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『火の宮』の姫  作者: 澤田 紅
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天狗の里 十四

魔族を振り切った二人が駆け寄ろうとした矢先、それに先んじた男が一人日向の頭を見下ろす位置に立っていた。

浅黒い肌、切れ長の紫色の眼に紫色の光を纏った魔族。

それは滅多に遭遇しない上位魔族だった。


いきなり市を蹴り飛ばす。

蹴られた躰がごろりと転がった。

「ほほう、まだ息があるようだな。」

呻いた市を嬲る様に踏みつける。

その動きに日向の意識が戻った。

「や・・・やめろっ・・」

日向の手が男の脚に掛かったが、反対にその手首を踏まれて動きを封じられた。


ぐっと怒りを押し殺した弦伍に魔族とも思えないほど人間くさい男が笑う。

「我が判るか。どうやら唯の根の者では無いようだ。」

使い魔程度ならばこの場から焼き払うことも出来るが、これが相手では生半可なことは出来ない。

滅ぼす心算なら日向も間違いなく巻き添えになる。

当然、藍も動きを止めていた。

「上位種が出張るとは思わなかったぜ。」

唸るような弦伍の言葉に男はまた笑いながら右掌を魔が占める夜空に向けた。

紫の炎が吹き上がった。

途端に魔族の動きが止まる。

「案ずるな、今日は交渉に来た。里の長を出せ。」

響いた言葉に動きを封じられたのは魔族だけではない。

弦伍の視界の中で、もの凄い形相の蒋次が男を喰い入る様に睨みつけている。

根の者たちの視線もただ一点、男だけに向けられていた。

妙な緊張の中で弦伍が問い返す。

「魔族に長を差し出すと思うのか?」

どうやら交渉役になってしまった弦伍が返すと、男の首がグリンと有り得ない角度に傾げられる。

はっきり言って長とやらを出して日向が戻るなら弦伍は躊躇わないだろう。

が、それこそ有り得ない。

男の指が弦伍の少し後ろに立つ藍を指した。

「お前だ。この子供の代わりとなって我が同胞の餌となれ。その力に、見よや。涎を垂らして居るわ。」

嬲る様に笑いながら空を指す。

そのおぞましい声に何の躊躇いもなく藍が一歩踏み出す。

「良かろう、仮にも上位魔族だ。約定を違えるとは思え・・・」

「長は私だ!」


響いた声の主は遥か上空。

忽然と黄金の光が辺りを照らした。

蒋次どころか弦伍や藍さえ声を失った。

今ここで現れて良い者では無い。

だが、

「我が名は左京冬華。左京家十九代目を継ぐ長である。上位魔族、名を聞こうか。」

凛凛と響く澄んだ声音に、その威容に、思わず弦伍が膝を屈した。

周囲も同様に礼を取り上空を仰ぎ見ている。

感動に打ち震える身を隠しもせずに・・・

「ほう。左京家十九代目とな、どうか良しなに。我は・・・海。」

ざわめきは低く、やがて大地を振るわせるほど怒りを込めて膨れ上がった。

海は根の頭を拝命していたはずの男の名だ。

顔を知らない弦伍でも海が魔に堕ちる筈がない事は判り切っている。

だが、なぜ此処で海の名が出たのか。

「海・・・か。戯言だな。名無しの魔よ、交渉とやらを申してみよ。」

嘲る様な哄笑が癇に障る。

「幻魔王様が長をご招待申し上げる。恐山にてお待ちする故、少々遠出であろうが三月後お越し下されたい。無論、供は精鋭をお連れ下され。」

良い餌になろうと笑った直後だった。

金色の光が爆発した。


弦伍には暖かな光だった。

疲れもしこりも解す柔らかで懐かしい光だった。

何時までもその光の中に浸っていたいと思わせる程の。

これが御屋形様の発する力、宝力とは正にこの光そのもの。


光が消えると・・・愕然とした。

驚いた顔の市が日向を抱えてそこに居る。

弦伍の、藍の、すべての里者の傷が癒えている。

そして、海を詐称した上位魔族以外の魔は消滅していた。


「なるほど、これが長の力、『火の宮』の御子の宝力か。幻魔王様が望まれる事よ。

三月後が楽しみよの。来られぬ時は我が同胞がこの世に放たれようぞ、『火の宮』の姫。」

ニタリと笑うと首がまたグリンと戻り、躰が浮き上がる。

瞬間、禍々しい紫色の光が夜空を割って北へ抜けていった。



里は静まり返っていた。

その静けさの中に金色の光がふわりと降り立つと、弦伍の周囲は抑えきれない感動を込めて大地に平伏す。

弦伍でさえ頭を上げる事が出来ない。

どれほどの魔族との戦いにも動じた事など無い男が、自分の鼓動さえ制御しきれない。

その頭上に、柔らかな声が掛かった。

「お前が蒋次?」

思わず顔が上げられた。

光の残滓を纏った少女は未だ輝く黄金の眼を弦伍に向けていた。

「いえ、蒋次はそれに。」

示された男がざざっと膝を進める。

「蒋次で御座います。」

深々と下げたままの頭に、ふぅ・・と、ため息が漏れた。

「礼を取ってくれるのは判るが、今は急いでいる。みんな立ちなさい。」

と、云われて立てるものではないが、そこに別の声が掛かった。

「蒋次、お屋形様が仰せだ。立つが良い。」

素早くたつ気配は弦伍の後ろ、藍。

それに釣られて弦伍が、蒋次たちが身を起こした。

根の者の真ん中に立つ少女を護る様に白上掛けを羽織った上位貴族が控えていた。



「蒋次、衡太は?」

「は、我が家に・・・ですが・・・」

音に出されない言葉を呑んで蒋次が誘う。

「こちらで御座います。」

気付けば魔に押されて思わぬほど奥に来ていたようで、蒋次の家はすぐそこに有る。

どう云う訳かぞろぞろと大半の者が後に続いた。


広い三和土の向こうに囲炉裏を切った居間が有り、その板敷に薄い布団が敷かれ襤褸雑巾のような男が横たわっていた。

市の配下が数人、護りに着いていたがその一人が眼を伏せて低く告げた。

「残念ながら、たった今・・・」

今まで息が有った方が不思議だった。

先ほどの光のお蔭であろうが、傷は癒えているようにも見える。


「三魂七魄・・・繋ぎ止める。」

呟いたのは長。

「冬華、無理だ。」

貴族が反したが、長は靴を脱いで布団の湧きに座り込んだ。

「魂繋ぎの術を使う。莉貴丸殿、蒋次、全里人の助力を乞う。」

返事をする間もない。

あっという間に長は白熱の光に包まれた。


眩い光の中で発光体と化した手指が印を組み、咒言が唱えられていた。

三和土に居並んだ蒋次以下の根の者に混ざり弦伍も藍も、日向たちも身に刷り込まれた咒言がごく自然に口から紡がれる。

どんな術式でも施術者が組むもの。あとは咒言が力を繋ぐと、それは判っていたし、術が大きければ大きいほど力が削がれることも当然だった。

だが、どれほどの時が流れたのか。

汗にまみれた弦伍の上体が揺らぐ。

日向は既に気を失って倒れていたし、他にも数人が伸びている。

これ以上は厳しいと思った時、大きな力が加わった。

朦朧とした視界に上位貴族の姿が映る。

一人二人では無い。夥しい数の貴族が咒言を唱え、その手に印を組みながら現れたのだ。


薄れそうな意識の中で不可思議な光景が見えた。

長の伸ばした半透明の手が、剥離した最後の魄を捉まえる。

横たわった躰に、魄を掴んだ手ごと埋め込む。

術が成った瞬間。

周囲は黄金色に染まった。


弾け飛んだ長を眼に写しながら弦伍は意識を手離した。






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