第24話 祈りと約束
「今、なんて……?」
桜鳴は、玖雪に聞き返した。
どうか聞き間違いでありますようにと願いを込めて。
だが、その願いも虚しく、玖雪は、驚きと怯えが混じったような表情で言った。
「頭蓋骨が、あります。それも大きな……間違いないです」
「ど、どの辺りですか?」
「ちょうど悪鬼がいたところ、少し皇宮に入った辺り、ですかね」
玖雪は、その方向に指を差しながら言った。
悪鬼がいた場所に見えているというのなら、もしかしたら祓いきれていなかったのかもしれない。
そう思いながら玖雪の指の先を見遣るが、黒い靄などひとつもないというほど空は澄み渡っていた。つまり、玖雪にしか見えていないのだ。
もし、頭蓋骨を生み出している人が、この襲撃の主犯なのだとしたら、まだ何か大きな事を起こそうとしているのかもしれない。
桜鳴は、ぞくりと背中に走った悪寒にどこか違和感を覚えながら、自分の身体を両腕でぎゅっと抱き締める。
「ちょぉっとええか?」
桜鳴と玖雪の間に流れる重苦しい雰囲気を壊すかのように、沐陽は、にゅっと顔を差し込みながら言った。
「その『頭蓋骨』っちゅうのは、なんや?」
「あ、えっと、……僕の『力』は御存知、ですよね?」
玖雪が問い掛けると、沐陽は、何度も頷いた。
「もちろん。なんや、『人の悪意が見える』、いうやつやろ?」
「その悪意が、例えば人を騙す、くらいだとただの靄なんですが、もっと重い、極刑になるような罪をこれから犯そうとしている人だと、『悪意の靄』が頭蓋骨の形になって見えるんです」
「なるほどなぁ……ほんで、それが見えとると?」
玖雪は、「はい」と答えながら頷いた。
「おそらくですが、あれは菊花宴に見たのと同じ頭蓋骨だと、思います」
「菊花宴、ってことは、この敵の侵入は華嵐の人が関係してるってこと? 敵が身につけていたものに邃烽の印が入っていたし、あの防寒具は邃烽のものだよね?」
天瑞は、まくし立てるように玖雪に疑問を投げかける。
玖雪は、天瑞の勢いに気圧されるようになりながら、首を横に振った。
「そ、そこまでは、僕にも……頭蓋骨が見えて、なおかつ菊花宴の時に見たものと同じだというところまでしか……お役に立てず、申し訳ございません」
「あ、いや、僕の方こそごめんね。つい……」
天瑞は、申し訳なさそうな表情で前のめりになっていた身体を元に戻した。
「あ、あの……」
桜鳴は、おずおずと手を上げて、会話を遮った。
二人のやりとりに引っ掛かるところがあった。正確には、玖雪の『菊花宴』という言葉からだ。
今ここから見える頭蓋骨が、菊花宴で見た頭蓋骨と同じというのなら。
桜鳴は、もう一度頭蓋骨があるという方向に顔を向ける。
その瞬間、嫌な感覚が身体を駆け巡った。――知っている嫌な感覚が。
桜鳴は、心蓮の方に向き直る。
「心蓮さん」
「なんでしょうかぁ?」
「菊花宴の頃にはもう焔墨さんは侍衛でしたか?」
「え? ええと、……菊花宴のすぐ後に着任されましたが、武官としてならそれより前に宮中にいてもおかしくはないかとぉ」
桜鳴は、「そうですか」と短く答えた。
確定とまではいかないが、可能性がまったくないというわけでもないことが分かった。
心の中で『まさか』という気持ちと、『やはり』という気持ちが、同じくらい大きくなっていく。
ぐっ、と奥歯を噛みしめる桜鳴に、皆の表情が険しくなっていく。
「焔墨が黒幕っちゅうことか?」
沐陽の問いに、桜鳴は、首を横に振った。
「確実に、というわけでは……でも、あの方向から感じる嫌な感覚というのが、焔墨さんに感じたものと似ていて……」
「桜鳴のそういう感覚はよく当たるからね」
天瑞の言葉に、沐陽は、うんうんと頷いた。
「そうですねぇ。ほな、なんかされる前に、行こか。僕と天瑞様がいれば、動けなくするくらいはできるやろうし」
「ま、待ってくださいっ!」
桜鳴は、勇んで歩き出そうとする沐陽の衣の裾を、ぐっ、と引っ張って、引き留めた。
振り返った沐陽の顔は、分かりやすいほどに疑問で満たされていた。
「沐陽さんと心蓮さん、それに玖雪さんも。皆さんは、もう戻ってください」
「えっ、ど、どうしてですかぁ?」
心蓮は、困惑したように眉を下げた。
桜鳴は、三人の顔を順にそれぞれ見てから、口を開いた。
「あそこにいるのが本当に焔墨さんなら、何が起こるか分かりません。……皆さんもよく分かっているとは思いますが」
「十分、分かっとるよ。せやけど、それはお嬢さんも同じや。それやったら、力で捩じ伏せられる可能性がある、僕は行った方がええと思うけど」
沐陽の言葉は正論だった。
焔墨が何か特殊なことを仕掛けてきたとしても、武術にも長けている沐陽がいれば、少しの被害もなくすべてを終わらせることができるかもしれない。
だが、あくまでも可能性があるというだけだ。無傷で済むという保証はできない。
自分が傷付くだけならまだしも、もし、沐陽が大きな怪我を負ってしまったら。
(……っ)
桜鳴は、ここに来る前の宇霖の表情を思い浮かべた。
心配そうに沐陽を見つめる宇霖。宇樂も同じだった。蒼峻の表情はいまいち読めないが、きっと宇樂や宇霖と同じ気持ちに違いない。
大事な奏祓師が傷付くようなことがあっては、強い絆で結ばれているその主人たちの表情は曇ってしまうだろう。そして、その表情を見て奏祓師自身も、心に暗い影を落としてしまうことになるだろう。
そんな未来には、なってほしくないから。
「……宇霖様が、心配ではありませんか?」
「坊ちゃん? ……宇樂様と一緒やけど、心配は心配やなぁ。それがなんか関係あるん?」
「関係、というか……早く戻って、安心させてあげてください」
「焔墨を倒してからすぐ戻る、それじゃ、あかんの?」
「もし、焔墨さんの元に行って、沐陽さんに何かがあったら……宇霖様の悲しい顔は、わたしも見たくないです」
桜鳴は、沐陽の衣を握る手に、さらに力を込めた。
沐陽は、困ったようにしばしの間唸った後、「よし」と呟いた。
「お嬢さんの気持ちは分かった。ほな、僕は先に坊ちゃんのところに帰らせてもらいますわ」
「貴方……」
心蓮の『あり得ない』とでも言いたげな鋭い視線が沐陽に突き刺さる。
桜鳴は、沐陽の衣から手を離し、心蓮の手を取った。
「心蓮さん。大丈夫です。絶対に何事もなく戻ってきます! 漣夜、――様とも、約束したので!」
「桜鳴さん……私とも約束をしてくれますかぁ? また一緒にごはんを食べてくれる、と」
「はいっ! もちろんです!」
桜鳴は、満面の笑みで答えた。
心蓮は、「それともうひとつ」と話を続ける。
「幻蘭さまと実験をしたのですが、私たち『力』を持つ者には『力』が効かないようです」
「え? でも、幻蘭さんの『力』で、わたしたちの『力』が何か、というのが見えたんじゃ……?」
「幻蘭さまは『力』の性質上、特殊なようで……実際、私の『力』は幻蘭さまには効きませんでした」
「なるほど……じゃあ、焔墨さんが何かしら『力』を持っていたら、何も効かない、ということですね」
心蓮は、ひとつ頷いた後、「それもありますが」と神妙な面持ちで付け加えた。
「もし、桜鳴さんが怪我をされたとしても、私には治せません。ですので、怪我はなし、でお願いしますねぇ~」
「……はい、分かりました!」
「ふふ、よろしいですぅ」
心蓮は、柔らかく微笑みながら、桜鳴が握っていない方の手で桜鳴の頭をふんわりと撫でた。
そのくすぐったい感覚に少しの照れくささを感じながらも、心蓮の優しさを享受していると、玖雪が「桜鳴さん」と話しかけてきた。
桜鳴は、頭を撫でる心蓮の手から離れ、玖雪の方を向いた。
「僕は、桜鳴さんだけをあの頭蓋骨の元に行かせるのは、正直反対です。……ですが、沐陽さんと違って、僕が行ったところで何もできません。足手まといになるくらいなら、黙って見送ります」
「足手まといなんて! 玖雪さんの『力』があったから、そこに脅威があることが分かったんですから!」
「そんなこと……だから、桜鳴さん。僕も待ってますから。必ず戻ってきてください」
「はい!」
桜鳴が元気よく答えると、玖雪は、再び頭蓋骨がある方向に視線を動かした。
「――頭蓋骨の位置ですが、皇宮に入ってすぐの辺りです。少し南側、でしょうか。なにぶん、大きいので、正確な場所までは……」
「ありがとうございます! そこにいるのが焔墨さんなら、きっと分かるので大丈夫です!」
桜鳴は、大きく息を吸って、吐き出し、笛を大事に袋にしまった。
隣にいる天瑞の顔を見上げると、天瑞は、いつものようににっこりと笑った。
「僕は、最後までついていくよ。漣夜に任されたからね」
「はい、お願いします! でも、天瑞様も、どうか怪我だけはしないでください」
「うん。桜鳴を悲しませたくないから、それは約束するよ」
天瑞は、桜鳴の髪に指先を絡め、毛先にそっと唇を触れさせた。
桜鳴は、その仕草に思わずどきりとして、天瑞から離れるように一歩動いた。
「被害が出てしまう前に、早く行きましょう!」
「……そうだね」
天瑞は、少し残念そうな表情を浮かべながら頷いた。
「では、焔墨さんの元へ――!」
桜鳴は、天瑞と共に頭蓋骨があるという場所へ向かった。




