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第2話 寒星 壱

 夜。

 桜鳴おうめいは、天瑞てんずいに言われた通りに部屋で大人しく待っていた。

 何かをしてくれると言っていたが、天瑞の部屋の中で行うのなら、こちらから訪れても結局同じではないだろうか。

 そんなことを考えていると、ちょうどよく扉が、とんとん、と数回叩かれた。

 桜鳴は、椅子から立ち上がり扉へと早歩きで向かう。

 ゆっくりと扉を開くと、そこには待っていた人物が立っていた。


「よかった。まだ寝てなくて」

「待っていて、と言ったのは、天瑞様ですよ」

「そうだったね」

「では、行きますか」


 桜鳴は、天瑞の部屋へ向かうために廊下へと出ようとした。が、何故か天瑞によってそれを阻止された。部屋の中へと押し戻すように、ぐい、と身体を押される。後ろに倒れてしまわないように、無意識に足が一歩下がる。


「あ、あの……?」


 桜鳴は、困惑しながら天瑞を見上げる。

 部屋はすでに蝋燭を消しているのに対し、廊下は煌々と灯っているせいで、逆光になってしまい、顔がよく見えなかった。

 天瑞からの返事がないのを不思議に思い、もう一度問い掛けようとした時だった。


「わっ! な、なんですか……?」


 ただでさえ暗い視界がさらに暗くなり、何も見えなくなってしまった。

 何が起こったのか、と目元に手をやると、布のようなもので覆われていた。


「天瑞、様? あの、これは?」

「驚かせたい、って言ったでしょ? 部屋に着くまでも、楽しんでもらおうかなって」

「で、でも、これ……何も見えないんですけど、……」


 桜鳴は、目の前にいるはずの天瑞を探すように手を彷徨わせる。

 とん、と何かに触れたと思ったら、ぎゅっと両手を捕まえられた。


「それがいいんだよ。桜鳴の手に触れる口実にもなるし」

「……外していいですか」

「だぁめ。少しの間だからさ、ね?」

「もう……分かりましたよ。じゃあ、連れて行ってください」


 部屋の入口でこれ以上問答を繰り返していても、ただいたずらに身体を冷やすだけだ。

 桜鳴は、諦めてされるがままに天瑞に身を任せた。

 手を引かれる感覚に従って足を進めていたが、おそらく扉を出てすぐのところで天瑞が止まった。

 今度は何だろうか。半ば呆れながら訊ねようとしたところで、手が離され、代わりに身体をぐるぐると右回りに回される。


「天瑞様っ!? 目、目が、まわ……っ」

「……ああ、ごめんね。目隠しが緩くなってないか、確認したくて」

「もう少し、方法が、あると思いますけどぉ……」

「ごめんごめん。さあ、行こうか」


 天瑞は、特に悪びれる様子もなく、再び手を取り歩き出した。

 桜鳴は、少しふらつきながら天瑞の案内についていった。

 廊下を歩いていき、やがて天瑞が足を止めた。すぐに扉が、ぎい、と開く音が聞こえてくる。

 目的地である天瑞の部屋に到着したのだろうか。

 天瑞は、何も言わないまま部屋の中へと進んでいく。


「そろそろ、取ってもいいですか?」

「僕が取るから待ってね」


 天瑞は、手を離し布の結び目がある後ろへと回った。

 後頭部の辺りで手がごそごそと動いているから、たしかに背後に天瑞がいるはず。

 なのに、何故か前方に人の気配があるように感じた。

 きっと天瑞がいた名残だろう。

 そう思っていると、目隠しがはらりと取り外された。

 桜鳴は、急な眩しさに目を細める。

 徐々に目が慣れてきたことで、感じた人の気配が勘違いなどではなかったことにすぐ気付いた。


「っ!」


 目の前にいたのは、寝台で上体を起こしていた漣夜れんやだった。

 桜鳴は、思わず後退あとずさるが、後ろにいた天瑞に、どん、とぶつかった。

 天瑞の部屋に向かっていたはずなのに、ここはどう見ても漣夜の部屋だった。

 どういうことか、と問い質そうと振り返ると、天瑞は、にっこりと笑って、部屋の入り口の方へと歩いていった。


「な、ちょ、待って……っ」


 桜鳴は、慌てて天瑞を追いかけていく。

 扉を開けて出て行こうとする天瑞の衣を、ぐっと掴んだ。


「これ、どういうこと――」

「桜鳴」


 天瑞は、言葉を遮って衣を掴んでいた桜鳴の手を優しく握り込んだ。


「今夜は、漣夜と過ごして」

「は……? いや、あの、意味が……」

「本当は僕が桜鳴と一緒にいたいけど、今日は我慢するね」


 天瑞は、少し不満そうに頬を膨らました。

 説明にもなっていない説明に、ただただ困惑が大きくなるだけだった。


「一緒にいられないのは残念だけど、桜鳴が元気でいっぱい笑ってる方が嬉しいから」

「だから、何を言っ――」

「大丈夫だから」


 天瑞は、桜鳴の頭を一度撫でた後、部屋から出て行った。

 桜鳴は、閉じられた扉を呆然と見つめていた。

 何が起こっているのか理解するのにはまだ時間が必要そうだった。それでも、ここから一刻も早く出て行かなければということだけは分かった。

 扉にそっと触れた時だった。


「――おい」


 背後から地を這うような低い声が響いた。

 桜鳴は、びくりと肩を跳ねさせる。


「そんなところで突っ立ってないで、座ったらどうだ」

「っ、いや、……部屋、戻るし……」


 二人きりになるのは避けたかった。

 傍にいることでまた何か起こったら。

 だから早く出て行くのが正しい。はず、なのに。

 頭ではそう思っていても、身体がなかなか動き出そうとしてくれなかった。


「いいから座れ」


 漣夜は、しびれを切らしたように言った。

 桜鳴は、漣夜の顔を見ないようにゆっくりと振り返った。

 円卓から一脚の椅子を部屋の隅の方へと引っ張っていく。できるだけ漣夜がいる寝台から離れるように。

 そうして、間違っても目が合わないように顔を伏せて、椅子に座った。

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