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第35話 連環 漆

「こちらで――何か、物音が……」


 心蓮しんれんが手のひらで宇樂うがくの部屋を指し示したのと同時に、その部屋の中からがたんと何かが倒れるような物音がした。


「宇樂さま、心蓮です。そのぉ、お客様が……宇樂さま……?」


 物音がしたうえに、部屋の中がぼんやりと明るくなっていたため、宇樂が起きていると思ったのだろう。心蓮は一切返事が聞こえないことに、不思議そうに扉の向こう側へ問い掛ける。だが、うんともすんとも言わず、何の音も聞こえてこなかった。


「……逃げたか?」

「夜中とはいえ、見回りがいる。すぐに騒ぎになるはずだが、その様子はない」


 蒼峻そうしゅんは宮の外へ顔を向けながら言った。

 上手く逃げおおせた可能性もあるが、まだ部屋の中にいる方が濃厚だろう。

 漣夜れんやは心蓮を押しのけて、部屋の扉に手をかけて勢いよく開いた。小さな蝋燭の灯りに照らされていたのは、床でうつ伏せに転がる宇樂だった。

 これだけ騒々しいのに起きないなんてよほど熟睡しているのだろうか。


(……いや、今、冬だぞ……?)


 床で寝ること自体そもそもあり得ないが、宇樂がそれを好んでいる可能性もある。だとしても、夜は厚手のものを羽織らないとがたがたと震えるほどだ。それなのに、布団を掛けることなく冷えた床で寝るだろうか。


「――宇樂、さま?」


 何かがおかしいことには心蓮も気付いていたようで、ゆっくりと宇樂に近付いていく。うつ伏せになっていた宇樂を仰向けにさせた。


「っ! 宇樂さま!?」

「なんだ、何が……まさか」


 仰向けにした宇樂の口からは泡が吹き出し、蝋燭の火に照らされているというのに顔色は真っ白になっていた。

 心蓮は血相を変えて、宇樂の名前を何度も呼ぶ。


「宇樂さま! しっかりしてください!」

「、っ、し、……れん、……」


 宇樂はその呼びかけに答えるように、消え入りそうな声で心蓮の名前を呟いた。


「! 宇樂さま! っなんで、なんで! 『力』が、出ないの!?」


 心蓮は右の手のひらを宇樂の頬に触れては離し、また触れるのを繰り返す。心蓮の『力』――治癒能力の発動条件がその行動なのだろう。だが、何度同じことをしても、『力』は発動していないようだった。


(……ここのところ発動していない、と、言っていたな……)


 桜鳴がなかなか目を覚まさなかったあの刺傷事件で、心蓮に『力』を使ってほしいとお願いした時に、何故か発動しないと言っていた。それが、今も続いてしまっている、ということだろう。

 心蓮は諦めずに『力』の発動を試みるが、その甲斐虚しく、宇樂の呼吸が徐々に弱くなっていく。


「宇樂さま、今、いま、私が……なんで、使えないのよ……っ」

「……、も、いい……、れ、ん……」


 宇樂はぎこちなく手を動かし、頬に何度も触れる心蓮の手を残っているすべての力で握る。


「だめです! いいわけない! 嫌ですっ!」

「、……わる、か、た……」


 途切れ途切れに紡がれる謝罪の言葉は、もうその息が長くないことを表していた。

 心蓮は首を左右に振って涙をこぼしながら、どうにかして『力』が発動するのを願うが、その願いは聞き入れてもらえず、右手に触れていた宇樂の手がゆっくりと脱力していく。


「宇樂さま、宇樂さまっ!」


 宇樂の瞳が生気の色を失っていく。

 これはもう助かることは万に一つもない。そう誰もが思っていた時だった。


「おに、ちゃん……?」


 漣夜と共に来ていた宇霖うりんがおぼつかない足取りで宇樂に近付いていく。


「宇樂さま、いや、いやです……っ」


 宇霖がすぐ傍までいることに気付かず、心蓮は宇樂の名前を呼び続け頬に手のひらを押し当てる。


「お兄っ、ちゃ、やだ、よ――」


 宇霖は嗚咽混じりにそう言いながら、宇樂へと手を伸ばした。


 その手が宇樂に触れた瞬間、一際輝く大きな光の柱のようなものが宇樂の全身を包み込むように現れた。


「なんだ……?」


 その謎の光はすぐに小さくなっていき、完全に消えた時、宇樂が咽るように咳き込んだ。


「っ! 宇樂さま!」

「、……、し、れん……?」

「おに、お兄ちゃんっ……うぅ」

「……ぅ、りん、も……はは、なに……」


 大粒の涙をこぼす心蓮と宇霖に、力なく微笑んだ後、宇樂の瞼は再び閉じられた。


「、宇樂さま!? ……、息、してる……よか、よかったぁ……っ」


 心蓮は宇樂の口元に耳を寄せ呼吸を確認し、ほっと安堵したように脱力した。


 目の前で起こった怒濤の展開に、漣夜は困惑を隠せないでいた。

 おそらく強い性質の毒、それも致死性のあるものを飲んで、もう死を待つだけだった宇樂が謎の光に包まれ急激に回復した。心蓮の『力』が無事に発動したと考えるのが妥当だろうが、幻蘭は『病や怪我がすぐに治るわけではない』と言っていた。宇樂が死ぬかもしれないという差し迫った状況で、『力』が最大限に発動したということだろうか。


(……いや、あれはどちらかと言えば、宇霖がきっかけ――)


 宇霖が宇樂に近付いたことで光が現れたのではないか。

 そう考えながら、漣夜は宇霖の方へ目を向けた。いつの間にか、宇霖も宇樂のように床に倒れていた。


「、宇霖! ……意識を失っているだけか……」

「――ひとまず、二人を医房へ運ぶ。私が宇樂を抱えるから、漣夜は宇霖を頼めるか」

「はい」


 蒼峻の指示に従い、漣夜は宇霖を抱きかかえ、医房へと向かった。



 致死性があるだろう毒を飲んだはずの宇樂には、あり得ないことに毒を摂取した際の症状が何一つなく、命に別条はないようだった。突然意識を失った宇霖も、どこかが悪いというわけではなく、ただ静かに眠っているだけだった。




 一体何が起こったのかは分からなかったが、誰一人も命を落さなかったことだけは明白だった。


 そうして、激動の夜は明けていった。

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