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追放された公爵令嬢に関する五つの報告書 ~再評価委員会の結論~

作者: 藍沢 理

 オズワルド・フォン・シュタイナーは、白亜宮殿の「正義の間」へ向かいながら、懐に入れた一通の手紙を何度も確かめていた。


 エリーゼ嬢直筆の手紙。


 追放先のグラウシュタイン公国から届いたもので『オズワルド先生。私は詐病(さびょう)()ではありません。いつか、必ず証明します』と、震える文字で綴られていた。


 この一文が、彼の医師としての良心を揺さぶり続けていた。


 廊下を抜ける風は冬の終わりを感じる暖かさ。しかし、六十二年の人生でここまで薄ら寒い気分は初めてだった。


 会議室の扉を開けると、四人の人物が既に席についていた。


 窓際に立つ灰色の髪の女性は、王立大学薬学部教授マティルダ・ヴェーバーだ。


 テーブルに小さなノートを置く老婦人は、元アーベント公爵家侍女頭フリーダ・ミュラー。


 眼鏡を押し上げる痩身の男性は、王国会計監査局の局長、レオポルド・ハルトマン。


 分厚い帳簿を抱える温和な初老の男性は、王立中央図書館、司書長のヘルマン・ブラウンだ。


 互いに面識はあったが、共同で何かをするのは初めてである。


 オズワルドは長いテーブルの上座に座り、四人の視線を受け止めながら、懐から手紙を取り出した。


「集まっていただき、ありがとうございます。皆さんに見ていただきたい手紙があります。グラウシュタイン公国からエリーゼ嬢直筆の手紙が届きました。彼女は今も戦っています。私は医師として、彼女に対する診断書に嘘は一切ないと証言します。しかし、それだけでは不十分でした。だから皆さんをお呼びしたのです」


 マティルダが灰色の瞳に決意を宿して応じた。


「魔法科学は嘘をつきません。私も協力します」

「わたくしも、お嬢様の真実を知っております」

「数字に感情はありません。ただ、事実があるのみです」

「本は人を映す鏡。彼女の読書記録は、彼女の魂そのものです」


 五人の専門家が、それぞれの分野から真実を探ろうとしていた。


 オズワルドが立ち上がる。


「では、真実を明らかにしましょう。本日をもって、『王国再評価委員会』の設立を宣言します。目的はエリーゼ嬢の名誉回復です」


 残りの四人も立ち上がって、互いに握手を交わしていく。テーブルには五冊の報告書が並べられた。医学、薬学、日常観察、財務、知識――それぞれの専門分野から導き出された証拠が、今ここに集結していた。


「それぞれが持ち寄った資料を、共有しましょう。私から医学的見地の報告を始めます」


 オズワルドは自身の報告書を手に取った。彼は丸眼鏡越しに報告書を見つめながら、四十年近い医師人生を振り返る。平民出身の苦学生から王立医療院の院長にまで登り詰めた長い経歴の中で、最も重視してきたもの――診断書の正確性だ。


「エリーゼ・フォン・アーベント嬢の初診は、今から十五年前、彼女が七歳の時です。当時の彼女は、健康そのものでした。活発で、よく笑う少女だったと記憶しています」


 報告書の一ページをめくると、十歳の頃の記録があった。ここから異変が始まったのだ。


「十歳になった頃から異変が始まりました。原因不明の体調不良、慢性的な疲労感、頭痛、目眩、吐き気といった症状です。当初は成長期特有の症状かと考えましたが、十二歳の時点で異常値が出始めたのです」


 レオポルドが身を乗り出して尋ねた。


「どのような異常ですか?」

「白血球の数値が通常より低く、貧血の兆候もありました。しかし、特定の疾患には該当しない。栄養不足でもなく、感染症の兆候もありませんでした」


 マティルダが鋭く問いかけた。


「では、何が原因だと?」

「当時は分かりませんでした」


 悔しかった。十五歳には症状は悪化し、二十歳を迎える頃には日常生活に支障をきたすレベルにまで達していた。それでも原因を特定できなかった。


「私は彼女を詐病(さびょう)()だと疑ったことは、一度もありません。血液検査の結果、体調不良の兆候、問診での訴え――すべてが一貫していました。彼女は確かに病んでいたのです。十五年分の診断書と血液検査の結果票が、それを証明しています」


 報告書の最後のページを開くと、そこには一つの仮説が書かれていた。彼自身の文字だが、改めて見ると恐ろしい結論だった。


「婚約破棄の際、私は違和感を覚えました。王太子殿下は彼女を詐病師と断じられた。しかし、医学的証拠は彼女の病を裏付けている。では、なぜ彼女は病んだのか」


 深く息を吸ってから、オズワルドは告げた。


「その答えを探すうち、ある可能性に辿り着きました。毒物です」


 会議室が静まり返った。


「彼女の症状は、ある種の毒物による中毒症状に酷似しています。そして、十歳の時、アーベント公爵家に新しい侍女が来たと記録にあります。症状が始まったのもその頃でした」


 資料を広げながら、オズワルドは続けた。


「偶然でしょうか。医師としての直感が告げています。これは偶然ではない、と」


 マティルダが立ち上がった。


「その仮説、私に検証させてください」


 灰色の瞳に、魔法科学者の闘志が宿っているように見えた。



 マティルダ・ヴェーバーは、自分の報告書を開きながら、魔法科学者としての誇りを胸に語り始めた。


 王国初の女性教授として、多くの偏見と戦ってきた。だからこそ、証拠だけを信じてきた。感情ではなくデータ、憶測ではなく事実だ。再現できない実験は信じない。


「オズワルド院長の仮説を受け、私は分析を始めました。王立医療院に保存されていた彼女の血液サンプルを、最新の化学分析技術で再検査したのです」


 マティルダはガラス瓶を取り出した。中には微量の黒い粉末が入っている。


「結論から申し上げます――エリーゼ嬢は毒を盛られていました。これがその毒物です。シュラーフェントート。眠りの死、と呼ばれる毒物です」


 会議室に静寂が訪れると同時に、ヘルマンが顔をしかめた。


「聞いたことがあります。古い毒物学の書物に記載が――」

「その通りです。即効性がないこの毒は、微量を長期間投与することで徐々に体を蝕んでいきます。致死量に達するまでには二十年以上かかります。だからこそ発見が困難なのです」


 マティルダは分析結果の資料を広げた。


「症状は慢性疲労、頭痛、吐き気。オズワルド院長が記録された症状と完全に一致します」


 レオポルドが問いかけた。


「なぜ今まで発見できなかったのですか?」

「通常の検査では検出できないからです。特殊な分析手法を用いて、ようやく検出できました」


 複雑な化学式と数値が並ぶ資料を指し示しながら、マティルダは続けた。


「血中濃度から逆算すると、彼女は十年以上、ほぼ毎日この毒を摂取していたと推定されます」


 フリーダが震える声で尋ねた。


「十年以上、毎日?」

「はい」


 怒りが込み上げてきた。魔法科学者として、人間として、許せない犯罪だ。


「この毒は食事に混ぜるのが最も容易です。無味無臭で、加熱しても分解されません。つまり、犯人は彼女の食事を管理できる立場にいた人物。そして、薬学の知識を持つ者です」


 マティルダは瓶を置いてから続ける。


「魔法科学は嘘をつきません。エリーゼ嬢の体内には確かに毒物が存在した。では、誰が毒を盛ったのか? どこで盛ったのか? どうやって盛ったのか? その答えは、あなたが知っているはずです」



 マティルダの視線を受けて、フリーダ・ミュラーは、小さなノートを開いた。二十年間の記憶を辿ってゆく。エリーゼが生まれた時から側にいた。侍女頭として最も大切にしてきたもの――観察と記録だった。


「わたくしは毎日、お嬢様の様子を記録しておりました。お嬢様の一日は規則正しいものでした。毎朝五時に起床され、十五年間、一日も欠かしたことはございません」


 几帳間な文字で、びっしりと記録が綴られている。


「起床後は一時間の読書、朝食を済ませると午前中は勉強、午後は慈善活動の計画や手紙の執筆。このような日課を、十五年間続けてこられたのです」


 フリーダの咳払いがひとつ。


「お嬢様が『怠惰』という評判は、まったくの誤りでございます。お嬢様ほど勤勉な方を、わたくしは他に存じ上げません」


 では、なぜそのような評判が広まったのか。フリーダはノートの別のページを開いた。そこには、ある名前が何度も登場していた。


「食事の管理体制について申し上げます。アーベント公爵家では、お嬢様の食事を専属の侍女が管理しておりました。その侍女の名は、ロザリンデ・フォン・エーデルシュタイン」


 名を口にすると、フリーダの表情が怒りに染まる。


「十年前、エリーゼお嬢様が十二歳の時に、エーデルシュタイン伯爵家から派遣されました」


 オズワルドが身を乗り出して確認した。


「症状が始まった時期と一致しますね」

「はい。ロザリンデは常にお嬢様の食事に立ち会っておりました。他の侍女を遠ざけ、自分だけが管理する体制を作り上げたのです」


 あの時、彼女は違和感を覚えていた。なぜ他の侍女を遠ざけるのか。なぜ自分だけで管理したがるのか。今になって、その理由が分かった。


 マティルダが問いかけた。


「彼女に薬学の知識は?」

「彼女の父は薬屋でした。薬学の知識は十分にあったはずです」


 条件が合致する。フリーダは記録を見ながら口を開く。


「お嬢様が体調を崩されると、ロザリンデは表向き心配する素振りを見せました。しかし、医師の前では『お嬢様は怠けていらっしゃる』と証言していたのです。お嬢様の前では献身的な侍女、他者の前では彼女を貶める証人――二つの顔を持っていました」


 許せない。そんな表情でフリーダは別のページを開いた。


「さらに、ロザリンデは王太子殿下に頻繁に接触しておりました」


 ヘルマンが眉をひそめた。


「侍女が王太子に?」

「はい。舞踏会、茶会、公式行事――あらゆる機会を利用して、殿下に近づいていました」


 レオポルドが冷たく言った。


「毒を盛る機会、そして手段――揃いましたね。では、動機は? それは、私の専門分野です」



 レオポルド・ハルトマンは、膨大な会計資料を前にして、冷静に分析を続けていた。数字を信じてきた。感情は嘘をつき、言葉も嘘をつく――しかし、数字だけは嘘をつかない。


「エリーゼ嬢の支出記録を分析しました。過去十年間の総支出額は、金貨五万枚に相当します」


 莫大な金額だ。これだけ見れば、確かに浪費家に見えるだろう。だが、内訳を見れば真実は明らかだった。


「しかし、内訳を見れば真実は明らかです。個人的な支出である衣服、装飾品、娯楽、これらの合計は金貨二千五百枚。総額の五パーセントに過ぎません。公爵家の令嬢として考えれば、むしろ節制なさっていた様子がうかがえます」


 レオポルドは資料を一枚ずつめくっていく。


「残りの九十五パーセントは慈善事業です。孤児院への寄付、病院の運営資金、学校の建設費、貧民街への食料配給――これが浪費と言えるでしょうか」


 レオポルドは一枚の資料を取り出した。これが、決定的な証拠になるだろう。


「そして、興味深い発見がありました。三年前、エリーゼ嬢は『聖エミリア孤児院』への支援を突然打ち切っています。それまで毎年金貨千枚を寄付していたにもかかわらず、です」


 オズワルドが身を乗り出した。


「理由は?」

「孤児院の帳簿に不正が発見されたためです。寄付金が本来の目的に使われておらず、理事が私的に流用していました」


 レオポルドは別の資料を取り出した。


「その理事の名は、クラウス・フォン・エーデルシュタイン。エーデルシュタイン伯爵の弟です。つまり、ロザリンデの叔父、ということになります」


 会議室が静まり返った。眼鏡を押し上げながら、レオポルドは続けた。


「エリーゼ嬢は不正を発見し、支援を停止した。そして、その直後、正確には二週間後から、ロザリンデは王太子殿下に頻繁に近づくようになりました。時期は完全に一致します」


 資料を整然と重ねてから、レオポルドは結論を告げた。


「ロザリンデには明確な動機がありました。叔父の不正を暴いたエリーゼ嬢への復讐。そして、エリーゼ嬢を排除して自らが王太子妃の座に就くという野心。この二つです」


 マティルダが立ち上がった。


「証拠は揃いました。しかし、エリーゼ嬢自身は、気づいていなかったのでしょうか?」


 ヘルマンが穏やかに微笑んだ。


「それが、最も驚くべき事実なのです」



 ヘルマン・ブラウンは、分厚い帳簿を開きながら、四十年間の司書人生を振り返っていた。無数の本に囲まれ、無数の読者と出会ってきた。最も大切にしてきたもの。それは司書、という仕事だった。


「エリーゼ嬢の読書記録を持参しました。これは、王立中央図書館が保管している貸出記録です」


 帳簿を開いて見せた。


「過去十年間で、彼女が借りた本の総数は……千三百四十冊です」


 驚異的な数字だ。ヘルマンはリストを読み上げていく。


「ジャンルは多岐にわたります。医学、経済学、歴史、哲学、法律、文学……特に興味深いのは、その体系性です。彼女の読書は、決して乱読ではありませんでした。王妃として必要な教養を、順序立てて学んでいたのです」


 ヘルマンは別のページを開いた。ここに、決定的な証拠がある。


「医学書では『人体の仕組み』から始まり、『疾病の診断』『薬草学』と進んでいきました。そして――追放される三ヶ月前、彼女は『毒物学入門』を借りています」


 全員の視線が集まった。なぜ、毒物学なのか。ヘルマンはリストを指し示した。


「さらに、同じ時期に借りた本があります。『体内毒素の検出法』『長期中毒の症状と対処』『毒物分析の基礎』――」


 オズワルドが息を呑んだ。


「彼女は、気づいていたのですか? 自分が毒を盛られていることに」

「はい」


 ヘルマンは頷いた。彼は司書として、読者の真意を見抜いてきた。彼女は確かに気づいていた。


「エリーゼ嬢は、自分が毒を盛られていることに気づいていた。しかし証拠がなかった。だから、自ら毒物学を学び、証拠を集めようとしていたのです」


 ヘルマンは小さなノートを開く。エリーゼの筆跡で、びっしりと読書の感想や考察が綴られていた。


「これは、彼女が図書館に残していった読書ノートです。震える文字で、こう書かれています」


 ヘルマンは読み上げた。


『私の症状は、シュラーフェントートの中毒症状に似ている。しかし、どうやって証明すればいいのか。誰が信じてくれるのか』


 フリーダが涙を流していた。ヘルマンは別のページを開く。


「さらに、法律書も多数借りています。『不当な告発への対処』『証拠の収集方法』『冤罪を晴らす手段』――エリーゼ嬢は、決して受け身の被害者ではありませんでした。自ら戦おうとしていたのです」


 温かな眼差しで、ヘルマンは他の四人を見回した。


「しかし、追放が先に来てしまった。彼女は今もグラウシュタイン公国で、真実を証明する方法を探しながら戦い続けているのでしょう」


 五つの報告書が揃ったところで、オズワルドが立ち上がった。


「これで、すべての証拠が出揃いました。医学が証明した病の真実、薬学が暴いた毒物の存在、日常観察が特定した犯人、財務が解明した動機、読書記録が示した彼女の戦い――明日、国王陛下の御前で、これらの報告書を提出します」


 五人の専門家は、互いに頷き合った。真実は必ず明らかになる。



 翌日、オズワルドは玉座の間に立っていた。国王、評議会、そして王太子フェルディナントの視線が注がれている。四人の仲間が隣に並んでいるのを確認してから、オズワルドは深々と礼をした。


「国王陛下。再評価委員会を代表し、報告を申し上げます。エリーゼ・フォン・アーベント嬢に関する調査結果をご報告いたします」


 国王が手を挙げて促した。オズワルドは第一報告書を開いた。


「まず、医学的見地から。エリーゼ嬢は詐病師ではありません。彼女は確かに病んでいました。十五年分の診断書と血液検査結果が、それを証明しています」


 ざわめきが起こった。マティルダが進み出て、ガラス瓶を掲げた。


「薬学的見地から申し上げます。エリーゼ嬢の体内からは、シュラーフェントートと呼ばれる毒物が検出されました。十年以上、毎日投与されていたと推定されます。これがその毒物です」


 玉座の間に、驚愕の声が広がった。オズワルドは王太子の側に控えていた若い女性――ロザリンデ・フォン・エーデルシュタインの顔色が変わる瞬間を見逃さなかった。


 フリーダが前に出て、ロザリンデを指さした。


「日常観察の記録から申し上げます。エリーゼお嬢様は怠惰ではございませんでした。そして、毒を盛る機会があった人物を特定いたしました。ロザリンデ・フォン・エーデルシュタイン。あなたです」


 ロザリンデが一歩後退する。


「違います! わたくしは何も――」


 レオポルドが冷たい声で遮った。


「財務記録から申し上げます。エリーゼ嬢は浪費家ではありません。支出の九十五パーセントは慈善事業でした。そして三年前、エリーゼ嬢はあなたの叔父、クラウス・フォン・エーデルシュタインが理事を務める孤児院の不正を発見し、彼女は支援を停止しました。その二週間後、あなたは王太子殿下への接近を開始した。時期は完全に一致します」


 ロザリンデの顔が蒼白になっていく。


「それは……偶然です!」


 ヘルマンが確固たる声で語りかけた。


「読書記録から申し上げます。エリーゼ嬢は無教養ではありません。十年で千三百四十冊を読破し、王妃として必要な教養を身につけていました。そして、追放される三ヶ月前、彼女は毒物学の本を複数借りています。エリーゼ嬢は、自分が毒を盛られていることに気づいていたのです」


 ロザリンデの目が見開かれた。五つの報告書が、一つの真実を形作っていた。オズワルドは明確に告発した。


「ロザリンデ・フォン・エーデルシュタイン。あなたがエリーゼ嬢に毒を盛り、濡れ衣を着せ、追放に追い込んだ」


 ロザリンデは必死に首を振った。


「証拠はどこにあるのです? 証言だけでは――」

「証拠はすべて揃っています」


 マティルダが言い放った。


「毒物の分析結果、血液サンプル、化学による証明――」


 レオポルドが財務記録を示した。


「孤児院の不正記録、支援停止の時期、あなたが王太子に接近した日時の記録――」


 フリーダが観察記録を開いた。


「食事管理の記録、あなたの二面性を示す日々の記録、他の侍女の証言――」


 ヘルマンが読書記録簿を差し出した。


「エリーゼ嬢が借りた毒物学の本のリスト、彼女の読書ノート、千三百四十冊の借用記録――」


 証拠が次々と積み上げられていく。オズワルドはロザリンデの顔から血の気が引いていくのを見た。


「私は……私は何も……していません!」


 必死の否定だった。オズワルドは冷静に問いかけた。


「では、説明してください。なぜエリーゼ嬢の体内から毒物が検出されたのか。なぜあなたの叔父の不正発覚直後に王太子に接近したのか。なぜあなただけが彼女の食事を管理していたのか」


 ロザリンデは答えられなかった。国王の声が響いた。


「答えられないのであれば、これ以上の追及は無駄でしょう。衛兵」


 二人の衛兵がロザリンデに近づいた。


「待ってください! 私には、私には理由があったのです!」


 ロザリンデが涙まみれの顔で叫んだ。


「エリーゼが邪魔だった。彼女さえいなければ、私が王太子妃になれた! 叔父の不正を暴いたエリーゼを、私は許せなかった。だから――だから、十年かけて、すべてを計画した。毒を盛り、評判を落とし、証拠を偽造し――すべて、すべて私がやりました!」


 彼女は膝から崩れ落ちた。涙が頬を伝う。それは後悔ではなく、失敗への悔しさのように見えた。国王の声が響いた。


「ロザリンデ・フォン・エーデルシュタインを投獄せよ」


 衛兵たちがロザリンデを連行していく。オズワルドは、背中を見送った。真実は明らかになった。


 王太子フェルディナントが立ち上がる。手が震えていた。


「私は――私は、愚かだった。エリーゼを見ていなかった。彼女の真実を見ようともしなかった」


 深く頭を下げてから、顔を上げた。


「どうか、彼女に伝えてください。私の愚かさを、心から謝罪すると」


 オズワルドは頷いた。


「伝えます。しかし、謝罪だけでは足りません。彼女の十年間を返すことはできませんが、せめて未来を保障してください」


 国王が立ち上がった。


「エリーゼ・フォン・アーベント嬢の即座の帰国を命じる。名誉を回復し、相応の賠償を行う。グラウシュタイン公国へ、ただちに使者を派遣せよ」


 フェルディナントは、その場に立ち尽くしていた。取り返しのつかないことをしてしまった。そんな顔で。



 フリーダは白亜宮殿の門の前に立っていた。隣には、オズワルド、マティルダ、レオポルド、ヘルマンがいる。遠くから、馬車の音が聞こえてきた。胸が高鳴る。一ヶ月ぶりに、お嬢様に会える。


 馬車が門の前で止まり、扉が開く。金髪の若い女性が降りてきた。エリーゼお嬢様だ。痩せており顔色も良くないが、青い瞳には確かな光が宿っていた。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 フリーダは涙を浮かべて駈け寄ると、エリーゼがぎこちなく微笑む。


「ただいま、フリーダ」


 そして彼女は、五人に向き直った。


「皆様――ありがとうございます」


 深く深く、頭を下げた。


「皆様がいなければ、私は――」

「いえ、あなたは戦っていた。私たちは、ただ真実を明らかにしただけです」

「魔法科学は嘘をつかない。真実は必ず明らかになります」

「数字が、あなたの無実を証明しました」

「千三百四十冊の本が、あなたの知性と強さを示していました」


 エリーゼは、もう一度深く頭を下げた。そして、まっすぐに顔を上げる。


「これから、私にできることを探します。毒を盛られた人たちを助けたい。同じ苦しみを味わう人を、一人でも減らしたい」


 オズワルドが温かく微笑む。


「その時は、私たちも協力します」


 五人の専門家と、一人の令嬢。真実を求めて集まった彼らは、今や固い絆で結ばれていた。門の向こうから、ゲオルク公爵が駆けてきた。


「エリーゼ!」

「お父様」


 父と娘が、固く抱き合った。公爵の頬を涙が伝っている。フリーダも涙が止まらなかった。


「すまない。お前を守れなくて――」

「いいえ。私は大丈夫です。もう、大丈夫ですから」


 空は晴れ渡り、暖かな日差しが降り注いでいる。冬は終わり、春が訪れようとしていた。



 半年後。エリーゼは診療所の一室で、五人と茶会を開いていた。アルテンブルクの一角に開設した「エリーゼ医療支援センター」――毒物被害者の治療と予防啓発を目的とした施設だ。顔色は良くなり、毒の影響はほとんど消えていた。


「おかげさまで順調です。今月だけで、三十人の患者を診察しました」


 オズワルドが報告している。


「うち五人が、毒物による症状でした。早期発見できて良かった」

「毒物検出技術も、さらに向上させています」


 マティルダが頷いていた。


「お嬢様、患者さんたちからお手紙が届いております」


 フリーダが嬉しそうに手紙の束を取り出した。


「ありがとう、フリーダ」


 レオポルドが資料を広げた。


「財政状態も健全です。寄付も順調に集まっています」


 ヘルマンが本を差し出した。


「新しい医学書です。参考になるかと」

「ありがとうございます、ヘルマンさん」


 幸せだと思った。かつては孤独だった。毒を盛られ、濡れ衣を着せられ、追放された。しかし、真実を求める五人の専門家が現れた。彼らは証拠で真実を明らかにし、彼女を救った。そして今、六人は共に新しい道を歩んでいる。


 窓の外では、春の花々が咲き誇っていた。暖かな日差しが、部屋を満たしている。エリーゼは微笑んだ。これからも、戦い続ける。同じ苦しみを味わう人を、一人でも救うために。





(了)


お読みいただいて、ありがとうございます。

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