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第13話 反響

「くそっ!」


 足元にあった籠を蹴とばすと、中に入っていた物がばらばらと地面に散らばっていく。

 物に当たっても何の意味もない。そんなことは分かってはいるが、この苛立ちを身体の中で留めておくことができなかった。


「……はぁ……っ」


 片手で頭をがしがしと掻きむしりながら、地面を見つめる。片付けなくては。一応大事な商品なのだから。

 中に入れやすいように籠を立て、屈んで散らばった物を順に入れていく。

 半分くらい戻し終えたところで、シャランシャランと何か綺麗な音が聞こえてきた。顔を上げると、そこには知らない人物が立っていた。この街周辺でも、仕事で訪れるヒメクの街でも見たことがない顔立ちだった。

 その男はこちらをじっと見つめていた。何か用でもあるのだろうか。


「……あんた、誰だ? うちに何か用か?」

「いえ、たまたま通りかかっただけで……しがない旅人、ですよ」


 その旅人は、愛想のいい笑みを浮かべて言った。

 こんなところまで訪れるなんて、ずいぶんと長い旅をしてきたんだろう。旅をしているというだけあって、肩から斜め下げた鞄は大きなものだった。男が身体を少し動かした時、その鞄が太陽の光に反射してきらりと光った。


「ん?」

「どうかされましたか?」

「ああいや、鞄が光って……なんだ、それ」

「鞄? ――これのことですかね。これは、お守りみたいなものです。音を聞いていると心が安らぐでしょう?」


 旅人は鞄につけている紐を持って、そのお守りとやらを左右に揺らしてみせた。先ほど聞いた、シャランシャランという澄んだ音が鳴った。たしかに心地よくなれる音だが、やけに脳内に反響していた。


(……なんか……)


 音はもう鳴っていないというのに、まだ聞こえているような感覚がして、頭が熱に浮かされたようにぼーっとする。

 今日は少し暑いから、その中で作業をしていたせいだろうか。

 もう切り上げて、家の中で休もう。そう思って、旅人の顔を見上げると、にこりと微笑んだ後、眉尻を下げて少し苦しむような表情になった。


「何かお困りのようでしたね」

「え、あ……いや……」


 困っている、というよりは、誰かに愚痴を吐露したいという気持ちの方が強かった。

 だが、知り合ったばかりの人に吐き出すようなことをするつもりはない。普段ならそうだった。


「……俺、ヒメクに物を売りに行くのを仕事にしてて……身分が低いけど、頑張ってこの仕事に就いて……いつもはあいつらと何でもない話もしてたのに、今日、急に俺の身分のことを嘲笑ってきたんだ」

「ひどいことですね」

「ああ……でも、別に俺のことは何言われてもいい。身分が低いからって取引も適当にされて、しまいには家族のことも『ろくでもない女だろ』とか言って笑いやがった……っ」


 言われたことを思い出して、ふつふつと怒りが蘇ってきて、握りしめた拳で自分の膝を強く叩く。

 旅人は地面に屈み、その拳を優しく包み込んだ。


「それは、お可哀そうに……」

「っ……許せねえよ、あいつら……」


 口から出た言葉に、少しの違和感を覚えた。

 確かに仕事相手のヒメク人に嘲笑われたことは、悲しく怒りが込み上げてくるものだった。だが、『許せない』と思えるほどのものではなかった。

 産まれた時から身分が低く、ムランでも時々そういうことを言ってくる人はいた。愛する家族共々、貶してくるような人もいた。それに対して苛立ちはするが、しかたない、とか、そういう人もいる、とか、諦めていた。何か反論をしたところで意味がない、と。



 なのに、どうして今はこんなにも、この怒りを、嘲笑った奴らに、ぶつけたいと思うのだろうか。



 旅人は拳に重ねた手にぎゅっと力を込めた。伏せていた顔を上げると、旅人の口の端が上がり、弧を描いていた。


「――貴方様がどれだけ優秀か、彼らを見返したくはありませんか?」

「え?」

「身分が低いと仰られていましたが、それでこのご立派な家と、隣国とは言えど国外での交易をされているなんて、よほど努力されたのだと。そう思いましたが」


 旅人は近くにある家の方へ顔を向けながら言った。


「……身分が低かったから、読み書きも、計算も教えてもらえなかった。だから、全部自分で勉強したんだ。家族のために」


 ムランの言葉ですら、ろくに読み書きもできず、微妙に異なるヒメクの言葉を覚えるのなんて、苦労の一言で片付けられないくらいだった。だけど、守りたい、幸せにしたい家族がいたから、そんな苦労も平気だった。


「それはそれは……大変な道のりでしたね。その努力を嘲笑う権利など彼らにはない。そうでしょう?」

「……ああ、そうだ。家族のことまで罵りやがって……っ」

「貴方様は優れた御方だと、……誇示するいい機会があるのですが」

「え――」


 旅人が立ち上がると同時に、鞄が揺れシャランシャランとまた鳴り響いた。

 綺麗で澄んだ音が、脳内で木霊し、その音で埋め尽くされていった。

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