第5話 地球での生活を始める為に
朝食時の話題は、マーセリットの初日の過ごし方についてだった。
「言語の強制学習……ですか?」
「そう。その確認も含めて……今日はこの世界、『地球』について紹介するよ」
斜向かいの席に着き、偶々購入していたフランスパンで作ったトマトのブルスケッタを齧っているマーセリットにそう言い残してから、健一は正面に腰掛けている史織の方を向いた。
「……で、史織は今日、暇なのか?」
「今日も夜勤じゃ。それまでは空いておるがの」
「そうか、だったら丁度良い」
理解度を量るのであれば、自分が知っていることを他人に正しく伝えられるかで判断する方が手っ取り早い。
「まずは、お前が教えてみろよ」
「……妾が?」
だから復習も兼ねて、健一は今回、史織に任せてみることにした。
「昨日の金貨のこともあるからな。お前がこいつに教えている間に、換金の話をつけてくるよ」
「まあ、それなら構わん。昨日の風呂の使い方みたいに、日常生活の方法を教えていけば良いんじゃろ?」
「とりあえずはそれで十分だ……ああ、ただ」
「ただ?」
健一が指差す方を、史織とマーセリットは振り向いた。そこにはソファと、その先にあるテレビが示されている。
「テレビについては、時間があればで良い。さっきの強制学習の件もあるから、それも含めて俺が教える」
「まあ、良かろう……おぬしも、それで良いな?」
「は、はい……」
そして食事を再開しようとした時、マーセリットは手に持っていたバケットを皿に戻すと、突然立ち上がってきた。
『ん?』
どうしたのかと見ていると、少し距離を置いたマーセリットは健一達に対して、再び着込んだドレスにてカーテシーによる挨拶をしてきた。
「名乗るのが遅れて、申し訳ございません。私の名前はマーセリット・ロゴードナ・ディストルジェリ……いえ、今はただのマーセリットです。どうぞお見知りおきを」
少なくとも、頭は回るらしい。
貴族社会に慣れきっていたにも関わらず、もう意味のない家名や爵位に縋ることなく、ただ自分の名前だけを名乗ってきた。
その挨拶に対して、健一達は座りながらにはなるものの、しっかりと名乗りを返した。
「改めまして、箕田健一だ。そして……」
「……妾は箕田史織。元の世界ではシルヴィア・ウンブラ・ディアヴォルと名乗っておったが、『地球』では史織と呼んでくれれば良いぞ」
そして改めて、椅子に戻ったマーセリットを含めた三人は、朝食を再開した。
「ひとまずはマーセリット、って呼べばいいか? 名前を変えたいなら、それでもいいけど」
「名前は、そのままでお願いします。家名が必要なら、どこかの家に養子として入ろうかと思いますが……」
「そこまでしなくても良いって。どうせ就籍……この国の住人として、生活する為の手続きとかが必要だから、その時に好きな家名を決めれば良いさ」
とはいえ、彫りの深い顔立ちだが多少は日本人に近い史織とは違い、マーセリットはそれに加えての白髪。見かけは完全に渡来人だ。
国籍についてもどうするべきか、一度考えた方が良いかもしれない。
(また、あいつに聞いてみるか……)
その手のことに詳しい知り合いがいるのは、健一達にとってはある意味幸運だった。
昼食までには帰宅する予定を立ててから、健一は外へ出た。
外出の予定は二つ。その一つ目は、偶然とはいえ手に入れた金貨を換金することだ。大手のチェーンでは犯罪行為に巻き込まれないよう、質草の足取りを追う場合もある。だから個人経営で、かつダーティー寄りな質屋で取引しなければならない。
就籍もそうだが、日本人よりも国の仕組みに詳しい人間が知り合いにいる。そこから紹介して貰った質屋へと、健一は足を伸ばした。
裏通りにひっそりと存在する小さな店舗。『伊呂波』という屋号が刻まれた看板の下をくぐり、中の座敷に腰掛けている禿頭で小柄の老人、柳堀亨に声を掛けた。
「爺さん。今いいか?」
「……おお、お前さんか」
過去に何回か質草を換金しに来たこともあったので、柳堀とはすでに顔馴染みになっている。それ以外に来たことはなかった為か、すぐに仕事の話に入ってくれた。
「で、今日は何を持って来た?」
「金貨だ。宝石も持ってこようかと思ったが……また硝子を掴まされかけてな」
「少しは成長しとるようだな。持って来てたら、また説教してやるところだったわい」
ちなみに宝石を質草に出し、その度に硝子製だと判断されては説教を受けていたのも、今となっては良い思い出である。
「この金貨なんだが……いくらになりそうだ?」
「ちょっと待て……」
健一はカウンターの上に数枚、金貨を置いていく。柳堀はそこから一枚摘み取ると、ルーペ片手に覗き込んだ。
「……おい、こいつをどこで手に入れた?」
「前の宝石と一緒だ。証明できないから、聞かないでくれ」
嘘を吐かなくとも、人を騙すことはできる。しかし必ずしも、望んだ結果通りに話が進むとは限らない。
盗品だと思われてしまえば、困るのは健一達の方だ。けれども、異世界に転移したなんて話をしても、まず正気を疑われるだけだろう。
(まあ、そもそも盗品だしな……)
「まあ良い……見慣れない金貨だから、まずは含有率で判断するぞ。良いな?」
「……ああ、それでいい」
この世界に存在しない金貨を換金しようとしているのだ。健一も最初から『金』としてしか見ていないので、柳堀の提案をそのまま受け入れた。
そして金貨は、持ち出された電子比重計に掛けられたが……その結果を見て、柳堀に盛大に溜息を吐かれてしまう。
「詳しく調べてみんと分からんが……この金貨、多分半分も『金』じゃないぞ」
一瞬、柳堀が何を言ったのかが分からなかった。
しかし、理解が追いついた健一は思わず、間の抜けた声を出してしまう。
「…………は?」
宝石の時もそうだが、まさか金貨ですら、虚栄に塗れているとは思わなかった。
「とはいえ、硝子の宝石よりかはましじゃな。一枚だけ崩すぞ? それともマニアックな顧客でも探すか?」
「あ~……両方、頼めるか?」
最初から鑑定する為に、今日持ち寄った数枚は失うつもりでいた。今回無駄に消えたとしても、その価値さえ分かれば残りの……数百枚もある金貨を換金できると考えれば安く済む。
「どっちが高く換金できるかは、分からないしな。より高価な方で頼む」
「分かった。調べるのに、数日貰うぞ」
「了解。また二、三日したら、一回顔を出すよ」
カウンターに置いた数枚の金貨をそのままにし、健一は店を後にした。
「じゃあ、後は頼んだぞ」
「…………」
健一を見送った後も、柳堀は金貨を摘まんだまま、じっとその表面を眺めていた。
「長生きはしてみるもんじゃな……」
少しして、柳堀は残りの金貨と共に保管用のケースに仕舞ってから、道具を片付け始めた。
「……また、お目にかかるとはのぉ」
質草や道具を片付け終えた柳堀は、再び中の座敷へと腰掛けた。
「さて、と……」
最初の用事を終え、健一は二つ目の目的地へと足を進めた。
外出前に連絡を入れておいたので、後は相手の退勤に合わせて、話を聞きに行けばいい。健一は間に合うよう、その勤め先へと徐々に歩みを早めていく。
一方、史織は少し、暇を持て余していた。
(昨日の風呂もそうじゃったが……)
ソファに寝そべりながら、史織は目の前でカーペットの上に腰掛け、テレビを観ているマーセリットを眺めていた。すでにそれ以外の、少なくとも家の中で生活する分は教え終えているので、退屈しのぎに点けざるを得なかったのだ。
(……異世界の科学力も、なかなかに発達しとるようじゃのぉ)
元々の知能の高さや教育の賜物もそうだが、かつて過ごしていた時とは比べ物にならない程に発達していた異世界へと思いを馳せ、史織は天を仰いだ。
(ま……その手の考えごとは、健一に押しつければ良いか)
いっそ仮眠でも取ろうかとも考えたが、大人しくしているとはいえ、マーセリットから目を離すわけにもいかない。
「ただいま~」
そう考えていた時に健一が帰って来たのは、史織にとっては文字通り、寝る前に来た果報だった。