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『火の宮』の姫  作者: 澤田 紅
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真実 九

指先から細い糸のような稲妻がピンポイントで肘や踵を狙い撃つ。

弾かれて思わず膝をついたその膝にさえも。

鋭い叱責の声に唇を噛みしめて眼を上げると一切の表情を消した男が立っていた。


「遅い。」


落ち込む暇さえ与えられない。

土の混ざった雪は茶色く濁った色をして、視界に映る雪景色など絵に描かれた景色に過ぎなかった。

「足を止めるな、死にたいのか。」

その声は着いて濡れた膝より冷たかった。



大町の登山道。

夜明けにその裏側から人目を避けて山に入った一行はすでに竜神池よりも遥かに高い位置に達していたが、山の稜線を辿るのは登山といわれるものとは掛離れたものだった。

着る衣服も靴も今までと同じものだし、特別な装備も何もない。

防寒は身体の熱の調節で補い、備品は宝力で補う。

最小の力で何処まで出来るか。

それが冬華に与えられた課題だった。

最低限の宝力で身体を補助する術、瞬間的に力を制御する術、最速で攻撃を躱す術と・・・

昨日までの家庭教師はそれまで教えていた教科よりも数倍熱心に仕込んでくれている。

それは痛みを伴っていたが、だからこそ最短で身に着いたと云って良いだろう。

圭介が先頭に立ち冬華を教えながら衡太が続く、沙知と直哉が後ろを守り一行は驚くほどのペースで雪山を超えて進んだ。



休憩時に圭介が指示したのは彼らの後方だった。

「冬華様、御覧なされ。」

杉の木々の合間からパノラマが広がっていた。

遥か下に小さく町が見える。

「すごい・・・高い、なんて綺麗。」

息を呑む冬華に圭介が満足そうに笑う。

「まだまだ高くまで登りますぞ。」

嬉しそうな冬華が一点を指した。

「圭介、鳥が飛んでる、こんなに高いのに。」

「あれは鴉ですのう。鴉は天狗様のお遣いと言われておりますゆえ、我らには瑞兆で御座りましょう。」

彼方の鴉は夕日を浴びてひらりと向きを変えて離れていった。




「あの尾根を越える。」

衡太が指したのは相当高くまで登ってきた冬華がさらに振り仰ぐ位置にあった。

風はなく、空には満天の星。

当然夕日が沈んだ闇の中だった。

その白く輝く尾根の高さに見入る冬華に静かな声が続いた。

「此処まで来たら一刻を争う。お前が里に入るか、魔の強襲をうけるか。」

「でも、あの後は来てい・・・」

「来ると見たほうがいい。」

冬華の言葉を遮って大きく息をついた。

「魔族の中には使い魔よりも頭の働く奴がいる。あの店先を襲った中に蒼い光を見た。

それも諸共に消したなら良いが・・・お前にはそこまでの余裕は無かっただろう。」

思わず項垂れた冬華に男はまた一つ息を吐き出した。

「お前が気にすることではない。今はまだ。

それよりも、脚に最小の力を備える術を教える。圭介をよく見ておけ。」


冬華の視界に圭介の姿が映った、と思った瞬間 掻き消える。

「・・・・・・・・・・・え・・」

呆気に取られた冬華に直哉が笑った。

「冬華様。脚ですよ、よく見て。」

冬華の眼には直哉が垂直に跳ね上がったとしか見えなかった。

それを告げると衡太は僅かに頷く。

「よく見たな、今度は沙知が跳ぶ。沙知は直哉よりも遅いからもっとはっきり見える筈だ。」

沙知の脚が跳ねあがる。

直哉の時にはひとっ跳びに見えたが、沙知の脚はもっと細やかにほとんど垂直の斜面を駆け上がっていく。

「重力が無いみたい。」

思わず漏れた言葉はどうやら核心をついていたようだ。

「思い切って飛んでみろ。俺がすぐ後ろに着いている。」

三人の力はごく小さなものだった。

頭の中でイメージして意識を脚の爪先に向ける。

助走はほとんどなく、二歩目で跳んだ。

踏み切った左脚から目前に来た岩肌を蹴る。

浮く、という感覚ではなく走るという実感に助けられて僅か数歩、冬華の躰は直哉の腕の中に在った。

「なかなか覚えが早い。この分なら高位の術もクリア出来るぞ。」

直哉が冬華の後ろに告げるとすぐ頭上から低い声が落ちてきた。

「理性を飛ばさなければな。」

振り仰ぐと言葉通りに真後ろに衡太が立っていた。

その眼が僅かに緩んだ。

「どんな時もお前の宝力はお前を護る。誰にも奪うことの出来ない守護の力だと知っておけ。

怒りや憎しみは魔を呼ぶ感情だ。そんなものに惑わされるな。」

「はい。」

「今夜はこのまま駆けるぞ。明日の夜には里に入れる筈だ。」


衡太の教え方が良いのか、冬華の理解力が優れているからかは判らないが、力の使い方は圭介や直哉も驚くほど上達して行った。

細かく丁寧に教える衡太に意識のすべてを向ける冬華。

言葉一つ洩らす事無く全てを呑みこんでゆく。

「俺が言うのもおかしいが、無理をするな。お前にはかなりきついだろう。

俺たちでなるべくカバーするから少しはゆったり構えておけ。」

順調に仕上がっていく教え子に珍しく笑みまで向けて告げると、冬華の表情も僅かに緩んだ。




事が起きたのは夜明け間際。

烏帽子岳山頂を超えたあたりの山間部で小休止を取っていた時であった。

小用を足して戻ろうとした冬華の前に沙知が立ち塞がった。

「あまり衡太に近づかないで。」

驚いて見上げた沙知の顔は強張っていた。

「冬華様は知らないでしょう。衡太の父親、海も私の兄さんも・・・圭介さんの嫁も、あんたを護るためにみんな死んだのを。」

息を呑んだ冬華に震える声が叩きつけられた。

「この十二年だけじゃない、前の里が襲われたのも『火』のあんたを目掛けての事だ。

その時にどれだけの人間が死んだと思う。貴族も、圭介さんの子供たちも、何より衡太の母さんの律はあんたを抱えて死んだんだ。身代わりになるようにして。あんたは死を招く災や・・」

「沙知!!」

怒声と共に飛び込んできたのは衡太。

続いて二人の男も駆けつけて来た。

「何を言ってる、冬華様に罪はないだろう。」

「ささ、冬華様。こちらにおいでなされ。」

圭介の手を、冬華は払う。

「・・・本当? 沙知が言ったのは・・・」

如何に衡太でも否定はできなかった。

返された無言に真実がある。

「・・・私の為に、私を護るために・・・・・・そんな・・・」





「冬華様はどうだ?」

圭介が聞いてきたのは既に陽も高くなった時刻だった。

突きつけられた真実に痛ましいほど蒼ざめた顔が、未だに圭介の脳裏にちらついている。

衡太は冬華の休んでいる倒木の陰をちらりと振り返って肩を竦めた。

「だいぶ落ち着いたが・・・」

言いよどんだ男に圭介はぐっと眉間の筋を深める。

「沙知は馬鹿者だ。今はとにかく早く里に入らねばならんと云うこの時に。まして妬心は魔を呼ぶを知らぬ訳でもあるまいに。」

「・・・・・・」

何も言えない衡太をよそに圭介は憤懣やり切れぬように続ける。

「冬華様は十九代目を御継ぎになられる。厭でも記憶を引き継がねばならんのだぞ。

どれほど辛いか我らごときでは想像もつかんが、先代様の折には十日の長きにわたって生死が危ぶまれたのだ。根の者には計ることも出来ぬ御屋形様の苦難が、この先に待って居るというに。」

衡太にその記憶はない。

そんな知識すらなかった。

驚いたようなまだ若い男の顔を見て圭介は低く告げる。

「沙知など切り捨てて構わんぞ。最後は主一人で良い、必ずお送り申し上げよ。そのために我らは生きてきたのだ。」

「・・・・・・・・・・・・冬華には言えないな。」

「云う必要など無い。」

バッサリと切り捨てる語気の強さに衡太はしっかりと頷いた。



他の人はどうしたの?

確かそう聞いたはずだった。

なんて愚かなことを平然と聞けたのだろう。

いくら知らないとはいえ無神経にもほどが有る。


遠い記憶の中に滲んだ温もりがあった。

『冬華さま・・・』

優しい声が不意に甦った。

乳母という名の穏やかで暖かな温もりと共に。


りつ・・・律・・だ。

思い出した途端にまた溢れ出した涙が頬を伝う。


「冬華様・・・さぁ、もうお泣きなさるな。眼が溶けてしまわれますぞ。」

圭介の声に思わずその腕にしがみついた。

「ごめ・・・ごめんなさ・・い・・・」

自分のために死んでいったという圭介の家族。

衡太の家族も沙知の兄にもどれほど謝っても謝りきれない。


その小さな頭を圭介はしっかりと抱きしめた。

「お優しいの、冬華様は。 ですがこうして泣いて御座ったとて何も良くはなりませぬぞ。

冬華様が御気にする事など何一つあり申さんが、それほど悲しまれるなら儂と一つ約束して戴きましょうか。」

紅絹の布で目元を拭われて冬華はやっと顔を上げた。

「・・・な、なにを?」

優しい圭介の顔が不意に真顔に変わる。

「生きることです。」

思わず息がとまるほど重い言葉が出された。

「何があっても冬華様は生きて御座れ。

冬華様が生きると云う事は取りも直さず魔族を滅ぼすと云う事。

遥かな時代より一族に委ねられた使命を果たすと云う事。

後の世に生きる命の為に。

それらが心安んじて暮らせるように。

決して楽な道では御座らん。それは百も承知の上で敢えて言わせて戴きますぞ。

全てを背負って生きて御座れ。

我らもそのために命を張って此処までやって参りました故。

さて、この約束、して下さいますかな?」

圭介の眼の中で冬華の瞳が黄金色に輝きだした。


宝力が漏れたのではない。

それは全く別の力だった。

涙に暮れていた子供の泣き顔は瞬く間に消え、そこに具現したのは超越者たる神の顔。

驚いて後ずさった圭介が思わず平伏す程、荘厳な佇まいのなか声が発せられた。

『よう申した。そこな根の者よ、我はそなたと約しようぞ。』

玻璃の欠片のような涼やかな音が声となって圭介の耳に、いや、直接脳内に響く。

『そなたの憂いは祓われよう。己が勤めを果たすが良い。』

ははっ、と地面に頭を擦り付けて圭介は涙を流していることさえ気付かなかった。





なんだか重くなってしまって・・・泣きのシーンは好きじゃないんだけど。

泣きべそ冬華、早く強くなれ。

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