《臥待月の輝く夜は》
[1-2]
「へー、たっくん妹いたんだー、知らなかったー、言ってくれれば良かったのにー」
……お気楽に言ってくれる。こちとら、出来れば思い出したくもなかったんだ。
とは言え、まあ。これがこのヒト――優さんが、優さんたる所以なんだろうが。
優さんの病室だった。ベッドに半身を起こす優さんを中心に、五人の人間が室内にいる。俺、ひなた、逢花、遥花――……あと、月子。
「別に、わざわざ言うべき理由もなかったろ。……つーか、珍しく遥花のことほっぽって、どこ行ってたんだ」
それを本気で聞きたいわけではなかったが、できるだけ話を逸らしたくて――眼を逸らしたくて。俺はそんなことを言った。
「んー? ただの定期検査だよー。でもごめんねー、はるるん、遊んであげられなくてー」
言いながら、優さんは遥花に優しい笑顔を向ける。
当の遥花はと言えば、どこか不安そうな表情で、俺の手を掴んだまま、じっと放さないでいる。……実を言えば、中庭の一件からこっち、ずっとこんな調子だったわけだが。
「……遥花?」
問うと、遥花は変わらず不安げながらも、
「……ううん、ケンサはだいじだって、はるか知ってるもん。……だから、へーきだよ」
そう言って、儚げなながらも、屈託無く笑った。
だから、その場の誰も、それ以上は遥花を問い詰めたりはしなかった。
それよりも、
「で、月子ちゃんだっけ。わざわざ私に会いに来てくれたのー?」
言って、優さんは改めて月子に向き直った。……忘れてくれてればいいのに。
優さんの問いに、一方の月子は満面の笑顔で――
「ええ、そう――恋敵のご尊顔を拝見しに♪」
……そんなことを言いやがった。
「ぶっ!」
思わずおつゆを飛ばした俺を誰が責められようか。
「おっ、おっ、おかしなことを言うんじゃねえっ!」
部屋中から、刺々しかったり冷ややかだったり不安げだったりよく分からなかったりする視線を浴びながら、慌てて拳を振り上げる俺。
だが、月子は涼しい顔で、
「おかしいってどっちが? わたし? それとも――優さん?」
そんなことを問うた。
言われている意味が分からない。どっち? とはどう言うことだ?
――だが、これだけは分かる。おかしなことを言っているのは、間違いなくこいつだ。
「月子! おかしなこと言ってんのはテメーだろーがっ! お前と俺はっ――」
……そうだ。月子と俺は。
「俺と、お前は――」
……俺と、月子は。
「……お兄ちゃんと、わたしは?」
試すように、月子は言う。
俺達、は。
……そんなこと、分かり切ってる。
――分かり切ってるのに、言葉が出てこなかった。
「――っ……俺とお前は、確かに血ぃ繋がってねえけど、それでも世間体ってもんがあんだろーが! 冗談でもそう言うことを外で言うんじゃねえっ!」
苦し紛れに、そんなことを言っていた。
月子は失望したように嘆息して、
「……ま、いいけど」
言うと、再び笑顔で優さんに向き直った。
「優さん……て、呼んでもいいかしら? あなたのことは、ひなたさんから、よーく聞いてマス♪」
不気味なほどに、にこやかな笑顔。
優さんはそれを理解しているのだかないのだか、どこかうきうきとした様子で返す。
「あら♪ なんてなんて?」
月子は殊更にこりと微笑んで、
「それはもちろん――お兄ちゃんをおかしくした張本人として♪」
なんて。……何がもちろんだ何が。
「いったいどうやってこの偏屈者をこんな風に変えたのか、ゼヒお話を伺ってみたいと思っていたのデスヨ♪」
……『おかしくなった』の次は、偏屈扱いデスカ。
俺は釈然としないものを感じていたが――どうやらそれは、俺だけだったらしい。
「それは私も興味があるな」
迷い無く、逢花が言った。
「……あたしも知りたいかも」
どこか悔しそうにしながらも、ひなたが続く。
「デスヨネー♪」
なんて、月子は嬉しそうだ。
「えー? 別に何もしてないよー。確かにたっくん、少しは偏屈なとこもあるかもだけど、根は素直でいい子だよー?」
……優さん、あんたもデスカ。
いや、別に『いい子』でなくて良いのだが、偏屈だなんて、やさぐれた江戸っ子爺さんみたいなつもりもなかったのだ。
「あー、確かに、根はお人好しですね」
「極度のお節介焼きでもあるな」
「嘘つかないし、笑うと可愛いよっ」
……そこは認めちゃうんデスカ。お前ら仲良いな。
つーか、もう分かった。もう十分だ。
――ここは、俺のいるべき場所じゃない。
「……おにいちゃん?」
「……またな、遥花」
不安げにする遥花の頭を軽く撫でてやってから、俺はそっと病室を出た。興味の矛先が変わったからか、俺を呼び止める声はなかった。
女三人寄ればかしましいとはよく言うが、実際堪ったものじゃない。騒々しさよりも、その空気感。外部の者――男を寄せ付けない独特の雰囲気ってもんがある。
女ってな、男にとっては……俺にとっては、未知の生き物だ。つくづく思う。
――女……か。
その言葉には、どこか淫靡で、一種、背徳的な趣がある。
……それは、単なる俺の主観であって、病的な先入観であるのかも知れない。
けど、だからこそ、俺のココロは頑なになる。
――月子と俺は。……俺達は、何なのか。
……それが、言葉にならなかった。
【つづく】