第26話 消え去りゆく世界の中で
山道を駆け抜ける中、健一の脳裏にふと、大きな矛盾点が浮かんできた。
(ちょっと待て……じゃあ、シルヴィアやマーセリットはどうなる?)
最初こそ、世界を構成するすべてが魔力の素によるものだと思っていた。けれども、それが本当であれば……あの二人が地球に存在できた理由に説明がつかない。
(魔力の素自体に意思はない。と、いうことは……該当するのは無生物だけか?)
しかし、シルヴィアやマーセリットの持ち物もまた魔力の素でできていると仮定した場合、構成されている物質の存在しない地球でも、その形状は保たれるのか。
一度構成してしまえば、後は消去されるまで存続するとなれば話は別だが……今の健一達には、その検証をする余裕自体がない。
(とにかく、シルヴィアとマーセリットをここから引き剥がすしかない。他の国民も気になるが、今は調べる余裕が……っ!?」
エミル率いる、新しい岩人形達が健一の傍へと、早くも辿り着いていた。繰り返し、伸ばす鎖を掴む手はそのままに、背後へと別途攻撃を繰り出す。
「『鎖鋼鋸糸』っ!」
もはや糸と呼べる程に細長くした鎖を、周囲一辺に張り巡らせていく。岩人形達にはあまり効果は見られないだろうが……エミルは生身、しかも他に増援が来る可能性もある。有効なうちに使わない理由はなかった。
何より、健一の目的は攻撃や、直接的な足止めではない。
(……よし、上手くいった!)
この辺り一帯の樹木を切り裂き、エミル達との間に障害物を設け、
「『消―』」
「『鎖榴散球』っ!」
間接的な足止めと同時に、追撃を加える為だった。
力任せに押し退けてくるか、はたまた効率を重視してもう一度『消去』を使うかまでは分からなかったが、移動時間さえ稼げてしまえれば、健一にとってはどちらでも構わない。
「『鎖境界杭』っ!」
しかし、相手の選択肢を知れるだけでも、情報を得る材料に成る。
(魔力を消せる、ってことは……それを生み出す何かがある。しかも、生み出せる時間や許容量までは分からないが……連続して消し去っても気にする素振りを見せてこないのは、普段使う分に影響することはないからか?)
相手が科学者であればなおのこと、研究材料をなくす愚を犯すことはない。可能性としては二つ。魔力の素そのものについて調べ尽くした上に代替品が存在するか、補充手段をすでに確保しているかだ。
そして、エミルの操るあの岩人形が魔力の素でできているのであれば……その材料となる魔力の素を生み出す何かがある可能性は、十分に高かった。
『鎖』の杭を用いて移動しながら、脳内で検討を重ねているうちに、健一はどうやら目的地まで、逃げ切れたらしい。
「『上牛招来』っ!」
宙を舞う中、地面すれすれを通り過ぎた際、その健一の横をすれ違っていく雄牛が視界の端に移った。
「こっちじゃ! 早く来いっ!」
運転しつつも、簡単な命令は可能だったのだろう。トレーラーを切り離した牽引車のハンドルを駆りながら、琉那の喚び出した雄牛がエミルや岩人形達へと襲い掛かっていく。その間に、端を掴みながらルーフの上に乗っていたシルヴィアの空いた手を掴んだ健一は、同じ場所へとすぐに降り立った。
「すぐ引き返せっ! 態勢を立て直す!」
「立て直す、って……」
「『消去』」
哀れ、琉那の放った雄牛はその勢いごと消え去り、周辺にあった木々や偶々接近し、すぐさま応戦しようとした岩人形の一体をも巻き込まれていった。
「……了解。要するに、相性最悪ってことね」
「話が早くて助かる、っ!?」
車の屋根部分に、『鎖』と『影』が同時に伸びる。
サイドブレーキすらも駆使して急旋回する、琉那からの遠心力に振り落とされないよう、ルーフにしがみつくのが精一杯だった。
「せめて声かけろよっ!?」
「そんな暇あるかっ!」
さらにアクセルを踏み込まれてしまった為、健一達には振り落とされないよう、それぞれでシートベルト替わりを用意するしかなかった。けれども、岩人形もまた性能が高く、トレーラーを外した牽引車の急加速にも、余裕で追跡されてしまっている。
「これはどっちかが、足止めするしかないな……」
「足場的に、妾は無理じゃ……ケンイチ」
「……分かってるよ。身体頼む」
シルヴィアによって生み出された『影』に自身の身体が固定されたのを確認した後、健一は改めてエミルの方を向き、右手を伸ばした。
「『鎖鉄条網』っ!」
牽引車の背後に『鎖』を編み込んだ鉄条網が敷かれるが、エミルの『消去』や岩人形の剛力の前にはおそらく、意味を成さないだろう。
(駄目だ、不利過ぎる……)
魔法は消され、衝撃等の二次攻撃も岩人形を盾にして簡単に防がれる。しかも、下手に動きを止めてしまえば、シルヴィアやマーセリットすら消されかねない。可能性が少しでもある以上、下手な行動は慎むべきだ。
「あの老科学者……エミルを直接、狙うしかないか」
「銃は効かなかったんですか?」
同じく目を覚まして、一緒に乗って来ていたのだろう。助手席に腰掛けていたマーセリットから、車外の健一に向けてそう問いかけられるものの、その提案は即座に却下した。
「あの岩人形共が厄介過ぎる。あの科学者はまだ人間っぽいから、効くとは思うが……多分、先に防がれる。せめて、隙さえ作れれば……」
だが、今の健一達には手段が限られている。岩人形に辛うじて効きそうなのは魔法のみで、物理攻撃の類はすべて防がれてしまう。しかも、エミルには魔力の素ごと消し去る手札が握られている。
(現実的なのは……強引に隙を作るしかない、ってところか)
どちらにせよ、制御しているのはエミル自身だ。ならば、司令塔を叩くことに注力するしかない。
「今、もう一丁の銃は……誰が持ってる?」
「戦闘力的に、マーセリットに持たせたままじゃ」
「と、なると……これしかないか」
健一は自身の銃の安全装置を確認した後、車内にいるマーセリットに直接手渡した。
「どうする気じゃ? ケンイチ」
そう聞いてくるシルヴィアに、健一は少し表情を殺しながら答えた。
「ちょっと賭けだが……考えつく中で一番、勝率の高い方法だよ」
シルヴィアの『影』を利用し、屋根伝いに助手席側から運転席の方へと移動した健一は、作戦の要となる琉那へと指示を飛ばした。
健一や琉那も、どうやらかなりの速度で移動していたらしく、往路よりもかなり短い時間で、切り離したトレーラー部分の下へと迫っていた。他に動き回れる場所があれば良かったのだが、強引に切り拓くのも、あえてエミルに『消去』の魔法を使わせるのも、不確定要素が多過ぎる。
だから、自然に拓けた場所を選んだ方がお互いに、罠の可能性を考えなくて済む。
「じゃあ頼むぞ、琉那」
「失敗しても、後で文句言わないでよね……『下熊招来』っ!」
今度は雄牛ではなく、力技を可能とする為にあえて前足を肥大化させた、二足歩行の熊が琉那の喚び出しに応えて、その姿を現した。
雄牛と続いて熊が喚び出されたのを目の当たりにし、ここで健一は、ようやく琉那の召喚獣の共通点に気づいた。
(もしかして……相場の上下か?)
金融市場において、相場が上下に動くことを、雄牛の角や熊の前足でたとえることがある。ウォール街で働いていた琉那にとっては、ある意味では一番分かりやすい動物だったのかもしれない。
「『消去』」
しかしそれも、エミルの前では意味を成さなかった。相性はもちろんのこと、運転しながらでは、精密な操作ができないのだろう。
「『鎖境界杭』っ!」
しかし、遅れて放たれた健一の追撃には、あえて影響範囲から下がらせた岩人形で防ごうとしている。『消去』の効果時間は短く、連続での詠唱が難しいのかもしれない。
その行動自体がブラフかもしれないが……そこは、相手の戦闘経験値が低い可能性に賭けるしかなかった。
「やれっ!」
「……『牛人招来』っ!」
そして、琉那の奥の手とも呼べる召喚獣が、姿を現した。




