。




「これいいですね」


 しきりに開閉されるのは、試着室のカーテン。


「これとかなかなか」


 カーテンレールの酷使で、いつかは壊れるんじゃないか、


「これも捨てがたい」


 と危惧される程度には、繰り返されている。


「はあ」


 真鶸の服選びに熱中する女性店員は、彼のため息も聞こえやしない。

 時間はいくらでもある――好きに使っても良い。

 ただ、こういう『待たされる』使い方をされると、彼とて辟易する事もあろう。

 品揃えと接客態度、共に文句はないが、これは客足を遠のかせるのではなかろうか、なんて独白。

 無造作に散乱するレディースの衣服。実にカラフルで、それを眺める事が、今できる唯一の暇つぶし。


「かわいい妹さんですねー! まるでお人形さんみたいです!」

「いえ、妹じゃあないんスけどね……」


 想定しえぬタイミングで自分へ向いた店員の顔に、どうにかお追従笑いを届けた。

 一方の真鶸は言葉通りで、着せ替え人形のように大人しい。

 どことない遠くの一点を見据えているだけかと思えば――、

 

「お」


 不意に合った眼。

 羽々斬がくすり、と笑ってやるも、大急ぎで目を逸らされた。彼は訝しんで小首をかしげる。

 そんな、取るに足らないことをしているうちに、店員の服選びは終わっていた。


「予算は50000ptでしたね、終わりましたよ」


 店員より、何着かある衣服の一部を見せられ、一安心。素人目からでも、『似合う』という感想を自然に抱けた。

 小さな感動すら覚えた。が、感動したからといって。

「着て帰りますんで、タグ取ってください」。この言葉は忘れない。


「はい、どの服を着ましょう?」


 そう訊ねられた真鶸は、少しの間だけ押し黙った。

「さっきのヒーロー衣装の事をまだ根に持ってるのか」と考えた羽々斬は、口を開こうとする。だが。


「……ハヤトが選んで」

「ふぇい?」

「……ハヤトが『かわいい』って思ったのを着たい」

「お、おいおい……」


 彼女の言葉を聞いて、憎らしく笑んだ店員。言いたいことはなんとなく察せた。


「――じゃあ、裸ニーソでお願いします」


 その店員から殴られた理由も、察せた。




『ありがとうございました』

 この言は、未だ背に残る。うずく頬のあざを撫でまわす道中。

 VS-Driveより50000ばかりのSPを消費し、引き換えにレジより渡された紙袋を持っている。

 二人は、まだショッピングモールにいた。

「すぐに帰る」などとのたまったくせに、いざ外へ出てみると――。


「なあ」

「?」

「いや、なんでも」

「……うん」


 この一時の終わりを惜しんでしまう羽々斬。

 どこかで、彼女に対する――愛情、のようなものが芽生えてしまっているのかもしれない。

 隣を見やる。レースが可愛いデニムジャケットに、ミニワンピースの重ね着の彼女が歩いてる。すっかり女の子らしくって、彼が顔を赤くしてしまうのも無理はない。

 すれ違う子供に目をやったり、通り過ぎるいちいちのテナントに気を引かれてみたり、クマの着ぐるみから風船をもらってみたり。奔放。本当に奔放だ。

 何を見るにも、真新しいものを発見した時のような。そんな目をしていた。


 かわいい――――。


 伝え兼ねた意思をもて余す。そんな折、


「!」


 無言のままに握られた手。

 恐る恐る向いた隣には、彼女の上目。


「……手、繋いでいい……?」

「……あ、ああ」


 お互いの手の指の間に、お互いの手の指が絡まった。そうしてきゅっと結ばれた。


「……私、かわいい……かな」

「かっ……かわいい、よ。うん……、かわいい」

「二回も言った……」

「に、二回も言わせるからだよ、バカ野郎……!」


 上がる心拍数。真鶸も表情にこそ変わりはないが、その顔は赤熱化している。少なくとも、横にいる羽々斬からわかる程度には。

 うぶな二人は仲良く寄り添いながら、アイスクリームショップへと歩みを進めた。




 がやがや。敢えて雑な表現をすると、周囲はそうなっている。

 注文したカップ入りのアイスクリーム二つをテーブルに置いて、着席した羽々斬。

 並ぶアイスクリームのフレーバーは、どちらも同じものだった。


「同じものでよかったのかよ? もっと種類あるんだぞ?」


 そう言い、プラ製のスプーンを手に取った。


「……ハヤトと一緒がいいもん……」

「そっ、そうかよ」

「……いただきます」

「……………………」


 照れ隠しにアイスを口に含もうとした時、「待って」と真鶸に止められる。


「?」


 そして、彼女はおもむろに己がスプーンを羽々斬の口元へと持っていった。匙にちょこんと乗るのは、言うまでもないアイスクリームの欠片。

 羽々斬は素っ頓狂な声を上げ、暫くしてから周りを見回す。さらに数秒使ってスプーンへ視線を送った後に、ようやっと真鶸へ目を合わせた。


「お、同じもんじゃねえか」

「……あーん」

「いや、だから同じも」

「あーん……」

「~~~~~~……」


 眉をひそめ、一口。

 そして今度は、真鶸の口が開く。羽々斬もわかっていましたと言わんばかりの手早さで、同じ量のアイスを先方の口に放った。


「……おいしいね」

「そりゃあ、不味かったら困るしな」


 店内アナウンスが、午後四時を報せる。

 目を閉じ、降り注ぐたおやかな女声を享受する。眼前のささやかなる幸福に油断して、脚を組んで頬杖ついた。

 甘い香りは彼女のか、それともアイスクリームのものか――そんなどうでもいい思考。

 無我夢中に甘味を頬張る彼女に、図らずも破顔してしまう彼がいる。


「……楽しい」

「ん?」

「……楽しい、と思う……」

「はは……なんだそりゃ」


 彼女にしては珍しく、落とした視線をテーブルで転げ回し、おまけに口まで濁している。

 そんな姿にどこか新鮮さを覚えつつも、苦笑する彼。

 少しだけ溜めた言葉を短く、


「俺もだよ」


 そっと洩らした。




 気付けば、また寄り道をしている。時間なんて忘れてしまった。

 水上バスに揺られ終えた二人は、停泊場で降りた。甲板から小さく跳んだ彼女を受け止めるのは、先に降りていた羽々斬。

 水鳥羽ばたく水面に気を引かれ、真鶸が振り向く。先にいたそれは、オレンジの宝石を散布しながら大空へと飛んでいった。

 湾はプリズムないしダイヤモンドのように乱反射して、二人の目を釘付けにする。

 水上バスが、再び発進した。汽笛がその証。


「…………綺麗」


 そう呟く彼女が知ってか知らずか、不確かな輪郭をさらにぼかした。

 隔たりに手をかける。透明な横顔に目線を透過させながら、彼が問うた。


「満足したか」

「……うん、すごく」


 天にかざされたのは、翼の形をしたイヤリング。雑貨屋で買ったものだ。青と銀の落ちついた色調は、夕焼けに煌めいてよく映える。

 そんなに上等な物でもないけれど、真鶸はぎゅうっと、その小さな胸に抱いた。


「……服はいっぱい買えたし、アイスクリームはおいしかったし……」

「ああ」

「……イヤリングも、大切にするね」


 ――潮風に靡く御髪(みぐし)から、いっぱいの笑顔を覗かせた。


「――――!」


 いつから、気付いていただろう――――。

 いつから、思っていただろう――――。


『どこかにいればいいな』って。


 ずっと忘れかけてた、そのくせ追いかけてた、懐かしい姿。

 矛盾だってわかってる。

 それでも、ずっと記憶に留めておくには“あの子”という容量は大きすぎて。だからって、消去するには後悔ばかりが残りそうで。

 だから彼は「約束」という言葉に圧縮して、あの子のビジョンを手元に置いた。

 そうして「もういない」って自己暗示して、なんでもない自分を装って――――それなのに。


『お前のせいで』


 思い出しちゃった。記憶が解凍されちゃった。

 だって、あまりに似ているから。「似てなんかない」と拒めば拒むほど、重なる影。

 あの子に言えなかったことも、してやれなかったことも、全部全部――――浮かんでしまう。

 伸ばされた(たなごころ)が、羽々斬の頬を撫でた。


「……大丈夫?」


 見透かしたような、目交(まなか)いの微笑。

 羽々斬は静かに真鶸の手をとった。


「――――真鶸」

「うん……なあに……?」


『あの子がいる昨日』は、もう戻ってこないけど。


「俺――――俺、さ」

「……うん」


『この子がいる明日』は、また来るから。


「俺は――」

「うん……」

「俺は、お前のこと――」


 白魚のような人差し指が言いかけた口を閉ざして、意地悪した。


「……ハヤト」

「……?」

「……私、ね」


 遮ったまま、


「……ハヤトと会えて、よかったと思ってるよ?」


 俯く。


「……いっぱいの『初めて』を教えてくれたもの」

「……………………」

「……誰かと食べるごはんは、おいしかった」

「あぁ」

「一緒に入るお風呂は、気持ち良かった……」

「そうだな」

「……二人で眠るのがこんなに温かいなんて、知らなかった」


 心なしか、声が震えてる。

 聞いてる方まで一抹の不安に煽られる、そんな声音が耳朶を掠める。


「……幸せだった」

「……おい」

「……『ずうっと続けばいいな』って、思った」

「何言ってんだよ……」


『手放すまい』と。

 きつく握ったイヤリングは、壊れてしまいそうで。こんな時に都合よく現れ出た無音は、二人を世界の爪弾き者にしている気がした。

 異様な静けさ。揺らぐ水がせせら笑う。浮き雲が黄昏を覆い隠す。



「……でもね――――、ダメなんだ」



 気付けば二人は――聖鎧の生徒に取り囲まれていた。


「――――は?」


 顔面を引きつらせ、目を丸めて「意味不明」といった面持ちで、今一度眼前の彼女へ向き直る。

 俯いたまま変わらない。すぐに視線を周囲へシフトさせた。

 一人、二人、三人、四――――六人。


「紡羽真鶸さんと、羽々斬颯人くんですね」


 足音を消して淡々とこちらへ歩み寄る、一人の生徒。目元に濃い影がかかっている。

 確認を取っているくせに、返事も蔑ろにして一方的に話を進める姿に、羽々斬は妙な違和感を覚えた。


「少々、お話があります。聖鎧学園までご同行いただけませんか?」

「おいおい、何言ってんだよ。置き勉なら今日限りでやめたが」

「いえいえ、野暮用ですので」


 そしてその違和感は、程なくして正体を顕にすることとなる。


「あまり時間は取らせませんよ――」


 ――物凄い勢いで突き出されたスタンガン。


「ッ!!」


 を叩き落とす羽々斬。彼は反射的に竹刀を振り抜き、防衛行動を取っていた。

 バン、という音から落下音が鳴るまでの数瞬に思い巡らせて、事を察知する。


「真鶸!」


 数歩下がって、尾を引かせる眼光。

 勘の鋭い自分を褒めるべきか、怪しすぎる相手を叱るべきか――わかりはしない。

 ただ、今は。


『逃げないと』。


 大至急下りていた彼女の左手を取り、袋も構わず駆け出した。

 させまいとする聖鎧の生徒らは「逃がすな!」と数人がかりで進行方向を塞ぐも、勢いづいた男子の力を乗せた竹刀には敵わず、言わずもがな宙空を舞う。

 ドォン、と出た苛烈な衝撃の波が、真鶸の意識を我へと返した。


「ッ――――逃げるぞ、真鶸!」

「……あ」


 羽々斬は再び、真鶸の手を引いて走り出した。去り際に見えた聖鎧生徒の制服に、希望の剣があったが――そんなものを気にしている暇もなく。

 木々に囲われた大きな公園の散歩コースへと入る。

 足音はアスファルトを踏み蹴るものから、やがて雑草を踏み壊すものへと変化した。


(なんだありゃ、なんだって生徒会が……!)


 真鶸の追手は一人じゃなかった。あれはなんだ。知らない。どうしてなんだ。わからない。

 不明瞭で釈然としない事実を前に、羽々斬は自問自答を繰り返す。しかしアンサーのどれもがクエスチョンマークのオウム返しで、何一つ意味を成さない。

 苛立って、口内の唾液を噛み殺した。後を追ってくる小刻みな足音が、焦燥感を駆り立てる。

 走るうちに出た並木道に、影法師が溶け込んだ。

 尋常ならざる気配に驚いたか、鳥が葉がすれと共に飛び立つ。同時に落ちてきた木葉は、ちっぽけな陽だまりに蓋をした。


『クレイン1より各員へ通達。殺害しないことを条件に、拳銃の使用を許可する』

「了解」


 二人の十数メートル後方。彼らの知らない、インカムによる通信が行われた。

 それを切断すると、追手は一斉に腰のホルダーより拳銃を取り出し、二人の足元めがけて発砲する。


「拳銃だと……!」


 激しい視界の入れ替わりの中で、跳弾音の元を肩越しで確認。さらに逃げ足が速まった。


「おい、ありゃなんだ……!?」

「……追手、私の」

「それは知ってる! なんだって生徒会なんだ……!」

「……私は……」


 バチュン。

 また、足元で弾丸が弾けた。


「くッ――!」


 街へと出る。だが、人ごみで誤魔化せるような大通りには、まだ遠い。

 いくつかに分岐する道。住宅街を突っ切った大通りへの最短ルートに、間もなく小規模の廃ビル群がある郊外の道――丁寧に確認してる暇なんざない。ただ、条件は「どちらが現状の打破に適しているか」のみ。


「ちっ、くそったれめ!」


 羽々斬は一旦、廃ビルに潜んで凌ぐことを選んだ。

 体力を振り絞って、一気に左へと駆ける。

 そして曲がり角を幾度と利用し、肉体の回復がてら身を隠すことに成功した。

 過ぎ去る足音に、大きなため息を吐く。膝に手を置き、汗を拭った。酸素を切らしかけの肺に、沢山の空気を詰めた。


「頃合いを見計らって、すぐそこの廃ビルに隠れる。地形を利用すれば、侵入してきた奴らもどうにか迎撃できるだろうしな……」

「……ねえ」

「なんだ」

「……もう、やめよう……?」

「……………………」

「いつかは、必ずこうなっていた……」


 数日顔を合わせただけでも、表情の変化というのはわかるものだ。わずかながらに見え隠れした諦観を、彼は見逃さない。


「……『外』での思い出も、作れたから……私は大丈夫だから……」


「このままじゃ、ハヤトがただでは済まない」。こう言いたかったのだろう。

 だがさっきのお返しのつもりで、今度は羽々斬が人差し指で彼女の発話を邪魔した。


「俺が良くねーんだよ」

「へ……」

「数百人のために祭り上げられて死ぬぐらいなら――一人の傍で、平凡に生きやがれ」

「……!」

「嫌なんだよ、こんな終わりは。……冗談じゃねえんだよ」


 じわ、と涙を滲ませる彼女から、口惜しそうに目を離す。握りしめた竹刀が向く先は、目の前に躍り出た敵。


「どきやがれぇぇぇぇぇぇぇッ!!」


 そのまま彼女と強く手を繋ぎ合わせ、突き進んでいく。

 また、けが人一人。相手の攻撃を一瞬にしていなす彼は、どう考えても無能力者には見えない。


「もう少し……!」


 走る。走る。

 息を切らして、必死に。そしてそのうちに、


「こっちだ!」


 こちらへとぶつかった声。

 その主は、あまりに意外な人物だった――。


「――夜暗!?」

「こっちに隠れられるスペースがある! 早く!」


 廃ビルの前より叫ぶ、夜暗の姿があった。


「……ハヤト、ダメ」

「安心しろ、あいつは俺のダチだ」

「ハヤト……」


 その中へと消えた夜暗を追いかけ、羽々斬も足を踏み入れる。少しだけ力を込められた、真鶸の手にも気付かずに――。




 火遊びでもあったのか、煤けた壁と床に、いくつものコンクリの柱――それだけ。

 廃ビルの内部は、彼が思うより汚くはなかった。そして彼が思うより大きくもなかった。

 見てくれから低層ビルなのはわかっていたが、三階とはわかっていなかったというのが正直なところか。

 だが壊れかけの建物達は、間違いなく聖鎧生を惑わした。

 ヒビの入った壁に、未だ追手の声が入りこむ。そのたびに激しく暴れる心臓を、骨越しに押さえつけた。


「はあ、はあ……」

「なんだか、ヤバそうなことになってるね……大丈夫かい?」

「ああ、悪い、な」

「なぜ生徒会が……」


 切れぎれの息で紡いだ言葉は、伝わっているのかどうかわからない。

 だが、「なんで」――三文字程度の疑問なら、簡単に言える。


「あぁ……いや、偶然この辺に用事があってね。そしたら、君達が追われているのを発見したってわけ」

「そうかよ」


 ガラスの無い窓から入り込む風は、羽々斬をコンクリ柱へと貼りつける。

 真鶸は、そんな彼の傍から離れない。そうして彼が対面する夜暗を見つめている。


「バカ野郎が、お前もタダじゃ……済まねえかもしれねぇんだぞ」


 敵は生徒会――確定だろう。

 それも、自分の所属校ときている。一体何が起こっているのか。

 理由はわからない。ただ夜暗が、彼らを助けることで騒動に巻き込まれてしまうのは、馬鹿でも理解できる事実だろう。

 彼も、それを避けたいのだ。


「……今すぐ逃げろ。全部忘れて、知らん顔してここから消えるんだ」


 覚悟を決める羽々斬は、背後のごつごつとした感覚を片手で押した。そうして竹刀を、呼吸で上下する肩にかけた。

 それを見る夜暗は、目を細め、


「――なんとかできるわけないじゃないか、そんな状態で」

「なんとかするさ。しなきゃならねえ」


 羽々斬へと歩み寄った。


「僕には、何がどうなっているかわからない」

「わからないままでいい」


 そんな素気ない言葉に動かされたのだろう、羽々斬の両肩をがしりと掴んだ夜暗。


「でも今、君が危機に瀕しているってことはわかる」

「……………………」

「僕と親しい、君がだ」

「お前……」


 ――いつものふざけきった面ではない。

 当然、調子のいい冗談だって聞こえない。

 何か、強固な意志を宿した眼――。それが羽々斬を引きこんだ。

 夜暗は、壁に押し付けた彼を見据える。


「大事な人だ。僕が何とかする」


 そして、決心のように繰り返す。


「大事な……、大事な人だ」


 そのまま言の葉を繰り返す最中に、


「本当に――」

「――――!?」


 双剣の片割れで、彼の腹部を貫いた。


「大事な人だ」


 ドチュリ、という破裂音が、羽々斬の頭の中で響く。

 口から深紅の洪水が吐き出されたのは、その直後の事。ゆっくり項垂れて、視線を下ろすと――――腹に突き刺さった真っ赤な刃物。

「なんで」なんて、羽々斬も今度ばかりは言えなかった。

 いや――『言う暇がなかった』と表現した方が妥当か。


「“彼女”は、僕にとっても大事な(ひょうてき)だ」

 

 ふらり、突如回り始めた世界。体内を蝕む激痛が意識を吸い出し、脳内を白化させていく。何も発せない。出来ない。

 揺らぐ自我の中で、相手の腕に弱々しく縋りついた羽々斬が確認できたのは、強固な『殺意』が宿された夜暗の眼であった。

「真鶸を逃がさないと」。羽々斬がそう思考するも、露知らぬ真鶸は羽々斬に寄り添った。

 だが彼とて、らしくもなく声を跳ね上げさせて、自分の名を必死に呼びかけている彼女の様子を――わかっちゃいない。


「ハヤト……、ハヤト!」

「ま、ひわ……逃……」


「今度は逃がさないよ、死に損ない」


「……――――!」


 何もわからぬまま彼女に向いた銃は――一発の発砲音を、ビル内に木霊させた。

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