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第39話 月夜の調べ

(……眠れないなぁ)


 桜鳴おうめいは閉じていた瞼を開けて、暗闇の中、自室の天井をじっと見つめる。

 今朝、凌霄りょうしょうの元へ届いたエヴランスからの書簡の内容が、頭の中でずっとぐるぐると巡り続け、眠りにつくのを妨げていた。


「戦争、か……」


 ぽつりと呟いた言葉は、静かな室内に溶けて消えていくのに、心にある言い知れぬ不安感は残ったままだった。

 華嵐フアランとどこかの国が戦争になる。エヴランスの書簡にはそう書いてあった。それが近い将来のことなのか、それとも遥か未来のことなのか。そもそも、エヴランスの未来視が外れている可能性だってある。


(……、全部当たってたっけ……)


 桜鳴はムランを訪れていた時のことを思い出し、生まれた可能性が潰えたことに落胆する。

 いつになるかは分からないが、戦争は必ず起こる。そうだとして、それがどのくらいの規模になって、どのくらいの期間になって、どのくらいの犠牲になるのか。一度考えてしまうと、寝付けなくなるのもしかたがない。


(ちょっと、散歩してこようかな)


 桜鳴は起き上がり、防寒に厚手の羽織りを肩からかけた。それでも、底冷えしてしまいそうなほどの寒さだった。


(冬、だなぁ……)


 本格的というにはまだ早いかもしれないが、冬という季節にふさわしい寒く澄んだ空気だった。


 寝台から床へと降り立った時、笛をしまってある箱が目に入った。箱を開けて、いつものように袋に入れて身につけた。もちろんこんな夜中に鳴らすつもりはない。できるだけ肌身離さず持つように、と言われているからだ。


 夜の散歩の準備ができた桜鳴は、部屋の扉を開けた。その瞬間、一気に外の冷気が身体に突き刺さる。


「さっむ!」


 あまりの寒さに行くのをやめようかと思うほどだったが、ふと夜空を見上げたら、真ん丸な月と星々が競うように輝いていた。


「綺麗だなぁ……」


 思わず見惚れるほどの瞬きに、開け放っていた扉を閉めて、散歩へと繰り出した。


 宮の廊下でも十分綺麗に見えるが、蝋燭の灯りがなければもっと綺麗に見えるかもしれない。どこか星空を見るのに適した場所はないだろうか、と思いながら歩いていると、前からやってくる人影が見えた。


「――おい」


 きっと夜番だろうと気にすることなく夜空に目を向けたままだったが、突然声をかけられ身体をびくりとさせる。聞き馴染みのある低い声だった。


「っ、れ、漣夜れんや……」

「こんな時間に何してる」

「散歩、だけど……」


 別に悪いことをしているわけではないが、夜中に出歩いていることにどこか後ろめたさを感じ、漣夜から目を逸らすように言った。漣夜は何も答えず、じろじろと桜鳴を睨む。


「……そんな格好で、か」

「何か変?」

「いや、風邪引くぞ。……こっちに来い」

「え、えっ? ちょ、待っ――!」


 てっきりまた何か言われるものだとばかり思っていたが、漣夜の口から出たのは予想外の言葉だった。

 呆気にとられていると、漣夜は踵を返して自室へすたすたと歩いていった。慌ててそれを追いかけると、すでに部屋の中にいるようで、何の用だろうかと思いながら廊下で待った。

 暫しの間、がさがさと何かを漁るような音がした後、控えめな柄の羽織りを持った漣夜が出てきた。


「これを着ておけ」

「え、いや、いいよ」

「風邪を引かれたら困るのは俺だ」

「それは……まあ、そっか……」


 言い返す余地もなく、渋々その羽織りを受け取った。桜鳴が持っているものよりも質がいいものらしく、肩にかけるとすぐにじんわりと熱が籠り始める。


(さすが皇族、いいもの持ってるなぁ)


 桜鳴はちらりと横目で漣夜を見ると、同じように見られていたようで視線がぶつかった。


「お前、笛持ってるのか」

「ん? うん。……あ、吹くつもりで持ってるわけじゃないよ」

「……最近聞いていないが、腕がなまったりしてないだろうな?」

「なっ! 今日なんか、急に暇になったから吹いてたし!」


 桜鳴が頬を膨らましながら言うと、漣夜は悪戯そうな笑みを浮かべた。


「そうか。なら、聞かせてもらおうか」

「え、でも、夜中だし……」

「いい場所がある。ついて来い」


 そう言って、漣夜はまたすたすたと先にいってしまった。わけもわからず背中を追うが、いつもよりも後ろを気にかけるような歩調だったような気がした。





 着いたのは、いつかに元皇后とお茶会をした大きな池がある庭園だった。あの初夏の頃は、池が一面睡蓮で覆われていたが、冬の今はどれも次に花を咲かせるための準備に入っていた。

 漣夜は池の上にある水榭すいしゃに入り、腰掛にどかりと座った。


「ここなら建物から距離がある。そこまで迷惑になんねえだろ」

「いやぁ、でも、まったく聞こえないわけじゃなくない……?」

「なんだ、自信がないか?」

「そっ、そんなんじゃないし! ああ、もう、何かあったら、あんたが怒られなさいよ!」


 桜鳴は人差し指をびしっと漣夜に向けて、袋から笛を取り出す。寒さで少し固くなっている指に、はあと息を吐きかけ握ったり広げたりを繰り返す。問題なく動きそうなのを確認してから、笛を構える。


(ここだと、星空もさっきより綺麗に見えるなぁ……月も、大きくて、明るい)


 冷たい空気を肺一杯に吸い込んで、笛にゆったりと送り込む。決して音はかき消えてしまわないように。夜に聞いても耳障りにならないゆっくりな曲。それでいて、煌めく冬の星空のような華やかさも忘れない。


 桜鳴は曲を吹き終わり、笛を口から離してひとつ息を吐く。


「……変わらないな」

「……それは上達してない、ってこと?」

「そうかもな」

「人に吹かせておいて……ったく、なんなの」


 今度は呆れたように溜め息を吐いて、漣夜から少し間を空けて座った。

 表現が上手くできているかはさておき、今日もいい音だったのに。

 桜鳴が労わるように笛を優しく撫でていると、漣夜が口を開いた。


「――何かあったか」

「、え?」

「こんな時間に散歩なんて、いつもはしないだろ」

「あー……えっと、なんというか、頭がごちゃごちゃしてて」


 漣夜は、どういう意味だ、とでも言うようにわずかに眉をひそめる。


「戦争、起こるんだ、って思ったら、ね」

「……ああ」

「ムランの時は、奇跡的に誰も死ななかったけど、今度はそうもいかないだろうなぁ、って」


 桜鳴の不安と悲痛が入り混じった表情が月の光に照らし出される。


「死ぬのが怖いか」

「自分じゃない他の誰かが命を落とすかもしれない、って思うと、怖いよ」

「……お前は、すぐ自ら死ににいくからな」

「そういうつもりは、ないん、だけど……」


 望んで危険な方を選んでいるわけではないが、誰かを助けるために結果的にそうなってしまっていることには何も言い訳はできなかった。

 死にたい気持ちなど微塵もない。それに。


「わたしだって、死ぬのは怖いよ」

「はっ、どうだか」

「だって、漣夜に初めて会った時、殺される! 死にたくない! って思ったもん」

「……懐かしいな」


 漣夜は、ふ、と頬を緩ませた。


 笛を諦めきれなくて、皇宮に侵入したあの日。笛を見つけたと同時に、漣夜とも出会った。

 巷で『残虐非道で気に入らないものは片っ端から容赦なく殺す』と噂されている第三皇子に捕まった時は死を覚悟したが、奏祓師そうふつしとして漣夜の元に仕えることになった。


 あの早春の頃から、季節はもう四つ目だ。


「あの時は、こんな騒がしい子猿が俺の奏祓師か、と、心底嫌だったが」

「子猿!?」


 桜鳴はいきなり出てきた暴言に思わず詰め寄ると、漣夜はにやりと口の端を上げて吊り上がった目で見下ろしてきた。


「はは、そういうところだぞ」

「ぐっ」


 反射的に動いてしまった桜鳴は何も言い返すことなどできず、漣夜からすごすごと離れた。


「奏祓師は必要だったが、女でなおかつずっとうるさい、言うことも聞きやしない、そんなやつならいない方がましだったが」

「……ずっとは、うるさくないし……」

「それまでの俺の毎日にしてみたら、ずっとうるさいんだよ、お前は」


 漣夜の手刀が桜鳴の頭のてっぺんに、とす、と突き刺さる。触れていた手の側面が徐々に倒れていき、手のひらが髪を滑る。


「……まあ、今はその騒がしさも、……悪くはないと思っている」

「えっ?」

「いや、言い方が違うな。……お前が、奏祓師でよかった、だ」


 目の前の男の口から出たとは思えない言葉たちに驚いて、桜鳴は漣夜の目を見上げる。水榭の柱の間から注ぐ月光が反射して、その深い緋色がいつになく綺麗に輝いているように見えた。


「俺の隣にいるのはお前で、お前の隣にいるのは俺だ。これからも」

「……、それは、『奏祓師』として、当然だと思う、けど」

「ああ、そうだな。……だが、それだけではない」


 漣夜の真剣な瞳が、桜鳴を捉える。



「――伴侶としても、だ」



 雪もちらつき始める頃だというのに、頬が火に触れたのではないかと思うほど熱かった。

次回、第三章最終話です。

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