第28話 縺れ
幼い頃は、いつも宇霖と一緒だった。
双子だから、と、どんな時も一緒に行動した。食事も湯浴みも散歩も、何もかも一緒だった。
宇霖は小さい時から、今みたいな臆病で、何にもびくびくと怯えているようなやつだった。でも、オレだけには、安心したような笑顔を向けてくれた。この世に生まれてから、いや、生まれる前から同じ場所にいたからか、オレには怯えなくて大丈夫だと信頼してくれていたんだと思う。
そんな調子だから、誰とも話すことのできない宇霖の気持ちを代弁するのがオレの役目だった。
やりたいことも、やりたくないことも、何が好きかも、嫌いかも、全部、オレが乳母や女官たちに伝えていた。
宇霖は、新しいことを始めるのも苦手だった。
だから、オレが一歩進んで、どんなことも先に試して「大丈夫だぞ」と見せつけた。オレができたなら、鏡合わせのような宇霖にもできるはずだから。
オレの見本を見てから、宇霖はおずおずと始める。上手か下手かはさておき、『できた』ってことが宇霖は嬉しかったのか、笑顔で「おにいちゃんっ」って得意気に見せてきた。オレも嬉しかった。臆病なだけで踏みとどまって、できるはずのことも諦めるなんて、そんなの絶対もったいないから。
オレには生まれた時からいる奏祓師が、宇霖にはまだいなかったけど、ある日、劉沐陽ってやつが現れた。オレにだけ向けられていた笑顔が、沐陽にも向けられるようになった。
それから宇霖と一緒に行動することが少し減ったけど、顔を合わせたら喜んで近寄ってくるし、何かあればオレを頼って訪ねてきた。
まだまだオレがいないとだめなんだ。オレが手を引いて、宇霖を導いてやらないと。オレは、宇霖の『お兄ちゃん』だから。
宇霖が必要としてくれるのは嬉しかった。
努力をするのは疲れるから嫌いだったけど、宇霖のためにどんなことも頑張ろうと思えた。
何を言っているかちんぷんかんぷんな勉学は何度も復習した。
――何を聞かれても答えられるように。
苦手な野菜も我慢して食べた。
――オレと同じで宇霖も偏食だから、何でも食べられるように。
唯一得意な武術の鍛練は、より頑張った。
――『すごい』と目をきらきらと輝かせた顔が見たかったから。
宇霖の手本になれるように、たくさん頑張っていたはずなのに、気が付いたら宇霖はオレの前を歩いていた。
しっかりと握って、「こっちだぞ」と導いていたはずの手は、いつの間にか離れていて、もうそこにはなかった。
それからだった。体調を崩しやすくなったのは。
寝込んでいたら宇霖と比較され、劣っていると噂される。比較されないように頑張れば、体調を崩す。平たく言えば、悪循環だった。
宇霖があの時手を離したから、だなんてことは言わない。けど、あんなにオレを必要としていた宇霖に『要らない』と言われたようだった。オレの居場所は、存在意義はなくなってしまったように思えた。
もう、何のために頑張ればいいか分からなくなった。
そんな時に、皇位継承権がまだ決まっていないことを思い出した。順当にいけば蒼峻兄上になるに決まっている。
――でも、オレが、オレ様が皇帝になったら?
きっと、また宇霖が『すごい』ときらきらの目で見てくれるに違いない。また『お兄ちゃん』と呼んでくれるに違いない。
また必要としてくれるに違いない。
皇帝になることが、一番で、唯一の目標になった。
◇◇◇
お兄ちゃんのことは何よりも大事で、大好きだ。
蒼峻兄上や両親も家族ではあるけど、お兄ちゃんは何かがみんなとは違っていて、ぼくの中では『本当の家族』はお兄ちゃんだけだった。
周りの人が怖かった。みんな笑顔で接してくれるけど、誰も笑っているようで、笑っていなかったから。それはぼくたちが皇子だから、何かよこしまな考えを持っていてもしかたのないことだった。
何に対しても怯えるぼくに呆れる人もいたけど、お兄ちゃんだけは絶対にその手を離さないで、いつも引っ張ってくれた。他の何もが怖かったけど、お兄ちゃんだけは微塵も怖くなかった。きっと、母上のお腹の中で十月十日、片時も離れなかったから、お兄ちゃんは大丈夫だと本能的に感じていたんだと思う。
お兄ちゃんは、ぼくのために手本を見せるように何でも率先してやってくれた。時には簡単に、時には苦戦しながら。でも、どんなことでも、さらりとこなすくらいにはできるようになっていた。
すごかった。さすがだと思った。そう告げると、お兄ちゃんはいつも少し照れながら、だけど、得意気に笑ってみせた。その笑顔が大好きだった。
沐陽と出会った時はびっくりした。あんなに胡散臭い見た目なのに、他のみんなが大なり小なり持っているよこしまな考えがまったくなかった。笑顔はやっぱり胡散臭いけど、本当にぼくのために、ぼくを思って向けてくれているものだと、なぜだか確信できた。
いろいろなことを知っている沐陽の話は面白かった。
でも、沐陽はあくまで奏祓師で従臣。ぼくを支えてはくれるけど、お兄ちゃんのように手を引っ張って導いてくれはしない。お兄ちゃんと同じくらい信頼できても、お兄ちゃんの代わりにはならなかった。
お兄ちゃんがいっぱい頑張っているのは知っていた。だから、ぼくも頑張ろうと思った。いつかは上に立つお兄ちゃんを支えられるように。せめて隣には立てるように、お兄ちゃんが今まで導いてくれた先で、たくさん頑張った。
武術はあまり性格に合わなかったけど、勉学はとても面白かった。
特に、国の、民のためになるには、どう働きかければいいか、何が一番そこで暮らす人々の利益になるかを考えるのが楽しかった。机上の空論かもしれないけど、いつかお兄ちゃんが皇帝になった時に役立ててもらえるように、さまざまな案を考えた。沐陽に「ええと思いますよ」と褒められて、少しはお兄ちゃんに近付けたと思っていた。
でも、気が付いたら、お兄ちゃんはぼくを避けるようになっていた。
今までと同じように話しかけようとすると、鬱陶しそうな表情をするようになった。臆病者のぼくに呆れて離れていった人たちと同じ顔だった。
ぼくがお兄ちゃんのようにできないから。お兄ちゃんみたいに才能がないから。
だから、手を離されてしまったんだ。
それなら、もっと頑張ればいい。才能がなくても、その分を努力で補えばいい。苦手なこともたくさんあるけど、お兄ちゃんにまたあの笑顔を向けてもらうために。
――お兄ちゃんに、また手を引いて導いてもらうために。




