《臥待月の輝く夜は》[2-3]
[2-3]
その寂しげな瞳に何が映っているのか。
俺はそれを、想像出来た気でいた。……だけどそれは、とんでもない思い違いだったかも知れない。
今はもう、彼女が何を想い空を見上げているのかも分からない。いや、俺達と同じ世界に住んでいる存在であるのかさえ疑わしくなる。眼の前にある車椅子越しの背中は、それ程までに現実感がなかった。
得体の知れない不気味さと、嫌悪を覚えるほどの近寄り難さ。差別的な言葉を吐くつもりはないが、他に形容のしようがない。
――この子はヤバイ。
俺の第六感が、漠然とした警鐘を鳴らしていた。
「……変わったコだね?」
空気を読めているんだか無いんだか、いつもの調子で月子が言った。
これは変わってる、なんてもんじゃねえ。『電波』っつーんだこれは。――そう言ってやりたかったが、喉が張り付いて声が出なかった。
だが、そんな俺のことなど気にも留めず、月子は車椅子の少女に歩み寄った。
「こーんにーちわー!」
俺の危惧などよそに、元気いっぱいの挨拶をかましてくれる月子。
今度はどんな言葉が帰ってくるのか、正直ハラハラものだったんだが――
「――え……?」
驚いたような、そんな声。肩越しに振り返った彼女は、眼をまん丸に見開いていた。そんな表情はどこか幼く見えて、俺の警戒を少しばかり和らげてくれた。
自由の利かない少女に配慮してか、車椅子の横に回り込む月子。その肩越しから覗き込むようにして、俺も歩み寄った。
少女は、どこか惚けたような眼でまず月子を見て、それからゆうるりと俺を見た。と、合点が行ったように薄く笑った。
「……ごめんなさい。暗くて、冷たくて、哀しい――そんなイメージがしたものだから。……でも、思い違いだったみたい。今の貴方は、優しくて……暖かい、イメージ」
その笑顔は、彼女の存在そのものが今にも消えてしまいそうなほどに儚くて――……そんな感傷にも似た自分の気持ちに、思わず苦笑した。
「……よせよ、俺みたいなクズに言う台詞じゃないぜ」
「もー、お兄ちゃんてば、またそんなこと言うんだから。わたしは、このコの言ったこと、ケッコー的を射てると思うけどなー」
自嘲気味に吐き捨てた俺に、月子はあっけらかんとして言う。
それを見て、少女はくすりと笑った。
「……仲が良いんですね」
なんて。……やっぱり、的外れだと思う。
既に分かっていたことだが、少女は一見して痛々しい外見をしていた。彼女が襲われた事故の規模を考えれば当然のことだが、想像と実際眼にするのではやはり違う。頭部と片眼を覆う包帯と、未だ首から釣ってある固められた片腕が哀れみを誘った。
思わず眉を顰めそうになる俺に、けれど彼女は、儚げであれど陰りのない、穏やかな笑みで言った。
「……初めまして。檜山 冥と申します。……お二人は?」
その言葉は、意外と言えば意外だった。第一印象では、確かに近寄りがたいと思った。控えめに言って、危ない奴だと思った。他人になんて興味のない奴だと思った。
けど、今は。
「あっ、うん、えっとね、こっちの目付きの悪いヒトが、境守起陽さん。で、似ても似つかないこのきゅーとなわたしが、臥待月子ちゃんでっす!」
咄嗟に戯けた言葉を漏らす月子。それも一種の才能なんだろうが――誰の目付きが悪いって?
「……え? てっきりお二人はご兄弟なんだとばかり……」
険悪な顔をする俺を余所に、冥とやらは戸惑ったように小首を傾げた。
……まあ、何の説明もしていないからな。
「あ、それは、えっとぉ……なんて言えばいいのかな?」
説明する言葉が浮かばなかったのか、苦笑して俺を見る月子。
俺は一つ嘆息してから言葉を継いだ。
「……俺のお袋と、月子の親父が再婚してな。そん時、俺は臥待家の戸籍に入らなかった……ってだけの話。別に大したこっちゃねーよ」
恰も軽いことのように吐き捨てる。……疑問に思うなって方が無理だってのは分かってるけど。
そんな俺の心情を察したのかどうなのか、
「……そうなんですか。じゃあ、ご兄弟だと思っていても間違いではないんですね」
そう言って、柔らかく笑った。
俺は正直、どう答えるべきか迷っていたのだが――
「はいっ! 月子と起陽お兄ちゃんは血よりも強い絆で結ばれた兄妹でっす!」
なんて。……相変わらず、どこまで冗談で言っているのか分からん奴である。
そんな月子に、冥は一度微笑ましげに眼を細めてから、言った。
「……お二人は、何故こんなところへ?」
その言葉に、はっと思い出す。
「あっ、そうそう! わたしたち、あなたを折り紙教室に誘おうと思って!」
ぱん、と手を打ち鳴らしながら月子が言う。
だが、
「……折り紙教室に?」
そう言った冥の顔には、怪訝そうな色が浮かんでいた。
「折り紙教室とは、小児病棟のレクリエーションルームで行われているものですよね」
「あ、知ってるんだ!」
「ええ……最近、院内では話題ですから。何でも、近くの高校の生徒さんがボランティアで開催されているとか……」
「そうそう! 神山美月さんって言って、すっごくいい人だよ! 名前も月子と美月だし、シンパシー感じちゃったよ!」
聞いてもいないことをべらべらと捲し立てる月子とは裏腹に、冥の表情は相変わらず優れない。
「――嫌なのか」
思わず、声が漏れていた。……怒ったように聞こえたかも知れない。
彼女は一瞬言葉に詰まったように沈黙して、けれどふいに苦笑して、言った。
「……私は、こんな姿ですから。包帯で隠してはいるけれど、全身醜い傷で一杯だし、顔の半分も崩れています。……子供たちを、怖がらせてしまいます」
「――それだけか?」
事も無げな俺の言葉に、彼女は一瞬驚いたような顔をしたが、
「……いえ」
ふるふると首を振って、ふと、空を仰いだ。
「……分かってるんでしょう? 私は、死んだ家族を想って日がな一日空を眺めているような女です。願わくは、一日も早く家族の元へ――……そんなことを想っている女なんですよ」
低く紡がれる言葉。陰鬱な空気が辺りを包む。さしもの月子も押し黙っている。
だが。
「――だから?」
俺はそう、突き放すような言葉を吐いた。
さすがに虚を突かれたのか、冥はきょとんとした眼を俺に向けた。
俺は嘆息して、ぼりぼりと頭を掻く。
「あのな、そりゃ俺だって正直に言や、こんな面倒くせえお節介焼きたかねえし、死にたがってるような女にかかわるのは心底勘弁してくれってなもんだぜ」
「ちょ、おにぃ! そんな言い方ってっ……!」
月子が何やら口を挟んでくるが、俺は包帯だらけの冥の姿だけを見て、言った。
「――けど、お前さっき、自分から俺たちの名前を聞いたろ?」
「え……?」
言葉の意味が分からなかったんだろう。片方しか見えない冥の眼が困惑に揺れる。
俺はその瞳を真っ直ぐに見詰めながら、その答えを告げた。
「本当に死にたがってる奴が――他人のことなんか、気にするもんかよ」
俺の言葉の意味を理解したのか、冥はじっと押し黙った。月子も何も言わない。
俺は今一度嘆息して、続けた。
「……お前は、ずっとここで、何にもねえ空を見続けていたいのかよ? それとも、俺たちと折り紙すんのが嫌なのか? ――聞きたいのは、それだけだよ」
すぐには、誰も何も言わなかった。沈黙が支配する。彼方の喧噪が嫌に大きく聞こえていた。
ともすればそれは、答えに窮した時間のように見えたかも知れない。
――だけど、答えなんか最初から決まっていた。
「……嫌なんかじゃ、ないです」
はにかむようにそう言って、彼女は笑った。
……けれど。
その影で、小難しい顔をしている奴が一人。
でも、その意味は俺には分からなかったし――知りたいとも、思わなかった。
【つづく】