《臥待月の輝く夜は》
[1-3]
食卓と言うものは、元来、家族や親しい誰かと共に囲むべきもんだ。
俺にとって、ほんとの家族と呼べるヒトは一人きりだったが、それでも、それこそ産まれた時から、多くの食卓をあのヒトと共に囲んだ。
それは、今にして思えば、確かな幸福の時間と呼べるものだったかも知れない。
だから、食卓を複数人で囲むことを否定する気持ちはない。『食事は一人で静かに』なんて、クールを勘違いしたようなことを言うつもりもない。
……ない、のだが。
「なに難しい顔してんの?――お兄ちゃん」
差し向かいからふいに言われて、俺は嘆息した。
「……別に」
今更、何かを言う気力も湧かなかった。
……ま、当然こうなる。遠路遙々、親元を離れての一人旅。一応とは言え、こっちでは唯一の身内である俺は、こいつの面倒を見る義務があるわけだ。甚だ不本意だが。
「ほら起陽、いつまでもふて腐れてないの」
言いながら、慣れた手つきで俺の眼の前に茶碗を置くのは、他でもなく、ひなた。差し向かいに陣取る厄介者の代わりに、今日は俺の側面に座を移している――全く要らぬ気遣いとしか言いようがなかったが。
「久しぶりに会って照れ臭いのは分かるけど、も少し愛想良くしなきゃ」
そんな風に言って、苦笑するひなた。
そんなんじゃねーや、と思ったが、口には出さなかった。不用意なことは言えない。何が火種になるか、分かったもんじゃねえ。
「あはは、愛想の良いお兄ちゃんなんて気持ち悪いだけですよー」
なんて、俺の気も知らず、月子はあっけらかんと言ってくれる。
ひなたは顎へ指を当てて、しばし考えるように黙していたが、
「……確かに、そうかも」
結局は同意して、苦笑した。けっ、無愛想で悪うございましたね。こっちゃ、へらへらしてられる精神状態じゃねえんデスヨ。
「それじゃ、いただきましょうか」
ひなたの合図。倣って手を合わせる月子。
斯くして、もやもやとした俺の気分など軽く無視して、拷問のような食事会は開始された。
思うように食の進まない俺を横目に、ひなたと月子は楽しそうに箸を動かす。
随分と会話も弾んでいるようだった。やれ、あのドラマがどうだとか、この芸能人がどうだとか。かと思えば、こっちは暑いだとか向こうは過ごしやすいだとか、そんなどうでも良い世間話まで。
どれも取り立てて興味の湧く話題ではなかったが、『向こうでは真冬でも外でソフトクリームがデフォ』って話は、ちょっとだけ面白かったかも知れない。北の人間は根性あるな。
でも、一番気になったのは、実はそんなことじゃない。
「――そう言えば、美里さん元気?」
ふと、ひなたがそんなことを言った。
「? お義母さんですか? 元気ですよ? わりと頻繁に電話してませんでしたっけ?」
少しだけ不思議そうに、月子は小首を傾げる。
「うん、そうなんだけどね。あのヒト、そうゆうの表に出さないヒトだから」
ひなたは少しだけ苦笑して、言った。
「いつも笑顔で、あっけらかんとしてて、子供には涙を見せない。……それがあのヒトの魅力ではあるんだけど。それでもね、これだけ付き合い長いと、辛そうにしてるとことかも見ちゃってるから――心配なの」
そうして、優しく笑うひなた。……ほんと、ヒトの親のことまで、ご苦労なことだ。要らぬお節介だ、と言ってやりたいところだが――……正直、ありがたいとも、思う。今の俺には、素直にあのヒトを案じてやることはできないから。
「へ~……あのお義母さんが辛そうにしてる姿なんて、想像できないなあ。わたしにとっては、いつでもサバサバしてて、遠慮が無くて、でもだからこそ付き合いやすいってゆーか信頼できるってゆーか、そーゆーヒトなんですけど」
不思議顔で言う月子。
ひなたは優しい笑顔のまま、
「んー、ある意味、それで正しいんだけどね。まあ、今は旦那さんがいるし、働いてない分だけ体は楽なのかも」
――そうして、その質問をした。
「お父さんとは、そうゆう話、しないの?」
「――え?」
月子の表情が、瞬間、強ばった気がした。
だが、月子はすぐに笑顔を取り戻すと、
「あ、ううん、お父さんとは――あのヒトは、そう言うことあんまり話さないから」
そう言って、手を振った。
それに、どことなく違和感を感じたのは、俺の気のせいだったのか。
「あ、そうなんだー」
ひなたはそんな風に、何も気にした素振りはない。
……だから、俺も、何も言わなかった。
何かを言うべきだったのかも知れない。何かをすべきだったのかも知れない。
だが、どちらにしろ、どうすれば良いのかなんて俺には分からない。
何も分からなかった――今の俺には、まだ。
【つづく】