第21話 思いがけない再会
視線の主の初手は、忌まわしくもある意味では、健一の用いる魔法に近いものだった。
『上牛招来っ!』
おそらくは女性だろう、低くもどこか甲高い声が響いてくる。
そして突如、虚空から生まれたのは闘牛で扱われるよりも一回り大きく、下手なロングソードの刃渡りよりも鋭い、突撃槍のような角を持つ雄牛だった。しかし、空中に浮遊している魔力の素が霧散しているところから見て、おそらくは魔法で生成された生物なのだろう。
けれども、それが分かったところで、健一にとっては魔物退治以外の手段を考える必要はなかった。
(なんで異世界に来てまで、マタドールの真似事しなきゃいけないんだよ……)
できれば自分でせず、本場で見物したかったところだが、そうも言っていられない。ついでに言えば、赤い布も持ち合わせていなかった。
だから健一は、『鎖』を生み出すと素早く掴み、操作して引かれるままに、雄牛の動線から外れた。背後にシルヴィア達がいない方へと移動した途端、相手もまたこちらに合わせて突撃してくる。
シルヴィア達に向いた動線からズレると同時に距離を開けた為、先程よりも対処する余裕が生まれた。そのわずかな時間だけでも、『鎖』を手放した健一には十分だった。
「『鎖鉄条網』っ!」
生成した『鎖』を編み込み、網上にした壁を雄牛の前に顕現させる。しかし追撃される瞬間、防ぎきれないと感じた健一は、再び『鎖』を生成、操作して距離を開けた。
(さて、と……どうする?)
案の定、防ぎきれなかった『鎖』の壁は数瞬雄牛の動きを止めただけで、効果を成さなかった。これは健一の実力不足やブランク、というよりも相手の膂力が強過ぎたことが原因だろう。
(威力は戦闘状態のシルヴィアにも匹敵するが、攻撃自体はあいつよりも直線的だ。突進時の衝撃波のことを考えれば大きく避けないと危ないが……突進させなければ、何とかなるか?)
相手が人間大ではなく、四足歩行の魔物に近い生物であるなら、剣はまず意味を成さない。
けれども……異世界に拉致された際の経験は、伊達ではなかった。何故なら、今の健一には魔法という戦闘手段がある。
「『鎖榴散球』っ!」
攻撃手段としては一番扱い慣れた、『鎖』の塊を炸裂させる呪文を雄牛へと向けて放つ健一。方向転換中で、その場から移動していない瞬間を狙ったので直撃する。破裂した瞬間、鎖の破片が胴体の横側へと拡散し、肉を抉り出していく。
だが、そのダメージは周囲の魔力の素が霧散すると共に、即座に再生されてしまった。
(回復が早い。と、なると……)
「手を貸そうか?」
「……いや、いい。できれば、他の警戒を頼む」
目の前にいるのは、明らかに魔力の素で生成された召喚獣。つまり、生み出した使い手は別にいる。むしろ、真に警戒すべきはそちらだった。
「魔法で生み出されたなら耐えきれない程の高火力か、周囲に充満している魔力の素を削り切れば倒せる。だからあの牛以外は任せた」
雄牛の注意をシルヴィアやマーセリットから外そうと考えた健一だったが、突進する方角が急に変わりだす。しかも狙いは、攻撃してきた男一人ではなく、下がって傍観している女二人の方だった。
「『鎖境界杭』っ!」
大地から先端に返しのある杭が打ち出され、その貫通力をもって雄牛の腹部を貫くことに成功した。けれども、動きを止めるには明らかに拘束具が足りていない。再度呪文を唱えて数を増やす健一だが、この状況に少し、危機感を抱いていく。
(まずいな……召喚者が近くに居る)
先程の話を聞かれでもしなければ、こんなにすぐ目標を変えるとは考えられない。しかも、即座に操作できるということは、雄牛の制御は近くに潜んでいる召喚者が完全に握っているということだ。
(下手したら、二人を人質に取られかねない。シルヴィアなら力技でまだどうにかなりそうだが、マーセリットもいる以上、あまり無理はできないか……仕方ない)
方針を定めた健一は、シルヴィア達へと叫んだ。
「シルヴィア達は召喚者を叩いてくれ! 牛の方は俺がなんとか押さえるっ!」
「よし!」
シルヴィアに指示を出し、さらに追加で『鎖境界杭』を数本打ち込み、雄牛を地面へと固定していく健一。
「頼むぞ、ケンイチっ!」
そう、シルヴィアが返事をした途端の出来事だった。
『…………は?』
全員が思わず動きを止めるのも、致し方ないだろう。
何故なら……シルヴィアが叫んだ瞬間、猛っていた雄牛が突然消えたのだから。
「どういうことだ……?」
不思議そうに首を傾げるものの、警戒を解くべきではないと健一はひとまず、シルヴィア達の下へと駆けだそうとした。
「ケンイチ、って……まさか、本当に箕田健一っ!?」
その時、おそらくは例の召喚者だろう、女性の甲高い声が聞こえてきた。
今は姿を見せていないが、屋敷の裏から白い布が、物干し竿か何かで広げられた状態で顔を出してくる。おそらくは廃墟の中から比較的マシなのを引っ張ってきたか、汚れを洗濯していたものだろう。
「ケンイチ……おぬしの知り合いか?」
「この世界で約千年も生きられる知り合いなんて、それこそ魔族しかいないっての。むしろ、お前の名前に反応するんじゃないのか?」
一瞬、あの老科学者の顔が脳裏を過ぎったが、それならまず、こんな回りくどいことはしてこない。それどころか、前回置き土産にした『鎖榴散球』のお返しが雄牛の召喚獣だけで済むとは、到底思えなかった。
「とりあえず……話してみるか。マーセリット、銃貸してくれ」
聖剣を鞘に戻しながら、健一はマーセリットの傍へと寄った。
「……話し合い、ですよね?」
「ああ、話し合いだよ。ただし……」
受け渡しの際に、暴発防止の為にかけられた銃の安全装置を外した健一はゆっくりと、声のした方へと歩きだす。
「某宇宙戦争映画で言うところの……『どぎつい交渉』だけどな」
右手に銃を、左手にカランビットナイフを構えながら、健一はゆっくりと歩を進めた。どう声をかけたものかと少し悩んだが、真っ先に聞くべきことに気づき、その問いかけを選んだ。
「お前……一体誰だよ?」
銃やナイフだけではない。空気中に含有する魔力の素を『鎖』へと変質させ、自身の周囲を取り囲むようにして防衛手段とする。
(返答次第で、対応を決めないとな……)
しかし、慎重に事を運ぼうとするのは、健一だけではなかったらしい。
「その前に答えなさいよ。本当に箕田健一なの?」
「……同姓同名なのは認めるよ。だが……同一人物か、までは保証できない」
実際に、意外と珍しい名前であっても、同姓同名の人物と出会う可能性はゼロではなかった。現に、学生時代のバイト先に居た人と姓名が同じ人物と、転移前の職場で出会った経験がある。
それに、相手の素性がまだ分からない以上……下手に情報を与える方が愚策だ。
「じゃあ……裏カジノでイカサマして巻き上げた後、警察に通報して逃げた話は覚えてる?」
「…………は?」
たしかに、健一が実際に体験した過去の出来事と一致している。
「いやいや、ちょっと待て……」
しかし、それは『地球』での話な上に……一緒にそんな馬鹿をやった相手は、たった一人しかいない。
「お前、まさか……」
銃口は上げたままだが、暴発を防ぐ為に引き金から指を外している。けれども、もしその話が本当なら……相手は八割方、健一に敵意を抱くことはない。
「…………琉那、なのか?」
「当たり~」
そう言い、仕舞われたシーツの代わりに出てきたのは、茶髪の地毛をショートボブにした……健一と同年代の女性だった。
「ケンイチ……知り合いなのか?」
「ああ……こいつの名前は花菱琉那」
そこでようやく銃口を降ろした健一は、ナイフを持った方の手で器用に指を立てて彼女を差し、シルヴィア達の方を向いて紹介した。
「今はウォール街で働いているはずの…………俺の元カノだ」