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来年の1・4東京ドームは過去最高のIWGP戦になるのではないだろうか

作者: 不の夷
掲載日:2025/12/16

来年の1・4東京ドームは、

KONOSUKE TAKESHITAのIWGP世界ヘビー級。 辻陽太のIWGP GLOBALヘビー級。

の対決だと言う。両雄に「IWGPは特別なベルトである」の発言があり、それは昭和の新日ファンである私にも、嬉しい。


何故ならIWGPのベルトは、アントニオ猪木が造ったものであるからだ。

猪木は強かったが、それに見合う外国人レスラーが決定的に不足していた。そのアメリカのルートは、本場マットでヒール(悪役)スターだった、ショーヘイ・ババ、すなわちジャイアント馬場に完全に掌握されていた。

そこで猪木は、日本人の大物レスラーと闘うという作戦に出た。大木金太郎、ストロング小林など。

猪木は自慢のスピードを生かして、きびきびとした、よりリアルなプロレスを展開した。

馬場が、椰子やしの実割りなどの技で、おおらかなプロレスをしていたのとは対照的だ。(ところで、馬場はハワイが好きだ)

さて、後に過激なプロレスと呼ばれる猪木は、さらにリアルなプロレスを追求する。

異種格闘技戦だ。

それは、時のボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ戦から始まった。アリ戦はルールが噛み合わず不評だったが、柔道の金メダリストのウィレム・ルスカ戦や極真空手出身のウィリー・ウイリアムスとの闘いはファンを熱狂させた。

未だ総合格闘技の技術が確立していなかった時代である。

ただ一人、アントニオ猪木だけが、その技術に気付き我が物にしていた。

おそらく猪木は、その時点で世界のプロレスラーの頂点に立っていたと思われる。

猪木の万能感に近いもの。そこから産み出されたのがIWGP構想、つまり世界中のどのプロレスラーにも勝つという思想だ。

素晴らしい。

その万能感は、プロレスだけにして欲しかった。


アントンハイセルという、とてつもない事業。ただ地球を救えるような事業に手を出してしまった。

ざっくりとだが説明してみると、ブラジルでの(猪木は移住先のブラジルで育った)、トウモロコシの搾りかすの再利用、今いうところのバイオマスである。

トウモロコシを搾りアルコールを採り、石油の代わりにエネルギーとする。搾りかすは、有害だが特殊な培養で、家畜の飼料にする事が出来る様になる。食べた家畜の糞が、トウモロコシの肥料となる。つまり、持続可能な環境対策の一大プロジェクトだ。

今では、トウモロコシからエタノールを採り出す事業が開発され、実際にブラジルの環境対策になっているらしい。しかし、猪木の80年代には残念ながら技術が伴わなかった。

結果、アントンハイセルは大借金を背負う事になった。


80年代といえば、タイガーマスク登場の新日本プロレスは黄金期。何十億という利益があったが、この借金に使われ、それでも追い付かなかった。

アントニオ猪木は疲弊した。

余計な話だが、猪木が古舘伊知郎アナウンサーに「3万円、貸してくれ」と言った時代だ。

疲れることを知らなかった強靭な万能の肉体が衰え始めた。

1983年。

そんな中で第一回IWGP大会が行われた。

本来なら世界を、つまりアジア、中近東、欧州、メキシコ、そしてアメリカへとサーキットするはずが、ただの日本だけの開催。

しかも、北米代表のディノ・ブラボーが欠場、その代打が、ラッシャー木村という有り様。

猪木も決勝戦には進出したものの、ハルク・ホーガンのアックスボンバーの為に失神する程のダメージで敗れた。

しかしもしも、アントンハイセルの借金などがなければ、猪木は体調を崩す事もなかったろう。さらには新日黄金期の潤沢な利益で、世界をとまではいかなくても、韓国、イラン、ドイツぐらいにはサーキットして、アメリカに乗り込めたのではなかろうか。

(その後、参議院議員となった猪木は、北朝鮮でプロレス興行を行っている)

その頃の、NWAのチャンピオンは、リック・フレアー。しかし、不思議な巡り合わせは、世界最高峰と呼ばれた、このベルトは80年代になって、その輝きを急速に失っていた。

馬場は、最高峰のベルトと言われた時代の、NWAのベルトを獲得している。つまり、「猪木、お前はボクシングのチャンプと闘ったかも知れないが、この俺はNWAチャンピオンだぞ」というところだ。

恐らく、馬場は、そのベルト獲得に見合うだけの金銭を支払えたのだ。興行というのは、そういうものだ。


NWAを追いやったのは新興の団体、やり手ビンス・マクマホンのWWFである。何のことはない、アンドレやホーガンが所属するところである。

やり手のビンスに楯突いてしまったら、アンドレもホーガンももう呼べなくなる。猪木は統一すべきベルトを見失った。

結果、猪木はIWGPというベルトを造った。繰り返すが、猪木に潤沢な資金があれば、アメリカでアンドレやホーガンと、IWGPのタイトル・マッチをやればよかった。しかし、それは無理な話だった。

IWGPは、新日本内のベルトとして落ち着いた。


ところが、ここへ来て、IWGPのダブル・タイトル戦である。

両雄の発言には「IWGPこそ世界最高峰のベルト」の意識さえ感じられた。

第一回IWGP大会から、既に半世紀近く、しかしながら、これこそはアントニオ猪木の遺伝子ではないかと思って、嬉しくなってしまった次第。

来年の1・4東京ドームは、過去最高のIWGP戦になるのではないだろうか。

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