第20話 傀儡師 弐
「なんでっ!」
華月は、大声を上げて鉄格子に、がしゃん、と詰め寄った。
桜鳴は、その勢いに思わずのけ反る。
「か、華月様?」
「なんで、へらへら笑ってんのよ! あたしに殺されそうになったの、忘れたわけ!?」
「しっかり覚えていますよ」
「なら、なんでよ! あんた、おかしいんじゃないの!?」
華月の目は気味の悪いものを見ているかのようだった。
そこまで思われているというのは少し残念だが、今は気にしないでおこう。
桜鳴は、自分の両手を胸元に当てた。
「わたしは、今こうやって生きていますし、華月様は今こうして罪を償われていますし、わたしがどうこうしようとか、そういうのはありません」
隣にいる天瑞が「ふふ」と嬉しそうに笑って、うんうんと何度も頷いていた。
「それに、わたしは初めてお話した時、こんなに綺麗な御方がいるんだと思って、それは今でも変わってないですし、よかったらお友達になれたらなぁ、と思ってます!」
「……は? 友達?」
「はい! それから笛の音色も聞きたいです!」
桜鳴は、満面の笑みで答えた。
華月が奏でる音色はどんな音色だろう。華やかで派手なものなのか、それとも、繊細で儚いものなのか。そのどちらでも、きっと素晴らしいものだろう。
想像をかきたてている桜鳴をよそに、華月の視線が天瑞と漣夜に動いた。
「……言いたいことは分かる。この馬鹿はどこまでも馬鹿正直なだけだ」
「……わたしのこと!? 馬鹿って言いすぎじゃない!?」
「桜鳴はね、優しいよ。優しくて温かくて、ずっと浸かっていたくなるんだ。あ、でも、華月にはあげないよ?」
「……漣夜お兄様も、天瑞お兄様も、……意味が分かりません」
華月は、ぷいっとそっぽを向いた。
今すぐに友達になるのはさすがに難しそうだ。徐々に仲良くなっていけたらそれでいい。とりあえず、今は。
桜鳴は、鉄格子を掴んだままの華月の手を上から自分の手で包んだ。
「笛、いつか聞かせていただけたら嬉しいです!」
「っ、うるさいっ!」
華月は、桜鳴の手を思いっきり振り払って、鉄格子から離れた。
「……遠征、いつからですか」
「明後日、出立だ。迎えに来る」
「あ、それと、えっと……夏昴惇だっけ」
天瑞は、牢屋の前にいた武官に話しかけた。
武官――昴惇は、すぐに天瑞に向き直る。
「はい、いかがいたしましたか」
「きみもだから。しっかり華月のこと、守ってあげて」
「仰せのままに。この命に代えても、華月様をお守りいたします」
昴惇が恭しく頭を下げると、牢屋の中から「なっ!」と声と共に、がしゃん、と鉄格子にぶつかる音が響いた。
「そこまでしなくていいわよっ! あんたも生きてなきゃ――」
華月は、言葉を途中で止めたかと思ったら、瞳を左右に泳がせた。
慌てたように、「なんでもないっ!」と言って、牢屋の端の方にある布団に潜り込んだ。
華月が布団から出てくる気配がなく、用件も済ませたので、宮に戻ることになった。
建物から外に出ると、目が眩んでしまうのではと思うほどの明るさだった。
桜鳴は、張っていた気をほぐすように背伸びをした。
「まさか、華月様とは思いもしませんでしたよ」
「これで僕の仕事は終わりかな」
「華月様、元気そうでよかったです!」
「これでも、少し前までは今にも死にそうだったんだけど、あの武官になってから生気が感じられるようになったんだよね」
今日の華月には死にそうな雰囲気など微塵も感じなかった。あの武官――昴惇は一体、華月に何をしたのだろうか。
考えを巡らせている桜鳴を、「ふふ」と笑って天瑞は抱き締めた。
「て、天瑞様?」
「人生が変わる出会い、って、あるから。ね」
「……たしかに! わたしも、笛と出会って変わりましたね!」
あの五歳のお祭りの日。
初めて笛を見た、笛の音色を聞いたあの日から、人生は一変した。
華月にも、何かいい出会いがあったのだろうか。生きたいと元気になるほどの出会いが。
そうなら喜ばしいことだ。
温かい感情に満たされていた桜鳴に水を差すように、漣夜は口を開いた。
「……皇宮に不法侵入しようと思うくらいにはな」
「だ、だって! 最後の機会だと思って……!」
「ふ、そうだな」
漣夜は、慌てふためている桜鳴を見て満足そうに、くっくっ、と喉を鳴らして笑った。
あの不法侵入は確かに悪いことには違いないが、もう終わった話だ。それを蒸し返してくるあたり、やはり意地の悪い男だ。
桜鳴は、不服だと言わんばかりに頬を膨らませた。すると、天瑞の抱き締める力が一段階強くなった。
「桜鳴、無事に戻ってきてね。もちろん、漣夜も」
「大丈夫ですよ! なので、天瑞様も、きちんとお仕事、しておいてくださいね」
「うん。『いい子』にしてるから」
天瑞は、柔らかく微笑んで桜鳴を抱き締めていた腕をほどいた。その手は桜鳴の両手に移動して、ぎゅっと包み込んだ。
何事もなくこの笑顔の元に戻ってこよう。そう心に決めた桜鳴だった。




