第15話 家路
仕事が終わり、それぞれが片付けを進める中、桜鳴は片付けもそこそこに、執務机へと近付いた。
「……ねえ」
漣夜は、一瞬手を止めて桜鳴を一瞥すると、すぐに片付けを再開した。
「なんだ」
「その、……休みが欲しいんだけど。三日、ううん、二日でいいから」
「休み? なんのために」
「実家に、帰りたくて」
漣夜は、今度こそ手をしっかり止めて顔を上げた。怪訝そうな表情でじとりとした目つきだった。
「実家?」
「いつ戦争が始まるか分からないし、もしもがあったら、さ。久々に会いたいのもあるけど」
半分本当で、半分は建前だった。
一番の目的は、両親に子どもができない身体になったことを伝えなければいけないと思ったからだ。兄弟がいないから孫が望めないと分かったら、二人はどんな顔をするだろうか。残念がられるだろうか。
不安をぐっと飲み込み、桜鳴は、漣夜を真っ直ぐに見た。
「……分かった。明日から三日休んでいい」
「三日? 二日でいいよ」
「お前がいなくても仕事は回る。何日休もうが変わらん」
「はあ!? ……善意と受け取っておきますよ!」
桜鳴は、ぷいっと振り返って長机へと戻り片付けを開始した。
いつも一言多い男だ。これが好きだと想っている相手にする態度なのか。
桜鳴は、わざとらしくがさがさと音を立てて書物や紙を片付けていた。
「凌霄」
「は、はい!」
「そいつの送り迎えしてやれ」
「え?」
予想外の言葉に、桜鳴と凌霄の戸惑いと驚嘆の声が重なった。
桜鳴の片付けの手もぴたりと止まった。
「送り迎えって……いらないよ。迷わないし」
「お前は公にはただの女官だ。ただの女官が、王宮から簡単に出られると思うな」
漣夜は、呆れ混じりの声で言った。
桜鳴が奏祓師であることを知っているのはごくごく一部で、それ以外には漣夜付の女官で通っていることをすっかり忘れていた。そして、女官や下女のほとんどは仕え始めたら、特例を除けば二度と王宮から出ることはできない。ましてや実家に帰りたいなんて、絶対に門をくぐらせてくれないだろう。
その不可能なことも、皇子の従臣である凌霄がいれば可能だと漣夜は言っているのだろう。
桜鳴は、ようやく理解して、凌霄の方へと顔を向けた。
「それじゃあ、凌霄さん。お願いしてもいいですか……?」
「はい。かしこまりました」
桜鳴は、承諾してもらえたことに、ほっと胸を撫でおろし、残りの片付けを進めた。
◇◇◇
翌朝。
凌霄が事前にいろいろと手続きをしてくれたおかげで、簡単に王宮の外に出ることができた。
それほど時間がかかることなく実家に到着し、桜鳴は馬車から降り立った。
「では、二日後の夕刻頃、迎えに参ります」
「ありがとうございます!」
凌霄は、桜鳴の返答を確認した後、馬車を走らせて帰っていった。
桜鳴は、馬車を見送って、実家の玄関の方へ振り返る。
「ふぅ……、ふふ」
実家を目の前にして緊張していることに気付き、そのおかしさに思わず笑いが漏れる。
何も緊張することはない。いつ帰っても受け入れてくれる場所なのだから。
桜鳴は、玄関の扉をとんとんと叩いた。
「はーい」
扉の向こう側から女性の高い声が聞こえた。
ぱたぱたと急ぐ足音が近付いてきて、やがて止まり、扉がぎぃと開いた。
「どちら様――桜鳴!?」
「久しぶり、お母さん」
「どうしたの急に……って、寒いわよね。中入って」
母の周翠瑶は、桜鳴の腕をぐっと掴み家の中へと引き入れた。
桜鳴は、少しよろめきながら久しぶりの実家へと足を踏み入れた。冬を感じる装いにはなっているが、何も変わっていない風景に気持ちがほぐれていく。
翠瑶は、桜鳴から荷物を取り上げ椅子に座るように促し、お茶の準備を始めた。
「手紙もなかったから、びっくりしたわ」
「ご、ごめん」
「それで? 何かあったの?」
桜鳴は、翠瑶の問いにどきりとする。
子どもができない身体になってしまったことを伝えるために帰ってきたが、まだ心の準備ができていなかった。一部の人間以外に口外するなという御達しもあるため、戦争が起きるかもしれないからという建前は両親には使えなかった。
どう答えるべきか悩んでいた桜鳴の前に、かちゃりと茶杯が置かれた。
「ぁ……えっと、休みが取れたから久々に帰ろうかな、って思って……」
「そう……長く休めるの?」
「二日後に迎えが来るから」
「あら、そんなに短いのね。なら、今日と明日は桜鳴の好きなものたくさん作らないと!」
翠瑶は、桜鳴の向かいに座りながら、何を作るか献立を考え始めた。
「別に普通でいいよ」
「お母さんが作ってあげたいの。買い物は……もう少し後でいいかな」
窓から外を確認した翠瑶は、お茶を飲み干し椅子から立ち上がった。どこかへと歩いていく翠瑶を目で追っていく。すぐに、小さな籠を持って戻ってきた。
翠瑶は、小さな籠を卓の上に乗せ、がさごそと中を漁ってまっさらな布を一枚取り出した。
「買い物まで時間があるから、刺繍でもどうかしら?」
「刺繍……」
「……あ、桜鳴、好きじゃなかったっけ。それじゃあ、別の何か――」
「ううん! やる!」
桜鳴は、翠瑶の手から布を引き抜いた。翠瑶は、それに驚いた後、嬉々として使う道具を桜鳴へと手渡していった。
「柄は、そうね……桜にしましょうか」
「桜……ど、どうやってやればいいの?」
「まずはここからで、そう、そこから――」
翠瑶が手取り足取り細かく教えてくれたおかげで集中でき、あっという間に時間は過ぎていった。昼には肉饅頭を食べ、少し休憩をした後、刺繍を再開した。
全体の一割ほどができたところで、買い物に行く時間になった。
桜鳴も当然ついていこうとしたが、「ゆっくり羽伸ばしてちょうだい!」と言って翠瑶はさっさと出て行ってしまった。
(追いかけても、追い返されそうだな……)
桜鳴は、自室へと行き寝台に寝転がった。
目の前に広がったのは、よく知っている天井のはずなのに、懐かしいどころかこんな感じだったかと思うほどだった。
後宮での暮らしは一年も経っていないというのに、深く刻みつけられるほど濃密だったのだ、と。桜鳴は、翠瑶が帰ってくるまで、改めて今までの出来事を思い返していた。




