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『火の宮』の姫  作者: 澤田 紅
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誕生 三

ごめんなさい。 一話だけ別物にします。

今後は気を付けますので、どうかお許し下されませ。

『そなたらに血と力を分けたは我らの間違いであろうぞ。

だが、魔に魅入られ魔を呼び込んでしまった者を人とは異なる我らが滅ぼす事は適わぬ。人の世の魔を退治るは人のみ。

心して聴くが良い。この里は我らが時空と常の世との境に置こうぞ。

何時の日か火の宮に掛かる御子(みこ)が現われ魔を滅ぼした時こそそなたらの役目も終わろう、静かなる永劫の時に浸れようぞ。』

天狗の長の言葉は貴人も里人もすべからく耳にした。

つい先ほどまで死をも覚悟で戦っていた敵の魔族の姿も無く、住み慣れた里とは似ても似つかぬ深層たる深い山中。

生き残った総て、かつて繁栄を誇った里の三割にも過ぎぬ民が呆然と其処に居た。

天狗の声が響く。

『里人は新たなる里を創るが良い。七宝家の者には里渡りの術を授けよう。』


そして天狗の里の物語が始まる。

繰り返される繁栄と襲撃は天狗に護られつつその形さえ大きく様変わりさせる。永い時の流れの中で伝承は薄まりはしたが今でも祝詞の中に謳われる。

人の世と天狗の住まう時空は時に重なり、時に離れ、その度の魔族による戦線が開かれながらも時代は流れて行く。

それはやがてこの時代の中に具現する。



昭和五十二年十二月。

何時に無く冬の到来が早い十二月の早朝。

だがその場に居る二人の人間には冷気も裸足の脚が踏む冷たい床も気にはならなかった。二人の間に張りつめられた緊張の糸は研ぎ澄まされ、まるで金属のような音さえ聞こえるほど。

防具に身を包み、竹刀を構えた爪先がじりりと僅かな距離を詰める。

小柄な片方の脚もそれに反応して回り込む様な動きを見せた瞬間、前に飛び出した。

決着はまばたきよりも早く付く。

仕掛けた剣先を受けようとしたやや背の高い竹刀は躱しきれず見事に面を鳴らした。

「・・・・良し、此処までじゃ。」

開始戦まで下がって礼を執り面を外すと皺深い顔がほころんだ。

「ここ数日で腕を上げおったな。見事な面じゃった。」

言葉を向けられた相手が顔を上げると、その上気した頬が緩んだ。

陶器のような滑らかで白い肌、摘まんだように小さな鼻とキリリと結ばれた唇。一見少年にも見える涼やかな表情だが口を開くとその声はあどけない少女の優しい声であった。

「おじい様が手加減して下さったから・・・まだまだです。」

まるでかぐや姫の様だと思いながら老人は少女の後ろに存在さえ消して座っている男に頷きかけた。

「先生からは取れないか、確かにまだまだじゃな。」

早朝から始められる二人の練習の最初には確かに居なかったはずだが、いったいいつ来たものか。

老人はその瞬間を未だ見た事は無いがそれは既に馴染んでいた。

気付くと小さな道場の中、ひっそりと必ず座っている。


「では先生にお願いするとしようか。」

その声に男が一礼して立った。スラリと背の高い、胴着の上からでも判る鍛えられた俊敏そうな筋肉を老人は僅かに羨望の眼差しで見上げて場を譲った。

竹刀の持ち手から足捌き、技の数々を教えて来た弟子の少女は孫と云う贔屓目を抜きにしても良い腕をしている。剣道三段の龍之介の、今では上を行っているだろう。だが、そんな冬華でも先生には遠く及ばない。

龍之介の眼にも追いつかないほどの速い剣捌き、十分な踏込、躱しも返しも呆れるぐらいの攻防が続く。冬華が自分相手には力を抜いている事が良く解かる。

確かに八十を超えた自分と二十代半ばの先生とでは違い過ぎるのは無理も無いが。

やれやれ、歳は取りたくないものだと苦く笑った処で冬華の面が鳴った。

「面有、一本!」

打たれた割に嬉しそうな孫娘と表情ひとつ変えない先生に龍之介は続けた。

「さて、汗を流して飯にしよう。婆様が角を出さない内にのう。」

笑った孫娘の顔はやはり老人が唯一知るおとぎ話のかぐや姫のように綺麗だった。

惜しむらくは・・・。



東京都世田谷、閑静な住宅地として世には知られるS町の一画に榊原家は有った。古くから此処に住んでいる住人にとって高級住宅街として世間が騒ぐほどの実感は無い。

土地だけは広いものの家屋は木造二階建てのごく普通の家だったし、多少変わっているのは敷地内に剣道の道場が造られている事だろう。もっとも常緑樹に囲まれていて外からは見えにくい。

主の榊原龍之介は妻のなをと、たった一人の孫娘、冬華との三人暮らしであった。

息子夫婦は長く留守にしている。

外交官としてもう十二年の長きをヨーロッパで過ごしているのだが、一人娘の冬華を預けて行ったのには理由が在った。じきに十五歳になる冬華はその名の通り冬の花の様に美しく聡明で素直な、誰にでも自慢できる娘として育った。だが、たった一つ・・・眼が見えない。

預かった三歳の頃から固く閉ざされた両の瞼が開いた事は無く、国内の医者では治療が出来ないと云う。仕事の合間に欧州で医者を探す二親に成り変って龍之介夫妻は冬華を育てて来たのだ。

生まれつきと聞いた病では有ったが治療しだいで治るらしい。その日を楽しみにしている二人だが当の本人、冬華はさほど不自由してはいなかった。

馴染んだ屋敷内なら何処にでも行けるし食卓での粗相も無い。身の回りの総てを一人で出来る。

ただ、一切の外出は無かった。学校も小学校就学年時から家庭教師を頼んでいる。眼の見えない事で弱い子にならない様にと祖父の得意な剣道を習い始めた同時期から、毎日の様に家に来て学業を教えてくれるのは彼女からすれば唯一人だけ知って居る他人、根本衡太。

榊原家で先生と呼ばれる彼がこの九年間の大半を此処で過ごしている事を誰も不審には思わない事が不思議だった。

(そう云えば・・・先生の大学は何処なんだろう。)

六歳の子供からすれば大学生は計り知れないほどの大人であったが、明日には十五歳を迎える今も全く変わらない。大学生から大学院生に替った程度だ。

不思議と云えば幾らでも有る。一人の時に聞こうと思って居ても先生の前では忘れてしまう。記憶力が悪い訳では無いし数式や漢字などの質問は覚えているのだ。ただ先生に関してだけが出て来ない。そして先生も変わっていた。

眼が見えないにも拘らず冬華を全くの健常者として扱っていた。

点字など端から教える気も無かったし写真などもじきに見えるようになると云わんばかりに簡単な説明で終わらせてしまう。

漢字も英語の綴りも・・・そして何より。

冬華には自分が全くの盲目とは思えなかった。

人は元より室内も廊下も階段も薄墨の色彩の中で感じ取れるのだ。

まるで見えているかのように。

しかしそれを告げた事は無い。

おじい様にもおばあ様にも・・・当然先生にも。


だが先生は知って居る。

それは確信であった。

自室に備え付けられた小さなシャワールームで汗を流しながらそこまで考えた時動きが止った。

何時もと同じ生活の中の僅かな違和感。

何かが探している。

何かが探っている。

それはこの数日時折感じていたがこれほどはっきりと捉えた事は無かった。体中がおぞましい嫌悪に包まれるほどそれは近くにいる。

「冬華。お食事ですよ。」

ドア越しのおばあ様の声が響いた途端気配が消えた。

ザワリと立った鳥肌を熱い湯で流しながら冬華は大きく息をついた。


榊原家の食卓は何時もながら賑やかだった。

「おじいさん、お醤油かけすぎですよ。塩分は控えて下さらないと。お医者様にも注意されたでしょう。」

「先生。御代わりは? 遠慮なさならないで。」

「冬華、この煮物もおあがりなさい。ヒジキは好きでしょう。」

賑やかなのは榊原家の主、龍之介の妻女、なを(・・)である。

他の三人は言いなりで時折堪りかねた龍之介が唸る様に云い返すだけだった。

「少しは黙って居られんか。」

勿論、なを(・・)は黙ってなど居なかった。

たった一言返しただけで三倍の速射砲を浴びた龍之介がそそくさと退場した後、少女は男と自室に向かった。

二階の冬華の部屋はかつて彼女の父親が暮らしていた部屋で、贅沢にも二間続きに後から増設されたユニットバスが着いている。

何時もの様に勉強机に座って冬華は僅かに息をついた。

さっきの気配は既に無いがあの気持ちの悪さだけは何処かに残って居る様だ。


「何か有ったのか。」

驚いた。

余りに驚いたので左側に座る男に見えない眼を向けてしまう。

先生が口を利かない訳では無い。が、淡々とした授業以外では聞かれた事にだけごく短く答えるだけの異常に無口な人だと冬華のみならず榊原老夫妻も承知していた。


『悪い人じゃないんですけどねぇ。寡黙を通り越してらっしゃる。』

『お前がしゃべり過ぎて口を挟めんのだ。』

『まぁ、おじいさんったら。』

何時だったかの会話で三人で笑うほど先生-根本衡太-の無口さは知られていた。そのまるで牡蠣のように固い口が冬華よりも先に開くとは・・・


「何だ、その顔は。」

落ち着いた低い声に何処か笑いさえ含んでいる。

「いえ・・・先生が・・・先生から声を掛けられるとは思わなくて。失礼しました。」

自分の頬が熱くなったがそれを打ち消す様に冬華はさっきのシャワールームでの気配を語った。

「気のせいだとは思うんです。でも・・・此処何日か同じ感覚がしていて。今日ほど強くは無かったからおじい様やおばあ様にも言っ無かったけど・・・何かの・・・病気でしょうか。」

眼が見えない事で余計に他の病気が気に掛かる。今まで無かったから尚の事。話すうちに白くなった唇が噛みしめられたが男は冬華が思いもしない言葉を告げた。

「開眼前であの程度の僅かな気配を感じ取ったか。やはり過去にない宝力を備えて居る様だな。」

そして。

思わず冬華がビクリとするほどの強い気を発した。

それはシャワールームで感じた気配に近く、更に強い物だった。素早く消えた気では有ったが残響が漂っている。

「似ているだろう。これは一族に伝わる宝力だ。お前が感じ取ったのは遥か昔に一族から分かたれ、魔に魅入られた魔族の気配だ。同族ならではの似たような気配を持っている。」

一族、同族・・・そして魔族。

いったい何の話をしているのだろう。

呆然とした冬華の震える手から教科書が抜き取られた。


「今日の授業が最後だ。お前の過去と少し先の未来について教えておかなくてはならない。質問は後だ。」

今までにない怖い程の緊張が張り詰めた弓弦の様に男から漂い冬華の耳を釘付けにした。

「お前の本当の名は左京冬樺。左京家の末子にして三の姫宮となる。

当時の御屋形様は左京陵悠様、正室は迦絵様。姉君の一ノ宮は葉瑠(はる)()様、二ノ宮は珠洲夏様。 お前と双子の兄上は(りく)()様、左京家の十九代目となられるはずだった。」

それが過去形である事に気付いた冬華はまるで見えているかのように男に顔を向ける。

「はずだった・・・?」

「そうだ。今はおられない。陸詞様とお前が三歳の時『祓い魔の儀式』の折、魔族に里が襲われた。それ以前も何度か強襲された事は有るがあれは・・・あそこまでの大軍は初めてだったそうだ。その乱戦の中で里の根の者の七割と貴族の半数が失われた。お前のご両親である十八代目様と迦絵様、そして一ノ宮様、二ノ宮様までも。生き延びた高位貴族が辛うじて発した里渡りの術で辛くも逃れたが十九代目を継ぐはずの陸詞様の姿は無かった。未だに生死は判らない。」

淡々と、今までの授業同様なんの変わりも無い口調で語られる内容は冬華にとっては受け入れがたい。

まるで物語のような話に彼女は反射的に拒絶した。

「そんな事私は知りません。おじい様やおばあ様からそんな話は聞いた事も無い。」

咄嗟に出た言葉に冬華は身を竦めた。今まで口答えなどした事も無く反論など当然しても無いのだ。が、男は怒らなかった。ひどく静かに告げる。

「榊原夫妻の一人息子は遥か昔、まだ幼い頃に事故で亡くなった。孫と云う立場を二人の記憶の襞に擦り込む術を使っただけだ。その上でこの敷地ごと結界で覆われている。

はっきり言おう。お前は榊原夫妻とは無縁の人間だ。お前がこの屋敷を出れば二人の記憶から総てが消える。」

椅子に座って居なければ崩れ落ちていただろう。

それ程の衝撃を受けながらも冬華の理性の何処かは酷く冷静にそれを受け止めていた。

「お前の記憶も封印されている。今夜零時を過ぎれば眼が開く。結界が消えればお前の個人としての記憶は解放されるがそれと同時に宝力も発動する。お前の力は未だ未知数だがこれだけは判っている。左京家以下の高位貴族の誰よりも強い宝力を持っているだろう。開眼が十五歳など誰一人聞いた事も無いからな。そして陸詞様のおられぬ今、十九代目を受け継ぐために、魔族との戦いの記憶を受け継ぐために里に入らなくてはならない。左京家最後の一人としてのそれがお前の運命(さだめ)だ。」

納得できる話では無い。冬華の表情からそれを見て取ったのか男は僅かに息をついた。

「零時になればわかる。出来ればそれまで此処の二人には黙ってやって居てほしい。今の彼等にはお前は何より可愛い孫娘だ。無意味に悲しませることを俺はしたく無い。今まで護ってくれた二人への・・・せめてもの配慮だ。」

零時に迎えに来ると云い残して男は席を立った。ドア口から振り返った男の眼に映ったのは僅かに俯いた蒼白の横顔。やっと十五歳の華奢な肩だった。


「あら先生、今日はもう終わりですか。」

階段を下りた処で掛けられた声に男は僅かに頷いた。

「院の方で用が出来ました。明日また来ます。」

「あらあら、お昼御飯が・・・」

云いかけた言葉はじっと見つめる男の眼を見ると消えた。

「・・・はい。お気を付けて。」

頷いて向けた男の背中になを(・・)が慌てて言葉を掛けた。

「先生、今月分のお礼を。」

用意して置いた封筒を押し付けて、

「いつも有り難うございます、今後とも宜しくお願い致します。」

男の背中を見送ったなを(・・)が居間に戻ると新聞を読んいた龍之介が眼を上げる。

「どうした、先生はお出かけか。」

「ええ、学校に御用だそうですよ。」

頷いてお茶をすする老夫になを(・・)は思いついたように言葉を続けた。

「龍一郎から電話が在りました。良いお医者様が見つかったそうで、来月には冬華を迎えに来るそうです。」

「おお、それは良かった。早く治ると云いのう。」

「ええ、楽しみですねぇ。器量良しの花嫁になりますねぇ。」

「気の早い事を、まだ十五だぞ。それでも・・・あまり早くやりたくは無いが・・・わし等が生きている内には見たいものだな。」

「本当ですねぇ。」

それは穏やかな小春日和の会話だった。


階下で老夫婦がのどかな会話をしている頃、二階の自室で冬華は未だに動けずにいた。

先生の話の総てを理解したとは言えない。何処を取っても現代とはかけ離れた、まるで昔話のような内容だったし、何故自分がそんな立場になるのか判らない。判りたくない。だが、確かに・・・

時折掛かって来ると云う両親からの電話を彼女自身は受けた事は無く、二親の写真さえこれだと云われた事が無い。

この家から一歩も出た事は無いし、何より・・・祖父母と根本衡太以外の人と会った事さえ無いのだ。

世間に疎いのは判っているが住宅地のただ中に家を構えている以上誰一人訪れない筈は無い。それはあまりに不自然だった。彼女自身の記憶も封印され操作されていたとするなら・・・辻褄は合う。

『今夜零時に眼が開く、零時になればわかる。』

お昼を知らせに階段を上がって来る祖母のパタパタと云う音が聞こえてくる。生活の時間に正確な祖母に感謝して冬華はゆっくり立ち上がった。

あと十二時間。先生の言った事が本当か、そうで無いのかはそれまで待てば良いだけだった。




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