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作者: 春代 羽羽
掲載日:2026/02/13

 「私はわたし」という歌詞を、僕は心底憎む。


 自分が自分だと言って何になる? 周りと比べないだの自分を認めるだの、それらはすべて、視野狭窄に陥っているだけだ。まるで進歩していない。なぜ目隠し状態で意気揚々と歩くことができるのだ。


 だけど、そのくせ、歩くだけで様になるヤツもこの世にはいる。



 

 ……だから嫌いなんだ。




 ――――――――――――――――――――


「arrogant、横柄な・傲慢な。extrovert、外交的な・社交的な。introvertで内面的な。obscure、広く知られていない......」

 ペラリペラリと単語帳をめくりながら帰路を行く。道路から少しそれた場所でのよそ見だから事故にはならないはずだ。


 いつもと同じ帰路に、乾き始めた秋の風が吹いていく。しかし高校3年の秋ともなれば、風流を感じる暇もない。帰ればまたドリルが待っている。


 やがて公園の前にやってくる。単語帳から目を離して、たまには外の景色に……。


 いや、いいや。もうそんな気力もない。高2のころは、無双感やらでなんでもできる気がしたのに。


 戻りたい。あのころの、仲間のいた、あの時代に。だけど今は、指先すらも冷えている。吐息でもちっとも温まらない。


 身に染みる寒さが脚を急かす。僕は単語帳をしまって、下を見ながら帰路を急いだ。


 


 


 ――ふと、音が耳に入る。秋虫たちの輪唱や木の葉の掠れとも違う。


 それは歌だった。公園の方からアコースティックギターと歌声。

 

 それは雑音を跳ねのけた。

 それは鈴虫を黙らせた。

 それは力強さで脇役を押しやった。


 女声でハスキーボイス。なのに上機嫌だった。


 思わずその声の方に体が動く。ふらりと病人のように、取りつかれたように、本能がその声を求める。


 ——六畳一間 私はまた眠る

   きづいたときには 目覚める

   朝ご飯は めだまやきがいい

   ソースをかけたい気分


 声の主は、ベンチ座って弾き語りしていた。ストラップを肩にかけ、アコースティックギターをすこし大雑把につま弾いている。ギターの腕は普通。歌唱技術も高いわけではない。だというのに、これだけでどうしてもこうも様になるのか。ブラウンの髪は少しボサボサしていて、よれた服。だけどそれが不思議とオーラを醸し出す。

 

 とても和やかなメロディーに、幸せそうな歌詞……? メロディーの盛り上がり的に次はサビだな。


『——今日も ごろごろと

 ——明日も ごろごろごろと

 ——実家でもっともっと 惰眠をむさぼって

 ——テレビを見て笑ってる

 ——脛をかじって生きてる

 ——でも胸張って言える』


 ……。そして最後のフレーズ。


『——私はわたしだ……』


 ………………。




 


「そうはならんやろ!!!!!!!」


 僕は思わず叫んだ。そして女性は大きくのけ反る。

 

「うおっ、びっくりした!」


「あ、いや、その」


 ……やってしまった。最後の歌詞に、我慢できなくなって突っ込んでしまった。彼女の作った雰囲気を下世話にぶち壊してしまった。


 しかし、女性はこちらをじっくり曇りなき眼で見てくる。ギターをベンチの脇に置きつつ問うてくる。

 

「少年や、なにがそうはならんやろなんだい?」


「え? いや、その……。ご自分で書かれた歌詞なんですよね?」


「そうだよ」


 ええい。こうなったら自棄だ! もう二度と会わないだろうこんな人! 明日から帰るルートを変えてやる!


「Bメロで目玉焼き云々の話して、サビでニートしてることが書かれてんのにいきなり『私はわたし』とか言われたら、その、なんといいますか。唐突というか、内容がないというか。メロディーも歌詞に合わせようとしすぎたせいでアンバランスで、正直クオリティ低いかなって」


 僕は思った通り感じたことを言った。実際プロどころかアマチュアバンドの曲よりクオリティが低い。もうちょっとできることはあっただろうと思う。声の質がアマチュアを遥かに凌駕するだけに。


「……少年。君、言うね」


「あの、帰りますね。それじゃ」


「待てぇ!」


 走り出した腕をつかまれる。退路、なし。


「せっかくだ。もう二曲ぐらい、私の曲を聴いて言ってくれよ」


 オワッタ。


 —————————


「で、どうだい?少年。君の、()()極まりない感想は」


「全曲内容がないですね。Twitterのカスの一句の方が内容あります」


「今釘を刺したのに! 初めて聞いたよその酷評!」


「お姉さんの目標は知りませんが、プロを目指すとしても、このままなら弾き語りで稼げずくたばって終わると思いますよ」


「うーん。でもなあ。私、そういうわけにもいかないんだよなあ」


「……?」


 彼女はむくれ顔のままでいじけて言う。


「わたしさ、約束があるんだよ。今はもう離れ離れになっちゃった奴なんだけど、どっちが先にプロになるかって約束がね」


 彼女はギターに目をそらしつつ、どこか遠くを見るように言った。

 

「まあだから、少年もそういう目標があると人生が楽しくなるんだけど、君はとても死んだ目をしているね」


「……ほっといてください」


 ふっ、と笑って彼女は笑いかける。とてもいたずらっぽく挑発的に。


「そんなに言うんだったら、君が歌詞を書けばいいんじゃないのかい?」


「書く暇ないんで無理っす」


 僕も、腐っても受験生なんだ。秋にまた、音楽をやる暇なんてない。僕は即答し、バッグを背負いなおす。


「おやおや~?人に対してこっぴどく言うくせに、中身がないとかいうくせに~、君には行動が伴っていないのかい? 笑えるね。私のことだって何もわかっていないのに」


「……。は?」


「だってそうだろう?批判なんて誰でもできる。それしか発言カードがないんだから。所詮君は……」


 上から目線でアクセントをつけて、彼女が言う。

 

「努力をしない、意気地なしってとこかな?」


 ……こいつ、いつまでも煽るように……。なにもわかっていない?それはこっちの台詞だ。僕のことも、あんたの声の適性も。ぜんぶ理解していない癖に……。


「べつに、意気地なしで結構。僕は帰ります」


「えー。つまんな。意気地なし! ポンコツー!」


「……チッ」


 そのまま、小学生レベルの暴言をまき散らす後方の成人女性を無視する。


 公園から出て、いつも通りの道につく。


 

 —————————


 

 ああもう。何だったんだあの女性は。身だしなみがきちんとしているわけではない。なのに雰囲気だけはミュージシャンぶって。実もないのに。

 

 ……いや、あることにはあった。あの声だ。見えなかった景色の先まで行くような。僕の理想のような、代弁者のような。そして、僕のいちばん嫌うタイプ。


 きっと彼女は、歩くだけで様になる。カリスマがある。手を伸ばして、ぼやけた光の先に征ける。


 そんな彼女だから、きっと違う星の住人なのだ。何にも縛られないで、彼女はあんなに気ままに弾き語って。


 宝の持ち腐れた歌声で。あんな声ならもっと……。




 ――ふと、頭の中でメロディーがなった。


 それはどこかで「鳴った」音ではない。


 自分の頭の中で新しく「成った」。


 それは鬱いでいるのに力のあるメロディー。


 合わせる風景がありありと浮かぶくらいに鮮明なメロディー。

 

 ……しかし肝心の8小節目のようなキメが不明瞭なメロディー。


 その音を振り払おうとするが、生まれたばかりの音はとても脳の後ろの方にこびりついてやまない。未完成なままなのもイラつく。


 ――僕はもう、音楽をやらないって決めたのに。

 

 いつの間についた家で、いつも通り晩御飯を食べ、風呂に入り、そのままベッドに入る。


 しかしいつまで待てども目が閉じない。


 ダメだ。


 ずっと興奮してしまっている。


「……ああっ。クッソ」


 このメロディーは決してきれいじゃない。けれど、僕の今までをかき立てられて止まない。これを完成させてどうするのか、なんて、自己防衛機制が言う。


 ——そんなもの、自己満足だろう。


 ——でも。


 「やってやるよ」


 僕は勉強するふりをして、自分の部屋のギターを取った。数か月は手入れをしていないエレキギター。ヘッドフォンのケーブルを刺す。


 久しぶりのノイズ。つまみを回すのも、チューニングを合わすのも、何もかもが久しぶりで。


 そしてそれ以上に、勝手に言葉とメロディーが出てくるこの感覚。あの無双感。「帰ってこられた」錯覚が心地よい。

 

 眠気も感じない。ただ頭の中のメロディーがコードを示す。ならばここであの技術を……。


 もう一度、と鳴らそうとした手が、不意に止まる。ピックが岩を押そうとするように。なんでだ? なんで、熱がにげた? さっきまで頭にずっといたのに。さっきまでのメロディーも消えてしまいそうだ。だけど下手に弾けばきっと、上書きされて元のメロディーも戻ってこない。


 歌詞に書きたかった言葉もつられて沈黙する。書きたかったものが目の前にあったのに。届かなくなって。


 脳裏にあの光景が、よみがえる。俺のギターが、切り捨てられた瞬間が。感情を嗤われたときのことが。


 湧いていた感情が、早くも尽きた。メトロノームだけが五月蠅い。続けないと、この感覚は二度と戻ってきそうにないのに。僕は――また、音楽を捨てなければならないのだろうか。

 

 怖い。失うのも、また虚無にもどるのも。

 

 ――いやだ。もう、置いて行かれたくない。だから……!


「この、恐怖も、感情だろうがッ!」


 俺はただがむしゃらにギターを鳴らす。上書きし続けてやるさ。上書きされるくらいの音なら、言葉なら大したことはない!


 冷えた指先で思い通りに弾けないけれど。きっと、理論を学ぶ前に比べればだいぶ大人しすぎるだろう。丸すぎると、あの頃の自分に笑われるだろう。けれどそれで、いい。


 今の作曲を、ただ進める。無秩序にでも歌詞で歩みを進める。そうすれば自ずと、一小節、また一小節と曲が体裁をなしていく。



 —————————————

 

 俺は、この熱のために三日間をドブに捨てた。

 

 —————————————



 そして。あの日と同じ公園で。


「おっ。誰かと思えば、意気地なしの少年じゃないか。こんなところまでどうしたんだい?」


 昨日のように小ばかにしたような表情で、話しかけてくる。昨日より湿っぽい風が頬をなでる。


「……これ」


 そういって、僕は5枚のA4紙を手渡す。


「これは……なんだい?」


「アンタが言ったんでしょ。歌詞を書いてくれって」


「まさかこれ、楽譜かい? ……驚いた」


 クリアファイルに入ったそれをまじまじと見て、こいつは感嘆の息を漏らす。


「必要なら音声データで別撮りしてるんで、そっちを見本にやることもできますよ」


「いやいや!まだ4日しか経ってないんだよ!? そんなスピードで作詞作曲なんてこなせるわけ……」


 まあ、本来ならその通りなんだが。


「運がよかっただけです」


「君、もしかして天才?」


「天才ではありません」


 歌詞に目を通した彼女が、引きつったような表情を浮かべる。


「これは……少年、君、かなり心がひん曲がってるね?」

 

「よく言われました」


「普通、こんなに暗い歌詞でも、ラスサビぐらいは前を向くもんだけどね」


「ラスサビで言いたいこと曲げる馬鹿よりは信頼してほしいですね。それにまだあんまり暗くないっすよ。確かに明るくは、ないですが」


「……歌ってみても、いいかい?」


「どうぞ。歌詞はオーダーがなかったので、僕に寄ってますが」


 彼女はおもむろに、アコギに手を掛け、爪をピック代わりにゆっくり、音程確認のアルペジオ。


 すう、と息を吸うだけでなかなか様になる声。


 『——心臓の音の方が綺麗で

   食らいつく音が汚らしいと

   なんだかんだ向いてないんだ

   落ち零れて 僕が一人

   今でも道の先に立たれ

   好きも嫌いに変わって

   嫌いはもう変わらなくって

   もう分からなくって 厭だ』


『——それでも夢だけは

   人並みに見ちゃうから

   それでも音だけは

   変わらず苦しくさせる』


『——ああ、書きむしった音で

   僕ごときの音で

   普通の中を足掻いて

   必死に溺れて

   必ず、響かせる

   汚らしいこの詩を

   何度だって諦めた

   この感情論を

   今世紀最小の 僕を』



 彼女が最後のコードを徐に鳴らす。それと同時に僕はやってしまったなと思う。

 苦し紛れで不格好な出来。なのに、不思議と誇らしい。


 すると彼女が突然、ギターを置いて目の前に正座する。


「少年。意気地なしって言って、すいませんでした!」


 今世紀最大の、大人の本気の土下座を見た。


「……頭、上げてください」


「こんな、数日で作られた歌で、私の3週間かけて書いた歌詞たちが負けた……」


「いや! 歌詞に優劣はないですから! って、は? 3週間かけてあれですか?」


「やっぱり君! 結構鬼畜だよねえ! ……もう、本気で、キミが曲をつくってくれればよくないかな。これからも歌詞書いてくれたりしない?」


「はい。もともとそのつもりで来たので」


「そうだよね。やっぱ忙しいよね……って、え? やってくれるの!?」


 彼女はすごい勢いで飛びのく。


「あなたの声は技術とジャンルが悪いだけ。きっと輝く。それに、あなたといれば、僕の忘れた景色も見られる気がして。夢ってやつも気になりますし。」


「……! 少年!」


 彼女は思いっきり目を輝かせて。


「底辺ミュージシャンの得意技、泣き落としにこうも簡単に落ちてくれるとは。さては少年、ピュアだな?」


「……は?」


「いやぁ、別に嘘はついてないよ? 本当にあの約束はあるけど、普通そんなのを知らない人には言わないでしょ」


「……帰る」


「いやいや待って待ってごめんごめんって!! せめて、名前! 教えてくれない?」


「……桐花、菜緒です」


「コホン。私はアルク 美希だ」


「? ハーフとかっすか?」


「そうだね。母が日本人、父がイギリス人だ。英語はてんでダメだけどね」


 薄々わかっていたけどこの人、不安すぎる。この人に色々を任せてはいけないがする。なんで僕はこの人に魅かれているんだ? これが、カリスマというやつなのか?


「よろしく、少年。いや、菜緒」


「よろしくです」


 アコギを挟み、笑う。一歩踏み出し、差し出された手を取る。胸に暖かさと、小さく頭を圧迫する逸り。それだけが、初めてだった。


 ――私は私という言葉を、僕はやはり心底嫌っている。けれどきっと、僕もいつか言うのだろうか。彼女のような光るものもない俺が言うのなら、きっと「私は私」ではない。「自分(醜態)自分(正解)にする」んだ。自分を自分にし(認めさせ)てやるんだ。


 俺の失ったあの頃の熱も全部、連れていきたい。


 彼女の掌が、指先のかじかみを取り払っていた。


 



「あ、ところで、お捻りを貰えないかい?今月ピンチなんだ」


 僕は、ギターに負けないくらい大きな舌打ちをくれてやった。

お読みいただきありがとうございました。

こちらは読み切りですが、もしかすると続く可能性も微レ存……。

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