《臥待月の輝く夜は》
[2-1]
その日の折り紙教室は、いつになく盛況だった。
小児科の子供達とその親御さんは勿論、主に優さんの誘いで集まった他科病棟の有志に、俺を含めた、本来部外者である筈の学生が数人。総勢で二十人弱と言ったところか。
レクリエーションルーム自体はそれなりの広さなので、収容人数的に問題はないが、流石に備え付けのテーブルだけではスペースが足りず、折り畳み式の長机が特設されていたりする。
そんな、いつもよりちょっとだけ賑わう折り紙教室で、あちらの机からこちらのテーブルへ、忙しくパタパタと動き回るのは、他でもなく、神山 美月そのヒトだ。教室を始めた当初はぎこちなかった彼女も、なかなかどうして、今では立派な先生ぶりだった。
「変われば変わるもんだなあ……」
なんて呟きが漏れてしまったのも、無理からぬことと容赦して欲しい。
「変わったって……私のこと?」
丁度、俺のすぐ側まで来ていた神山が、驚いたような声を上げた。
「ああ、別に悪い意味じゃねえよ。最初、ひなたに紹介してもらった時は、正直こんな活発に動き回れる奴だとは思えなかったから、さ」
慌ててそう付け足したが、よくよく考えれば、それも失礼な言い草だったかも知れない。
しかし、それに気を悪くした様子もなく、神山はどこか機嫌良く、くすりと笑った。
「やだ、それ、境守くんも同じだよ?」
と。予想外の言葉に、返す言葉が咄嗟には浮かばなかった。
「あっ、もちろんもちろんっ、ひなちゃんみたいに、前の境守くんをよく知っているわけじゃないから、偉そうには言えないんだけどっ……!」
口を噤んだ俺が怒ったとでも思ったのか、神山は慌てた様子で手を振った。
「ああ、いや、別にんなこたいいんだけどよ」
俺もハッとして、咄嗟にそんなことを返したが――正直、腑に落ちないことはあった。
「……俺、そんなに変わったか?」
恐る恐る問うと、神山はどこかあどけないような、素朴な笑顔で言った。
「ちょっと、可愛くなったと思うよ? 前は少し怖かったけど、今の境守くんは――ちょっと好き♪」
なんて。……いや、他意は無いんだろうな、多分。
だが、勘ぐるなと言う方が無理だったんだろう。あいつらにとっては。
「――ちょっと何? 四人目?」
……敢えて声の方に眼をやるつもりはないが。
「え? 四人目? って――ええっ? そんな、神山ちゃんに限って、それはないと思うけど~……」
「ほう? それは、キミが彼女と友人だから、と言うだけの理由か?」
「えっ?」
「あー、甘いですね、ひなたさん。愛の前には友情なんて脆いモノですよ!」
「ええっ?」
「まあ、そこまでは言わないが。しかし、幼馴染みだからと油断していると、鳶に油揚げ、なんてことには、なりかねないな」
「えっ? えっ? えっ?」
…………。……いや、まあ。深く考えるのはよそう。他愛のない冗談のようなもんだろう、うん。
と、そんな風に嘯いた時だった。
「――それに、もう一人、強力なライバルがいるみたいだしな?」
そんな声と同時に、俺はふと、軽く袖を引かれた。
見れば、そこには見知った女児の姿。
「……おにいちゃん……? いつもみたいに……して?」
――遥花だった。
控えめに、それでも何かを主張するように、俺の袖を引く。
ふと視線を感じて眼を向けると、少し離れた絨毯敷きの一角に、こちらを見てニコニコしている女性が一人。周囲には他にも数人の女児達がいて、毛糸玉の積まれたカゴなんかも眼に付いた。
ああ、そうか、と瞬間合点がいった。
月子の手前、当たり障りのない立ち位置に自分を置いていたかも知れない。無意識であったとは言え、遥花にしてみれば、それは寂しいことだったのだろう。
「……ああ、ごめんな、遥花」
軽く遥花の頭を撫でてやってから、俺は席を立った。
パッと笑顔になった遥花を伴って向かうのは、他でもなく、ささやかな編み物教室が開かれているその場所だ。
「んふ~♪ いらっしゃーい、たっくん♪」
歓迎してくれるのは結構だが、そのいやらしい笑みはやめてくれないか優さんよ。
「あ、お兄ちゃん! いらっしゃい!」
そうそう、歓迎するなら、こんな風に屈託なく歓迎して貰いたいもんだ。
最初の一人が声を上げると、他の女児達も口々に俺を歓迎してくれる。毎日のように通い続けたおかげで、もうすっかり顔見知りだ。
「おう、邪魔するぜ」
なんて言いながら、皆が開けてくれたスペースにどっかりと腰を下ろす。その俺の膝上に、待ってましたとばかりに、遥花がすっぽりと身を納めた。
えへへ、と心なしか上気した顔で、嬉しそうに笑う遥花。
――いつもみたいに、とは、つまりこういうことだ。
「はるかちゃんはホントにお兄ちゃんのこと好きだねー」
なんて言う、他の子からのツッコミも当然だが、
「……うん。はるか、おにいちゃんだいすき」
なんて、当の遥花には柳に風、糠に釘だ。何を言われても動じない純真さは、ある意味羨ましいのかも知れない。
「うーん、はるるんは真っ直ぐで良い子だねー♪ ……それに比べてたっくんてば、何? 妹さんがいるからって。女の子に寂しい思いなんてさせたらダメなんだからっ! めっ、だよ、めっ!」
怒られてしまった。俺は子供か。……まあ、言われていることは事実だが。
「……悪かったと思ってるよ。けど……あいつがいると、どうにもやりにくくて、さ」
嘆息気味に言うと、優さんは少しだけ神妙な顔をした。
「……月子ちゃんのこと、嫌いなの?」
距離があるので本人に聞こえることはないと思うが、声を潜めて優さんは言った。
「……嫌いってわけじゃねえよ」
少しだけ思案して、吐き捨てるように言った。
「ただ、その……気まずいっつーかなんつーか……てか、血の繋がりもねえのにべたべたしてくる方がおかしいだろが」
それは、俺にとってはごくごく普通の一般論のつもりだったのだが、優さんは不思議そうな顔をした。
「……そんなものなのかな? 私は――私だったら、たっくんみたいなお兄ちゃんが出来たら、いっぱいいっぱい、甘えたくなっちゃうと思うけどなー」
なんて。
「――――」
……げに恐ろしきは子供と天然か。不意打ち気味な台詞に、俺は思わず口を噤んだ。
「? どしたの?」
きょとんとした顔を向ける優さん。あどけなさすら感じさせるその顔に――……俺は、ますます何も言えなくなってしまう。
「……何でもねえよ」
そんな風に吐き捨てて、少しだけ熱くなった顔を伏せた。
俺の不可解な態度に、きっと優さんは更に小首を傾げていたことだろう。追求されたら困ると思う反面、そうされても仕方ないとも思っていた。
だが、そうはされなかった。何故なら――
「――あ、いたいた! 境守クン、ちょっといいかな?」
――そんな声が、二人の間に割り込んで来たから。
【つづく】




