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最終話 遠き帰り路

 凌霄りょうしょうは、休むことなく馬を駆け続けたらしく、一日と経たずに戻ってきた。

 もちろん医者、もう蘇慎そしんの父を連れて。

 容態はすでに聞いていたようで、行府こうふに到着するなり、すぐに治療に取り掛かった。

 持ってきた薬が合ったのか、その実力なのか、懸命な治療の末、漣夜れんやは二日後に意識を取り戻した。

 意識が戻ったと報告を受けた桜鳴おうめいは、凌霄と共に漣夜が臥せっている病室へと向かった。


「漣夜様っ!」


 凌霄は、病室の扉を開けるなり大きな声で叫んで、寝台へと走っていく。

 桜鳴も、その後ろを一歩一歩踏みしめるように追いかける。

 まだ起き上がることはできないようで、寝転がったまま顔をこちらへと向けた。


「……は、声が、大きい……」


 漣夜は、顔をしかめながら右腕を動かした。

 思ったように動かなかったようで、自分の右腕をじっと見つめる。わずかに肩が動いただけで、手が上がることはなかった。


「っ、……」

「まだ痛みがあるでしょうから、動かされない方がよろしいかと」


 医者は、持ち上がった腕をそっと布団の中に入れた。

 漣夜は、眉間に皺を寄せたまま自分の腕が仕舞われていくのを見ていた。


「……、本当に、ないんだな……」

「っ! 申し訳ございません!」


 ぽつりと呟いた漣夜に、凌霄は、ものすごい勢いで頭を下げた。


「私がお傍に仕えていながら、このようなことになってしまい申し訳ございません! 従臣失格でございます! どのような罰も――」

「うるさい、と言っているだろ……」


 漣夜は、ぎろりと凌霄を睨んだ。

 凌霄は、それまでの勢いをなくし、しおしおとして小さく「申し訳ございません」とこぼした。


「はあ……、今回は俺の失態だ」

「っ、そんなこと――!」

「凌霄が悪いなど、思っていない。思っているわけがない。むしろ」


 漣夜は、凌霄から視線を外して医者の方を見た。


「俺が死なないように、医者を呼んできたんだろう。……よくやってくれた。助かった」

「勿体無い御言葉……、それに、桜鳴様が思い出されたおかげで、この御方をお連れすることができたので、私だけでは、とても……」


 漣夜の視線がゆっくりと動く。その緋色の瞳に桜鳴の姿が映される。

 桜鳴の胸が強く早く脈打ち始める。

 何を言われるのだろうか。何を言えばいいのだろうか。


「――怪我は」


 何か言わなければ。――謝らなければ。

 そう思っていた桜鳴よりも先に、漣夜が口を開いた。

 桜鳴は、詰まる喉を潤すように、ごくりと唾を飲み込んだ。


「、……、ない」

「……、そうか」


 漣夜は、わずかに目尻を下げながら言った。

 どうしてそんなふうに言えるのだろうか。庇ったせいで、腕を失うほどの大怪我をしたというのに。命すらも失うかもしれなかったのに。

 どうして、そんなふうに。


(……笑えるのよ……っ)


 まるで怪我がなくてよかったとでも言うように。

 まるで守れてよかったとでも言うように。

 まるで――。


(っ……馬鹿、みたい……)


 桜鳴は、その視線から逃げるように凌霄の後ろに隠れた。

 その瞬間、和らいでいた漣夜の表情が強張った。


「そろそろ鎮痛薬が切れる頃でしょう。投与いたしますので、ゆっくりとお休みになられてください」


 医者は、寝台の傍にある棚の上で鎮痛薬の用意を始めた。

 漣夜の瞼が徐々に下りていき完全に閉じたのを合図に、桜鳴と凌霄は病室を後にした。


 ◇◇◇


 数日後。

 起き上がれるまでに快復した漣夜は、戦況の把握のために病室に将軍を呼び寄せた。

 将軍によると、不意を衝かれた挟撃により失った兵力を補うために中央へ書簡で要請済みだという。援軍が来るまでの間、厳戒態勢を敷いているが、今のところは邃烽すいほう国による妙な動きも陣形を組むような動きもないらしい。


「私ならこの好機を逃しはしないのですが……」


 将軍は、なぜ邃烽が攻めてこないのかと不思議そうに言った。

 攻めてこない理由を考えればいくつかは思い浮かぶが、将軍の言う通り邃烽にとって今は絶好の機会のはずだ。動きがまったくないのは嵐の前の静けさのように感じてしまうのだろう。


「邃烽国も相当の被害を出しているはずだ。同じように兵の補強に忙しいのだろう」

「そうだとよろしいのですが……」

「邃烽の方が中央の城に近い分、こちらより援軍の到着が早い。華嵐フアランが弱まっている今、圧倒的な数で一気に潰そうと考えている可能性もある」


 漣夜は、考えられるひとつの可能性を将軍へ話した。

 だが、将軍ほどの人物がその可能性に辿り着いていないわけがない。それなのに、将軍は、納得していないような表情を浮かべていた。


「他に何かあるのか」

「あ、ええと、それがですね……哨兵によると、相手側の哨兵や戦線の守備兵の数が極端に減ったようで、増援どころか縮小しているように見えたとの報告が上がっておりまして」

「縮小、か……何か考えがあってのことか……?」


 将軍は、何も分からないとでも言うように首を左右に振った。

 華嵐が攻めてこないことを分かっているから余計な兵を置かないでもいいと考えているのだろうか。来たる大きな戦いに向けて兵士の体力を温存させているのかもしれない。

 どちらにせよ、邃烽がどんな動きをしても対応できるように兵力を増強しておくのがいいだろう。


「備えておくに越したことはない。もし大規模な侵攻を邃烽が考えているなら、将軍の要請だけでは足りない可能性がある。中央に戻った時に、手続きをしておこう」

「助かります。お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」

「……っ」


 問題ないと示すためにいつものように右手を上げようとしたが、視界に右手が見えてこないことで失っていたことを思い出した。


「、いや、いい。これくらいは仕事の範疇だ」


 漣夜は、取り繕うように左手を上げた。

 将軍は、もう一度一礼した後、病室から出て行った。

 傍で共に報告を聞いていた凌霄からちくちくと鋭い視線が突き刺さってきた。


「……なんだ。言いたいことがあるなら言え」

「……その状態で中央に戻られるのですか」

「ああ。早く戻って報告をしないと」

「援軍を要請されたと仰っていたではありませんか。書簡が届けば、中央の軍部も状況を把握されますよ。ですから、もう少し療養されてから……」


 漣夜は、凌霄の言葉に首を横に振った。

 凌霄は、どうして、とでも言いたげな心配そうな目でこちらを見てきた。


「そんな暇はない。いきなり敵兵が現れ挟撃されたのが奇妙すぎる。あんな開けた場所で気付かないわけがない」

「だから、何が仰りたいのですか」

「その奇妙な動きが、もし、『力』によるものなら、将軍の書簡だけだと不十分だろ」

「それは、……ですが……、もし道中で漣夜様の御体調が悪化されたら……」


 凌霄は、渋い顔をする。

 言っていることは分かってはいるが、万が一を考えると中央に戻ることは受け入れられないといった様子だった。

 漣夜は、凌霄に見せるように右腕を軽く持ち上げる。


「そんな心配はいらない。もう傷口はしっかり塞がっている」

「……抜糸もまだではないですか」


 凌霄は、じとりとした目つきで責めるように言った。

 痛いところをついてくる。昔からそういうところは何も変わらない。

 漣夜は、凌霄のその視線を無視するように顔を背けた。


「……抜糸して何か異変が起きるより、先に帰った方がいいだろ」

「ですが……」

「医師の腕も見事だったからな。傷口が膿むようなこともないだろう」


 漣夜は、すぐ近くにいる医者の方を見た。

 医者は、軽く頭を下げながら「恐れ入ります」と小さく呟いた。

 医者の腕は本当に見事なものだった。痛みこそまだ続いているが、ここまでの縫合術ができる医者はそういない。傷口の炎症もそれほどではなく、この状態から悪化するとは思えなかった。

 凌霄は、漣夜と医者を数回交互に見た後、うんうんと唸りながら頭を抱えていた。

 少しの沈黙の後、凌霄は、腹を決めたように顔を上げた。


「……では、明後日の朝、出立でよろしいですか?」

「! ああ。準備は、……頼む」


 この腕ではいつまで経っても準備が終わらないだろう。

 漣夜は、肩をすくめるようにして言った。

 凌霄は、「もちろんです」と答え、真後ろを振り向いた。


「桜鳴様も準備のほう、お願いしますね」

「っえ、あ、はい」


 突然話しかけられた桜鳴は、言葉をつっかえさせながら返事をした。

 凌霄に重なるように真後ろに隠れているせいで桜鳴の姿はよく見えなかった。どうやら意識してこちらを見ないようにしているようだった。


(……まあ、こんな腕じゃあな……)


 漣夜は、失ってしまった右腕を見ながら自嘲するように笑った。

 守りはした。守りはしたが、このざまでは格好がつかない。

 桜鳴もそんなふうに思っているのだろう。それで守ったなんてよく言えるな、と。

 何を言われてもいい。何をされてもいい。だけど、どうか――。


(……笑顔でいてほしい、なんて、な……)


 漣夜は、部屋から出ていく桜鳴が見えなくなるまでずっとその背中を見つめていた。

第四章、最後まで読んでいただきありがとうございました!


第五章は、4月中旬~下旬ごろに投稿開始予定です。

事前にSNS・活動報告にて投稿開始のお知らせをします。


もしよろしければ、ブクマや評価、感想やいいねなど、していただけるととても励みになります!

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