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《臥待月の輝く夜は》[2-4]

[2-4]


 あの人は、いつだって突然なのだ。

 こっちの事情などお構いなしで、無茶苦茶な要求をして来やがる。

 ……もっとも、教師なんて奴は、どいつもこいつもそんなもんなのかも知れねえけど。

 ――そんなわけで。

 夏休み初日に横暴な理由で喚び出され、ちんまい上級生との騒動に巻き込まれたことも記憶に新しいが――今日も今日とて、俺は夏休みの学校に召喚されていた。


 人気のない教室の真ん中で、向かい合わせにされた机の一方に俺。

 対面には、俺を呼び出した張本人。

 スーツと眼鏡が良く似合うクールビューティー然としたその人は――香月梗子女史、その人である。


「……で、何だって?」

「ですから、反省文です」

「意味が分からないんだが」

「あなたの立場がこれ以上悪くならないように弁護してあげるから、取り敢えず反省文を書きなさいって言ってるんです」

「反省文を書くようなことをした覚えがないんだが」

「本当に?」

「……少なくともここ最近は」

「野球部の部員と揉めたって聞きましたけど」

「なっ……あれはだって」

「分かっています。でも、けじめは付けなくちゃいけません」

「つっても……反省するようなことねーし」

「いいんです、そんなことは」

「は?」

「取り敢えず格好だけ付ければいいんです。形を見せればいいんですから、こんなものは」

「……センセの言葉とも思えないんだが」

「どちらに正義があったかなんてこと、大杉さんから話を聞けば分かりますから」

「……それでも、そんなもん書けっての?」

「言ったでしょう。「形」は必要なんです」

「めんどくさ」

「その通り。大人って、めんどくさいんです。めんどくさくても、やらなきゃいけないんです」

「……マジでめんどくせーんだけど」

「そうですか。それじゃあ私は、さしたる根拠もないのに「境守君は反省している」って言い続けなければならないんですね。ただでさえ私のような小娘には職員室での発言権なんてほとんどないのに、どんどん肩身が狭くなっていくと言うことですね」

「え、いや、あの、センセ?」

「まあ、大事な生徒一人護れないなら教師を続ける意味もありませんし? いっそどこかの不出来な生徒と一蓮托生と言うのも悪くないのかも知れませんね?」

「――――」


 ……なんて会話があったのが、もう数時間前のことだ。

 眼の前の原稿用紙は未だ半分以上が真っ白で、ちらりと対面を見てみれば、センセはセンセで俺のことなど忘れたように、自身の書類仕事に没頭しているだけだ。

 ……この地獄はいったいいつまで続くんだ。

 ――そう思った時、ふと、センセが顔を上げた。

 瞬間的に視線がぶつかって思わずぎくりとしたが、彼女はそのまま自身の手首に巻かれた時計に視線を移して、「うん」と一人頷いた。

 そうして、「ちょっと待っててね」と言い残すや、教室を出て行ってしまう。

 しばらくして戻ってきた彼女の手には――弁当箱が、二つ。

「お昼にしましょう。お腹、空いてるでしょう?」

 ……断る理由も特に思いつかなかった。


 なし崩し的に始まったランチタイム。

 梗子センセの手作り弁当は、ひなたや逢花のものに比べたら派手さはなかったが、ツボを押さえた作りで――何だか、ほっとする味がした。

「……センセって、料理出来たんだな」

 気付いたら、そんなことを口走っていた。

「まあ。これでも、一応は女なんですよ、先生は」

 ちょっとだけ怒ったような言葉。

「あ、いや、そう言う意味じゃなくて」

「あら、ではどう言う意味ですか?」

「いや、なんつーか、その……意外だったってゆーか」

「意外で悪かったですね」

 ……まあ、言い訳なんて出来ないよな。どう考えても失言だったんだ。

「反省してますか?」

「……はい」

「ごめんなさいは?」

「…………」

「ご・め・ん・な・さ・い、は?」

「……ごめんなさい――っす」

「はい、よろしい」

 言って――センセはふと、くすりと笑った。


 怪訝に思っていると、センセは取り繕うように手を振りながら苦笑した。

「ごめんなさい、馬鹿にしたわけじゃないの、ただ――……本当に変わったな、と思って」

「……そーか?」

 いや、けして無自覚だったわけじゃないが。……素直に認めるのも気恥ずかしいじゃないか。

 それはセンセも分かっていたのか、もう一度、くすりと笑った。

「そーよ、まるで別人みたい。あの境守起陽君が、大人しく反省文なんか書いてる上、ごめんなさいだって」

 そう言って笑った顔は、不思議なほど幼く見えて――少しだけ、どきりとした。

「っ……なんかって、書かせてる張本人が言うかね、そう言うこと」

 照れ隠しに慌てて発した台詞は、少しばかり上擦っていたかも知れない。

 けど、センセは気付かなかったのか、

「ふふっ、ごめんなさい、そうよね、ごめんなさい……っ」

 そう言って、彼女は殊更楽しそうに笑った。


 一頻り笑ってから――ふと、センセはどこか複雑そうな顔で言った。

「あの子――優は……元気にしてますか?」

 唐突な問いだと思った。脈絡なんてない、ふと思いついたから聞いてみた――そんな。

「え? 別にいつもと変わらないけど……何で?」

「あ、いえ、その……ここのところ出張やら何やらで、お見舞いに行けなかったから」

 そう言って、センセは取り繕うように苦笑した。

 確かに、逢花の件が片付いて以降、病院でセンセに遭った覚えはない。ほぼ毎日通っている俺が遭っていないし、話も聞いていないのだから、つまりはそう言うことなのだろう。

 それにしても、さっきの表情には何か違和感があった。何かこう……何か、言葉にしにくい何か。何か――何なんだろうか……?

 俺が奇妙な自問を繰り返していると、

「……あの子も、変わってくれればいいのに」

 センセは俯いて、静かな言葉を吐いた。

 その願いとは裏腹に、諦観すら覗くその言葉。


 変わってくれればいいのに。


 ――その真意を問う勇気が、俺にはなかった。




【つづく】

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