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最終話 桜の音

 桜鳴おうめい奏祓師そうふつしとして漣夜れんやに仕え始めてから数年が経ったある春の日。

 暖かな陽射しが部屋に注ぎ込み、開けたままの扉からは麗らかな春風が優しく吹き込んでくる。そんな気を抜けば微睡んでしまいそうな昼過ぎ。


「おかあさまー!」


 穏やかで長閑のどかな雰囲気の中、部屋の奥から少年がまるで小さな嵐のように駆け寄ってきた。

 少年は、部屋の扉の近くで座って書物を読んでいた桜鳴の腹を目掛けて突進した。

 桜鳴は、その勢いに軽くのけ反った後、書物を閉じて傍の机の上に置いた。


「どうしたの?」


 少年は、朝焼けの空のような瞳を、きらきらと輝かせて、顔を上げた。


「おかあさまの、あれがききたいです!」

「『あれ』?」

「はい!」


 少年は、桜鳴の腰にある小さな袋を指差した。

 桜鳴は、「ああ、これか」と袋の中に手を入れて、『あれ』、もとい、笛を取り出した。

 先ほどまで部屋の奥で静かに絵を描いていると思ったら、今度は笛が聞きたいときた。いろいろなものに興味がある年齢とは言え、瞬く間に興味の対象が移り変わり、好奇心のままに突っ走っていく。とても忙しない子だ。

 一体に誰に似た――。


(……わたし、だな)


 桜鳴が思わずくすりと笑うと、少年――息子は、「おかあさま?」と不思議そうに首を傾げていた。

 桜鳴は、なんでもないと言うふうに首を左右に振った。


「それで、どんなのが聞きたい?」

「んーっと、……あっ! おとうさまみたいなのがいいです!」


 突拍子もないその言葉は実に子どもらしい。

 桜鳴が「どういうこと?」と聞き返すと、息子は元気よく「おとうさまです!」と繰り返した。


「おとうさまみたいに、かっこよくて、おつよくて、……おやさしいきょく!」

「……『優しい』……?」


 桜鳴は、怪訝な表情で息子を見る。

 あの男を形容する際に、『優しい』は始めの方に出てくる言葉ではない。もう何も思いつかないと思った辺りで、苦し紛れで出てくる言葉だ。


「お父様は、優しくなんか――いたっ」


 優しくなんかない。むしろ性格も口も悪い。

 そう言おうとしたが、不意に頭を叩かれ、言葉が遮られた。

 桜鳴は、笛を持っていない方の手で頭を押さえる。


「――誰が優しくないって?」


 背後から降り注いだその低い声に、桜鳴は、勢いよく振り返った。

 そこに立っていたのは、やはり『優しくない』お父様――漣夜だった。


「っ、そういうところでしょ!」


 桜鳴が、きっ、と睨みつけると、漣夜は、愉快そうに鼻で笑った。

 漣夜が来たことに気付いた息子は、桜鳴の身体から離れ、「おとうさま!」と嬉しそうに漣夜の方へと駆け寄った。

 漣夜は、片腕で軽々と抱き上げる。


「……また重くなったか?」

「はい! たくさんたべて、たくさんねてます!」

「はっ、そりゃいいな」


 漣夜は、微笑みながら抱き上げた息子に顔を寄せた。

 二人で笑い合っているその幸せな光景を目を細めて見守っていると、漣夜の視線が動き出し桜鳴のそれとぶつかった。


「それで何してたんだ?」

「え? ああ、えっと――」

「おかあさまに、ふえをきかせてほしいと、おねがいしてました!」


 桜鳴の言葉に被せるように、息子が得意気に言った。

 漣夜は、「笛か」と呟いて、部屋の奥にあった椅子を桜鳴の傍まで持ってきて、腰を落とした。抱き上げていた息子は膝の上に乗せていた。


「最近聞いてなかったしな。俺も聞いていくか」

「仕事は?」

「今は急ぎのものがないから問題ない。それに、確認しないとな」

「何を?」


 桜鳴が首を傾げて訊ねると、漣夜は、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「お前の腕がなまってないか、を」

「ほんっと、いつも一言多いわねっ!」


 桜鳴は、頬を膨らませながら椅子から立ち上がった。

 異常がないか、持っていた笛を隈なく確認していると、漣夜が口を開いた。


「今日は、どんな曲なんだ?」

「おとうさまみたいなきょくです!」

「俺?」


 漣夜は、膝に座る息子の顔を覗き込んで訊ねる。

 息子は、元気いっぱいに「はい!」と答えた。


「おとうさまみたいに、かっこよくて、おつよくて、おやさしいきょくです!」


 息子の言葉に、漣夜は少し考えた後、くっくっ、と喉を鳴らして笑った。


「……ああ、だから『優しくない』か」

「そうやって嫌味ったらしいところよ」

「お望みなら、もっと優しくしなくてもいいんだぞ」

「~~っ、ほんっと性悪!」


 一言やり返せたと思ったら、何倍にもなって返ってくる。

 出会った頃からずっとそうだった。ずっと同じやりとりばかり繰り返しているような気すらしてしまう。


(……実際してるか……)


 桜鳴は、過去を思い出しながら乾いた笑いを漏らした。


「おい、早く俺みたいな曲、聞かせろ」

「はいはい、今やりますよっ!」


 無駄に急かしてくる漣夜に、半ば諦めのような溜め息を吐いた。

 桜鳴は、一度気持ちを落ち着けるように目を閉じて深呼吸をした。


(漣夜みたいな曲、か……)


 桜鳴は、頬を緩めて笛を構えた。

 肺一杯に空気を吸って、笛に送り込むと、ぴい、と甲高い音がひとつ鳴り響いた。まるで小鳥の囀りのようなその音に、笛を見つけた時のことを思い出していた。

 曲を奏でていくのに合わせて、瞼の裏に今までの出来事が浮かんでくる。


(……いろいろあったなぁ……)


 桜鳴は、ゆっくりと目を開いた。

 目の前には、春の陽気と混ざりあった柔らかな音色に、楽しげに身体を左右に揺らす息子がいた。その後ろでは、漣夜が音に浸るように目を閉じて満足そうな表情を浮かべていた。

 曲が終わり口から笛を離すと、息子がまるで宝物でも見るかのように目を輝かせて大きく拍手をした。


「おかあさまのふえ、すごいです! おとうさまが、おとになっていました!」

「そう? 喜んでくれたならよかった」

「はい! いつもいつもすごいです!」


 笛の音はたしかに素晴らしいものだが、ここまで全身で喜びを表現してくれると、吹き甲斐があるというものだ。

 息子の元に近付き、その頭を撫でていると、「ふっ」という笑い声が聞こえてきた。

 桜鳴は、笑い声の主である漣夜の方に顔を向ける。


「……どう? わたしの腕、なまってた?」

「……相変わらずだな」

「はあ? 相変わらず下手ってこと!?」

「いや」


 漣夜は、閉じていた目を開いた。

 慈しむような深い緋色の瞳が、真っ直ぐに桜鳴を捉える。


「相変わらず、――いい音だ」


 漣夜は、柔らかく微笑んで言った。

 桜鳴は、徐々に顔を綻ばせていき、やがて満面の笑みを咲かせた。


「ふふっ、でしょ!」


 その瞬間、どこからやってきたのか、桜の花びらが春風とともに部屋に吹き込んだ。

最後まで読んでいただきありがとうございました!


ここまでの長編で長期な作品は初めてで、何度かもう無理だと思いましたが、なんとか完結させることができました。

読んでくださる皆さまのおかげです。連載中はブクマや評価などで応援していただき、ありがとうございました!


もし、『面白かった!』や『次の作品にも期待!』など思われた方は、下の☆をポチッと押していただけると喜びます!リアクションだけでもぜひ!


また別の物語でもお会いできたら嬉しいです。

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