第4話 軍議
北部遠征から中央に戻ってきてからおよそ一か月が経った。
扉が、とんとん、と叩かれ、漣夜は、読んでいた書物から顔を上げた。
「なんだ」
「漣夜様、そろそろお時間かと」
扉の向こう側から聞こえたのは、凌霄の声だった。
今日は、北部の戦線の経過報告とそれを踏まえた軍議が開かれることになっている。
このひと月の間、何度か軍議は開かれていたが、安静にするようにと医官に言われてなかなか参加することができなかった。軍議が開かれる部屋まで歩くくらいならなんともないと言ったが、凌霄がそれを許そうとはしなかった。
ひと月がが経ち、日常生活が問題なく送れるくらいに体調が回復したことで、凌霄もようやく折れてくれた。
「ああ……分かった、準備する」
漣夜は、椅子から立ち上がり衣服が掛けてある棚へと向かい、厚手の羽織りを手に取る。
まずは右の肩にかけ、それを顎で押さえながら、羽織りの左側を手繰り寄せ左の肩にかける。このくらいならもう慣れたもんだ。
ただ――。
「悪い、待たせた」
漣夜は、扉を開けて廊下へと出た。
凌霄は、「いえ」と言いながら、自然な流れで漣夜の首元へと手を伸ばす。
羽織りを肩にかけるだけなら簡単だが、肩から落ちないようにと結ぶ紐だけは、どうしてもまだ結ぶことはできなかった。
それを何を言うでもなく、表情も変えることなく、結んでくれる凌霄を見て、歯がゆさと申し訳なさが心の中を埋めていく。
「……あの、漣夜様」
紐を結び終えた凌霄は、窺うようにおずおずと口を開いた。
「なんだ」
「もう一度、お聞きいたしますが、本日の軍議、本当に参加されるのでしょうか?」
「体調に問題はない。お前から議事録はもらっているが、直接話さないと分からないこともあるだろうからな」
「それは、仰る通りですが――」
凌霄の視線が漣夜の右腕へと動いた。ほんの一瞬で、よく見ていなければ分からないほどだったが、見逃さなかった。
漣夜は、きっ、と凌霄を睨みつけるように見る。
「しつこい」
「っ、も、申し訳ございません」
怒るつもりも、謝らせるつもりも、なかった。
ただこの苛立ちにも似たもどかしさはそこに留まっていてはくれなかった。言葉は棘に包まれ、感情のままに出てしまった。
「、……、いや、悪い」
漣夜は、ばつが悪くなり、一言だけそう告げた後、軍議が行われる部屋へと歩き始めた。
◇◇◇
部屋の前に到着すると、もうほとんど揃っていたようで、廊下に他愛ない会話をする声が漏れ出ていた。
凌霄が扉を開けると、部屋の中にいた人の視線が一気にこちらへと集まる。
先ほどまでの談笑が嘘のように、しん、と静まり返った。
漣夜は、それに構わず所定の位置へと歩いていく。
「……あれは……」
誰かが小声で話し始めたのをきっかけに、静寂からざわめきに変わっていった。
「……話には聞いていたが、本当だったのか……」
「……あのようでは、次期皇帝など……」
高官たちは、部屋に入ってきた漣夜に視線を向けながら、口々に話していた。
聞こえているのが分かっていないのか、それともわざと聞こえるように言っているのか。少なくとも、蒼峻派の高官は後者だろう。
ここで制するようなことを何か言ったところで、おそらく『痛いところをつかれたから咎めた』と思われるだけだろう。
漣夜は、毅然な態度でまだ来ていない皇帝陛下を待っていたが、室内はなかなか静まりそうにはなかった。
見かねた凌霄が、耳元に顔を近付けた。
「……やはり、参加されない方がよろしかったのでは」
「言わせておけばいい。どうせ面と向かっては言えないような連中だ」
凌霄は、少しの迷いの後、納得したように顔を離した。
漣夜は、ちらりと自分の右腕を見る。
何も通っていない袖が隙間風にゆらゆらと揺れる。
(……『痛いところ』なのは、俺が一番分かっている……)
やり場のない気持ちを小さな舌打ちで外に出したと同時に、部屋の扉が開いて皇帝陛下がやってきた。
皇帝陛下が椅子に座り、軍議を開始する号令がかけられた。
まずは、昨日北部から戻ってきたばかりの伝令による現状の報告があげられた。
あの戦い以降、大小関わらず交戦はなく、邃烽国側の戦線は必要最低限の兵士しか配置されていないという。北部を出立する際に将軍から聞いた状況から、ほとんど変わっていないようだ。
ひと月も経てば、華嵐側も中央からの兵が派遣され、兵力が十分に整っているはず。
(その間に攻めてこなかった理由は、なんだ……?)
邃烽にとって絶好の機会だったはずなのに、何の動きも見せなかった。
予想以上に損害が大きかった。兵が派遣されるまでに時間がかかった。他にも理由は思いつくには思いつくが、どれも見合わなかった。
ずっと動くことがなかった国境を動かせるかもしれないということと、手を引くことへの利得と比較すると、言わずもがなだ。
(質実剛健で手堅いお国柄だが……だとしても、だ)
嫌な胸騒ぎを覚えていると、話題は邃烽の『妙な攻撃』へと変わっていった。
一瞬にして挟撃された、と、最前線にいて生き延びた兵士は証言していたらしい。
あの日は、かなり強く吹雪いていて視界はたしかに悪かった。だが、すぐそこにいる相手の動きが分からないほどではなかった。完全に挟まれる前に、誰かしらが気が付くはずだ。誰も気が付くことなく、かつ、『一瞬にして』挟まれたとなれば。
(やはり、『力』か……?)
人智を越えた何か――たとえば、『力』によるものだとしても、何ら違和感はなかった。むしろそちらの方が納得がいく。
幻蘭によれば、『力』を持った者は華嵐に限らず世界中にいると言っていた。ならば、邃烽にいてもおかしくはないだろう。
現に、簫焔墨が邃烽の人間かもしれない。――が。
(記憶を消すもののはずだが……挟撃に何の関係が……?)
それに、焔墨が邃烽の人間だと仮定して、あの場にいたという確証はない。
焔墨がいたというより、『力』を持った他の人間がいたと考える方がまだ頷ける。
いずれにせよ、『力』が使われているのなら、どれだけ対策してもその上を軽々と飛び越えてくる。
軍議の中でも同じような考えに至ったようで、とにもかくにも北部の戦線を押し進められないことが先決だという判断がなされた。いついかなる時でも十分な兵を出せるように準備を整えておくように、と伝令に託し、軍議はお開きになった。
漣夜は、皇帝陛下が先に出ていくのを待っていると、その本人が「漣夜」と声をかけてきた。
「、はい」
まさか声をかけられると思わず、一拍遅れて返事をすると、皇帝陛下は、柔らかく微笑んだ。
「この後、用がある。よいか?」
「御用、ですか……もちろんでございます」
「なら、ついてくるがよい」
皇帝陛下は、そう言って部屋から出ていく。
漣夜は、遅れないようにその後に連なった。




