第8話 次回作の打ち合わせ、別件にて難航中
異世界へ転移すること自体、健一をはじめとした一般人には予想できない出来事だ。しかも、その経験を『地球』で証明することは不可能に近い。その為、約三年間という空白の期間を履歴書に書こうものなら、即座に引き籠りやニートを疑われてしまう。
その為、一般的な就職活動は難しいと早々に諦めた当時の健一は、職歴ではなく実力主義の職種に絞って考えるしかなかった。結果、幸か不幸か……最初に試みた異世界生活の小説化が成功した。
だから健一は今、小説家を名乗れているのだ。そして、向かいの席に腰掛けている綾はその担当編集、つまり出版社の人間だった。
「早速、打ち合わせに入りましょう。事前にメールで頂いたあらすじを拝見しましたが……」
そう言い、短めの髪形をなぞるようにして掻き上げた手を隣の席に置いた鞄に伸ばし、中から会社貸与のノートパソコンを取り出してきた。
「……まず、ジャンルとしては『追放令嬢』に近いですね。『悪役令嬢』とは異なる分類になります」
「『追放令嬢』、ですか?」
「断罪や婚約破棄の時点から物語が始まるのは、『悪役令嬢』ものと同じですね」
眼鏡のツルを押さえてから手慣れた操作で、立ち上げたパソコンの画面にパワーポイントを表示させていく。そこに纏められたいくつかの書籍について、綾は健一に解説を始めた。
「主に国や世界、時には過去や未来へと追放された後に物語が始まるのが、『追放令嬢』となります」
「聞いてる限りでは……『悪役令嬢』とあまり違いはないと思いますが?」
「『悪役令嬢』ものにも、追放されてから物語を始めるものもありますので、その認識は間違っていません。ですが、断罪されるべき役割ではなく、冤罪や悪事等の被害者である点が異なります。つまり……完全に潔白な、悪役じゃない令嬢を主人公として、追放された後の人生を描いたものが、『追放令嬢』というジャンルに分類されます」
以前聞いた話だが、目の前に居るボーイッシュなスレンダー体型の女性は自称雑読派の活字中毒で、小説をはじめとした様々なジャンルの書籍に目を通しているらしい。その知識を作家に提供することで、今は新しい物語を生み出す手助けをしている。
結果、健一や担当している作家は最低でも、『それなりの』成果を挙げられるようになっていた。その知識量で『追放令嬢』と判断したのであれば、まず間違いはないだろう。
「新作の方向性としては問題ありません。プロット(物語の設計書)の作成に入る前に、参考になりそうな『追放令嬢』ものの書籍に一度、目を通してみてください。『鎖の英雄と影の女王』の続編にするか、または別の作品にするかは、その上で決めましょう」
「分かりました。物語の舞台は『地球』にしようと思うのですが、不都合はありませんか?」
「『異世界』から『地球』への転移自体は珍しくありません。問題は、他の作品に埋もれさせないアイデアが必要となりますが……何か案はありますか?」
その時、健一の脳裏には保留となっている憶測の件が浮かんでいた。確証がなければ、所詮は仮説にすぎないのだ。であれば、この機会に使ってみてもいいかもしれない。
そう思った健一は、アイデアとして綾に説明した。
「一度は『地球』に転移した令嬢を、『異世界』の人間が拉致しようとする展開を考えています。まだ、転移させる手段や理由については思いついていませんが……」
「それも含めて、一度プロットに纏めてみてください。今日紹介する書籍の中にも、関連するものはありますので、参考になるかと思います」
綾のパソコンに表示されたパワーポイントには、『追放令嬢』やそれに近い物語の書籍が大量に記載されている。特に健一と相性が良く、場合によっては前作との関連で役立てられそうなものには、図解付きで紹介されていた。
「こちらのファイルはメールで送りますので、後程確認してください。プロットの作成が完了次第、企画会議に出させていただきます。何かありましたら打ち合わせの予定を入れますので、いつでも連絡してください」
「分かりました。では、そのようにします」
そしてすぐ、綾の手によってメールが送信され、その受信通知が健一のスマホに表示された。
「打ち合わせの時間は、まだありますが……続けますか?」
あえて、残り時間を示唆した健一に対して、綾はパソコンを片付けていく。
「…………時間まで休ませてよ、もう」
そして綾は口調を崩し、これまでの態度から一変してだらしなく、椅子の背もたれに体重を掛けていった。
「リモートできる環境がない相手の為にわざわざ遠方へ出張したり、情緒はあるけど未だに原稿用紙に書き込んでいる小説をパソコンに打ち込んだり、挙句の果てには締め切り過ぎてるのに逃げ出した作家を追い駆けたり……いくら働き方改革で不夜城が無くなっても、定時上がりなんて夢のまた夢。好きなこと仕事にしたはずじゃなかったの? 私」
「じゃあ、今からでも作家になれよ。他社か担当外の賞に個人で応募する分には、問題ないんだろ?」
「規定上は、ね。普通に職場に目をつけられるわよ。それに……今の私には、二次創作で精一杯だし」
綾が担当した作家の中で、一番期間が長いのが健一だ。実際、入社して最初に任されたというか、前職を理由に現在の編集長に押しつけられたのだ。その為、当時は社会人経験も浅く、未だに勝手の分かっていない彼女に対して、こちらから色々と教えなければならなかった。
特に酷かったのが国語で、読む力はあっても書く力がなく、健一から見て『汚い文章』を何度も読まされる羽目になった程である。今でこそ校正技能検定を取得しているものの、当時の綾の文章力は、外国人であるはずのセジョンよりも低かった。
そして『鎖の英雄と影の女王』シリーズを執筆している際、教えることに慣れていたとはいえ、健一の方が綾を指導する場面が多かった。おまけに歳も近かったので、今では業務外とはいえ、気の置けない友人位の関係に落ち着いてしまったのだ。
「次の予定まで、後二十分……本当、箕田先生は余計な仕事を増やしてこないから、担当作家の中で一番助かるわよ」
「その先生っての、いいかげん止めてくれ。皮肉にも程があるわ」
冗談めかして『先生』と呼んでくる綾だが、作家としてであろうとも、健一にとっては皮肉にしか聞こえてこない。とはいえ、今の編集部には彼女しか若手の女性がいないので、ハラスメント対策の人選で重宝されている以上、本人のガス抜きは重要事項だ。
現に、編集長からも裏で『新人教育のついで』とばかりに綾のことを頼まれているので、健一との打ち合わせには必要以上の時間を設けられている。
だから仕方なく、健一は綾の相手をしていることが多かった。決して、打ち合わせ中に発生した交際費を経費にする対象範囲を大幅に広げて貰っているからではない。決して、だ。
「とりあえず……何か、食うか?」
「……おすすめは?」
「季節のフルーツタルトなんてどうだ? 結構美味そうだぞ」
商品名の横に『テイクアウト可能』と記載があったので、いくつか土産に購入して帰ろうとも考えた。そしてメニューを綾に渡した健一は、追加注文が決まった段階で店員を呼び止める。
「それにしても……」
「何だ?」
注文を終えた後、綾は健一に対して、少し目を細めながら問い詰めてきた。
「これだけ気遣いできて……恋人いないとか、嘘でしょ? やっぱり史織さんと付き合っているんじゃないの?」
「だから、何度も言わせるな。あいつはただの親戚だっての」
(表向きは、な)
いちいち説明するのも面倒なので、健一は史織との関係をそう周知していた。
別に恋人同士でも良かったのだが、異性どころか異種族として見てしまうので、どうしても同居人以上の感情が沸き上がってこない。それに、お互い相手に対して性的興奮を覚えても、未だに恋愛にまで発展していないので、最終的に『親戚』で手を打つことにしたのだ。
「あ、そうだ。一時的にだけど……また同居人が増えたから、今度紹介するよ」
「……また女の人?」
「まあ、一応……」
綾の手が、自らのブラウスのボタンに伸びていたが……その前に追加注文されたフルーツタルトが配膳される方が早かった。
「……ねえ、ママ活(パパ活の女性版)って興味ない?」
「とりあえず、自分を安売りするなよ。知り合い曰く、『一度自分に価値を付けたら、それ以上に値段を上げるのが困難になる』らしいぞ?」
早まりそうになっている担当編集を制し、健一は同じく運ばれてきたコーヒーのお代わりに口をつけた。