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ミツバチ⇔ミツバチ

 人間の意識は、その表層に過ぎず、その深層には無意識の領域が膨大に広がっている事を明確に指摘したのは、精神分析学を創始したフロイトでした(一応、断っておくと似たような主張をした人は、彼の登場以前にもいたそうです)。

 彼は精神分析学の中で、人間の意識は人間の行動にとって、中心的な役割を果たしていない事を主張したのです。が、実は、この精神分析学には、反証不可能性がある点が指摘されています。つまり、それが本当なのかどうなのか検証する術がない(だから、非科学的だ、と反証主義の観点からは言える訳です)。ですが、この無意識の領域の膨大さについては、正しいと認めてしまっても良さそうです。何故なら、反証可能な、大脳生理を研究する分野からも、同様の結論が出されているからです。

 脳は無意識の領域の様々なシグナルを受け取って、初めて意識を創り上げる。そしてその“無意識”には、身体からの情報も多分に含まれているのだそうです。例えば、“やる気”なんてものは、行動してから発生するケースがほとんどなのだとか。……だから、「やる気が出ない」という人は、取り敢えず行動してみましょう。行動し始めてみれば、身体からのシグナルを受け取って、後から“やる気”が付いて来るかもしれません。ま、これは、その人の気持ちをも含めた“コンディション作り”の腕前にもよるのですが。

 普通、人間の脳は“行動の統率者”と見なされる事が多いですが、『精神など肉体の玩具に過ぎない』というニーチェの言葉にもある通り(いや、これって、きっとそんな意味だと思うのですが、どうなんでしょうね?)、実は身体の影響がかなり強く観られるのです。

 脳以外にも神経は存在し、各臓器や皮膚などの個別の“思考”(と仮に表現させてもらいます)が、人間の行動に影響を与え、それが意識にも反映される。

 これは、『人間というシステムは、各種器官からの情報の相互作用によって行動が決定される、集団的知性を利用したものだ』と表現が可能です。そしてそれは、自己組織化現象と呼ばれるものとも関係があります。

 ただ、ですね。とは言っても、人間の意識が、全体の行動をコントロールしている、という要因ももちろんある訳です。“意識”がどんなものであるのか、はっきり言って、現代の科学にはほとんど手も足も出ないような状況ではありますが、それが行動を制御する為のものである点は、ほとんど疑う余地がないでしょう。人間は、意識というものを創り出し、行動を制御する戦略を執った生物で、恐らくは、その進化の最前線にいる。

 さて。では、この“意識”を利用しない知性は存在しないのでしょうか? 別に知性と意識は必ずセットという事はないはずです。例えば、人工頭脳には、恐らく意識はないでしょうが、知性はあると表現しても良いでしょう。生物にだって、そういう存在は考えられます。つまり、意識を創り出す脳に当たる部分が存在せず、身体器官の相互作用によってのみ行動をコントロールし、生存をし続ける……。

 実は、アリやシロアリやハチなどの社会性昆虫はそういった動物である事が知られています。もっとも、個体の事ではなく、コロニー(つまり、“巣”全体です)を一つの生物と考えた場合、なのですが。脳が存在せず、個別行動の相互作用によって、コロニーはある種の知性を獲得している。いえ、こういった昆虫だけでなく、粘菌などの原始的な生物でもこれはあるのだとか(ハダカデバネズミは、どうなのだろう? とか、今少し思っちゃいましたが。いえ、ハダカデバネズミってアリなどと同じ様な真社会性の動物なんですよ。哺乳類としては、かなり珍しいのですが)。

 今回は、その中でも人間社会と特に密接な繋がりがあると言われる、ミツバチの世界を観てみたいと思います……


 ……ブーン


 ……できるのなら、羽音を思い浮かべてください。はい。ま、ミツバチの羽音ですね(あ、どうでも良いのですが、もしこれを読んでいるあなたが、小説を書くとしたら、こういった擬音を小説に用いる場合は、気を付けてくださいね。擬音ってのは、抽象的なものではなく、そのまま“音”を表現したものです。で、そういった直接的な表現は、幼児期に特徴的なもの。つまり、擬音の活用は、文章の質を幼稚にしてしまうのです。これは、三島由紀夫が『文章読本』の中で指摘してもいます。ですが、それは逆を言えば、文章の質を幼稚にしたい場合は、擬音を活用すれば良いって事でもあるのですが。因みに、今回の場合は、単にちょっと遊んでみただけです。別に幼稚にしたいとかではなく。それにしても、本筋に関係がない上に、やたら無駄に長いですね、このカッコの中身)。


 ブーン……


 今は春先。雨上がり。少しずつ気温が上がり、そろそろ植物達の花も咲き始めるのではないか、という頃。

 冬の間、寒さとそれに伴うハチミツの枯渇に耐え続けてきたミツバチのコロニーは、そろそろ限界に近づいていた。

 餌が欲しい。花粉と花蜜。

 花粉は幼虫を育てる為に必要なタンパク源で、花蜜はエネルギー源だ。水分は先日の雨のお蔭で充分に確保できていたが、今、巣には栄養とエネルギーが足らなかった。やがて、そこに探索に出ていたミツバチの内の一匹が戻って来る。先の羽音の主だ。彼女は帰ってくるなり、そこで8の字のダンスを踊る。それは、採餌蜂達への招集ダンスで、蜜源の発見を知らせるものだ。

 『集まれ! 蜜よ! 花粉よ! 今年もついに花が咲き始めたわ!』

 (もし、言葉があるのなら、こんな感じではないかな?と)

 尻を振りながら、もう一回、更にもう一回と探索から帰ったミツバチはダンスを踊る。一回のダンスの8の字を描く大きさは、蜜源までの距離を示している。蜜源の方向は、太陽とその踊りの角度で表現されている。そして、踊る回数は、その蜜源の重要性を意味する。今、ハチ達は枯渇状態だから、ほとんどどんな蜜源でも重要な意味を持っていた。当然、探索ミツバチは、何回もダンスを踊った。

 採餌蜂達は複眼で、その踊りを捉える。彼女達は飢えている。その踊りに対して、当然、敏感に反応する。

 『餌だ! 餌だ! 餌だ!』

 (とは言わないと思われますが)

 採餌蜂達は、一斉に飛び立った。蜜源はタンポポ。近くの野原に、どうやらたくさん咲いているらしい。ハエやアブ、或いは他の巣のミツバチ達に先を越されないうちに、早く蜜や花粉を回収しなくては!


 ミツバチ達を“彼女達”…、つまり、女性としたのは、働き蜂が全て雌だからです。ミツバチの社会では、野郎は働きません。羨ましい…… じゃなくて、少しは働けって感じですよね? プンスカ、プンプン!

 ただ、ま、実はミツバチの雄には、悲しい運命が待ち受けてもいるのです。ここではそれを多くは語りませんが。

 ここまでの記述ではまだ、それほど“集団的知性”と呼ぶに相応しい現象は登場してはいませんね。

 蜜源を発見したミツバチが、それを重要だと一匹だけで判断して8の字の招集ダンスを踊りまくって(踊る回数が多い方が、より重要な蜜源なのです。因みに、ハチだけに8の字ダンスなんてダジャレは思い付いても口にしない方が良いです。思わず、言いたくなるのは分かりますが、駄目。我慢して!)、飢えている採餌蜂の群れがその情報に反応して餌を求めて飛び立っただけです。知性と呼ぶには、あまりに単純過ぎる。ま、それでも知性は知性かもしれませんが、自然環境に適応するミツバチ達の知性に触れるのは、まだまだこれからです。では、続きを観てみましょう… と言いたいところですが、先に進む前に、予備知識を加えておきましょう。そうじゃないと、どんな観点からミツバチ達の集団的知性を観れば良いのか分からなくなりますから。

 働き蜂達には、構造上の差異はほとんどありませんが、就く仕事は様々です。育児蜂や女王に仕える侍女、巣建築係、食物貯蔵係などの内勤蜂。つまり、巣の中で働く蜂って事ですが。後は採蜜や採粉、採水といった仕事を担う採餌蜂である、外勤蜂。これは巣の外で働くって事ですね。

 ほぼ専任で、特定の仕事しかやらないような蜂もいる事はいるらしいのですが、ほとんどの働き蜂は仕事を変えていくそうです。初め若い頃は、育児や巣作りなどの仕事から始め、次に食物貯蔵係になり(これは単に貯蔵するだけでなく、花の蜜を受け取り、蜜の水分を蒸発させ、酵素で分解する事で、ハチミツを生成する仕事でもあります)、最後には外の世界へ蜜や花粉や水を採りに行く外勤蜂となって、一生を終える。

 そして、どうやら仕事を移ると、通常はほとんど以前の仕事には戻らないそうです。不思議だな、と僕なんかは思いましたが、これにはもしかしたら、“管理の難しさ”という要因があるのかもしれません。簡単に仕事を変えられると、社会内部が混乱して却って弊害が生じてしまう。多細胞生物の細胞でも、一度“分化”されて役割が定まってしまえば、後はその役割しか担いません。細胞の役割は変わらない。あと考えられる要因としては、新陳代謝でしょうか? 内から外へ仕事場が移り、最後は巣の外で一生を終える(場合が、多い)。この流れは、スムーズに巣の新陳代謝を起こしてくれます。巣内に死体がたくさん転がれば、病気やダニなどの寄生虫の温床になってしまいますから、巣の外で死んでくれるのはありがたいはずです。

 さて。では、何だか長くなってしまいましたが、ミツバチ達の話の続きです。


 タンポポからの蜜の採取によって、活性化したミツバチの巣。ところが、そこに更に探索蜂からの報告が入った。

 『2時の方角、森の中、少し遠目だけど、そこに桜の花が咲いているわ!』

 (花の種類までの情報は、持って来ないはずですが、一応)

 ミツバチ達は、既にタンポポ花蜜の採取だけで手がいっぱい。採餌蜂も、食物貯蔵蜂も余っていない。だけど彼女達は『人手が足りないの。その花蜜は諦めるわ!』とは、滅多な事では言わない。何故なら、花の蜜に対する彼女達のモットーは、

 “チャンスは逃すな! 蜜を見つけたら、できる限り集める!”

 だから。

 花の蜜は、実はそれほど収穫するチャンスに恵まれていない。時期を逃せば即アウト。しかも、蜜は彼女らにとって、とても重要なエネルギー源でもある。その為、ミツバチ達は蜜源を発見したなら、貯蔵空間が余っている限り、集め続けようとするのだ。採餌蜂も、食物貯蔵蜂も足りないのなら、他から労働力を集めようとする。例えば、育児蜂や巣建築蜂。

 でも、そうする為には、問題がある。まず、そもそもミツバチが自分達の労働力不足を知らなければならない。もし仮に、情報を集め、巣全体を管理しているような存在がいれば良いのだけど、そんな存在はミツバチ達の世界には存在しない(女王蜂は、単に卵を産み続けるだけの機能しか持ち合わせてはいない)。では、どうやってミツバチは労働力不足を知るのだろう?

 その辺りの話から観てみよう。まずは、食物貯蔵蜂の不足から。

 桜から花蜜を採り、戻って来た採餌蜂は蜜を食物貯蔵蜂に渡そうとして困ってしまった。なかなか、食物貯蔵蜂が見つからなかったからだ。30秒が経過し50秒が過ぎても食物貯蔵蜂は見つからない。60秒を過ぎた辺りでようやく、食物貯蔵蜂を発見する事ができた。

 それで彼女はこう思う訳だ。

 『やれやれ、どうやら食物貯蔵蜂の数が足りないみたいだわ』

 ミツバチの世界にいじめはない(ないと、そう思う)から、蜜の受け取りに時間がかかる事実は、明らかに働き手がいない事を示している。

 それで彼女は巣の奥にまで出かける。育児蜂や巣作りをしている蜂らがいる辺り。そして彼女はそこで身震いダンスをし始める。ブルブルと身体を震わせ、振動を伝える。彼女のそのダンスと振動に込められたメッセージは、こうだ。

 『はぁい、新人の皆さん! 一生懸命、働いているところ、悪いのだけど、少し話を聞いてくれない?

 ぶっちゃけ、蜜を受け取ってハチミツに加工してくれる貯蔵係が足りないわ。蜜を運んできても、これじゃどうしようもない。誰か貯蔵係にデビューしてくれない?』

 もちろん、全員が全員、それに反応しはしない。でも、何匹かの蜂は貯蔵の仕事に興味を惹かれる。そろそろ今の仕事に飽きてきた頃だし、貯蔵係になれば、外の世界に触れる機会も多くなる。それは刺激的な体験になるかもしれない。

 (と、本当にそんな理由かどうかは分かりませんがね)

 それで、

 『アタシ、やろうかな?』

 『アタシ、やろうかな?』

 と、数匹が貯蔵係に志願をする。結果として貯蔵係が増えれば、安定して花蜜の受け取りが行われるようになる。もう蜜の受け渡しに時間はかからなくなり、採餌蜂が育児蜂などを貯蔵係にスカウトする行動もなくなる。以上の一連の行動で、少なくとも、貯蔵係の不足は補える事になる。


 “統率者”に当たる存在がいなくても、各個体間の情報の受け渡しで、全体的に組織だった適切な行動を執る。実はこれが、集団的知性や自己組織化現象の特徴だったりします。統率者という発想を人間は好み、だから女王蜂が蜂の世界の支配者で、女王蜂が指令を出しているのだと以前は思われていたのですが、実は女王蜂はほとんど卵を産み続ける事しかしないと、現在では分かっています。巣全体を一つの生物と見なした場合、女王蜂は、ま、身体組織作成係といったところでしょうか?

 先にも書きましたが、花蜜は得られるチャンスが少ない上に、エネルギー源として重要なので、花蜜に対しては“採れる時にできるだけ採る”という方針をミツバチ達は掲げているようです。これとは逆に、水の場合は豊富に存在しているので、“足りなくなってきたら採る”という方針だそうです。だから花蜜の場合は“蜜源が存在する”という巣外部の要因が重要なのに対して、水の場合、集めるか集めないかを決めるのに重要なのは、巣内部の情報なのですね。巣の中の気温が高かったり、“水分が枯渇する”という情報が起因になって行動を起こす。蜜と水の中間が、花粉です。花粉に関しては、タンパク源として重要でその必要性がより高まるのは、子育ての時期です。ところが、この時期は季節的に植物が花開く時期と重なる為(と言うよりも、花咲く時期と子育て時期を合わせるようにミツバチは進化したのでしょうが)、花蜜ほどには“採れる時にできうる限り採る”必要性は低いのです。その為花粉は、貯蔵量がハチミツよりも少なく、足りなくなってから採集が盛んになる傾向が強いのだとか。

 さて。物語の中で述べた通り、花蜜に関する労働力補充の判断は、採餌蜂がキーになっています。全体の情報を知る者がいなくても、採餌蜂にとっての“食物貯蔵蜂を見つけるのが難しい”という間接的な個々の情報で、巣全体の労働力配分を調整する為の判断が可能になるのですね(因みに、食物貯蔵蜂を見つけるのに50秒以上かかれば食物貯蔵蜂不足のシグナルだそうです)。もちろん、中には判断を誤ってしまう採餌蜂もいるでしょうが、多数の採餌蜂で平均化すれば、それも問題になる程ではなくなります(こういった事も、集団的知性の効果の一つなのですが)。

 ところで、今回は貯蔵係不足のケースについてでしたが、別の疑問も感じませんか? 労働力が足りなくなるのは貯蔵だけでなく、採蜜でも起こるはずです。その場合に不足を補うのは、どんな仕組みになっているのでしょうか? 次は、それを観てみたいと思います。


 探索蜂が桜に続いて、桃の花が咲いているという報告を持って来た。数匹の採餌蜂が桃の花蜜集めの為に飛び立つ。

 『いいわ。豊作。蜜の受け渡しペースも良いし、これなら充分な量のハチミツを貯める事が可能なはずよ』

 採餌蜂は興奮している。採っても採っても終わらない、花蜜。ところが、ここでちょっとした疑問を採餌蜂は感じ始める。彼女は思う。さっきから、少しばかり食物貯蔵蜂を見つけるのが簡単過ぎないか? 20秒もかからず、食物貯蔵蜂を見つけられる。もしかしたら、貯蔵蜂は労働力超過なのかもしれない。つまり、余っている。

 彼女は首尾よく桃の花を見つけ、花蜜と花粉を採り終えて巣に戻る。他の採餌蜂達はまた、飛び立とうとしているところで、採餌蜂招集の為の8の字ダンスも盛んに踊る。つまりは、蜜源はまだまだ尽きないという事(実際にミツバチが、他の採餌蜂の情報をどれだけ得られているのかは不明ですが)。そして、巣に降り立って、蜜を渡す為に食物貯蔵蜂を探す。すると、10秒程度で食物貯蔵蜂を発見できてしまった。

 これは……

 と、彼女は思う。

 “食物貯蔵蜂は余っているに違いない”

 そこで、彼女は巣の奥に進む。8の字ダンスだけで、蜜集めに誘われる蜂もいるが、それだけでは充分ではない。彼女は一匹の貯蔵係を見つけると、その身体を掴んだ。そして直にその身体に“振動”を与える。

 これは貯蔵蜂に対し、採餌蜂にならないかとスカウトしているのだ。いや、スカウトなんて生温いものではなく、命令かもしれない。

 『今すぐに、花蜜集めを手伝うのよ! 労働力が足りないの!』

 彼女はその後輩に向けてそう言っているのだ。実は、その後輩は今までに何回か、巣の外を飛んで採餌の練習をしていた。“そろそろ自分にもできるかもしれない”と、その後輩はそう思う。

 『分かった。やってみる!』

 しばらく迷ってから、後輩はそう応えた。そして、外の世界へと向かう。外の世界は光に溢れている。危険もあるだろうが、素敵な冒険だってあるはずだ。そうして、その後輩の蜂が採餌蜂になる事で、巣全体の採蜜能力は上昇する事になる。より多くのハチミツを貯められるはずだ。


 採餌蜂を増やすかどうかの判断も、食物貯蔵蜂の時と同じ様に、採餌蜂がキーになっています。採餌蜂が判断して、食物貯蔵蜂に対して勧誘を行うのですね。

 さて。

 採餌蜂を増やすかどうするかを判断するのに必要な情報は二つあります。一つ目は、蜜源が豊富に存在するという情報(先は触れませんでしたが、これは食物貯蔵係を増やすかどうかの判断にも必要な情報です)。二つ目は、労働力が余っているかどうかという情報。

 蜜源が存在する情報は、採餌蜂は既に持っている訳です。何しろ、自分達で花に直に触れているのですから。もちろん、中には判断を誤る蜂もいるのですが、それは先と同じ様に多数による平均化でカバーします。

 となると、後は労働力の情報。先の貯蔵係の時と同じですが、これを採餌蜂は、蜜を渡す為に食物貯蔵蜂を見つけるのにかかる時間で判断します。時間がかかり過ぎた場合は、食物貯蔵蜂が足りないと判断する訳ですが、速過ぎた場合は労働力が余っていると判断するのですね。20秒よりも速いと、そうなる傾向が高いのだそうです。それで、採餌蜂は食物貯蔵蜂に対して、採餌蜂になれ、と勧誘を行う。

 適切な労働力配分は、食物貯蔵蜂を見つける時間が、大体、20秒から50秒の間で、その時間帯から外れれば、労働力を調整するような行動を、採餌蜂は執る傾向が強いらしいです。これは、労働力配分に関してミツバチは“負のフィードバック”の機構を持っている、と表現する事が可能です。

 “傾向”と書きましたが、実はミツバチには個体差があり、それぞれで微妙に(時には、大幅に)行動パターンが異なります。……もしかしたら、“巣の規模”によっても変化するのかもしれませんが。

 どうして、そんな個体差が存在するのだろう、と思いますか? どんなミツバチも同じ様に行動した方が、統制が執り易いだろうに、と一見はそう思えてしまう。

 ところが、その個体差は、集団的知性や自己組織化現象にとって重要なものなんです。一般的に“ゆらぎ”と言われる事が多いみたいですが。そして、その“ゆらぎ”によって、予測不能な自然環境への適応力をミツバチの巣は高めている。では、今度はその話をしましょうか。


 タンポポの花から戻った採餌蜂の一匹は、あまり満足していない様子。彼女はタンポポがお気に召さないのだった。他の採餌蜂達はタンポポに歓喜していたけど、だからたくさん尻振り8の字ダンスを踊っていたけれど、彼女はできれば他の花の方が良い。

 それで彼女は他の採餌蜂達がタンポポに夢中になっているにもかかわらず、他の花を探しに行ってしまった。つまりは、彼女は“変な奴”だったのだ。

 『なんだろうね、あの娘は?』

 (とは、ミツバチ達は言わないと思いますが)

 彼女は他の採餌蜂達が、巣全体に労働貢献している間もずっと、他の花がないかと探索していた。つまりは、何にも貢献していない。だけど、食糧だけはねだる。これは巣全体から観れば、厄介者と言えるかもしれない。

 『貯蔵蜂だった頃や、育児をしていた頃はあんなんじゃなかったのに……。ちゃんと真面目に働いていたんだよ』

 (そんな陰口も言わないと思いますが)

 そのうちに巣の採餌蜂達はタンポポの蜜を集め尽くした。だけど、巣には少しだけ不安が残る。とてもじゃないが、ハチミツも花粉も充分な量とは言えなかったからだ。そんなところに、先の“変な奴”が戻って来た。タンポポがお気に召さなかった彼女だ。そして、8の字ダンスを踊る。

 『皆、聞いて。梅の花を見つけたわ。6時の方角に、咲いているの! とっても素敵な匂いだったわよ!』

 実を言うのなら、この巣のミツバチ達はそれほど梅の花が好きではなかったのだが、蜜源が他にないのなら、それでもそれはとても重要な情報になる。それで、一斉に採餌蜂達は梅の花に向けて飛び立った。

 蜜を集めるチャンスは少ない。もし、変わり者の彼女が探索をし続け、梅の花を見つけてくれなかったら、チャンスを逃していたかもしれない。そうなれば、巣は深刻なハチミツ不足に陥っていたのだ。つまり、彼女の変な行動が巣全体を救った事になる。

 統率を乱す変な奴。簡単に考えてしまうと、害になるようにしか思えないかもしれないが、その存在が実はイレギュラーな事態への緩衝材になってくれているのだ。


 こういった“変な奴”の存在は、遺伝子の多様性がその要因になっている可能性が大いにあります。女王蜂は一匹だから、その遺伝子も大体、同じはずだ、ともしかしたら思っている人もいるかもしれませんが、実は女王蜂は十匹以上の雄蜂と交尾をし、多数の精子を体内に蓄える事で巣内の遺伝的多様性を高めているのです。

 因みに、雄蜂は交尾した途端、破裂して死ぬそうです(当に弾ける恋… ごめんなさい)。更に、冬になれば、働き手としては全く役に立たない雄蜂は、巣の外に追い出されて死ぬ運命にあるのだとか…… 悲しいですね。

 さて。少し話を変えていきます。集団的知性の話をもう少ししましょうか。その簡単な例として、“最短ルートの発見”というものがあります。実は、ネットワークになっている経路の中から、最短ルートを発見する事は数学的に非常に難しいのですが、それを集団的知性は容易に導き出してしまうのです(正確には、近似解なのですが)。

 方法はほんとうにとても簡単で、一度にたくさんの個体を解き放ち、帰って来た者が通ったルートの中から、一番、距離が短かったルートを採用するだけ。これで、最短ルート(または、それに近いルート)を簡単に見つける事が可能になります。

 ミツバチではどうかは分かりませんが、アリはこの方法で、餌場までの最短ルートを導き出しているそうです。そして、その時に重要になって来るのが、“変な奴”の存在。普通のアリは、餌を発見した者の後をつけるのですが、時々、それから逸れて、異なった道を行ってしまう者がいるのです。そして、その“変な奴”が選んだ道が、より短いルートだとしたら、アリ達は更に短い道を見つけられる事になります。

 さて。想像力のある人なら、この考えは人間社会にも当て嵌められるのじゃないか?と気付いてくれるのじゃないでしょうか。

 集団全体が間違っていた場合、集団の決定に従うという行動を執る者達だけだと、その誤りを是正できません。誰かが集団とは異なった行動を執り、間違いを指摘しなくては。科学の発展には、この現象はよく観られますし(いわゆるパラダイム・シフト。“科学革命”ですね)、社会全体の行動にもこれはあるでしょう。

 つまり、集団からは外れた行動を執る“変な奴”は、社会にとって重要な意味を持つのです。だから、“変な奴”の存在を、どうか大切にしてください… と言うのは、ま、自己弁護なんですが。

 ルールを破れ! ロックン・ロール!(なんちゃって)


 集団的知性の観点から、ミツバチの世界を語ってきましたが、では、人間社会ではこれを活用してはいないのでしょうか?

 実は活用しています。集団による投票で社会の方針が決定される民主主義は、その一例だと捉えられますし、もっとはっきりとした例ならば、資本主義経済の市場原理はこの集団的知性の活用です。

 個々の行動が、需給バランスの上での価格の決定に影響を与え、更にそれが個々の行動に影響を与える。アダム・スミスが『神の見えざる手』と表現した現象こそが、実は集団的知性の一つだと現在では知られています。

 もっとも、一般の経済学の本には書かれておらず(少なくとも僕は見た事がありません)、複雑系科学の観点から経済を述べたものでなければ、その記述を見つける事は難しいと思われますが。

 (だから、市場原理が集団的知性なのだという事を、経済学者や経済アナリストが知らないケースもあります。もし、あなたの知り合いに経済の専門家がいたら、そっと教えてあげましょう。ま、いないか。普通)

 ただし、集団的知性は、確かにとても優秀な手段ではありますが、決して万能という訳ではありません。市場原理主義者の中には、その特性を把握しようとしないまま、“盲信”してしまっているような人もいますが、欠点もよく理解しておくべきでしょう。例えば、実は金融経済ではそもそも市場原理の前提条件からして崩れてしまっているので、市場原理が有効に働かない場合もあります。だから、バブル経済のようなものが発生するのですが。

 人間社会が採用してきたシステムで、比較的成功していると思われる例が、集団的知性を活用したものだというのは、恐らく、決して偶然ではないでしょう。集団的知性は、捉え難くても、間違いなく優秀な発想なのです。

 ですが、まだ足りないとは思いませんか? そもそも、人間社会は、それが集団的知性だと認識した上で活用した訳ではありません(だから、盲信なんて例もある)。ならば、積極的にそういった発想を活かしていけば、まだまだ社会に役立たせる事ができるかもしれない。

 実は、少しずつですが、既にそれは始まってもいます。ある倉庫会社は、集団的知性を活用し、効率良く倉庫を利用しているというし、ウェブ上で最も短いルートを見つける為に先のアリの方法と同じ手段を用いるなんて試みもされている。

 民主主義も資本主義も欠点が指摘されて久しいですが、その欠点をカバーする為にも、集団的知性の発想を積極的に活かすべきだと、少なくとも僕は考えます。……それには、もしかしたら、インターネットが一役買ってくれるかもしれません。

 どーでも良いのですが、書いていてかなり楽しかったです。冗談の部分も含め(寒かったら、どうしよう?という一抹の不安はある)


 参考文献は、「ハチはなぜ大量死したのか」、「ミツバチの知恵」、後はネット上の記事の数々です。「ハチはなぜ大量死したのか」は、一般向け書籍で、個人的にはかなり楽しめました。ので、生態系、自然科学系が好きな方には、おススメしておきます。

 なお、8の字ダンスは、参考文献中では、尻振りダンスと表現されてありましたが、ネットで調べてみたら、8の字ダンスという方が多かったので、そちらを採用しました。

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