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《臥待月の輝く夜は》

[1-1]


 別に、それが嫌だった訳じゃない。ただ、実感が湧かなかった。

 そいつがそうなのだと、写真を見せられてもピンと来なかった。幾ら見直しても、そいつはただの見知らぬ女で、可愛いとか可愛くないとか、男なら当然湧いてくるはずの感慨も湧いては来なかった。

 だから、他意など欠片ほどもなく、むしろどうでも良かった。

 それでも素直に『彼ら』の願いを受け入れたのは、他でもなく、それが『彼ら』の片割れ、つまり――俺のお袋の、願いだったから。


 立っているだけで汗がにじんでくるような、真夏の夜更け。梅雨もとっくに明けたというのに、外はバケツをひっくり返したような土砂降りだった。

 傘も役に立たなければ、レインコートを着ることもできない。夜更けだというのに、蒸し風呂のような気温だったのだ。レインコートなど着て走り回ったら、あっと言う間に熱中症でぶっ倒れちまう。


 ……そう。あの日俺は、土砂降りの夜の街を、あっちこっち駆け回っていたんだ。

 捜しモノがあったから。……探してくれと、頼まれたから。

 僅かな情報を頼りに、俺は街中を駆け回って――そうして、ようやく見つけたんだ。

 ……顔を見ても、実感なんて湧いては来なかったけど。


 ――何故こんなことを思い出しているのか、自分でも不思議ではある。

 ……だがまあ、理由は多分、眼の前のこの子なんだろう。

 色とりどりの花が咲く、小さな花壇の前。しゃがみ込む、麦わら帽子を被った小柄な背中が二つ。二人とも子供のように見えるが、一方は俺よりも年上だったりする。だが、もう一方は、正真正銘の女児だ。

「おにいちゃんおにいちゃん!」

 そう言って、女児――遥花はるかは振り返った。


「……ん? どした?」

「これ! この白くてちっちゃいお花がいっぱいなの、すっごくキレイだねっ!」

 軽く屈んで答えてやると、遥花は花壇を指さしながら、屈託なく笑った。

「ほう、なかなか趣味がいいな、ハルカ」

 そう割り込んで来たのは、他でもない。すぐ隣にしゃがみ込む寸詰まり――逢花おうかである。


「これはカスミソウと言うのだ。『清い心』や『無邪気』さを象徴する花だな。……ふむ、ハルカに良く似合っているではないか。境守さかがみもそう思うだろ?」

 問われて、一も二もなく頷いた。否定する要素など一つもなかった。

「ああ……遥花は素直でいい子だからな。ぴったりじゃないか」

 驚くほど素直に、そんな言葉が出てくる。正直、自分でも不思議だ。

 不思議だが……悪い気はしない。

 逢花も笑顔だったし、遥花はそれに輪をかけて笑顔だった。

「はるかいいこ? いいこ? ……えへへ~♪」

 なんて、そんな風に笑う遥花を、心からいとおしいと思った。


「へ~、ホントに別人みたい。ってか、何か変な趣味に目覚めたんじゃないでしょーね」

 ――幸福な時間を打ち破ったのは、そんな声だった。


 ぎくりとして、瞬間、身が強ばった。……いや、強ばったのは表情もか。

「おにいちゃん……?」

「? ……知り合いか? 境守」

 俺の様子がおかしなことに、二人は既に気づいている。怪訝な様子で俺の顔を覗き込む遥花に、俺の背後に立つ何者かを見やる逢花。

 知り合いではない。そう言ってしまいたかった。……しかし、その声、その口調、その雰囲気に、瞬間、思い当たってしまった。


「――――」

 悪あがきとは分かっていても、振り返りたくない。喋りたくもない。

「……あのー、ねえ? いつまで固まってるの? ヒトが遠路遙々こんな暑い中、わざわざ会いに来てあげたってのにさ。ねえ、ひなたさん?」

「えっ? そっ、そんなことあたしに言われてもっ」

 ひなたの声もする。……全部こいつの手引きか。くそったれ。これだから幼なじみって奴は始末が悪いんだ。いつもいつも、ヒトの家のことに首突っ込んで来やがって。


「ちょっと起陽たつひ! いい加減こっち向きなさいってばっ! 月子つきこちゃん、困ってるでしょっ!」

 分かってるさ。いつまでもこのままでいられる訳がない。いつかは向き合わなけりゃならないなんてこた、2年前から分かってる。

「――っ」

 意を決して、振り返る。そこには果たして、予想通りの人物の姿があった。

 一人はひなた。俺の天敵にして、にっくき幼なじみ。そして、もう一人は――


「……つ――月……っ……子」

 苦虫を噛みつぶす思いで、その名を口にする。

「はぁい♪」

 錆色の長い髪をした女が、嬉しそうにニカッっと笑った。

「……だあれ?」

 そう、どことなく不安そうな声で訪ねたのは、他でもなく、遥花だ。せがむように、俺のズボンを軽く握っている。

「……私も気になるな。どおゆう関係だ?」

 心なしか厳しい眼で、逢花も倣う。


「――……」

 俺は答えなかった。こいつが俺にとって何であるのか、対外的には分かり切っている。だが、言葉が出てこなかった。

 そんな俺を代弁するつもりだったのか――或いは、単なる嫌がらせだったのか。月子は、大仰に敬礼するような素振りを見せながら、宣言するように、言った。

臥待ふしまち 月子つきこ15歳、北の大地から本日遙々やってまいりました! 境守起陽の――妹でっす!」




【つづく】

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