誕生 四
俺はあの娘を憎んでいるのだろうか。
それとも恨んでいるのだろうか。
遥か遠い記憶の中に浮かぶのは紅葉の様な手のひら。
子供特有の高い体温は未だ眼の開かない彼のその手を常に求めていた。
開眼し顔を見るのが楽しみだったのは覚えている。
産まれた時から同じ屋根の下で暮らす赤子は如何に左京家の姫宮と云えども妹の様に感じられた。
『こうた。』
自分を呼ぶ幼い声が今も耳に残る。
根の者としては異例な十二歳での開眼はその日、魔族の襲撃が無ければ当時の彼としてはどれほど嬉しかった事だろう。
だが、生誕日の午前零時に開いた眼に映ったのは里を覆い尽くす魔族と食い殺される同胞たちだった。
異形の姿に怯えた訳では無い。おぞましい口から吐き出される炎に怯んだのでも無い。
『・・・衡太・・・・・』
掠れた声に呼ばれて振り返った先に見たのは幼馴染の顔。
だがその顔はゴロリと地に落ちた。
不思議だった。身体はぶらりと立っているのに首は転がっている。
『・・・・・・与市、どう・・・』
声を掛けようとした瞬間与市の身体が、くたり・・と落ちる。
同時に魂ぎる程の咆哮が響いた。
視界のなかの魔族。
めくれ上がった口にのぞく血まみれの鋭い牙、皺のよった獣じみた鼻面。
何より紛う事の無い憎悪に満ちた赤い眼が次の獲物として真正面から衡太を捕えている。
動けない。
逃げなくてはならない、でなければ殺される。
与市の様に。
なのに衡太は身動きひとつ出来ずに、魅入られたように立ち尽くしていた。
呪縛を解いたのは、
『衡太っ、跳べっ!』
魔族が飛び掛かる瞬間のとてつもない叫び声に思わず跳んで離れた衡太の眼に映ったのは父だった。
白熱の閃光が衡太を捉えていた魔族を弾き飛ばす。
一瞬にして焦げて蒸発したかのような音と共に魔族の姿が消えた。衡太の横に父が立つ。こんな混戦の中でも父は優しげな顔を向けた。
『開眼したか。なればこの現実を受け入れろ。手を貸せ、御屋形様をお救い申し上げるぞ。』
父の言葉は衡太の顔をあげさせた。
根の者の務めはお屋形様を始めとする高位貴族を護る事。
己の命を捨てても高貴の血を繋ぐことだと幼い頃から教えられた。
自分は開眼したのだ。
根の頭として長くその力をふるってきた父の片腕となり魔族と戦う事がやっと出来るのだ。
衡太は頼もしい父と混戦の中に飛び込んで行った。
男が帰りついたのは古いアパート。
地方から上京し都内の大学に通う学生が借りる様な、外観も内装も飾り一つない、ただ寝るだけに使われる素っ気ない部屋だった。
階段を上がりいくつか並んだドアを通り越した先の端のドアを開けるとささやかな台所スペースとトイレ、僅かに贅沢なのは小さな風呂が着いている。
部屋は六畳一間しかないし家具など何も無かった。
その何も無い室内で僅かな衣類を片付けていた男が顔を上げた。
「おお、帰ったか。車の手配は直弥が着けたぞ。」
色の黒い小柄な、おそらく四十代後半の痩せた男に衡太は頷いた。
「圭介さん、沙知は?」
「さて、今朝から姿が見えんな。仕事場に挨拶にでも行ってるんだろう。」
何処かホッとした様に続けた。
「今宵にはやっと開眼だ。長い十二年だったな。」
「それは無事に辿り着いてからだ。あの宝力は尋常では無い、闇夜の篝火のように眼を引くはずだ。」
「さもありなん。里に居られれば何の問題も無かったのだがな。云っては詮無いが・・・お可哀想な事だ。」
可哀想なのはあの娘では無い。冬樺を護る為に今までに失われた根の者だ。衡太の前に居る圭介の妻も、沙知の兄も榊原家に近づく魔から我が身を囮にして死んで行った。
それは他ならぬ衡太自身の両親にしても・・・
「力を押さえる術をお教えせねばならんな。里に居られても力が安定するまでひと月は掛かるが、そんな悠長な事も云っておれん。
それでも・・・嬉しい事だ。やっと左京家の十九代目様が御帰りになられる。」
心底嬉しげな言葉に偽りはない。
衡太が開眼した折の戦いで二人の子を失い、八年前に妻を失いながらも圭介は冬樺を慈しんだ。
直接顔を見る事は多くは無い。
だが衡太が話す冬樺の様子に眼を細めて聞き入る。
夜半の警備で二階の窓を嬉しそうに見ている事を衡太は知って居た。
どうしてだ。
大事な家族総てを失いながらどうしてそれほど冬樺を、貴族を慈しむ事が出来るのだ。
だが憤る言葉の替りに出たのは僅かな吐息だった。
云っても詮無い事。
それは圭介の云った通り根の者の身に沁みついた性、太古の時代よりその血を護って来た自分たちを縛る呪わしい掟だった。
「今朝がた使い魔の気配がした。僅かなものだから大事は無いと思うが。」
衡太の声に圭介は身軽に立ち上がる。
「ふむ、道場は結界の端。表玄関は重なっているから気になる処だな。
直弥一人では厳しいのぅ、儂が往こう。お前は少し休んでおけ、今宵は長丁場になるかもしれん。」
夜明けまで張り番をしていた疲れも見せず圭介は榊原家を護る為に、冬樺を護る為にたつ。
ドアに手を掛けて衡太を振り返った。
「やっと冬樺様のお顔をこの眼で拝める。衡太、今までご苦労だったな。」
冬樺の顔。
その言葉で記憶が掻き立てられた。
『こうた、おそとはお天気?』
『今日は雨だ、雨音が聞こえるだろ。』
『・・・・・。』
ぷっと膨れた顔が見える様だ。
お人形の様だと云われながらも冬樺はおとなしい子では無かった。
野や山で遊ぶことが一番好きなお転婆姫。
仕方が無い。
『明日晴れたらお山に行こう。』
膨れた頬はきっとまだ戻らない。
『母さんに、弁当を作って貰おうか。』
『・・・おにぎり?』
二番目に好きなのは手作りのソボロの入ったおにぎり。
そのくせボロボロとこぼす。
『うん。今の内にテルテル坊主を作って置こうか。』
やっと笑った気配に安心して麻布を二人で丸めた。
産まれ落ちてすぐ衡太の家に預けられた左京家の三ノ宮は猫の仔なみのか弱さだったが、案に相違してすくすくと育った。隣家の春江の乳と、律の手厚い育児の賜物であったのだろう。
衡太には彼が同年齢の仲間たちと勉強する間もその横にへばり着くほど懐いている。
早ければ七.八歳、大概は十歳前後で開眼する根の者の中に在って衡太は遅かった。
それは取りも直さず彼の宝力が桁外れに強いと云う事だったが、衡太自身は仲間たちが教えてくれる可愛い冬樺の顔を早く見たい。
『可愛いぞ、きっと美人になる。』
『冬樺は器量良しだな。』
『お人形の様だな、色も白いし。』
だが、父も母もいずれはお館にお返ししなくてはならないと云っていた。
三歳の『祓い魔』の儀式で『火、地、風、水』が決まったならば・・・
その結果によってはそのまま衡太の元に帰って来る事は無いと知って居た。
根の者を束ねる頭の父であっても高位貴族の、それも筆頭貴族の左京家の姫宮を直接目にする事など通常では無いとも云う。
『律がお預かりしたから此処においでになるだけだ、立場の違いを忘れるな。』
怜悧な父の声に頷きながらも内心では冬樺が『風』か『水』なら良いのにと思っていた。
『風の一ノ宮』葉瑠香様、『水の二ノ宮』珠洲夏様は親王の陸詞様が産まれた以上後を継がれる事は無い。
だが、万が一にも冬樺が『火』であったなら・・・双子の兄君が『火』でも『地』でも無かったならば・・・
せめてその前に可愛いと云われる冬樺の顔を見たい。だが、同じ生誕日の冬樺が三歳まで彼の眼は開かなかった。
衡太は根の者としては十二歳と云う異例の開眼であった。
今でもはっきり覚えている。その夕方、母に連れられてお館に向かう冬樺は泣いていた。
『こうたは?』
『衡太はお留守番です。』
『こうたが居ないといや。』
『衡太はお館には行けないのですよ。』
『いやぁ。りつ、こうたも一緒がいい。』
遠ざかる泣き声が、自分を呼ぶ声が聞こえなくなるまで待って息をついた。
『お前の眼が開く頃には冬樺様の宮が判る。出来る事なら・・・』
父も同じだったのだろうか。
衡太と同じ思いを持っていたのだろうか。
今となっては聞く術も無い。当時は聞く暇も無かった。
如何に強い宝力が具現したとはいえ衡太は弱冠十二歳。
思う侭扱える様になるには繰り返しての鍛練が必要だった。
拙い技術をカバーしてくれた父が居なければ開眼直後に死んで居た筈だ。
『跳べ、利き脚で降りたらすぐに走るんだ。』
『止まるな。一時も休むんじゃない。』
『掌底と丹田に気を込めろ。』
大型の魔族を倒しながらも我が子に声を掛けてその背後をしっかりと守る父の姿は比類なく頼もしかった。
『お館まで突っ切るぞ、遅れるな。』
自分に出来る最大の宝力を使いながら貴族の住まう上屋敷を駆け抜け、ふと気付いた。
貴族は何をしている。まるで開眼前の幼子の様に逃げ惑う姿しか衡太の眼には映らないのだ。
根の者よりも遥かに強い力を持つはずの貴族は何故戦わない。
『父さん・・・』
我が子の眼が泳いだ訳を父親は理解した。
だが、
『後だ、今はお館が最優先だぞ。』
息つく間もなく海は煙の揚がる上空を指した。
上屋敷を抜けて飛び込んだ二人の前に現れたのはそびえ立って居た筈の左京家。
威容を誇るお館は紅蓮の炎に包まれていた。
だが、初めて眼にする荘厳なはずのお屋敷よりも衡太の眼に入ったのは、
『・・・母さん!』
『律!!』
転がる様に飛び出してきたのは火の塊。
それが母だと気づいた時には律は蹲っていた。
立ち尽くす衡太を海が叱咤する。
『衡太!周囲を張れ!』
海の大きな手が律の火を叩き消したがもはや母の息は無かった。
だがしかし、懐に抱えた幼い命は抱き取った海の手の中で泣き声を上げる。
『律、よくぞ冬樺様を護った。』
父の声を聴きながら衡太は蒼然と立ち尽くした。
母の姿はほとんど人では無い。
髪は燃え尽き、背中は炭化している。
抱えていた冬樺を護る為に顔の下半分だけが原型を留めていた。
『祓い魔』の儀を行うためにお館のさらに奥、神殿から駆け抜けて来たのか。
『衡太、母の死に様を忘れるな。』
忘れはしない。
その顔を眼にする事が無くとも忘れる事など絶対に無い。
低い父の声が耳を打つ。
『詠唱が始まった、里渡りの術が発動するぞ。』
里者の本能に擦り込まれた術言が衡太の口から洩れる。
凄まじい轟音と共にお館が崩れ落ちるなかで感覚が研ぎ澄まされていく。
逞しい父の右手がその背を支え、詠唱が続き、初めて見た故郷が滲んでゆく。そして世界が暗転した。
ハッと飛び起きた時、時計の針は既に十一時を僅かに回っていた。
真冬の最中にも関わらず汗を掻いていたのは昔の夢を見て居たからだが、男は僅かに息をつくとさして急ぎもせず服を着替える。
榊原家まで彼の脚で二十分足らずであるし、其処には圭介達が待機して居る筈だった。
衡太の父、海が掛けた結界は冬樺の開眼に合わせて解ける事になっていたが、本当なら早目に行ってついて居てやるのが親切なのだろう。
例え圭介等が居ようと居まいと。
相手は未だ何も知らない、知らされていない十五歳の子供なのだから。
如何に左京家十九代目を受け継ぐ血筋とは言え、榊原家の敷地から一歩も出た事の無い娘なのだから。
だが、男の精神は疲れ切っていた。
この十二年と云うもの一時も心を休めた事は無い。
力を使えば魔に探知される。
使い魔が現われるとじっとやり過ごし、異変を感じた魔を誘って引き離し、消す。
十二年もの長い時間繰り返された密やかな攻防に男はすり減って行く自分を感じ取っていた。
灯りを消した真っ暗な部屋を振り返る。
新たな里を出た時は十二人居た筈の冬樺の護衛隊も今ではわずか四人。
これで里まで帰りつかなくてはならない。
男は魔と戦い、我が身を犠牲にした仲間たちへ最後の別れを告げてドアを閉めた。
榊原家のある御屋敷町、だが駅をひとつ違えただけで其処は学生が多く住まう安アパートが密集している。表通りの猥雑さはこの時間でもさして衰えないが、裏道はポツポツと点いた街灯だけで人気はほとんどない。
「衡太。」
声よりも馴染んだ気配に気付いたが男の脚は止まらなかった。
横にするりと並んだのは痩せた女。沙知だった。
沙知の兄も五年ほど前に囮となって出て行き未だに帰って来なかった。
それは死んだものと見做されるのだが沙知は認めてはいない。
いつか必ず裕也は帰って来ると決めている。
沙知の家族の最後の一人、裕也は衡太に次ぐ宝力を備えていたから。
「やっと終わるね、長かったね。」
「気を緩めるな。里に入るまでのこれからが一番危険だ。」
「うん。」
幼い頃は二つ年上の沙知は姉さんぶって衡太を構っていたが、この頃はその下につく事を当然の様に受け入れている。
里者の力量を現す飛び抜けた宝力と冷静沈着な性格、常に先を読み危険を察知し回避する衡太がこのささやかな三ノ宮護衛部隊を指揮するようになって此の方、犠牲者が途絶えたからに他ならない。
里に帰ればいずれ海の後を継ぎ根の頭となるだろう。
それは今までの十二年とは異なり確実な未来図である。
だが、
「送り届けたら・・・あたしも連れて行って。」
男の脚が止った。
新月の夜、乏しい街灯と僅かな星の光の中で彼は女の顔を見下ろした。
勝気そうな眼が衡太を見返している。
「何を云ってる。」
沙知はいなす様な男の声を無視して告げた。
「知ってるんだ。
あんた、三の宮様を届けたら抜ける気なんだろう。
あんたが逸れ草になる心算ならあたしも連れて行って。」
それは男の中で確かに在った感情だった。
ただ決して表に出した事は無い。
指揮を執る者の負の感情が指揮下に与える余波は大きい。十二年間と云う長の年月を、櫛の歯が掛ける様に仲間を失いながらも保って来た目的を今、此処で失う訳には行かなかった。
「そんな気は無い。それにお前は直弥と・・・」
「違う。直弥は・・・違うんだ。あたしが好きなのはあんただ。」
『里に帰ったら沙知と一緒になる心算なんだ。』
照れたように、だが誇らしげに直弥が告げたのは二ヵ月前。
『知って居ただろ、俺達が付き合っていたのは。沙知はまだ云うなと云っていたけど・・・』
薄々は気付いていた。多分圭介も。
こんな任務に駆り出され里にも帰れず孤独な中で親密な関係になる事は当然と云えば当然の事だったし、そんなふうに心を繋ぐ相手が出来るなら悪い事では無い。
仕事に差し支えが無ければだが。
『冬樺様をきちんとお連れしたなら胸を張って帰れる。お頭にも認めてもらえるしな。』
だから最後までやり遂げるさと直弥は表情を引き締めた。
それを知らないのだろうか。
直弥が真面目に考えているとは沙知は知らないのだろうか。
「直弥は真剣だぞ。」
女の表情が初めて揺らいだ。
「・・・約束した訳じゃ無い。二人とも寂しかったし、近くにいたから・・・」
気持ちは判らないでは無い。
衡太自身にそんな気持ちは無くとも。
「俺が関わる事じゃ無い。二人でよく話し合うしかないだろう。里に帰ったら・・・・!!」
男の眼に映ったのは禍々しく赤い火柱。
紛う事無くそれは榊原家の方角。
瞬間、男の姿がかき消えた。
その少し前、冬華はやはり眠れずにいた。
照明が無くとも困る訳では無い自分に僅かに苦笑して身を起こす。
ベッドの足元に用意して在る服に着替えて一つ息をついた。
気持ちはどうしても今朝方の先生の話に戻ってしまう。
この九年間という長い時間を一番身近で過ごしながらも、先生は常に数歩の距離を保っていた。
驚くほど寡黙な人だが嘘をつくような人間で無い事は何故だか判る。
だが、だからと云ってあの話が真実と頷くのも難しい。
もし万が一にも眼が開かなかったなら先生はどうするのだろう。開いたのなら自分はどうなるのだろう。
居たたまれない思いの中で彼女は裸足の脚を踏み出した。
(せめて気持ちだけでも落ち着かせよう。)
まるで見えているかのように滑らかな動きで部屋を出ると階段を下りて行く。
母屋から続く渡り廊下の突き当りのささやかな道場に入ると慣れ親しんだ動作で神棚に深く一礼する。
脇に掛けられた竹刀に混ざって素振り用の重い木刀を手に取ると冬華は気を集中した。
真っ直ぐ伸びた背中、力む事の無い両椀、腰が決まり滑らかに脚が出ると同時に鋭い剣先が空を切った。
一本、また一本と木刀が振られ、振る度に気持ちが澄み切って行く。
雑念が、薄紙を剥がす様に一枚一枚消えて行く。
普段では感じられない感覚。
重い身体を脱ぎ捨てて精神だけが其処に有る。虚空の中で剣と同化して行く。
その不思議な感覚の中に、何かが入って来た。
ザワリ・・・と肌が粟立つ。
これは、今朝方と同じもの。
異質な、おぞましい気配がゆらゆらと、まるで迷うように近付いて来る。
時計の針がカチリとひとつ進んだ。
ピタリと動きを止めた冬華の額には真冬の深夜にも関わらず汗が滲む。
また一つ針が進む。
それと同じように異質な気配もゆらっと近づき・・・
カチ!
振り返った冬華の双眸が黄金色を放って開いた。
奔流の様に流れ込む過去と正面に立つ魔。
結界の消滅などもはや些細な現象でしかない。
邪悪な赤い眼が冬樺を捕えると魂ぎる様な絶叫を発する。
それは怒りなのか喜びなのか。
裂けた口角が嗤ったように攣りあがり、次に発した叫びは赤く染まっていた。
冬樺は自分に向かって来る渦巻く炎で呪縛が解け、それを咄嗟に躱した事で体の自由を得た。
他の何でも無い。今この時、この敵を倒さなくてはならない。
憎悪に満ちた赤い眼、曲がった鉤爪を振り上げ雄叫びと炎を吐き出しながら飛び掛かって来た魔に対して、冬樺が使える武器は手の中の木刀一本だけだった。
にも拘らず冬樺の脚は真っ直ぐ前に跳んだ。
すれ違い様の一撃が何の躊躇いも無く叩き込まれる。
弾け飛んだ魔を眼で追いかけてやっと炎に撒かれた周囲に気付いた。
唖然とした耳に馴染んだ低い声が届く。
「力を押さえろ。」
見返した冬樺の眼に映ったのは・・・
「・・・先生。」
いつ何処から現れたのか、男の視線が木刀に流れた。
「剣に宝力を載せたか。良くやった、でるぞ。」
冬樺は気付かなかった。
男の身体が倒した魔の姿を巧妙に遮っている事に。