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第27話 対峙 参

 どこか様子がおかしい天瑞てんずいの手から剣が離れ、からん、と音を立てて地面に落ちた。

 このままでは天瑞が傷付けられてしまう。

 桜鳴おうめいは、無意識のうちに天瑞の元へと駆け寄り、隣に立った。

 焔墨えんぼくの剣はもうそこまで来ている。避けることはできない。それならば。


「みいちゃん!」


 桜鳴は、右肩に乗るみいちゃんに呼びかけた。


『まかせてっ!』


 みいちゃんは、尻尾を長く伸ばし、大きな鞭のようにして焔墨に向けて振るった。

 焔墨の剣にみいちゃんの尻尾が、ぐるり、と絡みつき、焔墨の手から引き抜いた。みいちゃんは、そのまま剣を焔墨の背後へと遠く放り投げた。

 焔墨は、何が起こったのかと驚いているようだった。それから、桜鳴の右肩を凝視した後、「ははっ!」と愉快そうに笑った。


「……貴女も、使役していたのですねぇ。これは面白い」


 焔墨は、ぽつりと呟いて、後ろに飛んでいった剣の元に背を向けて歩いていく。

 桜鳴は、その隙に項垂れている天瑞の方を向き、身体を揺すった。


「天瑞様、天瑞様!」


 名前を呼ばれた天瑞は、顔を桜鳴がいる隣にゆっくりと動かした。薄い緑色の宝石のような瞳は、いつものような輝きはなく、虚ろに景色を映していた。


「おう、めい……?」

「大丈夫ですかっ! どこか怪我はないですか?」

「……僕のこと、心配、してくれるの……?」

「当たり前じゃないですか!」


 桜鳴は、天瑞の全身をぺたぺたと触りながら、怪我がないかを確認する。どこを触っても痛そうな気配がなく、ほっ、と息を吐くと、天瑞が自嘲するように笑った。


「……僕は、『いらない子』、だよ……」

「え?」

「『悪い子』だから、ひとりぼっちで……、きみが、心配してくれる、はずなんて――」

「っ、天瑞様!」


 桜鳴は、つらつらと自分を傷付けるような言葉を吐き続ける天瑞の頬を、両手で挟むように、ぱちん、と叩いた。

 天瑞は、突然の衝撃に言葉を止め、目を丸くしていた。


「天瑞様が、ひとりぼっちだと自分で思うのは勝手ですけど、わたしの心配まで嘘にしないでください……」

「っ……、そんな、つもりは……」

「それに、ひとりぼっちでいたいと願っても無理ですから! わたしも、みいちゃんも、ここにいます!」


 桜鳴の言葉に応えるように、みいちゃんも『うん!』と大きく頷いた。天瑞には聞こえていないだろうが、きっとその思いは届くだろう。

 その証拠に、天瑞の瞳がしっかりと桜鳴とみいちゃんを映し始めた。


「桜鳴……、ふう、……はあ」


 天瑞は、瞼を閉じて一度深呼吸をした。


「……そうだね、ひとりじゃない」

「はいっ!」

「僕が守るって約束したのに、桜鳴に守られちゃった。約束、破ってごめん」

「まだどこも怪我していませんよ。それと、忘れていませんか?」


 桜鳴が天瑞にそう問い掛けると、天瑞は、きょとんとした顔で首を傾げた。

 桜鳴は、天瑞の右手を取り、両手で包み込んだ。


「わたしもですけど、天瑞様も無事に帰ることが『約束』ですよ」


 桜鳴は、「ねっ」と天瑞に笑い掛けた。

 暗く沈んでいた天瑞の顔が徐々に明るくなっていき、天瑞は、口元を緩めた。


「……ふふ、そうだね。漣夜れんやに怒られちゃうね」

「そうですよ! 怒るとねちねちしつこいんですから、漣夜は……」


 桜鳴は、過去のことを思い出しながら言った。

 何か小さな失敗でも嫌味盛りだくさんで責められ、その後も事あるごとに以前の失敗を掘り返される。まるで恨みでもあるかのように。

 今はそこまで怒られるようなことはなくなったが。


(まあ、嫌味たらしいのは健在だけど……)


 眉間に皺を寄せる桜鳴に、天瑞は、「ふはっ」と噴き出した。


「ふっ、ふふ、……それは、嫌だねぇ」


 天瑞は、笑い声を漏らしながら、地面に落ちていた剣を拾った。

 薄い緑色の瞳が輝きを取り戻し、焔墨に向けて剣を構えた。


「桜鳴。もう大丈夫だから、下がっててね」

「はい!」


 桜鳴は、天瑞から離れるように数歩下がった。

 遠くへと飛んでいった剣を取りに行っていた焔墨が戻ってきて、天瑞の対面に立つ。


「……確かに纏う色に黒が混ざり始めたはず……『心』も折れかけていた……それを、彼女が……?」


 焔墨は、じろじろと天瑞を観察した後、桜鳴に視線を移した。

 天瑞は、その隙を見逃さず、焔墨に突進するように詰め寄った。


「よそ見なんてしてる暇、ないよっ!」


 天瑞は、攻撃を休まずに浴びせ続ける。

 焔墨は、反撃する余裕がないのか、キンキン、と音を立てて天瑞の攻撃を受け止めるだけだった。

 このままなら、きっと勝てる。

 そう思った時だった。


「……やはり、彼女を……」


 焔墨は、口元を妖しく動かし、剣を構えるのをやめた。

 わざとなのか、諦めたのか。焔墨の手から剣が離れ、地面に落ちる。

 天瑞の剣が、先ほどと変わらない速さで焔墨へと向かう。


「天瑞様っ!」


 桜鳴は、声を張り上げて天瑞の名前を呼んだ。

 天瑞の剣先がそれに呼応するように、寸でのところで止まった。

 桜鳴は、安堵したように息を吐き、ぐっ、と拳を握り締め、焔墨の方へと歩き出した。


「、桜鳴!? 危ないから、下がってて!」


 天瑞は、剣を握っていない方の手で、桜鳴の腕を掴み引き留める。

 桜鳴は、その手に自分の手を重ね、にっこりと笑った。


「大丈夫ですよ」

「でも、あいつが何をするか分からないから……っ」

「そうですね。なので、剣だけ……みいちゃん、あの落ちているもの、さっきみたいに遠くにやってくれる?」

『うん、わかった!』


 みいちゃんは、尻尾で焔墨の剣を掴み、今度は桜鳴の背後へと放り投げた。

 こちら側にあれば、焔墨が剣を取りに行くことがあったとしても、天瑞の横を通らなければならなくなる。きっとみいちゃんは理解して、その方向に飛ばしたのだろう。賢い子だ。

 桜鳴は、みいちゃんに「ありがとう」とお礼をしてから、焔墨の真正面に立った。


(、……っ)


 焔墨の黒が混じった深い紅色の瞳と視線がぶつかる。

 何を考えているのだろう。何をしようとしているのだろう。どれだけ考えても、何も読み取れないその表情は不気味だった。

 相変わらず、嫌な感覚はこれでもかというほどに全身に突き刺さってくる。

 ぞくり、と背中を駆け抜ける悪寒は、焔墨に近寄ると危険だという脳からの警鐘だ。逃げた方がきっと安全だろう。

 だけど。


(もう、誰も――!)


 桜鳴は、一度息をすべて吐き出して、大きく吸った。

 それから、焔墨を真っ直ぐに見つめた。


「――焔墨さん、もう終わりにしませんか?」


 焔墨の眉が、ぴくり、とわずかに上がった。


「……終わり、ですか?」

「たくさんの人が傷付きました。たくさんの人が悲しみました。もう誰の辛そうな顔も見たくないです。それがたとえ、――敵だとてしても」


 この騒動が終われば、すべての人が満足に笑っていられるというわけでもないだろう。だが、今感じている痛みは少しでも癒えていくはずだ。

 焔墨がこの願いに応えてくれるとは思っていないが、一歩でも歩み寄ることができたら。

 桜鳴は、緊張で飲み込むのを忘れていた唾を、ごくり、と喉に流し込んだ。


「……いつまでも清浄きれいだ……」


 焔墨が何かを、ぽつり、と呟いたがはっきりと聞こえなくて、桜鳴は、「え?」と聞き返した。

 焔墨は、目を細めて話を続けた。


「貴女のせいで、漣夜皇子は隻腕になりましたよね」


 焔墨の言葉に、どくん、と大きく心音が鳴り響いた。

 北部へ遠征に行った頃には、もう焔墨は華嵐ここにいなかったはずだ。

 あの毒騒ぎの後、宮中で嫌な感覚が一度もしなかったから、そう思い込んでいただけかもしれない。本当はどこかに潜んで一部始終を見ていたのだろうか。

 そうだとしても、漣夜が隻腕になったことは知っていても、『貴女のせいで』と断言できるのは、あの場面を見ていたものだけだ。だが、それだけ近くにいたら、きっと嫌な感覚で気付いているはず。


「……どうして、それを?」


 桜鳴は、握っていた拳に力を込めた。


「私がそう仕向けたからです」

「仕向けた……?」

「後々厄介になりそうな貴女を早めに処分しておきたかった。それなのに、漣夜皇子が貴女を庇われたせいで、貴女は今ここに立っている。まったく、想定外ですよ」


 焔墨は、やれやれとでも言うように両手を広げながら言った。


(……やっぱり、わたしのせいで……漣夜が、大怪我を……っ)


 桜鳴は、焔墨から視線を外して俯いた。

 元凶は焔墨だったとしても、その凶刃は桜鳴に向かうはずだった。桜鳴に刺さるはずだった。

 油断せずに、周囲への警戒を怠らずに、なんとか避けるか、剣を受け止めるかしていれば。漣夜が庇うようなことはなかった。漣夜が怪我をするようなことはなかった。

 どれだけ悔やんでも、過ぎてしまった日はもう戻らない。

 桜鳴は、唇を噛みしめた。

 それを見た焔墨は、口元を吊り上げて言った。


「貴女があの場にいなければ、いや、漣夜皇子の奏祓師そうふつしなどにならなければ、漣夜皇子が隻腕になることはなかったでしょうねぇ!」


 と。

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