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第34話 真面目と飄々 弐

「今日から局に入る凌霄りょうしょうだ。従臣を目指して共に高め合うように」


 従臣育成局の教官はそう言って、隣にいる小さい男の子の背中をぽんと押す。伍凌霄と紹介された男の子は、控えめに軽く頭を下げる。


(これまた、こまい子が来たなぁ……)


 沐陽ぼくようはじろじろと凌霄を観察しながら思う。

 従臣育成局には、十歳を越えてから入るのが通常だ。それより幼いと、勉学はまだしも、身体を使った鍛練についていけない可能性がある。場合によっては命を落とす危険もあり、よほどの才能を持っていない限り局に入ることはない。


(なんかあるんやろなぁ)


 その小さな身体に何を秘めているのだろうか。沐陽が考えていると、近くにいた局の仲間が何かを思い出したかのように口を開く。


「伍家、って、従臣を多く輩出してる、あの伍家か……?」

「ええお家、なんや?」

「たしかな。過去に皇帝の従臣にもなってたはず。最近はあんまり名前聞かなかったけど」

「ふぅん」


 沐陽は適当に相槌を打って、教官からいろいろと説明を受けている凌霄を見つめる。

 最近は振るっていないが、由緒正しき家系の出身。凌霄が幼いながらにして局に入れた理由が、沐陽にはなんとなく思い当たっていた。


(縁故、かぁ。大変やなぁ、こぉんな窮屈な――って、本人はそんなでもなさそうやな)


 教官の言葉を一言一句聞き逃すまいとでもいうような凌霄の真剣な表情から、その迸るやる気がひしひしと伝わってくる。きっとすぐに局を卒業して、いずれかの皇子の従臣になるのだろう。


(十六になっても残っとる僕とはちごぉて、な)


 沐陽は、はは、と自嘲するように笑う。


 従臣になるか、官吏になるか、もしくは王宮を出てまったく違う道を行くか。本来なら十五歳頃にはこの三択の中から進む先を選ぶ。従臣になるには、主となる皇子と相性のようなものが合っていないといけない。だから、局を卒業するほとんどの者は官吏、特に武官となることが多い。


 だが、沐陽はまだその選択をしていなかった。

 沐陽が従臣育成局に入ったのは、器用に何でもできたため、親や周りの大人に入るように勧められたからだ。どうせ入局審査で落ちると思っていたが、見事に合格してしまい、今では「真面目にやれ」と怒られないためにただ勉学と鍛練をこなす日々。

 従臣になりたいわけではない。官吏になんてもっとなりたくない。沐陽はただ自由に生きていたいだけだった。そういう意味では、やるべきことをやれば後は自由にしていいこの従臣育成局は、ぬるま湯のようだった。追い出されるまでは、ここに居座ってやろう、と沐陽は考えていた。


 ◇◇◇


 凌霄が入局してから二年が経った。沐陽は未だに局に残っていた。

 沐陽が容易に鍛練をこなす中、凌霄はひたすら奮励努力していた。それはそれは、誰が見ても気を張りすぎなのでは、と思うほどだった。だが、凌霄の努力はどれだけやってもやりすぎだということはないくらい、なかなか身につかなかった。


「……このようでは……」

「そうですね……」


 教官たちは渋い顔で凌霄を見ながらぼそぼそと小さく話す。頑張りは認めるが、能力がつかないことにはどうしようもない。従臣としてはおろか、官吏としても務まるかどうか。


 そのことを一番痛感していたのは凌霄だった。


 伍家の期待を一身に背負って入局したというのに、自分の力不足でそれを裏切ることになる。凌霄にとっては何よりも避けたいことだった。

 だから、一層励んだ。だが、結果を出さなければという焦りから、気持ちばかりが前に前にいってしまい、ある日の鍛練中、事件は起きてしまった。




 特段気を抜いていたわけでも注意を怠ったわけでもない。ただ逸る気持ちに身体が追いついていなかった。それだけのことだった。


「――、凌霄っ!」

「え、っ! いっ!」


 沐陽が凌霄の名を叫んだのと同時に、凌霄は身体をぐんと引っ張られ、どさりと尻もちをつく。

 今日はいつものような皇宮での鍛練とは違い、賊からの奇襲などを想定した山中での特殊な鍛練を行っていた。どこから敵が現れても対処すると意気込む凌霄の視界には、足元が入っておらず、ちょうど崖になっているところで足を踏み外した。


 踏み外したはずだった。


「な、何が……っ! 沐陽、さん……? 沐陽さんっ!」


 凌霄は崖下で倒れている沐陽に何度も呼びかけるが、意識を失っているようでその応えは返ってこなかった。

 崖から落ちそうになった凌霄を引っ張った反動で、助けた沐陽が代わりに崖から落下する形になってしまった。


 すぐに鍛練は中止され、沐陽を急いで後宮まで運び、懸命な治療を施した。

 だが、意識が戻らないまま、数日が経った。

 呼吸は問題なくしているが、何をしても反応を示すことはなかった。誰もが、もうすぐ死ぬのではないか、と思っていた。医官も手の施しようがない、と、匙を投げていた。


 何より、医官には意識不明の従臣候補などよりも、優先すべき事項が目の前にあった。

 次期皇后と目されているちょう麗月れいげつのお産が控えていたからだ。通常よりも大きなお腹に、双子ではないか、と危惧されていて、陛下の宝を一度に二人も失うようなことにならないようにほとんどの医官はそちらに駆り出されていた。

 もし沐陽が急変したとしても、すぐには対応できない状況だった。


「優秀ではあったが、十八歳まで残っているような奴だ。替えはいくらでも利く」


 長い間、沐陽を指導していた教官たちも、死んでもしかたないと悲しむ素振りも見せなかった。まるでたくさんの駒の内のひとつがなくなっただけだとでも言うように。


 だが、凌霄だけは沐陽を見限るようなことはしなかった。自分のせいで沐陽がこのような状態になってしまったからだ。

 どうして助けたのか。

 事故の日から、凌霄の頭の中はそれだけがぐるぐると回っていた。


(私なんかより、貴方の方がよほど……っ)


 目を瞑ったまま横たわっている沐陽の傍に座っている凌霄は、ぐっと拳を握りしめる。


 飄々としていて掴めない人。だけど、本気を出せば、いや出さなくても、何でも軽々とできてしまう人。優秀な彼ではなく、どれだけ努力をしても実を結ばない自分が、犠牲になればよかったのに。

 願ったところで何も変わらない現実に、やるせなさを感じ、凌霄は唇をぎゅっと噛みしめる。


 ちょうどその時、後宮内にふたつの産声が響き渡った。

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