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《臥待月の輝く夜は》[4-1]

[4-1]


 夕方頃から雲が増え始めて、陽が沈む頃にはもう雨が降り出していた。

 暗澹とした夜を映す窓に少し強い風雨が吹き付けて、夏の大風が近付きつつあることを知らせる。

 ――月子からの連絡は、未だなかった。

 時折来る着信は全て、ひなたからのものだけ。内容は月子からの連絡を確認するもので、その度に俺は、決まった短い文言を返す。ただそれだけの、つまらないやり取りの痕跡。

 ……正直、うんざりしている。そもそも、電話なんてものは好きじゃない。独りでいるのに独りでいられないなんて、煩わしいだけだ。

 それでも、着信があればついケータイを開いてしまうのは――俺も、所詮は現代文化に毒された小市民だと言うことか。

 自嘲的に嘆息しながら、もう何度目になるのかも分からない着信に応じる。

 ――だが、今度のそれは、ひなたではなかった。

《……元気?》

 少しだけ、迷ったような沈黙の後に聞こえた声。

 月子がここへ来た夜にも、聞いた声だった。


「……あんたか。……どうしたよ、また」

 このタイミングでかかってくる電話に、予感めいたものを感じつつも吐き捨てた。

 電話の声は、また少し躊躇ったようだが、静かに告げた。

《……あの子、いなくなっちゃったんだってね》

「ひなたの馬鹿が……わざわざ連絡したのかよ」

 あまりにも短絡的な行動に、溜め息が漏れた。

《そんなこと言わないの、ひなちゃん心配してくれてるんだから。それでなくても、今回のことでは迷惑掛けちゃってるし、日頃はあんたのことでだって――》

「あー、はいはい、そう言うのはまた今度な。今は月子のことだろ」

 小言が始まりそうだったので、慌てて方向転換を図る。あっちも分かっているんだろう、無理矢理話を続けようとはしなかった。

「ひなたは心配し過ぎなんだよ。月子だってもうガキじゃねえんだ、独りでぶらつきたい時だってあるだろ。腹が減ったら返ってくるさ」

 そう軽く吐き捨てたのは、話を大きくしたくなかったからなのか――やましいことがあったからなのか。……自分でも分からなかった。


《……だといいんだけどね》

 妙に深刻そうな声が返ってくる。

 ……別に、まだ深夜って時間でもない。心配するにしても、少し度が過ぎると思った。

「――何か、あんのかよ」

 苛ついていたのか、迷いもなく言葉が出た。

 また少し間を開けて、声がした。

《……ちょっと、上手くいってなかったから、お父さんと。ここのところ、ね》

 正直、そんなことだろうとは思ってた。月子と親父さんがあまりいい関係でないことなんて、二年前から知ってるんだ、こっちは。

「具体的には、よ」

 或いは、月子の奇行の理由を全てそこに求めたかったのかも知れない。……責任転嫁だとは、分かっていたけど。


 少し考えるようにしてから、声。

《……別に、何か取り立てて事件があったわけではないのよ。ただ、たまにお父さんと顔を合わせると、いつもけんかになっちゃって。月子ちゃんから見れば、いつも仕事で家にいないあの人は家庭を蔑ろにしているように見えるし、あの人はあの人で不器用だから、「ちゃんと勉強してるのか」なんてことしか言えないから》

「……二年も経って、何も変わってねえのかよ、あの親子は」

「――あら、あなただって無関係じゃないのよ?」

 嘆息した俺に、ぎくりとするような言葉。まさかあいつ、おかしなことを言っちゃいないだろうな、と思いつつ問うと、吐息と共に声は言った。

《……「いつになったらお兄ちゃんと暮らせるの?」――ってね、いつも言ってるわ。月子ちゃん、あなたがそっちで独り暮らしなのは、お父さんのせいだって思ってるみたいなの。お父さんが、あなたと暮らしたくないからなんだって》

 それは違う。独りでこっちに残ることを望んだのは俺自身だ。これは単なる俺の我が侭なんだ。


「……俺のせいで、尚のことややこしくしちまったってことか」

《起陽のせいじゃないわ》

 頭を抱える俺に、慰め一つ。そうして、続けた。

《でも、あなたにも無関係じゃない。あの子……月子ちゃんはね――寂しいの》

 窓を叩く雨粒を眺めながら、ただじっと、黙して聞いた。

《お父さん……あの人は、昔も今も、あまり家に寄りつかない人だったの。月子ちゃんは、小さい頃からずっと家で独りきり。だから、お父さんと一緒にいたい、いて欲しいって願望がとても強いの。……言い方は悪いかも知れないけど、それこそ病的にね。

 その願望はあの子の心の奥深くに根差していて……あの子の行動・言動、あらゆることを決定付ける原因になってる。

 ……それが時として、あの子をヒステリックな行動に駆り立ててしまうのね。

 一度ヒスを起こしたあの子を宥めるのは、それは大変なのよ? あたしみたいな図々しいおばさんですら、入り込む隙がないんだから》

 深刻な空気に配慮してか、小さく笑った。


《……だから、ね。今思うと、二年前のあなた、凄いことをしたんだなって、思う》

「……別に、ただ家出娘とっ捕まえてきただけだろ」

 無意識に返した言葉に、また小さな笑いが聞こえた。

《そうね――でも、あなたにはそれが出来る。あなたなら出来るの。……何でか分かる?》

 分かるはずもなかった。

《あの子は、甘えたいの。自分の願望を全てさらけ出して、無心で甘えられる相手を欲しているの。そしてそれを受け止めてくれる相手を。

 ――悔しいけれど、あたしではだめ。当人であるお父さんは論外。……だから》

「……何でそこで俺なんだよ」

 不満……と言うより、何故こんな俺なんかが――そう、思った。

《――何のしがらみもないからよ》

 当たり前のことのように、言い放った。


《あたしやお父さんでは、しがらみや確執が邪魔をして、いまさら素直な感情をさらけ出すなんてこと出来ないの。思春期の女の子なら、尚更ね。

 でも、あなたにはそんなものない。そんなものはないのに、それでも――「お兄ちゃん」。……形だけのものであっても、その「形」があると言うのはとても大きいこと。甘えられる「形」をしていることが、とても大切なのね。

 ――ねえ、起陽。月子ちゃんのこと、嫌い……?》

 ふいに尋ねられると、答えに困る。……けど、まあ。

「……嫌いじゃ、ねえよ」

 ……だからこそ、大変なんだけどな。

《そう、良かった》

 ほっとしたように笑う。そうして――

《……あの子のこと、お願いね――……おにーちゃん?》

 そうして、戯けるように、母さんは言った。


 ふと窓を見やれば――風雨は更に、強くなっていた。




【つづく】

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