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第14話 枯木

 宵玲しゅんれいが遊びに来た日から数日が経った。

 桜鳴おうめいは、医房を訪れていた。

 あれからも何度か左腹部の傷痕が痛んだ。同じように一瞬の痛みだったり、しばらくの間ずくんずくんと疼くような痛みだったり、さまざまだった。

 寒さが厳しくなった証だろうから、春になればいずれ治るだろう。耐えられないというほどでもなかった。放っておこうかとも思ったが、最悪な時に痛み出しても困るとも思った。

 たとえば、落としてはいけないものを持っている時。漣夜れんやに怒られることは必至だ。

 たとえば、悪鬼あっきを祓っている時。もし、何か音にずれが生じて、呪ってしまいでもしたら。

 大事になる前に診てもらい、鎮痛薬でももらえたらと思って来てみたが。


(人、多いな……)


 仕事が終わってから来たはいいが、同じような考えの人ばかりで、医房の外にまで順番を待っている人がいた。

 傷が傷だけに、あまり人に聞かれない方がいいだろうと思い、少し離れた場所で人が減っていくのを待った。

 用を終えた人が医房から帰っては、また新たに人が並び、医房に次の人が入っていく。その繰り返しで、気が付けば、空はすっかりと暗くなり月が顔を覗かせ始めていた。

 人の波が途切れた頃、桜鳴は、医房の扉を叩いた。


「まだいた――ありゃ、お嬢さんかい」

「こんばんは。お忙しいところ、すみません」

「いや、構わんよ。今日は、どうした?」


 老齢の医官は、座るように目の前の椅子を指し示した。

 桜鳴は、それに従って椅子に座った。


「えっと、左のお腹の傷が、たまに痛むことがあって……」

「刺し傷が? 診てもいいかな?」

「あ、はい」


 桜鳴は、衣を緩めて左腹部の傷痕が見えるように露出させた。医房の中は温められているが、冷気に素肌が晒され鳥肌が立つ。

 老齢の医官は、ずり落ちた眼鏡を元の位置に戻してから、左腹部の傷痕をじっと観察する。次に、そっと優しく傷痕を触り異常がないか確かめていた。


「ふむ……傷は問題なさそうだが……一度、寝台に寝転がってくれるか?」

「分かりました」


 桜鳴は、落ちないように裳を手で押さえながら寝台に移動した。

 ごろりと寝転がったところに老齢の医官がやってきて、左腹部の傷痕とその周辺を特に下腹部を中心に触診していく。ぐっぐっ、と押されるたびに、くぐもった呻き声が短く漏れる。


「痛いかい?」

「いえ。なんというか、こう、圧で勝手に出ちゃうだけで……」

「ならいいが。……、もう起きて構わんよ。服、直しな」


 老齢の医官は、もう一度傷痕を触診した後、軽く手を上げて椅子に戻っていった。

 桜鳴は、紐をきゅっと縛っておかしいところがないかを確認して、老齢の医官の対面の椅子に座った。

 老齢の医官は、書物をぺらぺらと捲って何かを探しているようだった。

 少しかかりそうかなと、何気なく横を向いた。すぐそこに男性の顔があった。


「っ!」

「、どうし――って、蘇慎そしん、おまえか」


 驚いて椅子から落ちそうになった桜鳴に気が付いた老齢の医官は、何事かと書物から視線を動かして、はあ、と溜め息を吐いた。


「あ、あの……?」


 老齢の医官に『蘇慎』と呼ばれた若い医官は、何も気にすることなくじっと桜鳴の顔を見つめていた。

 その熱いまなざしに、桜鳴は、思わずたじろぐ。

 動くつもりのなさそうな若い医官を、老齢の医官がぐいっと自分の方に引っ張った。

 老齢の医官に引っ張られたにもかかわらず、若い医官の視線は桜鳴に釘付けのままだった。


「こら、失礼だろ」

「あっ、これはこれは申し訳ございません! 解毒、問題なかったか確認したくて」

「解毒……もしかして」


 桜鳴は、若い医官の方を見た。

 老齢の医官は若い医官の頭をぐっと押さえて、がしがしと乱雑にかき回す。


「この少し様子のおかしい奴が、お嬢さん方の毒を調べて解毒してくれたんだ」

「様子がおかしいって……どうも、もう蘇慎そしんです」

「やっぱり! あの時はどうもありがとうございました!」


 桜鳴は、椅子から立ち上がって頭を深々と下げた。この人の、蘇慎のおかげで命が助かった。感謝してもしきれないほどだ。

 蘇慎は、老齢の医官の手から離れるようにして桜鳴に近付いた。


「いえいえ。僕は試せただけで満足なので!」

「あ、こら、おまえまた……!」

「……僕、片付け再開しますね」


 蘇慎は、怒られる気配を感じたのか、この場を去って遠く離れた位置で作業を始めた。

 老齢の医官は、大きく溜め息を吐いた後、「すまんなぁ」と言って書物に視線を戻した。


「蘇慎は優秀ではあるんだが、医学をおもちゃのように扱っていてなぁ……」

「おもちゃってことは、それだけ興味があるってことですよね。毒にも詳しいようですし」

「お嬢さん方が盛られた毒は、北部の一部にしか知られていないもので、蘇慎の父上がよく知っていたそうなんだ」

「それで……蘇慎さんのお父さまもお医者さんなんですね」


 老齢の医官は、肯定を返すように頷き、読んでいた書物を閉じた。くるりとこちらに向き直ったことに、桜鳴は、どきりとする。


「少し手を、出してくれるかな」

「手……はい」

「ありがとう。……、やはりか……」


 老齢の医官は、両手首の辺りをぎゅっと握って少しの間じっと止まった後、気落ちしたように呟いた。

 それは、何かがあったことを証明するのには十分だった。


「、どこか、悪いんでしょうか……?」


 桜鳴は、おそるおそる訊ねる。

 老齢の医官は、桜鳴の手首から手を離し、覚悟を決めたように真っ直ぐと見つめてきた。


「悪い、というわけではないんだが、……」

「、はい」

「お嬢さんの身体は、おそらく……妊娠が難しくなっておる」

「……え?」


 桜鳴は、驚きから一拍遅れて声を上げた。

 てっきり、左腹部の傷痕に何か異常があるのだと思っていた。だけど、伝えられたのは身体のもっと内側の部分の問題だった。

 突然のことで、すぐには頭に入ってこなかった。

 理解できた時に脳内に浮かんだのは、漣夜の顔だった。

 宵玲を見つめる、あの優しい表情だった。


(……なんだ、これで断る理由が増えたじゃん)


 子どもが好きな人にとって、子どもができない相手なんて選択肢に入らないだろう。

 なにより、皇帝になるなら後継者がいないのは死活問題だ。皇帝としての資質がないと思われてもしかたがない。

 庶民であることと、妊娠できないこと。

 もし、また漣夜に何か言われても、これだけのことを提示すれば諦めてくれるだろう。

 ふさわしくない、と。


(よか、……っ)


 桜鳴は、ぎゅっと唇を噛みしめた。力を込めていないと何かが漏れてしまいそうだったから。

 老齢の医官は、椅子ごと桜鳴に近寄って、その背中をゆっくりと擦った。


「すまんなぁ……」


 何も悪くないのに。

 老齢の医官の治療に落ち度があったとは微塵も思っていない。

 そう伝えたいのに、今、口を開けば、言葉と一緒にこぼれ落ちてしまいそうで、首を横に振るので精一杯だった。

 慈愛に満ちた老齢の医官の手が背中を行き来するたびに、視界に映る医房の床が滲んでよく見えなくなっていった。

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