第98話 暗闇の奥に潜むもの
オーガと戦った場所から離れ、俺たちは六層を彷徨う。
よほど広く、そして複雑な迷宮なのだろう。これほどのものは前世でも潜ったことがない。そこに加えて、六層は五層以上の階層よりも遙かに広くなっている。これは断じて気のせいではないだろう。
つまりレアンダンジョンは、潜れば潜るほど広く複雑化していく。
やはり危険だ。学生に探索させるような規模のダンジョンではない。
「深層に向かえばさらに広くなるぞ……」
「うむ」
何気ないつぶやきに、ベルナルドが相づちを打った。
これだけ歩いているのに、平民パーティと遭遇することが一度もない。だが、やつらが通ったと思しき足跡や、壁に彫られた道順を示す数字つきの矢印などは度々目撃していた。
その下に俺たちの進む方角の矢印を彫る。先に通った方が上だ。矢印が二本描き込まれた壁のある通路は、共通路となる。そして矢印とは反対の方角へ歩を進めることで未踏領域を減らしていくと同時に、帰り道に迷わぬようにする。ゆえに数字は所属班を表している。この場合、セネカの4だ。
大型ダンジョンを複数パーティで探索する際の知恵だ。
度々目撃するのは、それだけではない。ヴォイドたちが交戦したと思しきオーガどもの死骸もだ。
どうやらあちら側もオーガと戦いながら進んでいるようだ。もっとも、俺たちほどまとまった数とは遭遇していないらしく、死骸の数は多く点在していても、それらが固まって転がっていることはなかった。
しかし――。
案外わかるものだな。誰が手を下したのか。
正確にはヴォイドとリオナのつけた傷だけは判別できる。
刃とは思えないほどに荒々しく抉られたような痕はヴォイドの仕業だろうし、反対にリオナのものは必要最低限。大半が喉に横一直線の斬り傷か、同じく喉に小さな穴を空けられているだけのものだ。死骸の形が、まるで眠っているかのように綺麗に保たれている。
正反対だが、どちらも手癖だな。殺し方が猟兵と暗殺者そのものだ。まあ、この分であればあちらも無事だろう。
他の学生らの傷は、いかにも稚拙に剣を振り回したものであるとわかる。唯一わからんのは半端に焦げているやつだ。フィクス・オウガスが魔術を使い出したのだろうか。
死骸を見ながら通り過ぎていると、唐突に頭上から男の声が降ってきた。
「エルたん、らぶ」
低く野太い声に振り向くと、ベルナルドが真摯な瞳で俺を見つめていた。
え、何? 怖……。え? 幻聴? 頼む! 幻聴であってくれぇーーーっ!
戸惑っていると、ベルナルドが俺の肩越しに壁を指さす。
「書いてあるぞ。割と、大きくな」
「ああ?」
こっわ。壁ドンされるかと思った。心臓に悪い。
振り返ると、そこには平民パーティが進んだ方角に矢印とメッセージが添えられていた。数字は3。ちょうど進行方向の道が左右に分かれる三叉路だ。
死骸に目を取られていて、メモを見逃すところだった。
ベルナルドがやはり低く野太い声でつぶやく。
「浮気は、だめよ。愛してるわ」
「自分で読めるから、いちいち朗読するな! おまえの声で言われると寒気がする!」
「ふむ」
どう見てもリオナのメッセージだな。そこまで彫るなら数字はいらんだろ。
だが、これは。初めての文字つきだ。どうやら俺たちの前をいく一班二班のやつらも、死骸に目を取られてしまっていて気づかなかったようだ。
ベルナルドはブライズ並みに背が高いから、視野が一般の学生よりも遙かに広いのだろう。意識して考えたこともなかったが、俺もブライズだった頃は他者よりよく状況を把握できていた気がする。
「レティス、イルガとオウジンを呼んできてくれ」
「あいよー」
レティスが走り、イルガたち先頭の足を止めた。しばらくすると、三名でこちらに引き返してくる。前方の見張りは二列目の一班男子ふたりだ。
「どうしたんだ、エレミア?」
「これを見ろ」
イルガが口に出す。
「エルたん、らぶ。浮気はだめよ。愛してるわ……?」
「何ッでおまえらはいちいち朗読するんだ! 寒気がするからやめろ!」
「何だ、これは? 俺ってモテるんだぞアピールか? これだから子供は……」
糞、イルガのやつ。ちょっと話せるようになったら、いちいちからかいやがって。
俺が応えるより先に、オウジンが口を開いた。
「リオナさんのメッセージだな。見るべきはその下だ」
「そうだ」
石で引っ掻いたような白い線が何本かあり、それぞれが秩序だって直角に交差している。表すところは当然、第六層の地図だ――が、一部だけだな。
×印がつけられている三叉路がここを表している。
イルガやオウジンが進んでいた方角は左手側。だがその先の線は別の短い線でぶった切られていて続きはない。行き止まりなのか、あるいは崩れていて通過できないといったところだろう。
右側通路には○印が残されている。
俺はオウジンに尋ねた。
「左の方角に四班五班の足跡はあったか?」
俺とベルナルドは最後尾だ。平民パーティの足跡があったとしても、そこに行く頃には貴族パーティの前衛中衛のもので踏み潰されてしまって判別できない。
オウジンが首を振った。
「いや、それが途中からオーガのものが混ざり始めていて、足跡で判断するのはあきらめたんだ」
「その割にはオーガに遭遇しないな」
俺のつぶやきに、イルガがうなずく。
「オーガの足跡は方角もバラバラだ。まるで散り散りになって逃げ出したかのように。俺たちが追い払った群れかもしれない。混乱しているように見えた」
リオナの簡易地図によれば、右側通路へ向かうしかないということになる。平民パーティはそこを先行しているはずだ。こちらはオーガの群れとの戦いのせいで、少し遅れてしまっている。
右側通路を見ても、方向すらぐちゃぐちゃになった大きな足跡ばかりで何もわからない。ぽっかりと口を開けた闇だ。
「……」
俺は闇の先を見つめる。
チリチリと皮膚が毛を逆立てている。この感覚には覚えがある。ブライズはこれを回避することで、何度か命拾いをしてきた。
しかし、四班五班はすでに進んでいる。
オウジンが俺の顔を覗き込む。
「エレミア?」
「何でもない。進むぞ」
何だ、これは。何か、闇の向こうに。
気配ではない。静かな闇しかつかめない。
だが、いる。
オーガの腹を喰い破ったやつが。
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