第3話 狂い咲き
「……」
馬車の中は長い間沈黙が続いていた。
桜鳴は目の前に座っている漣夜をちらりと見る。馬車の窓から外を見ていた漣夜の顔が正面に戻り、視線が交わる。
(やばっ)
なんとなく気まずくて、その緋色の瞳から逃げるように外の景色へと視線を急いで向ける。
流れていく景色を眺めながら、どうしてこんな状況になったのか、と思い返していた。
父の話を聞いて、翌日にでも碧澗郷というところに行って、董幻蘭なる人物に会おうと思っていた。道中、賊に襲われでもしたらいけないから、数人の護衛を連れて。
十数日間はかかるだろうから、その間は仕事を休む。そう漣夜に伝えたら、即却下された。
「奏祓師のくせに、主人から長く離れるのか?」
と。
その正論に返せる言葉はなかった。だが、歪な音しか出ない笛をこのままにしておくわけにはいかない。そもそも漣夜のための笛だ。
行かなければいけないのに、行くな、と言われる。どうすればいいのかと桜鳴が尋ねると、思いもよらない答えが返ってきた。
「碧澗郷の近くに母上の故郷がある。そこは俺の管轄地でもある」
「だから、なによ」
「母上の故郷に顔を出すついでに、碧澗郷にも寄ってやる」
離れるのがだめなら一緒に行けばいい。それはその通りだが、離れるとは言ってもほんの十数日間だ。騒動の後だから、呪われるようなこともないはず。今そんなことをする人がいるのなら、あまりにも迂闊すぎる。
それに、漣夜は今まで生きてきて、そのほとんどを奏祓師なしで過ごしてきたのだ。その長い歳月に比べれば、十数日なんて一瞬に過ぎる。
だから、ついてこなくてもいい。
(そう、断れたらよかったのに……)
桜鳴は小さく溜め息をついた。
どうせ拒否したところで、お前に断る権利はないとか言われるのが目に見えている。
父に話を聞いたその日のうちに、漣夜は凌霄にこの先の仕事の調整を指示した。仕事が増えて忙しい毎日だというのに。勘弁してくれといった表情をわずかに見せた凌霄だが、さすがは漣夜の従臣を務めているだけあるか、完璧に調整してみせた。今こうやって国の北西部へと向かえているのも、凌霄のおかげである。
(せい、とも言えるかな……)
仕事の都合がつかなければ、ついてこなかったかもしれない。いや、あの男のことだ。多少日程を遅らせてもついてくる可能性の方が高い気がしてきた。
(まあ、なんにせよ)
目的地まではまだまだかかる。なにせ、国境付近まで行くのだから。
対面に座っている男への文句ばかり考えていたら、頭も心も疲れてしまうだろう。車窓からのどかな風景を見て、気持ちを穏やかにしよう。
そうして、途中の町で休みながら、数日間かけて漣夜の母親の故郷へと到着した。
馬車が止まったのは、町の中でも一番大きな家の前だった。
(――ここが)
馬車を降りていく漣夜と凌霄に続くと、門扉の前に老齢の男性と女性が立っていた。こちらの姿を捉えると、彼らは深々とお辞儀をした。
「お久しぶりです。お祖父様、お祖母様」
「わざわざこのような遠方まで、御足労いただき光栄です。漣夜皇子」
「近くに用事があったので、寄ったまでです」
外面用の漣夜を怪訝に思っていたら、隣にいた凌霄に小さく咳払いをされた。思ったよりも顔に出てしまっていたようだ。すぐに取り繕って愛想のいい笑みを浮かべたからか、目の前にいる漣夜の祖父母には気付かれなかったことに、ほっと安堵した。
到着したのが夜だったため、泊まる部屋の案内を使用人に軽くされた後、夜ごはんをごちそうになった。料理人が腕を振るったようで、食卓の上には豪勢な料理がずらりと並んだ。どれも美味しく、次々に手が伸びた。
桜鳴は満足感で膨れたお腹を優しく擦りながら、案内されていた部屋に戻った。明日は丸一日ここで休養をとり、明後日、碧澗郷に向けて出発すると言っていた。
ここまでの長旅で疲れた身体を癒すように、早めに眠りについた。
◇◇◇
翌日。
朝と呼ぶには遅く、昼とも言えない、そんな時間に目が覚めた。いつもよりも遅い時間だ。そのせいか、廊下ですれ違った漣夜にぎろりと睨まれた。休みの日なのだから、少しくらい遅く起きてもいいではないか。その思いを乗せて睨み返したが、顔色を一切変えることなくすたすたと通り過ぎていった。
(ほんっと、嫌味なやつ!)
少しの不快な感情を胸に食堂へ入ると、昨晩のような美味しそうな料理が用意されていて、悪態をつく男の顔はどこかへと飛んでいった。
早めの昼ご飯を摂った後、休みですることもないので、この屋敷の周辺を散歩でもしようと思い、凌霄に外出することを伝えた。あまり遠くには行かないように、と忠告されたが、慣れていない土地だから離れると帰ってこれない可能性がある。だから、近くを見て回るだけだ、と返した。
玄関の扉をゆっくり開けると、ちょうど向こう側にも人が立っていたようで、驚いたような声が聞こえた。謝ろうとその背中を見上げていくと、よく見知った髪留めの紐が目に入った。
「すみま――なんだ、漣夜か」
「なんだとはなんだ」
「漣夜なら別にいいや、の『なんだ』」
ぶつかったわけでも、自分のせいで何か不利益を被ったわけでもないから、漣夜相手なら謝罪も不要だろう。これが、この屋敷の人や凌霄なら話は別だが。
その態度に、漣夜は不服そうな表情を浮かべる。
「……親しき仲にも礼儀あり、だろ」
「そっくりそのままお返ししますけど?」
そう返すと、漣夜はわざとらしく大きく溜め息をついた後、屋敷の庭の方へと歩き出した。
(そういえば、庭が綺麗だってお祖母さんが言ってたっけ……)
どんな花が咲いているのだろうか。後ろについて歩いていると、漣夜が足を止めてくるりと振り返った。
「……なんで、ついてくる」
「え、あ、そういうつもりじゃなかったんだけど……庭が綺麗って聞いてたから、見に行こうかなぁって」
それを聞いた漣夜は何も答えることなく、また歩き出した。少しの間隔をあけて、その背中についていく。
何が言いたかったのだろうか。そう疑問に思っていると、庭の入口が見えてきた。すでに色彩豊かな光景が目に入っていた。
「わぁ、すごい……」
思わず感嘆の声が漏れる。
後宮の庭も十分綺麗ではあるが、あそこはあくまでも主役は皇帝陛下や后妃たちで、それを引き立てるためのものと言っても過言ではない。だが、この庭に咲いているものは、すべての花が自分が主役だと言わんばかりに咲き誇っていた。
それほど広い敷地ではないが、見ていて飽きがこないくらいに多くの種類が植えられていた。
漣夜は、そんな花々に目もくれず、庭の奥まですたすたと歩いていく。
(なんのために庭に来たのやら)
それとも、奥にはもっとすごい景色があるのだろうか。
道中の花々を横目に見ながら、漣夜についていくと、庭の最奥はたしかに色とりどりの花が植わっていた。とはいえ、他の場所とそう変わらない程度で、違うことと言えば、大きな何かの木が植わっていること。それと、――。
「韋、梅玉……?」
花々に埋もれるように設置されていた石碑に刻まれていた字を声に出して読んだ。それを聞いた漣夜は、後ろを振り向き、こちらをじっと見る。
「な、なによ」
「……読めるのか」
「え、まあ。勉強してるし」
漣夜は、そうか、と小さく呟いて、その石碑の方へと向き直った。
桜鳴はもう一度石碑をよく見る。字の隣には日付が書かれてあった。およそ15年前の日付だった。
そのものを見たことがないから、さまざまな欠片を繋ぎ合わせて推測しただけだが、おそらくこれは。
「韋梅玉は、俺の母上だ」
「……」
「分かったと思うが、これは母上の墓だ」
そう言いながら、石碑――墓石の前にしゃがみ込んだ。
やってしまったと思った。以前、母親のことを聞いた時には、分かっていなかったのだから気にしていないとは言っていたが、今回は少し考えれば分かることだ。
バツが悪くなり踵を返したところで、「おい」と引き留められる。
「いや、わたし邪魔でしょ?」
「いい。母上に紹介するつもりだったからな」
「紹介、って」
「奏祓師が見つかった、と」
漣夜は、自分の隣に向かって顎をくいっと動かした。隣に座れとでも言っているのだろう。
本当なら水入らずがいいとは思うが、本人がいてもいいと言うのだから、それに従って、漣夜の左隣に屈んだ。
見上げると、色とりどりの花々が墓石を囲むように咲いていた。まるで梅玉への手向けの花のようだった。
横をちらりと見遣る。目を閉じて合掌していた。それに倣って、桜鳴も手を合わせる。
(――初めまして、楊桜鳴です。えっと……漣夜は元気に過ごしています。これからも、わたしが奏祓師として守ります)
できることは微々たるものかもしれない。だけど、漣夜に憑いている悪鬼を祓えるのは自分だけだ。唯一無二の存在。奏祓師としての役目をしっかりと果たすためにも、笛を早く直さないと。
目を閉じたまま、そんなことを考えていたら、頭上からまた「おい」と言葉が降り注いだ。
すでに母親との対話を終わらせたようで、漣夜は立ち上がっていた。
(なに、話したんだろう……)
紹介、と言っていたから、奏祓師だと伝えたのだろうか。その内容が気にはなるが、聞くのは無神経というやつだ。
ふう、とひとつ息を吐いて立ち上がると、木から伸びた枝先に小さな花が一輪ついているのが目に入った。梅玉に因んでなのか、その花は梅だった。この暑くなり始めている季節に咲くはずがないから、狂い咲きだろうか。
その可憐な一輪に意識をとられていると、びゅうと吹き抜けた強い風に身体が煽られよろめいた。
「わっ」
運悪くと言うべきか、都合よくと言うべきか、漣夜がいる方へと傾いたため転ぶことはなかった。その代わりに、漣夜の腕の中へ身体を預けるかたちになってしまった。
故意ではなかったとはいえ、起こったことは事実に変わりはない。おそるおそる見上げると、わずかに目を見張っている顔が映った。
「……早く退け、重い」
「っ! はいはい! ごめんなさいねっ!」
よろめいてしまったのが悪いと言えば悪いが、何もそこまで嫌がらなくてもいいのではないか。それに、平均よりも小柄なのに重いはずがない。漣夜に軽々と持ち上げられたことだってあるのに。
(……まあ、こういうやつ、か)
人を罵らないと気が済まない性格。それが漣夜だ。
桜鳴は、うんうんと納得しながら、庭の他の場所を見に行こうと、漣夜を置いて先に墓石から離れた。
◇◇◇
桜鳴が凭れかかった時、あたたかいと思った。それと。
(……軽い)
長旅のせいか、肩が少し張っていたが、それが今はなくなっていた。桜鳴が何かをやったとは思えない。おそらく、受け止める時に筋肉がいつもとは違う動きでもしたのだろう。
不機嫌になりながら歩いていく背中を見つめる。
(何だろうな……)
振り返って母上の墓石をもう一度見る。
「……母上。あの女は、『違う』でしょうか」
そう小さく呟いた後、先ほどのように強く風が吹いた。
「ふ、そうですか」
その現象に口の端がわずかに上がった。
ここには母上は埋まっていない。後宮で埋葬されたから、ここは形だけだ。だが、まるで問いに返事をしているかのようだった。




