《臥待月の輝く夜は》[4-4]
[4-4]
北海道の短い夏休みが終わるまでの残り数日、俺は出来る限り月子の傍にいてやることにした。
その間、無理はするなと念は押していたが、それでも月子の意志は固いようで、結局、何でもやってみようとするその姿勢は変わらなかった。
折り紙で手を切って、半泣きになる姿。
編み物をして、絡まる毛糸に悪戦苦闘する姿。
土弄りをして、手や顔を汚しながら懸命になる姿。
手料理の試食を、はらはらして待つ姿。
……美味いと言ってやった時の、あどけない笑顔。
ほんの数日だったのに、本当に色々なあいつの姿を見た。
まるで、失われた二年間の全てを取り戻すかのように、濃密な時間だった。
――ただまあ、一緒のベッドで寝たいだの、一緒に風呂に入りたいだのと言う戯言をほざいた時には、思い切り頭をはたいてやったりもしたが。
……そんなこんなで。
月子が帰途につくその日。
早朝の駅のホームには4人の姿があった。
月子と、俺と、ひなたと、それに逢花。
逢花までが見送りに同行したのは意外だったが、逢花もあれで世話焼きなとこがあるから、一緒に土弄りをしているうちに情が移ったのかも知れない。
「――餞別だ、持って行くがいい」
なんて言いながら、逢花は月子に紙箱を一つ手渡した。まるでケーキの箱のような、取っ手の付いた可愛らしい箱だ。
「わー、ありがとうございます! ……でも、何ですかこれ?」
確かに、中身は気になる。
「開けて見ていいぞ」
そう言って逢花が頷いたのを確認して、月子は箱を開いた。
月子の横から覗き込むと、中には小さな鉢が一つ。一見、少量の土が盛られているだけにも見えたが、よく見れば小さな双葉がちょこんと覗いている。
「わ、可愛いっ。何のお花なんですかー?」
「それは育ててみてのお楽しみだな」
感嘆の声を上げる月子に、思わせぶりな笑顔を見せる逢花。
「……何か、意外だね。大杉先輩って、月子ちゃんみたいな子、苦手だと思ってた」
耳打ちするように、ひなたが言った。
確かに、逢花はちゃらちゃらした奴を好まない。無責任で意志薄弱な連中を何より嫌っている。少し前まで、月子の風体は正にそんな感じだった。
だけど、月子の本質がそうでないことを、俺はもう知ってる。
「……んなことねーよ」
笑い混じりに言ってやると、ひなたは瞬間、不満そうに唇を尖らせたが、
「……そっか、そだね」
すぐに俺の胸中を察したのか、そう言って笑った。
「ところでな、妹御」
ふと、逢花は「こほん」と一つ咳払いをした。
きょとんとする月子に、逢花は心なしか気恥ずかしそうに言った。
「境守のお母上とご同居と言うことは、だ――当然、「アレ」は持っているな?」
「へ? 「アレ」ですか?」
瞬間には、月子にも逢花が何を言わんとしているのか分からないようだったが、
「そう、「アレ」だ! 我々にとっては何より得難く尊い宝――ほれ、あるだろうっ! 我々の知り得ぬ姿を記録したアレコレがっ……!」
そんな言葉に、ぽんっ、と手を打った。
「――ああ! 「アレ」ですかっ!」
「――そう「ソレ」だっ!」
お互いを指差し合いながら、何やら通じ合ったらしい。
「もっちろん、確保してますよっ! ちょっとならケータイに入ってますけど、見ます?」
「おおお!? いいのかっ!?」
などと、俺とひなたそっちのけで盛り上がっている。
――だが、ふと苦笑したひなたは、
「……あたし、何となく分かっちゃった」
なんて。……どうやら、何が何だか分かっていないのは俺だけらしい。
何やら、月子のケータイを覗き込みながら、興奮した様子で話す二人。
「幾つくらいの頃をご所望で?」
「そ、そうだな、では……小学生くらいの頃のを」
「ほほう、さすがですね……それでしたら、丁度一つ動画が……」
「なんと、動画とはっ」
「小学三年生の頃だそうです、運動会ですね」
「おおおお、これが境守なのかっ! な、なんと愛らしいっ……!」
「――あ、これ結構レアだよ。起陽ってこの頃、喘息で入院してばっかだったから、体育の授業も満足に出られなかったんだー。あ、ほら、起陽に四位の旗渡してるのあたしだよっ」
いつの間にやら、ひなたまでもが怪しい会合に参加している。
「……今の聞きました? 逢花さん」
「うむ、聞き捨てならんことを言ったな」
「えっ?」
「いっつもこうなんです、ひなたさんって。さりげなく自慢してくるんですよ」
「困ったものだな」
「え、えっ?」
「ひなたさん、「わたし幼馴染みなんですー」アピールって、そんなに楽しいですか」
「どうせ我々には映像で見るくらいしか出来ないからな、優越感はたまらんだろうよ」
「え、ええーっ!? いつの間にかあたし悪者~っ!?」
「どう考えても悪者です」
「紛う方なき悪者だな」
「そ、そんなぁ――た、起陽~、黙ってないで何とか言ってよ~」
なんて言いながら、涙眼でこっちを見やるひなた。……って、おい。今の話の流れでそんなことをしたら、だな。
「ちょっとっ! そこでお兄ちゃんに助け求めるとかっ!」
「何だ、境守はいつでも自分の味方だ、とでも言いたいのか」
そら見ろ。燃料投下にしかなりゃしねえ。
……とは言え、そのままにしておくのも何だからな。流石に、何が原因で揉めているのかは察しがついたし。
「……お前ら、昔の俺でぎゃあぎゃあ騒ぐのも結構だがな――現在進行形でここにいる俺のことは、どうでもいいのか」
試すように言ってやると、三人は凍り付いたような顔でこっちを見た。……まあ我ながら、酷い気の引き方をしたものだとは思うが。
「……どうでもいいなら帰るわ、じゃな」
駄目押しにそう吐き捨てて背を向けると、
「――帰っちゃやーっ!」
なんて悲鳴と共に、柔らかい感触が俺の背にしがみついてくる。
「これでまたしばらく離れ離れなんだもんっ……ギリギリまで一緒にいてよぅ……」
今にも泣き出しそうな声を漏らす月子。
俺は嘆息混じりに、月子の黒くなったその頭を、軽くぽんぽん、と撫でてやった。
「……冗談だよ、ちゃんと電車に乗るまで見送ってやるから」
言ってもう一度、くしゃくしゃ、と頭を撫でてやる。
嬉しそうに笑う月子。……嬉しそうにするのはいいが、恨めしそうに指を咥える逢花にピースサインをするのは止めてくれ。また余計な争いを生む。
だが、そこは一応、二つも年上のお姉さんである。逢花はまた一つ咳払いをして、
「……ま、ともかく、その件はよろしく頼む」
言って、気恥ずかしそうに頬を染めた。
「はいはーい、じゃ、詳細は後ほどメールでってことで!」
言いながら、さりげなく俺の腕を抱く月子。ちゃっかりしてると言うか何と言うか。
……まあ、あと数分のことなのだから、少しくらいの悪ふざけは大目に見てやって欲しい。
――そう、誰にともなく一人苦笑した、丁度そんな時だった。
ホームに、電車が到着する。
……月子とは、お別れだ。
「――あ、そうだ。忘れ物があったんだ」
電車の到着ざま、月子はこれ見よがしに言った。
怪訝に思いつつ見やると、月子は瞬間、にっこりと満面の笑みを浮かべて――俺に、唇を寄せた。
「っ――!?」
それは電光石火のキスとでも言うべき早業で、咄嗟に首を捻って「直撃」を避けるのが精一杯だった。……唇から少し外れたところに、湿ったグロスの感触がある。
「ちっ、掠っただけか……残念」
などと、悪びれた風もなく戯けてみせる月子。
「お、おまっ、お前いきなり――」
「ちょっと月子ちゃんっ!?」
「何をしとるんだお前わっ!?」
……俺が動揺している間に、女性陣が代弁してくれた。
当の月子は、「へっへー♪」なんて、してやったりと言う顔で舌を出した。
踊るように身を翻し、ぴょんと電車に飛び乗る月子。
「――わたしね、お兄ちゃん」
輝く瞳をまっすぐに向けて、月子は言った。
「お兄ちゃんが『お兄ちゃん』になってくれて嬉しいけど、でもわたし、別に『お兄ちゃん』ってヒトを好きになったわけじゃないの。だから――諦めないよ、わたし。頑張って、頑張って――いつか絶対、お兄ちゃんを虜にしてあげるんだから。……覚悟しててよね、おにーちゃんっ♪」
お兄ちゃん……と。
その言葉の余韻を残したまま――そうして俺の妹は、北の大地へと帰って行った。
残された三人は、誰からとなく、やれやれ、と息をつく。
「……油断していた。大杉逢花、一生の不覚……」
「イタズラが過ぎるよぉ、月子ちゃん……」
そんな風に肩を落とす二人へ、
「――なあ、『臥待月』って知ってるか?」
ふと、そんなことを言っていた。
頷いたのは逢花だった。
「陰暦十九日の月のことだろう? 高く昇るのが遅いから、「臥して待つ月」――『臥待月』と呼ばれるんだ。『寝待月』とも言うがな」
そう。昇るのが遅い月。……昇りきるまで、俺に寝て待てって言うのか?
「――冗談じゃねーや」
笑い混じりに吐き捨てて、俺はくるりと身を翻した。
背後で困惑したような二人の声が聞こえたが、歩みを止めるつもりはない。追い付きたければ走ってこい。――俺だって、立ち止まってる余裕なんてねーんだから。
……けど、それでも、きっと。
空に遅い月が輝く夜は、ひと時足を止めてしまうのだろう。
月を眺め、そうして、きっと。
……臥待月の輝く夜は――少しだけ、あいつのことを思い出す。
【朱色優陽3《臥待月の輝く夜は》終】