《臥待月の輝く夜は》
[1-4]
「やっぱりやーだー」
なんて、玄関先で駄々を捏ねる我が侭娘に言うことを聞かせるにはどうしたら良いですか。全国のお母さんお父さん教えて下さい。
「……ガキかお前は」
嘆息してやると、月子は不満そうに頬をふくらませた。
「なによー、可愛い妹と離れ離れになって寂しくないのーっ?」
「アホか。ひなたンとこ泊まりに行くだけだろーが」
心底うんざりしながら、吐き捨てるように言ってやった。
……まあ、それでも。対外的には、問題ないように映るんだろう。月子が俺の部屋で一夜を明かしても。
月子的には勿論、俺のお袋や、月子の親父的にも、きっと問題ないと思われている。
――だが、こちとら健康な年頃の男子なのだ。血の繋がらない同年代の女子と、同じ部屋で夜を明かすなど堪ったものじゃない。大丈夫だ、問題ない――などと開き直れるわけがあるか。
「つか、初めからそう言う話になってたんだろ?」
月子の向こう側、開け放った扉を押さえる形で待つひなたに問うた。
「あ、うん。……とゆーか、美里さんは起陽のトコでもいいと思ってたみたいなんだけど」
少しだけ困ったように苦笑して、ひなたは頬を掻いた。
やっぱりかあのババア。相変わらず、ヒトを信用してるんだか単に脳天気なんだか分からんが、恐ろしいババアだ。息子の貞操を何だと思ってやがんだ。……あれ?
「……ま、とにかくよろしく頼むわ。月子も、いい加減観念しやがれ。ほら、とっとと行った行った」
しっし、と追い払うように手を振ってやる。
ひなたはそんな俺に苦笑しながらも、
「うん、それじゃあ、また明日ね」
そう言って、月子の手を引いて行った。
当の月子はと言えば、「にーにーのいけずー」なんて言いながら、最後の最後まで無駄な抵抗をしていた訳だが。……誰が『にーにー』だ、誰が。
「……ったく」
ヒトの声と気配のしなくなった部屋で、独り嘆息する。
脱力するようにベッドに腰掛けて、手にしたのは、滅多に開かない携帯電話。
呼び出す番号もまた、久しぶりだ。もうどれくらい話していないのか……そんなこともはっきりとは思い出せない。お節介焼きの幼馴染みの方が、よっぽど頻繁に話しているってのは、我ながらどうかとは思うんだけどな。
耳慣れない呼び出し音が数回繰り返された後、懐かしい声が耳を打った。
《――さすがにかけてきたわね?》
開口一番のそんな言葉に、思わず力が抜けた。無意識に、緊張していたらしい。
「……相変わらず、意地の悪いこって――……お袋さんよ」
そんな軽口が、口を衝いて出る。ああ、そうか。そう言えば俺は、このヒトの息子だったんだな――なんて、そんな当たり前のことを思っていた。
《あら。こうでもしないと電話一つよこさない親不孝な息子さんより、よっぽどましだと思いますけど?》
……ぐうの音も出ねえ。
反論は諦めて、俺は改めた。
「……悪かったな。それに関しちゃ、釈明のしようもねえよ――けど、今回の悪戯は、ちょっとタチが悪いんじゃねえか?」
《……そうかもね》
そう言ってから、お袋は少しだけ沈黙した。
「? ……どしたよ?」
怪訝に思い問うと、珍しく元気のない声が帰ってきた。
《……悪いわね、迷惑掛けて》
らしくねえな、と思った。
「らしくねえな」
――声に出ていた訳だが。
《あら、分かったような言い方ね?》
どこか、からかうような調子の言葉。
……まあ。確かに、俺の今の言葉の方が、『らしくなかった』のかもしれないが。
今更引っ込みもつかなかったので、俺は続けた。
「あー……その、なんだ。……俺らしくねえことを承知で聞くけどな――……何か、あったのかよ?」
その言葉を吐くのに、いったいどれだけ苦労したかなんて、きっと、屈折した思春期を過ごしてきた俺みたいのにしか分からないことなんだろう。
実の母親でもそれは例外ではないらしく――
《ぷっ》
――なんて、電話の向こうのそのヒトは、俺の言葉に噴き出した。
「笑うなよっ!」
《あっはっはっ! ごめんごめん、笑うつもりはなかったんだけどっ》
言いながらも、悪びれた様子など見えなかったのは気のせいか。
納得は行かなかったが、ひとまず笑いが治まるのを待って、俺は改めた。
「……で? ほんとのとこ、どうなんだよ?」
《ん? ああ、別に、なーんにも》
半ばふて腐れたような俺の声に、お袋はあっけらかんとして答えた。そこに、さっきのような、煮え切らない歯切れの悪さはなかった。
だから、俺もそれ以上は問うことをやめた。……と言うより、それ以上は問いようがなかったのだが。
《こっちより、あんたの方こそ色々あったみたいじゃない? 不良息子が、いっぱしに親の心配までするようになっちゃって》
そんな、からかうような言葉。
俺は一瞬反論しようとして――……結局、口を噤んだ。その言葉は、からかう気持ちなんかよりも、もっと別の何かで溢れていたような気がしたから。
沈黙した俺に、お袋は少しだけ間を置いて、言った。
《……まだ、一緒に暮らす気にはならない?》
俺も、少しだけ間を置いて答えた。
「……二年前、言ったろ? ……その方が、お互い幸せだって」
《……そう》
そう言ったきり、お袋は何も言わなかった。
だから、俺も何も言わなかった。
《……そろそろ、切ろっか》
どれだけ沈黙が続いたか――ふと、そんな声が聞こえた。
《戸締まりには気をつけるのよ? ――それじゃあ……おやすみなさい、ね?》
「ああ……おやすみ」
《おやすみなさい、起陽》
最後にそう繰り返して、電話は切れた。
ふう、と息を吐く。これだから、しがらみと言う奴は嫌なんだ。こっちの都合なんかお構いなしに、ふとしたきっかけでヒトの心の中を引っかき回しやがる。
――けど。
それだけでもないのかもしれない、とも思う。
名を呼んでくれるヒトがいる。おやすみなさい、と言ってくれるヒトがいる。……それは、もしかしたら幸せなことなのかも知れない。
――誰の声も聞こえない小さな部屋の中で、独り、そんなことを思った。
【つづく】