第15話 未知より生まれし疑惑
現在でこそルーマニア南部の地方名だが、統合されるまでは『ワラキア公国』という、500年の歴史がある国家だった。
ルーマニアの国内ではヴァラヒア、もしくはツァラ・ロムネヤスカという地名で呼ばれ、それぞれ『ブラフ、またはワラキア人』、『ルーマニア人の国』という意味がある。つまり、部外者がざっくりと見た場合、『ワラキア=ルーマニア』の人間ともとれるのだ。実際、ルーマニア語はワラキア公国でも使われていた。
そして、ワラキア公国の君主である『ワラキア公』の中でも、一番有名なのが……かの『串刺し公』だった。
(ドラキュラのモデル位にしか思ってなかったけど、父親の『竜公や悪魔公』もなかなかの名前だな……あ、串刺し公って次男だったんだ)
実際の歴史どころかドラキュラの小説を読んだわけではない上に、メディアで多少歪曲した知識しかなかった分、健一にはある意味新鮮な知見だった。
(弟と共に他国の人質になったことといい、父や兄が暗殺されたことといい、かなり波乱に満ちているな。おまけに……公位につくまでに何回、亡命や逃亡を繰り返したんだ?)
血筋により王位を継ぐことはあれど、その過程は必ずしも順風ではない。串刺し公もまた、血塗られた歴史を抱く王の一人だった。
「すごいな……」
思わず言葉を漏らしてしまう程に、健一は驚きを隠せなかった。
(『歴史は人が作る』とは、よく言ったもんだ。歴女とかが生まれるわけだな……)
空想だろうと現実だろうと、歴史は一種の物語だ。内容にもよるが、他人事程面白いものに飛びつきたがるのが、人間という生物なのかもしれない。
(今度、伝記とかブラム・ストーカーの本でも読もうかな? 下手なラノベよりも面白いし、何より転生もののネタ、に……っ!?)
以前、自らの歴史を架空の物語として書き記した理由を思い出すと共に……ある可能性に気づいた健一は慌てて資料を片付け、帰路に至った。
「……おお、早かったな。健一」
急いで自宅へと帰った健一は、昼食の準備をしている史織に手振りで挨拶を返してから、キッチンの奥でピーラー片手に野菜の皮を剥いているマーセリットを呼びつけた。
「悪い、今いいか?」
「あ、えっと……史織さ、ん。いいですか?」
「構わん。こやつの分も考えれば、量を足さんとならんしの」
こればかりは、元々外で食べてくる予定だったのに帰宅してきた健一が悪い。嫌味たらしくも気遣ってくれる史織に拝み手を向けた。
追加の野菜を納戸から取り出そうとする史織の後ろを通り、ピーラーを置いてキッチンから出てきたマーセリットを連れた健一は、互いに向かい合う形でテーブル席に着くよう促した。
「本来、報連相は結論から話すところだが、事前情報なしでいきなり言われても、納得し辛いと思う。だから……先に俺のことも含めて、話の要点から説明したい。それで構わないか?」
「はい、問題ありません」
マーセリットから了承を得たので、健一は本当に最初から、自身の考えを話し始めた。
「まず、俺が『自分の経験を物語にしよう』と考えた理由の一つは、俗に言う『主人公が最強』系に納得がいかないところがあるからだ。元々読書が好きだったとはいえ、別につまらないものまで全部読む義務はないし、実際は読んでみるとまったく違うかもしれない。ただ……自分好みの物語がなかなか見つからなかったから、自分で執筆したい欲求が生まれたんだ。『地球』での話になってしまったが……ここまでは大丈夫か?」
「はい。『元居た世界』にも似たような物語はありましたので、なんとなく分かります」
「なら良かった。それで、俺の好みなんだが……正直言って、主人公の強弱は特に気にしていない。物語のジャンルによっては気にする必要がない上に、努力や探求心に対する描写もまた、伏線の手法や一種のスパイスになるからな。だから、逆に……」
そこで少し、健一は言い淀んでしまう。それでも、一息吐いた後に話を続けた。
「……主人公を優先し過ぎて、それ以外の登場人物を蔑ろにする描写が、あまり好きになれなかった。見方にもよるかもしれないけど、良く言えば『理想の自己投影』、悪く言えばただの『独り善がり』だからな。たとえ立場が何であろうと、相手を『上や下に見過ぎる』ような話には、どうしてもついていけないんだ」
目標が高すぎるが為に、自分が挑戦者であることに慣れ過ぎて果たせなくなってしまう。
自分が見下されていたからこそ、相手を見下しても構わないと思い込もうとしてしまう。
意識しようと無意識下の反応だろうと、差別的な言動を見聞きして、不快に思う人間はゼロではない。たとえ文化や環境、時代……世界が異なろうとも、相応の敬意を払えない人間の物語等、誰が読みたいと思えるのだろうか。
「傲慢だろうと卑屈だろうと、相手もまた一人の人間であり、相応の人生を歩んでいることを忘れてはいけない……と、俺は思っている。だから『恩には恩を、仇には仇を』という考え方がしっくり来ているし、史織……シルヴィアとはなあなあもあったけど、その縁でつるむようになったんだ。その辺りは一応、本にも書いたが……続き、聞くか?」
「いえ、ネタバレになるようであれば、その部分は伏せておいて下さい」
「……意外と楽しんでくれてたんだな。作者冥利に尽きるよ」
たとえ過去の経験談とはいえ、自筆した物語を誰かが読んで喜んでくれるのは、自分の成果を褒められているということだ。嬉しく思わないはずがない。
ただ……今はその感動に、浸っている場合ではなかったが。
「まあ、話を戻すと……人間ってのは個人差があるとはいえ、簡単に馬鹿になるとは思えないんだよ。たとえ短絡的な結果を生んだとしても、そこに至るまでの過程は必ずあるわけだしな」
「……何が、言いたいのでしょうか?」
異世界の人間で、かつ『地球』のような環境下で学びを得たわけではないとはいえ……マーセリットは愚かではない。おそらくは健一の説明から、同じ推測へと思い至っているのだろう。
だから健一も、ようやく結論を口にした。
「お前の元婚約者は…………本当にただの馬鹿か?」
「…………」
マーセリットは口を閉ざし、深く考え込んでしまう。その間に言い切ろうと、健一は話を補足した。
「ずっと気になってたんだよ。いくら魔導具があるとはいえ、喚び出される相手を確認しないまま次に乗り換えようと、婚約破棄するなんて。俺なら婚約破棄どころか、魔導具の使用を決めてもまず、事前に起動実験を行う。野郎だろうと人間が来るだけでも御の字なのに、いきなり変な生物が来たらどうするつもりだよ」
「…………」
「しかも、周囲が止めなかったというのも気になる。国の主要人物を外す程度の知能はあるみたいだが……それでも、試験稼働を行わない時点で同レベルだ。魔導具の使用と一緒くたで唆されたとしか、思えないんだよ」
「……そう、ですね」
今だからこそ、考えが及んだのだろう。マーセリットも改めて、当時の状況がおかしかったと思えているのかもしれない。
「今更だけど、聞かせてくれないか? あの元婚約者以外の王族、王様やその側近も同じ思考回路だったか?」
「いえ、それはありえません。少なくとも父……ディストルジェリ公爵は、王が間違った道を進もうとするならば、婚約以前に離反を企てるはずです」
「となると……やっぱり魔導具と一緒に誰かが、陰謀を企てた可能性が高いな」
『地球』ですら口先一つで、他者の人生をいくつも破滅に追い込めてしまえる。魔法も選択肢に含めれば、婚約破棄と共に魔導具を使わせること等、造作もないだろう。しかも聞いた限りでは、喚び出せる相手がマーセリット以上の『魔法使い』かつ女性であれば、それだけで婚約破棄の理由に事欠かない状況でもあったのだ。
(王族の婚約者として育てられてたなら、相手によっては『教育係の一人が増えた』程度の印象だろうしな。いくら美形でも、異性として見られるとは限らないか……)
今更ながら、健一はあの老科学者の背後にいる組織について、もう少し調べれば良かったのではないかと後悔を抱いてしまう。しかし同時に、異世界へ転移する理由が生まれた。
(今度、調べに行くか。あの国の後日談と……王族達の現状確認に)
残る問題はいつ、どのような状態で向かうかだけである。それが決まり次第、またあの世界に行こうと、健一は決意した。