第1話 『鎖の英雄と影の女王』、完結
コンヴォーカ王国。その王城は現在、絶望的な状況に陥っていた。
「まっ、待て――」
ザシュッ!
(もう、慣れちまったな……)
命を奪う行為は、生きていく上で常に付きまとっていたが……直接、しかも、同じ生物である人間を殺すこと自体に慣れてしまっている。この世界に召喚されるまでは、真っ当に生きてきた『鎖の英雄』、箕田健一には想像もつかなかった。
普通に高校、大学と順調に進学し、就職して早三年の年度末。健一はこのコンヴォーカ王国に半ば拉致、異世界より召喚されし勇者として、『魔王』の討伐を命じられた。
もしそれが、国ないしは人類存亡の危機を救って欲しいとかであれば、まだ情状酌量の余地もあったかもしれない。けれども、コンヴォーカの王族達が健一を召喚した理由は、ただの戦力増強だった。
たしかにここは、健一にとっては異世界そのものであり、『魔王』と呼ばれるものも実在していた。
だが……その『魔王』は人類等、別に何とも思っていなかった。
当然の話だ。元々は魔力を持つ野生生物……魔物が理性を得て、人間のような振る舞いを身につけだしたのが、魔王をはじめとする魔族と呼ばれる者達である。彼等は未だ進化の途中、地球の人類で言えば、猿人からようやく変異を遂げる途中だったのだ。
……だからこそ、自分達の領土に眠る資源の価値を理解できず、人類が奪おうとしている理由だということにも気づかないまま、侵略を受けていたのだ。
「ケンイチ、コッチハオワッタゾ!」
慣れない人類の言語を介する女性、いや魔族のシルヴィアは黒い影のようなロングドレスを纏い、一本の魔剣を握ったまま駆け寄ってくる。その血塗れの刃を見て、以前の健一であれば、間接的であろうと罪悪感を抱いたかもしれないと考えてしまう。
「……よし、そのまま地下へ降りるぞ!」
だがもはや、今の健一にはそんな精神的余裕はなかった。案外適性があったのか、それとも……もう、そう考える思考自体が壊れてしまったのか。
(それにしても……本当にあるのか?)
王族の一人を捕らえて拷問し、無理矢理聞き出した情報の中には、健一が求めている魔法が刻まれた道具、魔導具が存在した。王国をはじめとした生物全ての存亡は、残りの魔族と共に、この世界の住人が決めればいい。
部外者である健一や、すでに魔族と決別したシルヴィアは、この世界から地球へと抜け出そうと王国を襲撃し……地下の宝物庫を目指しているのだ。
「…………ここだ」
健一は自らの持つ聖剣『エスファンダ』を振り翳し、強引に鍵を叩き切った。
そしてとうとう、健一は宝物庫の中へと入り……目当ての魔導具を見つけ、手に取る。
「よし、これで……」
後は魔力を注ぎ込めば、元居た世界へと帰れる――
――……が、人生が続く以上、地球に戻るだけで終わりではない。
人は生きていく上で、衣食住を得なければならない。
貨幣制度があるので、ただ働けば必要な物を得る手段を得られる。だが、その為に働かなければ……必要な物は何も手に入らない。哀しいことだが、それが現実だ。
その為に新しい職を見つけ、どうにか働いていた健一だったが……一つ、重大な問題が発生した。
「もう、ネタがない……」
閉店間際の深夜帯。通いつけの家系ラーメン屋の席に着いた健一はそのまま頭を抱えて、蹲ってしまう。
「そんな脂っこいところに、よく顔を埋められるのぉ……ご注文は?」
「麺固めスープの味普通の脂少なめ……あとライスはラーメンと一緒に持ってきてくれ」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
顔馴染みどころか同居人のアルバイト店員こと箕田史織に購入した食券を差し出した健一は、今度は椅子の背もたれに体重を預け、天井を見上げた。
「一生、食っていけると思ったんだけどな……」
異世界召喚による転移、それは望むと望まざるとに限らず、誰もが経験するとは限らない。それどころか、周囲から見れば完全に、妄想の産物である。
けれども、幸か不幸か、健一はその貴重な経験を得ることになった。せっかくだからと、その実績を活かしてライトノベル作家となり、収入を得ていたものの……その約三年間の生活は全て、小説の中に書き起こしてしまった。
「まさかあそこまで、没になる展開が多いとは思わなかった……」
「持ち出した質草は?」
「……とっくに全部、売っただろうが」
理由はどうあれ、三年も無断欠勤していれば、さすがに解雇されていると考えるべきだろう。だから地球に戻る前、宝物庫に侵入した際にいくらかの宝石を持ち出したのは、正解だった。誤算だったのは、人間の虚栄心が、世界を跨いでも変わらなかったことだろう。
早い話が……そのほとんどが、ただの硝子というオチだったのだ。
その為、史織の就籍関係の費用を差し引けば、ほんの数年の生活費にしかならなかった。早々に執筆活動で収益を出していなければ、今頃二人してホームレスだったかもしれない。
そして今日の夕方。ライトノベル小説『鎖の英雄と影の女王』シリーズの最終巻の原稿を執筆・納品したばかりの健一には、もう収入の当てが残っていなかった。
「まあ、数年分は稼げたわけだし……外伝か何か、考えてみるか」
「少なくとも、妾の収入は当てにするでないぞ?」
「……生活費入れてくれれば、それで十分だよ」
配膳されたラーメン(麺大盛り、ほうれん草増し)とライスを掻っ込みながら、健一は史織に対して、そう応えた。
そして、一人黙々とラーメンを食し、全て平らげた時だった。
「すみません、お客様」
「……どうかしましたか?」
スープも飲み干し、水を飲みながら食休めをしている最中のことである。
椅子に腰掛けていた健一に、チェーン店とはいえ顔馴染みとなっている店長が近寄り、声を掛けてきた。
「うちの箕田、知りませんか? 定時だから、もう帰ってるとは思うんですけれど……いつの間にか、居なくなってて」
うちの、とつけているのは健一と史織を区別する為だろう。だが、そんなことは今、どうでもいい。
「……史織が居ない?」
この店の裏口は隣接する他の店舗とも行き来できる為、構造上の問題から、緊急避難口以外の用途で使用することは禁止されている。だから店員が退店する際も、客と同じ正面口から、外へ出なければならない。
だから店長だけでなく、客席に居た健一の目を盗んで店の外に出ることは難しい。むしろ帰り道が同じなので、バイト明けと被った時は、史織が他の席で待つことの方が多かった。
何より、『挨拶は社会の常識』とこの世界に来て最初の頃に叩き込まれた彼女が、指導した健一の教えを簡単に無視して行動すること自体、まずありえない。
「何かあったのか? ……家に居たら、一度連絡を入れるように言っておきます」
「お願いします。何もなければ、それでいいんですけれど……」
接客中ということもあり、終始礼儀正しい態度を取る店長の見送りを背に、健一は店を後にした。
「しっかし……何やってんだ? あいつは」
家路につく傍ら、周囲に目を配りながら、健一は足を進めていた。史織を見かけたら呼び止めようとしていたのだが、一向にその姿を見かけることはない。
このままでは、自宅のあるマンションに着く方が早いのではないか?
そう健一が思い始めていた瞬間、人目のない場所に踏み入った途端に、周囲を懐かしい光が包み込んできた。
「これは…………魔力光?」
かつて、召喚された異世界の空気に含まれていた魔力の素が、健一を取り囲むようにして浮遊している。
実際に取り込んでみると、かつて行使していた魔力が再び、健一の体内を駆け巡った。
「と、いうことは……」
瞬間、人生二度目となる召喚の魔法陣が、足元へと浮かび上がってくる。
「はあ、またかよ……いや、使えるっ!」
史織が居なくなった件が、同じく異世界召喚による転移であるならば合点がいく。
転移後速やかに合流して二度目の異世界冒険譚を始めるなり、宝物庫を襲撃して金目の物を奪うなりすれば……一生分の生活費を稼げるかもしれない。
そう考えた健一は、召喚の魔法陣に抵抗することなくその身を委ね……地球から姿を消した。
そして、二度目の異世界転移を果たした健一が最初に目にしたのは……
「おぅるぁあああ……っ!」
『ギャーッ!?』
すごい巻き舌で影の魔法を取り戻し、周囲を取り囲んでいた衛兵の類相手に無双している史織こと『影の女王』と呼ばれし『魔王』、シルヴィア・ウンブラ・ディアヴォルの姿。そして、それを呆然と眺めている、いかにも貴族令嬢らしき人物が、眼前の恐怖から座り込んでいる光景だった。
「ええ……」
やることもなく、呆然としていた健一だったが……ふと我に返り、少し離れたところに居た王族らしき、無駄に着飾った青年へと近寄って声を掛けた。
「……で、これどういう状況だよ?」